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11.5 君に幸あれ。

*アレクシス視点


 僕はローラン伯爵家の三男として生まれ、アレクシス・ローランという名を授かった。


 両親には伯爵家の一員として相応しくあれと厳しく育てられ、勉学も剣術もどれだけ成果を出してもできて当たり前。

 僕の努力は決して認められることはなかった。

 その日は招待された茶会で優秀な兄たちと比較され、屋敷に戻ってくる頃には疲労困憊だった。

 礼服のまま庭に出る。奥の垣根に空いている穴を迷わずくぐった。

 子供一人分くらいのその穴は隣の家の庭に続いており、僕は肩についた葉っぱを払うと、足を踏み出す。


 木の下にあるベンチに腰掛けて黙々と本を読んでいる少女に近づくと僕はその隣に座った。

 少女の名は隣家に住むアシュフォード伯爵家の一人娘のマリア。僕の幼馴染である。

 アシュフォード伯が引っ越してくるまでここは空き家で、僕は落ち込む度に庭の垣根をくぐった先の空き家の庭の隅に座り込んでふさぎ込んでいた。

 それを引っ越し初日のマリアに発見されて以来、時折本を貸し借りしたり茶を飲んだりするようになった。

 後からマリアから聞いた話では、空き家だったのではなく、お父君の仕事の関係で単に留守にしがちだったらしい。

 分厚く年頃の子供が好む内容ではないと一目でわかる装丁の本のページをゆっくりとめくるマリアは、集中しているとこちらに一切気がつかない。


 ……はずなのに。

「……子供じゃないんだぞ」

 ふっと笑ったマリアが僕の抗議を流す。

「そんな顔してなにいってるのよ」


 普段はこちらに一瞥すら寄こさないマリアがそういう日に限って本を閉じ、マリアの手が僕の頭に伸びて幼子を宥めるように撫でられるのだ。

 大海原のような深い青色の瞳が僕をじっと見つめる。

 今思えば、マリアが撫でやすいように頭を下げながら言っても説得力はなかっただろう。

 マリアの気が済むまで、僕は優しい手を享受していた。



「……シス、おいアレクシス!」


 急速に意識が引き上げられ、僕は瞼を開いた。

 全身にうねるような揺れが伝わり、軽やかな馬の蹄の音が響く。


「……グレン殿」

「横見たら寝とるからびっくりしたわぁ。馬の上から落ちたらシャレにならんで」

「すみません」


 グレン殿の口ぶりからして、どうやら僕は一瞬意識を飛ばしていたらしい。

 もしも馬上から転げ落ちていたらと考えると、すっと背中に氷塊が滑り落ちるのを感じる。

「まぁ無理もないわなぁ。視察から戻ってすぐに取って返すことになってしまったんやし」


 南の修道院に御遣いが現れたという知らせを受け、教会の総本山の調査機関はすぐに調査団の派遣を決めた。

 そしてなぜか南の修道院の視察のトップである司教様ではなく一介の付き添いである僕にお呼びがかかり、取って返すように再び南の修道院に向かったのだった。

 今回の調査団の編成は特殊で、調査機関の司教様ではなく全く別の管轄の大司教様が割込み、指揮を取っている。大司教様の命令で信じられない速度で馬車を飛ばし、予定を大幅に早めた行脚となった。


 調査団は今日南方で最も大きい街にある大聖堂に一泊し、明日南の修道院に向かう予定だ。

 急な来訪では修道院の人間も困るだろうと、視察で何度も修道院を訪れている僕と調査団の護衛の一人であるグレン殿が伝令役に命じられ、明日調査団が訪れる旨を伝えに向かっている。


 グレン殿は大司教様の護衛で、聖フィリア教の総本山に所属する若き聖騎士である。

 南の修道院が祈れ・働け・学べを指針にしているならば、グレン殿は祈れ・働け・戦えを指針にしている東の修道院の出身で、その実力が認められて総本山に引き抜かれて一介の修道士から聖騎士となった実力者である。

