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19.5 ② 君の隣が、いちばん。

*アレクシス視点

 理不尽だ……。

 椅子の背もたれに身体を預け、僕は溜息を吐いた。

 ジェイド先輩の恫喝で管轄上関係ないはずの僕も動かざるを得なくなった。

 ジェイド先輩の指示で一介の司祭である僕の権限では本来どうにもならないような仕事を振られ、調査のときとは比べ物にならないほど情け容赦なく働かされた。

 今は通信魔道具の発動に必要な魔力を注ぎ、魔力のストックとして部屋で待機している状態だ。


「あ、理由だ? ラピス様がお休みをご所望、それで通る。つーか通せ」


 ジェイド先輩が部屋に運ばれた大鏡に向かって吐き捨てると、鏡の向こうで部下と思われる聖職者が呆れ顔で頭を抱えていた。

 離れた場所の相手と会話が可能な巨大な鏡は教会独自の魔道具の一つで、かつては聖水を満たした水鏡の術式であったものを西の聖女候補が魔道具として改良したものだ。

 使用に際しては魔力の多い人間が魔力を注ぐか魔力を秘めた鉱石が必要だが、僕がいるうちは南の鉱石を消費せずに稼働できるだろう。

 南の厚意で借りた鏡で貴重な鉱石を消費するのはあまりに忍びない。


「うちのジェイドがごめいわくをおかけしてー」

「すまんなぁ、部署もちゃうのにこき使ってもーて」


 気がつくと隣の席にラピス大司教様が座っており、その後ろに控えているグレン殿が僕に向かって小さくひらひらと手を振っていた。

 慌てて大司教様に頭を下げて立ち上がろうとするが大司教様にそのままで、と手で制される。

 そして大司教様はこちらに向かって両手を伸ばすと、何を思ったのか僕の顔中にぺたぺたと触れ始める。


「あ、の」

 振り払う訳にもいかず身を固くしていると、今度は幼子のように頭を撫でられる。

 助けを求めるように見上げたグレン殿の表情からは笑顔が消えていた。

 別の方向からも鋭い視線が突き刺さる。十中八九ジェイド先輩だ。

 青ざめたまま動けずにいると次は手を握られる。


「あらー、剣の腕も立ちますね?」

 ここでようやく大司教様なりに僕を『視て』いるのだと分かったが、今は何よりも僕に突き刺さる二対の瞳が恐ろしいので早く解放してほしい。

 ひとしきり顔や手のひらを触った後、ラピス大司教様は両手をぽん、と合わせる。

 閉じられていた瞼が開かれ、夜空色の瞳の中で虹彩が星のようにきらめいた。


「きめました。アレクシス、うちにきてくださいー」

「……はい?」

 スカウトの打診とも捉えられる大司教様の言葉に、思わず聞き返してしまった。

「ジェイドの無茶ぶりにこたえられて、魔力もおおく、剣もあつかえるなら申しぶんありません。ご検討のほど、おねがいしますねー」

「は、はい」

 大司教様の口ぶりからして事実上の引き抜きなのだが、一応僕の意志に委ねるつもりらしい。


「ラピス様」

 いつの間にか通信を終えていたジェイド先輩が大司教様に歩み寄る。

「なんでしょう」

「アレクシスの引き抜きは決定事項ですか?」

「んー、そこは彼の意思にまかせますー」

「分かりました」


 大司教様に殊更にこやかに応じた先輩の目だけが笑っていない。

 先輩は親指で扉を指すと、来い、と唇が動かした。

「ほなアレクシス、ちょっと表で話しよか?」

 グレン殿に肩を組まれ、逃げることも叶わず別室に連れ出される。

 奇しくも厨房係が尋問を受けた集会室でシスター・コレットの尋問を追体験することになるとは夢にも思わなかった。


「で、ラピス様に頭を撫でられてどんな気持ちだ?」


 二人の逆鱗に触れたのはスカウトの方ではないらしい。

 ジェイド先輩は崇拝、グレン殿は恋慕と想いの形は違えどラピス大司教様を慕っている。

 ラピス大司教様に対して畏敬の念は持ち合わせているが、それ以上の感情はない。

 二人に誤解されないよう、ここは僕も本音を口にした方がいいだろう。


「別に嬉しくはないです」

「んだと? そこは伏して拝むところだろうが!」

「あぁん? そこはもっと喜ばんかい!」


 机を挟んで前方のジェイド先輩に胸倉を掴まれ、僕が逃げられないよう背後に立っていたグレン殿にわき腹を殴打された。

 辛うじて呻き声を殺したが、恐らく嬉しいと答えても同じことをされた自信がある。

 ……本当に理不尽だ。



 二人の尋問から解放され、そのまま休憩を命じられた僕は旧礼拝堂へと足を運んだ。

 とりあえず今は一人になりたかった。


「…………」


 旧礼拝堂の通路のあちこちに紙片が散乱しており、僕は眉を顰める。

 歩きながら紙を拾い上げると、案の定マリアの字で書かれていた。

 マリアの頭の中をそのままに紙に書き殴ったような走り書きたちを拾い集めて情報を掻い摘まむと、秘跡の研究をしていることが分かった。

 前列の一番埃の少ない長椅子に座り、紙の順番もバラバラのそれらを夢中になって読み込む。


「術式を基底まで分解して……」

 魔術師ならではの着眼点とでも言うべきか。

 マリア本人は魔術しか父の才を受け継がなかったと卑下していたが、魔術研究に関するマリアの才能と情熱、そして努力は本物だ。

 しかし、正規の手続きを踏まずに隠れて秘跡の研究を行っていることはいただけない。


 分かっているのだろうか。もしこの研究によって多くの人間に秘跡の恩恵がもたらされるようになれば、確実に教会はマリアを逃がさないだろう。

 還俗したいならば大人しくしてほしい。後できちんと念押ししておかなければ。

 

