18.お茶会は突然に
「落ち着いた?」
「……はい」
シスター・コレットは湯気の立っているカップを手にしたまま鼻をすする。
ひとまず泣いているシスター・コレットを宥めながら、彼女の使っている大部屋は人の出入りが多く気が休まらないだろうと私の部屋に招いた。
前にシスター・コレットからもらったリラックス効果のあるハーブティを出してしばらくするとシスター・コレットの嗚咽が治まっていき、今では子供のように泣いていたのを恥じ入るように茶をすすっている。
そういえば茶葉を渡したりレシピを教え合って互いに感想を言い合うことはあったが、こうしてシスター・コレットと顔を突き合わせてお茶を飲むのは初めてだった。
「あ、あの」
「何かしら」
「き、聞かないんですか、わ、私のこと……」
ぎゅっとカップの持ち手を握りしめたシスター・コレットが意を決したように口を開いた。
コレット自ら切り出すとは夢にも思わなかったので、反応が一拍遅れてしまう。
「あら、話したいなら聞くけれど」
「い、いえ!」
カップを机に置いて聞く姿勢を取ると、シスター・コレットが首をぶんぶんと横に振る。
「まぁ、私たちくらいの歳で修道院に入るなんて大抵訳アリに決まってるもの。私には、貴女の人となりだけ分かっていれば十分だわ」
過去、シスター・コレットに何があったかは知らない。きっと私には話さないだろう。
でも私は彼女が控えめながらも優しく、勉強熱心で、薬草を愛情込めて育てていることを知っている。あと、足が速いことも。
過ごした時間こそ短いが、私はシスター・コレットが信頼に値する人間だと感じている。
「聖女様、なんてお優しい~!」
先ほどまで空気を読んで静かにしていたガブリエラが口を開いた。
できることならそのままずっと黙っていてほしかった。
私が詮索しないのがそんなに意外だったのか、シスター・コレットの前髪の間からちらりと垣間見えた瞳は驚きに見開かれていた。
なんだか久しぶりに目が合った気がする。
「ん? 外からとっても甘い匂いが~……?」
くんくんと鼻を鳴らしたガブリエラが部屋の扉を見遣る。
すると段々と軽やかな足音が私の部屋に近づき、扉がドン、と大きな音を立てて揺れる。
「?」
シスター・コレットと二人で顔を見合わせていると、しばらくした後にバンという大きな音とともに部屋のドアが開かれた。
「お、お待たせしました!」
現れたのはバスケットを手にしたシスター・カトリーヌだった。
「ああ、また転んだんですね……」
ガブリエラがシスター・カトリーヌを少し不憫そうな目で見た。
つんのめって扉に顔面が激突したのだろうか。何とも盛大なノックだ。
「……シスター・カトリーヌ。一応、人の部屋を入るときは普通にノックしてちょうだいな」
「す、すみません!」
派手に扉を開けたのは照れ隠しだろうが、素直に頭を下げられると私もやりにくい。
そして赤い鼻を押さえる姿にはいまいち威厳がなく、食中毒騒ぎでの采配やジェイド司教に毅然と立ち向かった人物と同一人物とは到底思えなかった。
なぜ聖女サマが私の部屋に来ているのかといえば、そもそもラピス大司教にシスター・コレットの世話を任されたのはシスター・カトリーヌの方だからである。
最初はシスター・コレットを共同のサロンか私と同じく一人部屋を与えられているシスター・カトリーヌが自分の部屋へ連れていくつもりだったが、泣いているシスター・コレットを人の出入りの多いサロンや聖女候補であるシスター・カトリーヌの部屋に連れて行く姿を人に見られれば後から追及されれば隠し事が苦手な二人のことだ、集会室での出来事が明るみになるかもしれないと私に白羽の矢が立ったのだ。
毒の件はくれぐれも他言無用で頼む、と扉の前で待機していたアレクシスに言われてしまった上に泣いているシスター・コレットを放っておくという選択肢はなかったので了承した。
代わりにいいものを持ってきますね、と笑顔を見せたシスター・カトリーヌと途中で別れたときは何を持ってくるつもりか分からなかったが、バスケットの周りを旋回しているガブリエラの反応で大体検討がついた。
「この前お友達からお菓子をお裾分けしてもらったんです。甘い物を食べて、ジェイド司教のことは忘れましょう!」
すっかり涙の引いているシスター・コレットに安心したようで、シスター・カトリーヌは少し茶化しながらバスケットを掲げた。
お友達、というのは取り巻きの誰かのことだろうか。
貴族出身者の中には家族から装飾品や嗜好品が送られてくる者も多く、教会とパイプを持ちたい貴族が自分の娘にくれぐれも聖女様によろしくという文面とともに日持ちのする菓子を送ってきたことくらいは容易に想像がついた。
「ありがとうございます、シスター・カトリーヌ。ここにお座りになって。すぐにお茶を淹れますわ」
「はい!」
私は椅子から立ち上がってバスケットを受け取ると、自分の座っていた椅子をシスター・カトリーヌに勧める。
一人部屋とはいえ家具は最低限しかないのだ。シスター・コレットにはベッドに座ってもらっている。
バスケットを机の上に置いて蓋を開けると甘い香りが広がる。
中には生地にたっぷりとドライフルーツやナッツの練り込まれたフルーツケーキが入っており、ガブリエラが目を輝かせて感嘆の声を挙げた。
大皿をバスケットから取り出し、バスケットに一緒に入っていた人数分の取り皿とカラトリーの中からナイフを使ってフルーツケーキを切り分けていく。
「聖女様、私の分! 私の分も!」
凄まじい気迫のガブリエラが私の袖を引く。力がいつもより強い。
自称御遣いの幻覚、食への執念が恐ろしく深くない?