 明朗快活な人柄なグレン殿は、僕が無言でいても意に介さずずっと喋り続けている。


 そのうちに南の修道院に到着するが、いつもは門の前に立っている警備兵がいない。

 門扉を叩いて門を開けるように促すが、まるで開く気配がない。

 一体どうしたのだろうか。

「う~ん、困ったなぁ。どうするアレクシス?」

「裏へ回りましょう」


 裏門の方に向かうと、門から誰かが外出するところだった。

 これ幸いと声を掛けた修道士はひどく憔悴しきっていた。

「ローラン司祭!?」

「すみません、表に誰もいなかったもので」

「自分、そんなに急いでどこ行くん?」

「それが……」

 修道士の説明に、僕とグレン殿は互いに顔を見合わせる。

 修道士はこれから近くの村から村医者を呼びに行くところらしい。


「兄ちゃん、馬には乗れるか?」

「い、いえ」

「そんなら俺の後ろに乗りぃ! 帰りは医者のセンセ乗せるから歩いてもらうことになるけど、そっちの方が早いやろ」

「た、助かります!」

 僕は馬を降り、修道士をグレン殿の馬の後ろに乗せるのを手助けする。

「アレクシス」

「分かっています。できるだけ、状況把握に努めます」

「頼む!」

 グレン殿が手綱を引く。馬の嘶きとともに村に向かって駆けて行った。


 教会へ足を踏み入れた僕は、情報を集めようと礼拝堂の回廊で右往左往している修道士を捕まえる。

 救いの手とばかりに僕に縋る修道士から語られたことは、裏門で会った修道士と概ね同じだった。

 一度己の目で確かめる必要がある。

 患者が集められている礼拝堂に足を踏み入れると、想像を絶する光景が待ち受けていた。

 普段祈りの言葉や讃美歌が響く礼拝堂には呻き声と苦し気な呼吸音が満ち、横たわる人間の中には顔色が土気色になっている者もいる。

 秘跡の使えない僕に、一体何ができるというのだろう。魔力ばかり膨大な自分が悲しくなる。


「マリアは……」


 マリアは無事だろうか。

 僕は無意識にマリアを探していた。


 突如礼拝堂の床全体に浮かび上がった陣が光輝き始める。

 近くの人間の顔色がよくなり、荒かった呼吸も落ち着いていく。

 状況を掴めず視線を彷徨わせていると、光る陣の中心辺りでマリアを見つけた。近くにシスター・カトリーヌが横たわっており、マリアは看病していたのが見て取れる。

 マリアは無事だったという事実に、僕はほっと胸を撫で下ろした。

 光の中マリアに近づくと、彼女の身体がぐらりと傾いた。


「マリア!」


 僕の足は自然と駆け出し、マリアが倒れる前に咄嗟に背を受け止める。

 すると、マリアに触れたところから虹色の光が溢れる。

 暖かい光と冷たい光がぶつかり合う感覚に僕は目を瞠る。


「この光は……!? しっかりしろ、マリア!」

「ア、レク……」


 うっすらと目を開けたマリアが僕の名前を呼んだ。

 マリアが気を失って少しすると陣が消え、虹色の光が消える。


「マリア! 目を開けろマリア! マリア!」

 マリアの肩を揺さぶるが、返事がない。

 全身から血の気が引いていく。


「お、落ち着いてください、ローラン司祭」

 長椅子から起き上がったシスター・カトリーヌの声に我に返る。

 よくよくマリアを注意深く観察すると、話に聞いていた食中毒と病状が異なっている。

 僕は冷静さを欠いていたことを恥じた。


「……すみません、取り乱しました」

「びっくりしましたわ、ローラン司祭がこんなに大声を出すなんて」

 シスター・カトリーヌが目を丸くした。


 それから他の場所にいた病人が集められ、薬草畑から薬草が届き、グレン殿が連れてきた村医者が到着し、何とか持ち直していった。

 僕は修道院長に大司教様からの伝言を伝えると、すぐにマリアの元に戻った。

 村医者に疲労による発熱と診断されたマリアを端にある長椅子に運んでしばらく様子を見ていると、マリアが目を覚ました。


「マリア、気がついたか」

 僕はほっと安堵の息を吐いた。

「……アレク」

 僕は村医者の診断結果をマリアに伝える。

「急に倒れたから、驚いた」


 マリアが長椅子から身体を起こして尋ねる。

「アレクはどうしてここに?」

 僕はマリアの横に座り、ここに来るまでの経緯を話した。

 全て聞き終えたマリアの手が、僕の頬を労わるようにそっと撫でる。

 マリアの思いのほか優しい手が懐かしい。


「大変だったわね。少し休んでいったら?」

「いや、あの光のおかげか不思議と疲れてはいないんだ。伝令も終えたことだし、僕は報告に戻る。…………なぁマリア」

「何?」


 倒れたマリアの身体を受け止めたときに溢れ出たあの光。

 あの秘跡は、ひょっとしてマリアが──


「いや、何でもない。お大事に」

 僕は沈黙を選んだ。

 あんな大規模な秘跡はシスター・カトリーヌどころか、それこそ文献に記述されている神託で女神に選ばれた聖女でなければ扱えない。

 もし僕の考えが合っている場合、マリアは聖女候補、いや、聖女となる。

 マリアはきっと、それを望まない。


 内心後ろ髪を引かれながらも礼拝堂を後にすると、グレン殿が回廊の柱に寄りかかっていた。

僕に気がついたグレン殿が居住まいを正す。

「もうええの?」

「はい」

 裏門から馬に跨り、南の大聖堂までの道をひた走る。


「はぁー、報告することが増えるなぁ。ひょっとしてひぃさん、これ見越して『なるはやでー』とか言い出したんやろか」

 ひぃさん、とはグレン殿が護衛をしている大司教様のことだ。この人は大切な『ひぃさん』のために聖騎士にまで上り詰めたと聞く。


「なぁアレクシス。マリアちゃん、やっけ? あの子アレクシスの──」

「幼馴染です」

 僕にマリアの話を振ったグレン殿の目が好奇心に満ちていたので、根掘り葉掘り聞かれる前に釘を刺しておく。

「へー、そーなん」

 僕の顔を見て、グレン殿がニヤニヤと笑う。

 そんなに顔に出ているだろうか。僕の微妙な表情の変化に気づくのは、家族かマリアくらいなのに。


「『あいつ』の後輩って聞いとったからそこまで仲良うするつもりはなかったんやけど……うん、気が変わったわ」

「はぁ」

 随分フランクに話し掛けられていた気がするが、あれでまだ気を許していなかったとは。

 グレン殿の底が知れない。

 そして『あいつ』──大司教様直属の部下である僕の先輩とは噂通りよほど馬が合わないらしい。


「御遣いの調査の前に、今回の騒動の調査になりそうやな」

 礼拝堂に現れた御遣いに続く、第二の奇跡。

 マリアから放たれる虹色の光。

 僕は首から下げている十字架を握りしめる。

 僕の勘が外れていることを、マリアの幸せを、女神様に祈る。


 マリアには、広い世界で生きてほしい。

 僕はマリアが未知なるものを見聞きしたときに一等輝く碧い瞳が、一番好きなのだから。


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