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13.藍き先視の巫女

「未来が見える?」

「あぁ」

 私は早速アレクシスと話をする機会に恵まれ、二人で顔を突き合わせていた。


「……マリア、力むな。ナイフでなく、じゃがいもの方を動かす。皮は少しずつ剥けばいいから」

 修道院の厨房の外、じゃがいもの皮を剥きながら。


 アレクシスは昨日の礼拝堂で起きた第二の奇跡の調査のため、調査機関の案内役として食中毒の原因を調べに厨房に来ていた。

 そこで厨房の外で下働きをしている私を二度見し、それから分厚く皮を剥かれ体積を減らした哀れなじゃがいもを見かねて私の作業を手伝い始めた。

 アレクシスの教示の賜物か、今日はまだ指に怪我を負っていない。

 難なく野菜の皮むきをこなすアレクシスは、神学校時代に一通りの生活能力は身につけたらしい。


 調査はいいのかと私が尋ねると、自分はあくまで調査機関の付き添いでしかないから構わないだろうと答えた。

 私の剥いた分厚い野菜の皮とアレクシスの剥いたそれを比べると少々複雑な気持ちになるが、後からこっそり調査団の様子や見解を聞く手間が省けたと考えることにする。


「もしかすると調査団の到着が予定より早かったのって……」

「今思えば、何かを視たのかもしれないな。総本山からここまで、凄まじい強行軍だった……」

 ラピス大司教は生まれつき弱視で、五歳のときに自分の育った村の土砂崩れを予見して から様々な未来を言い当て、村で女神フィリアの生まれ変わりとして崇められていたのを聖フィリア教会が見出し、聖人として教会に迎えられた。

 藍き先視の巫女と呼ばれている彼女は神秘的な力とカリスマ性により支持者が多く、先代の聖女が引退してから新しい象徴を欲した教会によって大司教まで出世したそうだ。


「ラピス大司教様の隣に司教様がいただろう」

「あぁ、モノクルの」

「あの人はジェイド・オースティンと言って……僕の神学校時代の先輩なんだ」

「オースティンって侯爵家の?」

 アレクシスが首肯する。


 オースティン侯爵家。王国の建国時から王家に仕える伝統ある名門貴族である。

 そしてオースティン家の名を聞けば、数年前侯爵家を襲った悲劇を連想せずにはいられない。

 数年前、オースティン侯爵夫妻とその息子を乗せた馬車が領地から王都に向かう途中崖から転落する事故があった。不運にも馬車が落ちた場所は見通しが悪く、懸命な捜索にも関わらず馬車が発見されたのは二日後だった。侯爵と夫人はほぼ即死の状態で、同乗していた息子だけが辛うじて命を取り留めた。

 事故の後は侯爵の弟が跡を継いだと聞いていたが、まさか生き残った息子が聖職者になっているとは。

 掛けているモノクルは事故で失った右目の視力を補うためのもののようだ。


「転落した馬車の場所を言い当てたのが、当時司祭だったラピス大司教様らしい」

 ジェイド司教はラピス大司教に深く心酔しており、彼女の側に仕えるためだけに総本山の神学校を首席で卒業し、実家の権力と金を利用して最年少で司教まで上り詰めた。

 聞く限り、間違いなくラピス大司教の未来視は本物だ。まれにどの属性にも当てはまらない魔術の素養のある人間は存在する。様々な属性の複合魔術か、はたまた術式として体系立っていないだけなのかは定かではないが。



「じゃあもう一人いた聖騎士の方は?」

「グレン殿か……。あの方のことは僕よりもシスター・イレーナの方が詳しいかもしれない」

「シスター・イレーナが? なぜ?」

 ここで私はシスター・イレーナが代々騎士を輩出している家系の凄腕剣士で、夫の喪に服するため入った僧兵の養成所を兼ねている東の修道院で教官をしていたことを知る。

 静かに夫の死を弔うことを望んでいたシスター・イレーナが南の修道院に異動してきて久しく、イレーナ本人が身の上を話さないため私を含めた若い修道女たちはその事実を知らなかった。


