19.5 ① 君の隣が、いちばん。
*アレクシス視点
紫の空が白み始め、カーテンの隙間から差し込む橙色の眩しさに目を細めた。
美しいはずの朝焼けの光も徹夜明けの身では目に突き刺さるようで、僕は立ち上がってカーテンを閉めた。
改めて部屋の中を見回すと、調査団の執務室代わりに与えられている大部屋は刺々しい空気に包まれていた。
食中毒の一件は振り出しに戻り新たな容疑者の洗い出しや毒の成分の特定、証言の裏取りに追われ、さらに元々の目的である御遣いの出現に関して過去にあった奇跡、神託の文献との照らし合わせや検証でこの場にいる者は僕を含め全員徹夜だった。
調査団の面々が長机に置かれた資料や蔵書に囲まれ、皆疲弊しきった顔で作業をしている。
中でもジェイド先輩はすでに二徹明けで目の下の隈が深い。司教服をだらしなく気崩して椅子にふんぞり返って座り、机に足を乗せるという聖職者あるまじき態度で資料を睨みつけている。
対して机を挟んで先輩の向かい側に座っているグレン殿は聖騎士の詰襟を少し緩めているのみで、伸びた背筋が美しい。
グレン殿が聖騎士ゆえ書類仕事ばかりの聖職者より体力があるのは理解できるが、涼し気な顔で見事な書類捌きを見せていることに驚いた。
「なぁークソ眼鏡」
「あ゛?」
不意に侮蔑を込めた呼称で呼ばれ、ジェイド先輩がこめかみに青筋を立てながら資料から顔を上げる。
毒を吐いたグレン殿の方は気にした様子もなく資料に目を落としたまま続けた。
「何でコレットちゃんに脅しかけとったん?」
「今更蒸し返すなよ」
「あぁん? ひぃさんに下げる必要のない頭下げさせたんや。何度でも言ったるわ」
徹夜明けのせいなのか、ここ数日で見た喧嘩よりも剣呑な雰囲気であった。
ジェイド先輩が舌打ちをして、後頭部を掻きながら口を開いた。
「あのガキが何者かはっきりさせておきたかったんだよ。あいつ……シスター・コレットの身元に関してはここのお偉方が全員露骨に目ぇ逸らして口を噤みたがったからな」
「何者て……南に間者送るメリットないやろ。だって南やで?」
ひどい言い草だが、グレン殿の言い分は分かる。
修道院は基本的に来る者を拒まないが、大修道院は各指針に見合った人材の育成を目的とし、貴重な蔵書や祭祀道具が多く保管されているため身元がしっかりしていなければ入ることを認められない。
外部からは修道院の様子は伺えないため各派閥が様々な手段を使って探りを入れるのだが、南の大修道院は学術的な研究が主ゆえに集まる聖職者もよく言えば学者気質な者や生真面目な者が多く、賄賂や昇進をちらつかせてもあまり靡かないので内部の情報を得るのに苦労する。
そんな南は権力争いに対しては中立を主張し一貫して距離を置くため他の派閥からは大した脅威として映らず、間者を送るメリットがないのだ。
一年前、偶然光属性の素質が見出されたシスター・カトリーヌが南方出身でなければ、南の大修道院が聖女候補を擁立することはなかっただろう。
「だが現にシスター・コレットはハメられた。毒盛った奴も素性の知れないあいつの正体を知りたかったんだろう。大人しそうだからちょっと脅せば吐くと思ったが……とんだ横槍が入ったもんだ」
尋問中に乱入した聖女候補を思い出したのか、ジェイド先輩は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……で、なぜ蒸し返そうと思ったんだ」
確かに、平素のグレン殿なら嬉々としてラピス大司教の前で先輩を貶める材料にしそうなものだ。
ただの挑発でないと判断したジェイド先輩がグレン殿を見据えた。
グレン殿が腕を組み、うーん、と視線を上に向けて考え込んだ。
「いやなぁ。俺、あの子どっかで見たような気がするんよ」
グレン殿の言葉にジェイド先輩は目を瞠り、机から足を床に下ろすと身を乗り出した。
「どこでだ、いますぐ思い出せ」
「それが、顔がよう見えんかったから何とも。でも俺は一度見た人間は絶対忘れんし」
「当然だ。俺もお前も、ラピス様の目だからな」
藍き先視の巫女の紅い右目と翠の左目。それが文と武を以ってラピス大司教様を支えているジェイド先輩とグレン殿の二つ名である。