 噂をすれば影が差すとはよく言ったもので、ちょうど扉が開く音が聞こえ、マリアが現れた。

 引きつったマリアの表情を見ればここで行っていた研究が褒められた行為でない自覚はあるようだ。

 旧礼拝堂には秘跡の研究を僕から隠すために来たのだろう。一足遅かったが。


「昨日振りね、アレク。……怒ってる?」

「……いや。だがマリア、一応これについて説明してもらおうか」


 実際怒っていた訳ではない。徹夜明けであること、先ほどまで筋違いかつ陰湿な八つ当たりを食らっていたこともあって少々、いやかなり虫の居所が悪かっただけだ。

 そしてこちらに近づいてくるマリアが肩を震わせていることに気がついた。


 嗚呼、またやってしまった。

 時折周囲の気温が僕の苛立ちに呼応するように下がっていくのだ。これが僕に水属性も備わっているのではと言われている所以である。

 マリア曰はく、魔力の多い人間の感情に周囲のマナが反応することは珍しくないらしい。

 僕の周りだけが冬のように凍える中で吐く息が白いままにそう熱弁を奮った彼女のことは覚えているのに、なぜあのとき怒っていたかは思い出せないから不思議だ。


 僕の隣に座って話し始めたマリアの言い訳は、何とも彼女らしいものだった。

 同時に好奇心から来る軽率な行動にずきずきとこめかみが痛む。

「マリア、還俗したいならくれぐれも、くれぐれも大人しくしていてくれ。成果は出ていないことだし、僕は見なかったことにする」

 溜息を吐いてマリアの肩に手を置いて言い聞かせると、マリアは神妙な顔をして頷いた。

 少しは反省してくれるといいが。


「……しばらく読ませてもらうぞ」

「え、えぇ」


 ともあれ、研究者本人がいるならば質疑をぶつけられるので話が早い。ここで全て読み切ってしまおうと決め、資料を読み進めていく。

 走り書きの情報だけだが、秘跡を使うのに光以外の属性のマナに命令式を送るという仮説自体は興味深い。

 今までは光属性を光、という一つの属性として捉えていたが、光属性のマナが他属性の上位存在であるならばありえない話ではない。

 秘跡の仕組みが正しく分かれば、教会内で秘跡使える人間が増えるかもしれない。


 もしかしたら、僕も──。


「……なぁマリア。仮に術式を解明できたとして、現段階で秘跡を使えない者が使えるようになる可能性はどれくらいある?」

「今のところは何とも言えないわね。少しでも火、水、風属性の適性があるなら可能性はあるけど、全く素質のない人間だと難しいと思うわ」

「そうか……」


 淡い期待を打ち砕かれたのはショックだが、希望を持たせる言い方をしないのはマリアの優しさだ。

 そして僕にはもう一つ聞かなければいけないことがある。

 正直マリアの答えは分かり切っているのだが、聖フィリア教の聖職者としては一応聞いておかなければならない。


「ちなみにこれを手土産にすればすぐにでも司祭にもなれるんだが、どうする」

 マリアの柳眉が逆立った。

「冗談はやめてちょうだい」

「まぁ、言ってみただけだ。忘れてくれ」

 当然よ、と言わんばかりに鼻を鳴らすマリアに粘り強く交渉するつもりはない。

 進展があれば教えてほしいとだけ頼んだところで集中力が切れ、途端に睡魔が襲ってくる。


「すまない、少し寝る……。鐘が鳴ったら起こしてくれ……」

 一つあくびをすると、眠気に逆らえずマリアの肩にもたれかかる。

 まどろみの中にいると膝枕をされ、頭を撫でられた。

 

「おい、ぼくは、こどもじゃ、ないんだぞ……」

 この物言いがすでに子供のようだという自覚はあるが、抗議の声を上げずにはいられない。

 目を開けていられないほどの眠気に起き上がることすらできず、マリアの手を大人しく受け入れる。

 一定のリズムで優しく叩かれる音と、頭を撫でられる感触が心地よさに瞼を閉じる。

 大司教様に頭を撫でられたときは、困惑するばかりで何も感じなかったというのに。



 ああ、そうだった。

 今の僕は女神様の教えに、信仰に救われて生きている。

 しかし、庭の垣根をくぐった先でマリアに出会ったあの日から。

 幼き日のかつての僕は確かに、この手がなければ生きてはいけなかったのだ──。

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