16.食中毒事件の取り調べ②
13にジェイドの姓と設定の追加。
「おい、黙ってないで何か言ったらどうだ?」
「…………」
「ジェイド先輩、流石にそれは……」
「俺に意見する気か? 偉くなったもんだなアレクシス」
アレクシスや調査団の人間はジェイド司教を必死に諫めようとしているが、ジェイド司教のひと睨みで黙り込んだ。
「一体何の騒ぎですか?」
シスター・カトリーヌが声を掛けてようやく扉が開いたことに気がついたのか、室内の人間の視線が一斉にこちらに向けられる。
俯いていたシスター・コレットが顔を上げた。長い前髪に隠れてその表情はうかがい知れないが、怯えて声も出ないようだった。
「何だお前たち。今は取り調べ中だ、出てけ」
ジェイド司教がシスター・カトリーヌを睥睨するが、シスター・カトリーヌは毅然と見つめ返し、集会室の中へと足を踏み入れる。
シスター・カトリーヌはシスター・コレットを庇うように立ち、ジェイド司教に抗議する。
「オースティン司教、先ほどの怒鳴り声といい、これは取り調べとは言えません、不当です!」
「一介の修道女ごときが、俺のやり方に口を出すな」
未来の聖女に対して横柄な態度を貫き通すジェイド司教にある意味で感心していると、アレクシスが私の前にやって来る。
「何でまだここにいるんだ」
「そこで聖女サマとお話してたら大声が聞こえてきたのよ。……で、司教様はどうしてあんなに怒っていらっしゃるの?」
「それが……」
乱暴に机を叩く音に、二人でジェイド司教の方を向く。シスター・カトリーヌとジェイド司教の言葉の応酬はまだ続いていた。
「いいか、よく聞けよ次期聖女。取り調べの間、調理担当者全員の部屋を検めさせてもらった」
「はぁ!?」
聞き捨てならないジェイド司教の言葉に私は思わず声を上げた。
全員ということは私も含まれているはずだ。許可なく部屋の中を調べたのか。
アレクシスは知っていたらしい。私が非難の目をアレクシスに向けると、彼の唇がすまん、と動いた。
旧礼拝堂に秘跡研究の資料を全部置いていてよかった。
恐らくシスター・カトリーヌと話しているときに集会室の中に入ったあの修道女が部屋を調べていたのだろう。
ジェイド司教が机の上に置いてある小ビンを指さす。私の聞き取りのときにはなかったものだ。
遠目からはよく見えないが、繊細なカッティングの施された美しい小ビンは、香水か化粧品の入れ物だろうか。
「こいつがシスター・コレットの私物の中から見つかった。俺たちの到着が予定通りならさっさとこいつを処分してただの食中毒で済ませることができただろうが……」
ジェイド司教が調査団の修道女に目配せすると、銀の盃が机の上に置かれる。
ビンの蓋を開けて盃に液体を数滴垂らすと、盃がみるみる黒ずんでいく。
──毒だ。
「そ、そんな……。まさかシスター・コレットが……?」
シスター・カトリーヌは食中毒と考えられていた事件がただの食中毒でなかったことを悟ったようだ。衝撃のあまり口を両手で覆い、ふらふらと後ずさってシスター・コレットから離れる。
私は部屋の中に入り、今にも倒れそうなシスター・カトリーヌの肩を支える。
「ち、ちが……! め、女神フィリアに誓い、け、決して私ではありません……!」
シスター・コレットは振り絞るような声で訴え、ふるふると首を横に振った。
「落ち着いてシスター・カトリーヌ。どう考えても濡れ衣だわ」
「落ち着け次期聖女、十中八九濡れ衣だろ」
私とジェイド司教の綺麗に声が重なり、ジェイド司教の関心が私に向く。
しまった。うっかり集会室に入り込んでしまった。
「ほう?」
ジェイド司教が歪に口角を上げる。
「……外野が集まって来たな。扉を閉めろ」
無情にも扉が閉められ、逃げ場を失う。
「あー……シスター・マリア、だったか。なぜシスター・コレットじゃないと思ったのか、聞かせてくれ」