 そもそもラピス大司教の部署と調査機関のある部署は全く管轄が異なるらしく、ラピス大司教が調査団に無理矢理割り込んだも同然らしい。

 どちらにせよ総本山の大司教自ら調査にやってくるなど異例中の異例だ。

 まだ誰も紹介していないにも関わらず、シスター・カトリーヌを聖女と言い当てたラピス大司教と、彼女の優秀な懐刀であるジェイド司教と聖騎士グレン卿。


 私は密かに調査機関の三人を要注意人物としてマークする。


「……何笑ってるのよ」

 ナイフを手にじゃがいもと格闘していた私がふと視線を感じて顔を上げると、アレクシスがこちらを見つめていた。

 傍から見えればいつもの仏頂面だが、私にはそれが笑っているのだと分かる。アレクシスの瞳は雄弁なのだ。


「いや、もっと帰りたいやら還俗したいと喚いているかと思っていたから。ここでの生活に馴染んでいるようで何よりだ」

「安心して頂戴。手紙の検閲がなくなったら速攻で逃げ出す計画立ててやるわ」

「……今のは聞かなかったことにする」


 こめかみを抑えて溜息を吐いたアレクシスに、私は目を丸くする。

 真面目なアレクシスならば私の発言を咎めると思っていたのに。


 ……同情されているのだろうか。


「それにしても……シスター・コレット、遅いわねぇ」

 そもそも新米の私が一人で野菜の皮むきをしているのは、私の指導係のシスター・コレットを含め修道院の人間は全員突然やって来た調査団のもてなしと彼らからの聞き取りに時間を割かれて人手が圧倒的に足りていないからである。


「シスター・コレットとはよく話すのか?」

 アレクシスが意外そうな声を出す。

「ええ、同年代の中では比較的ね。アレク、あんな歳の子がどうして修道女になったのか知ってる?」

 シスター・コレットが修道院に入るまで、一体どんな半生を歩んできたのか想像もつかない。

 扱いこそ平民の修道女と同じ扱いだが、所作や立ち居振る舞いは貴族のそれだ。だからこそ、貴族と平民のどちらのグループにも馴染めずにいる。


「僕も知らないんだ。どうにも訳ありのようだが」

「訳ありって?」

 シスター・コレットが南の修道院の門戸を叩いたのが二年前のことで、彼女は自分の素性を一切明かさずにただただ修道院に置いてほしいと頭を下げたそうだ。

 ただ、時折視察に訪れるアレクシスの目から見て、彼女は修道院に匿われているように感じられたらしい。

「彼女、あまり周囲とは打ち解けていないようだから……気に掛けてくれると助かる」

「分かったわ」


 その後はアレクシスに愚痴をこぼしながら作業をし、すべての野菜の皮を剥き終わった頃に私たちの元にシスター・コレットが駆けて来た。


「す、すみません。お、遅くなりまし……た……」

 肩で息をしていたシスター・コレットが顔を上げ、腕まくりをして野菜の皮むきをしているアレクシスを凝視してぽかんと口を開けた。

 一拍の後、アレクシスに向かってぺこぺこと頭を下げ始める。

「も、申し訳ありません! ま、まさかローラン司祭が手伝ってくださっているなんて……!」

「いえ、私の方から申し出たことですので」

 アレクシスもそれを分かっているからか、ひたすらに謝り倒すシスター・コレットを落ち着かせようとする。表情こそ変わらないが、アレクシスは昔と比べて本当に口調も雰囲気も随分柔らかくなった。

 出会った頃のアレクシスは、常に神経を張り詰めて刺々しい雰囲気をもつ少年だった。

 聖フィリア教の教えは美辞麗句ばかり並べて胡散臭いことこの上ないが、アレクシスが心穏やかに過ごせているならば、彼が女神へ仕える道を選んで良かったと心から思える。


「大変です聖女様~!」


 こいつのこと、すっかり忘れてた……。

 剥き終わった野菜を厨房に運びに行ったアレクシスとシスター・コレットと入れ違いに、私目掛けてガブリエラが勢いよく飛んできた。

 ちなみに私が厨房に入らなかったのは、アレクシスに強く制止させられたからである。

 確かに失敗続きだが、そんなに私を厨房に入れるのが不安なのか。何とも解せない。


「……アナタ、ラピス大司教の見張りはどうしたのよ」

 ガブリエラはカトリーヌの前で礼をしたラピス大司教が気になったらしい。

 ガブリエラがいない間、静かで快適だったのに。

「いや~。あの大司教、どうにも私のこと視えてるみたいで……目が合って、私に向かって手を振ったんですよ~!」

 それで逃げ帰って来たという訳か。


「錯覚じゃない?」

 もっとも、目の前の小人こそが私の錯覚なのだが。


「で、何が大変なのよ」

「はっそうでした! 大変なんです聖女様! 先ほど調査団の者たちが話していたのを聞いてしまったのですが──聖女様が食事に毒を入れた容疑者に挙がっているんです!」


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