分かった分かったと目配せして、今度はハーブティの入ったポッドに手を添える。
温度とポッド内の対流を意識しながら口の中で小さく詠唱すると、ポッドが僅かに光り、まだ数杯分残っているポッドが再び温かくなっていく。
二人の目線がポッドに釘付けになっている間にナイフでフルーツケーキを薄く切り、大皿をバスケットに戻すとガブリエラを掴んでバスケットの中に投げ入れる。
絶対に切り分けた分以上は食べるなとガブリエラに目で訴え、蓋を閉めて取り分けたケーキを二人に手渡し、シスター・カトリーヌの分のハーブティをカップに注ぐ。
蓋を閉める瞬間ケーキの薄い断面にガブリエラが途方に暮れたような顔をしていたが、三人分の消費量を考えればそれが限界である。
ベッドにちょこんと腰掛けているシスター・コレットの隣に座り、私は躊躇なくフォークでケーキをつつこうとしていたら二人が食事の前の祈りの言葉を口にしているのでそれに倣う。
祈りの言葉の後に食したフルーツケーキは保存の観点からかなり甘かったが、シロップに漬けられたドライフルーツと豊かな香りのリキュールは相性がよい。
久しぶりに味わった甘味に舌鼓を打っていると、ハーブティを一口含んだシスター・カトリーヌの顔にパッと喜色が滲んだ。
「このハーブティ、とっても美味しいです!」
「シスター・コレットのオリジナルブレンドなんですよ」
「そうなんですか?」
シスター・コレットがこくこくと頷く。
「は、はい……ここで育てた薬草で……。よ、よろしかったら、シスター・カトリーヌにも、さ、差し上げます」
「まぁ、いいんですか? ありがとうございます!」
「そういえば、薬草畑で秘跡使ってたのよね?」
「はい、薬草畑と、野菜の畑の方もですが」
「秘跡を使うと作物の生産性が上がるの?」
実はずっと気になっていたのだ。光属性の魔術にはまだ分からないことが多い。
「詳しいことは分かりませんが、作物によい影響があるそうですよ。私はどれくらい効果があるかを調べるのに協力してほしいと西の大修道院から頼まれているんです」
「西?」
私は首を傾げると、新米の私向けにシスター・カトリーヌが説明してくれる。
南の大修道院が祈れ・働け・学べを指針としているならば、西の大修道院は祈れ・働け・稼げを指針としており、ポーションや化粧品、醸造酒の製造所が併設されているらしい。
西の修道院で作られた製品で得た収益は売り上げの幾分かを総本山に納めた分だけでも聖フィリア教会全体の財源のおよそ三割に上り、寄付以外での貴重な財源となっている。
西の大修道院の聖職者によって日々製品の改良や効率化の研究がされており、依頼はその一環のようだ。
主に貴族の跡継ぎ以外の子女が聖職者のライセンスを欲して西の修道院に入るイメージであったので意外だった。
聞く限りではどの修道院や教会よりも豊かな生活を送っているようなので、見返りとして貴族の教養を生かして働いているのかもしれない。
西には研究に生かせるほどの秘跡を使える者がおらず、シスター・カトリーヌに依頼が舞い込み、秘跡を使った畑の土や作物を西の修道院に定期的に送っているそうだ。
「シスター・コレットは知っていたの? 実験のこと」
「は、はい。薬草は私個人で育てていたので、シスター・カトリーヌに許可を求められて……」
わざわざ薬草畑を指定してきたということは、ポーションの原料である薬草と秘跡との親和性を見出したのだと思われるが、西側もまさか南の修道院の薬草畑が家庭菜園規模で、個人が趣味で育成しているとは思ってもみないだろう。
「そういうことなら、ポーションの原料になるような薬草も植えてみましょうか」
「い、いいですね」
「本当ですか? ありがとうございます! お二人だけでは大変でしょうし、これからは私も薬草畑のお世話をしますね」
シスター・カトリーヌの発言に思わず目を剥いた。
「で、でも聖女様に労働なんて……ねぇシスター・コレット?」
隣にいるシスター・コレットに話を振ると、彼女からも困惑した気配が伝わってくる。
いやいや労働してますよね聖女様!?とくぐもった声が聞こえ、バスケットがガタンと揺れたが無視をする。
机の脚、ちょっと立てつけが悪いのよね。
シスター・カトリーヌが言うことには、今回の食中毒騒ぎで聖職者の間でも薬草の必要性が見直されつつあるらしく、薬草畑の拡張と持ち回りでの世話を打診しているそうだ。
私はやんわりと断ろうとしたが、自分が正しい行いをしていると思っている聖職者ほど厄介なものはないと思い知ることとなった。
シスター・カトリーヌの強い眼差しと自分を曲げない唯我独尊を地で行く精神に私とシスター・コレットが折れたところで自由時間の終了を告げる鐘が鳴り、一同は解散となった。
慌ただしく労働に向かった私は、部屋を出る前に小首を傾げたシスター・カトリーヌがバスケットの蓋をおもむろに開け、籠の中をじっと見つめてさらに首をひねっていたことに気が付かなかった。