適当な椅子にカトリーヌを座らせ、シスター・コレットの側に歩み寄った。
震えるシスター・コレットの肩に手を置くと、はっと彼女が私を見上げる。長い前髪から覗いた瞳は不安げに揺れていた。
「……そのビンですよ」
机の上の小ビンを見下ろす。小ビンに貼られているラベルは王室御用達の人気ブランドのものだった。
「シスター・コレットの部屋から見つかったビン……高級品なのは一目で分かります。平民の修道女であるシスター・コレットが持っているのは不自然です。もしも同室の子に見つかったら、誰かから盗んだんじゃないかとか、あらぬ疑いを掛けられますよ」
ビンの小ささと洗練されたデザインを考えるとコレクションや調度品として飾ることを期待されている。空ビンだけでも高値で売れるだろう小ビンを敢えて毒を入れる容器に選ぶ理由は一つだ。
「このビンを持つのにふさわしい身分の方が、予定より早く到着した調査団に焦ってシスター・コレットに罪を擦り付けようとした、といったところでしょうか」
修道院の寝室は一部の上級聖職者が使う部屋を除いて鍵を掛けることができない。
労働時間などの平民の修道女が出払っている隙にシスター・コレットの使っている大部屋に忍び込むことはたやすいはずだ。
「恐らく実行犯に毒と知恵を授けた人間がいます。証拠を押し付ける前に高級ビンから目立たない別の容器に移し替える余裕すらない人間に、この犯行を一人で行ったとは考えにくいです」
「流石は聖女様! 小ビン一つで無実を証明なさるなんて、聡明でいらっしゃる!」
ガブリエラのおべっかじみた賞賛に鳥肌が立った。
こんなことは少し考えれば誰にでも思いつくというのに。
現にジェイド司教やその後ろに控えている者たちは少しも驚いた様子を見せていない。
「およそ同意見だが、一つ違う点がある。お前、そんなに信心深くないな?」
ジェイド司教がニッと笑った。今まで見せてきた皮肉な笑みではなく、口の端に愉悦を滲ませている。
「何も実行犯が馬鹿だったから容器を移し替えなかった訳じゃない。シスター・コレットの疑いをすぐに晴らすためだ。何の罪のない人間を陥れるのは流石に良心が咎めたんだろうな」
私は唖然とする。はっきり言って、その発想はなかった。
自分が窮地に立たされると分かっていてそんなことをする人間がいるのだろうか?
そもそも良心の呵責に苛まれるくらいなら初めから毒など盛らなければいいのに。
「はっ、信じられねぇって顔だな。だが、ココではそういう思想や理屈で動く人間がいる。慣れろよ新米?」
「…………」
どのみちある程度はビンから容疑者は絞り込める。毒の詳しい分析を進め入手ルートを辿れば実行犯に毒を渡した人物も割れる。
これ以上私が関わることはない。聖フィリア教の思想に染まる必要も。
「あ、あの~……」
シスター・カトリーヌの澄んだ声が響く。シスター・カトリーヌは少し落ち着いたのか、顔色も元に戻りつつある。
「シスター・コレットが潔白だということは分かりました。ではあの怒鳴り声は……?」
「あぁ、それはだな……」
ジェイド司教がギロリとシスター・コレットを睨みつけ指をさす。
「こいつの! 声が! 小せぇんだよ!」
「ひっ」
恫喝されたシスター・コレットが思わず首を縮めた。
「なっ! オースティン司教あなた、そんな理由で声を荒げ、か弱い修道女を恐喝していたのですか!? 信じられません!」
シスター・カトリーヌは椅子から立ち上がり、ジェイド司教に詰め寄った。
再び二人は喧嘩腰になり、一触即発な雰囲気が漂う。
「あ~あ~ホンマやで。その子泣きそうやんか。女の子には優しゅうせんと……ひぃさんもそう思うやろ?」
「はいー」
張り詰めた空気を破ったのは、この場に似つかわしくないほど朗らかな声だった。
ようやくルビの振り方を覚えました。