「近くで見たお前に覚えがないっちゅうことは……。なぁアレクシス、コレットちゃん南に来たのいつー?」
突然グレン殿に話を振られて一瞬反応が遅れてしまう。ジェイド先輩から立ちっぱなしの僕にさぼるな、という眼差しを向けられた。
「……確か、二年前と聞いています」
「うわー、いっちゃん教会がゴタゴタしとった時期やん」
先代聖女の退位とともに各修道院や派閥が新たな聖女候補を擁立し、派閥間の争いが水面下で始まったのが今から約三年前。
さらに翌年には新王の即位に伴い国教会の権力が増し総本山はその対応に追われていた。
ラピス大司教様は中立派として各派閥や教皇と国王の間で調停役として動いていた頃だった。
「一応思い出しとけ。あのガキに実害はないと思うが、不穏分子は少しでもなくしておきたい」
ジェイド先輩の言葉にグレン殿が軽く応じたところで扉が控えめにノックされる。
「おはようございますー」
たおやかな声に、ジェイド先輩とグレン殿が反射的に立ち上がった。
「おはようございますラピス様」
「おはようひぃさん」
部屋の扉が開き、部下の修道女に手を引かれたラピス大司教様が室内に入る。
部屋の中にいる全員が立ち上がり、礼を取ると口々に挨拶をする。
すかさずグレン殿が修道女からラピス大司教様の手を掠め取り、ジェイド先輩が空いている椅子を引いた。
先ほどの険悪なやり取りが嘘のように息がぴったりである。
椅子に座った大司教様に、ジェイド先輩がすらすらと今日の予定と調査の詳細を報告していく。
「毒の件はわかりました。御遣いさまの方はどうなっていますか?」
御遣い様の件は本来の調査団の調査官が中心である。
調査官が前に出て報告を始める。
目撃した者たちの証言から礼拝堂現れたのは女神フィリアの使者であるガブリエラ様であること、どの文献と照らし合わせても神託を告げる前に消えてしまった前例はないこと。
御遣い様は聖女と契約してから神託を告げるという記述があるため、恐らく契約を交わす際に何か問題が起こったのではないかと仮説を立てたこと。
女神の御遣いは光の精霊の中でも強大な力を持つ大精霊であるため、今後は過去の聖女や御遣いに関する文献ではなく精霊やその契約について精霊研究の学者に話を聞くつもりであること。
「このままカトリーヌが神託を授かった聖女とは認められませんか?」
すべての報告を聞き終えたラピス大司教様が調査官に尋ねる。
「お言葉を返すようですが、御遣い様が現れたときには必ず聖女様に使命が与えられ、御遣い様が聖女様お導きになりました。災害レベルの飢饉や疫病、魔王や伝承級の邪竜の出現……今回だけ何もないなど考えられないのです。あれ以来シスター・カトリーヌは御遣い様を見ていないと言っていますし、慎重に調べたいと考えております」
「そうですか……わかりました。そちらはお任せいたします」
ラピス大司教様が調査官に頷くと、ジェイド先輩が進言する。
「ラピス様、我々はもうここで退くべきかと。ラピス様がシスター・カトリーヌの側についたことを教皇に示せた今、長居する意味はないかと」
「未来が視えたと調査団に割り込んだのはこちらです。ひっかき回すだけひっかき回してして丸なげはよくないと思います」
「しかしこれ以上は本来の業務に差し障ります」
「ジェイド、なんとかしてください。わたくしには見とどける義務があります」
「それは命令ですか」
「ええ、めいれいです」
舌っ足らずに命じるラピス大司教様には有無を言わさぬオーラがあった。
少しの逡巡も見せず、ジェイド先輩が仰せのままに、と大司教様に首を垂れる。
「聞いたなお前たち、各省に連絡を取って祭までは何としてもラピス様の休みをもぎ取れ。国務省特務分室の意地を見せろ!」
大司教様の部下全員が返事をし、各々が作業に取り掛かり始める。
国務省特務分室──つまり外交や教会の象徴としての各地への訪問がラピス様の本来の仕事である。
そして、その全員がラピス大司教様に傅く者たちである。
「いつまでボケっとつっ立ってやがんだ! てめーも手伝うんだよアレクシス!」
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