11.聖女の力
魔力切れで倒れた私は、気がつくと礼拝堂の長椅子の上に寝かされていた。
「マリア、気がついたか」
「アレク……」
私が目を覚ましたことに気がつくと、アレクシスがほっと息を吐いた。
起き上がって辺りを見回すと、礼拝堂内では動ける者総出で秘跡を発動したとき陣の上にいなかった者の治療にあたっていた。
「聖女様!」
ガブリエラ曰はく、私の全魔力を費やして発動させた秘跡はシスター・カトリーヌどころか礼拝堂にいた全員の毒を浄化してしまったらしい。
アレクシスに、私が眠っている間に呼び出された村医者には疲労が原因の熱で倒れたのだと聞かされる。
「急に倒れたから、驚いた」
「この司祭、今でこそすました顔してますけど、聖女様が気を失ってかなり取り乱してましたからね」
やはり倒れた私の背を支えてくれたのはアレクシスだったことを確信したのと同時に、疑問も湧き上がった。
「アレクはどうしてここに?」
上半身を起こした私の横に座ると、アレクシスは淡々と話した。
総本山から戻ったアレクシスは調査団に南の修道院への案内役に指名された。休む間もなく乗った調査団の馬車は速度を飛ばしに飛ばし、到着予定日をかなり前倒しにして調査団はすでに南の修道院から一番近い街にある大聖堂に滞在しているらしい。
今日はそこで一泊して明日南の修道院に赴くという通達をするために、何度も視察で訪れていたアレクシスが使いっ走りにされたとのことだ。
「大変だったわね。少し休んでいったら?」
「いや、あの光のおかげか不思議と疲れてはいないんだ。伝令も終えたことだし、僕は報告に戻る。……なぁマリア」
「何?」
アレクシスの眼差しが私を捕らえ、何かを訴えている。
「いや、何でもない。お大事に」
アレクシスは口を噤むと長椅子から立ち上がり、礼拝堂を後にした。アレクシスの表情が、言いたいことを全部飲み込んだときのそれだったのが気になった。
「聖女様!」
「何よ」
治療の優先度が低い私は礼拝堂の隅の長椅子に寝かされており、私の独り言など誰も聞いていないだろうと普通に返事をしてしまった。
「私は、私は聖女様が秘跡を使える日が来るのを信じておりました! さぁ、すぐにでも教会に聖女様の御力を示し、女神様のために──」
「ああ、それならもう使えないわ」
「何ですとぉ!?」
私は自分の掌に視線を落とす。魔力切れでマナが集まらないが、それを抜きにしても光のマナを扱える気がしないのだ。
秘跡を使ったときの感覚を思い出そうとするが、とにかく必死だったことしか覚えていない。
「上手く言えないのだけれど、もう使えないわ。かなり取り乱していたから、どうやって使ったのか自分でも分からないし」
「そ、そんな~~!!」
「ああもう、耳元で騒がないでちょうだい。頭に響く……」
キンキンと響く声に頭がぐらぐらと揺れ、私は倒れるように長椅子に横になった。
その後、何とか自力で部屋に戻った私の元にシスター・コレットが看病に訪れた。献身的に私の世話をするシスター・コレットの慣れた手つきに、私は疑問をそのまま口にする。
「……シスター・コレット、弟や妹がいる?」
「い、いえ。どうしてですか?」
「随分看病慣れしているようだから……」
合点がいったのか、シスター・コレットはあぁ、と呟く。私の額の汗を拭いながら、シスター・コレットは少し懐かしそうに目を細めた。
「主人が病弱で、よくこうして看病していたんです」
熱に浮かされた頭では考えがまとまらない。主人というと、奉公先か、夫だろうか。どちらにせよ事情がありそうだ。
「そ、そういえば軟膏をもらってきたんでした。指、見せてください」
失言だと気づいたのか、シスター・コレットは露骨に話題を逸らすと、指に撒かれていた包帯を外し、傷口に薬を塗っていった。
「では、こ、これで失礼します。シスター・マリア、安静にしていてくださいね」
「分かってるわ。こういうのは治りかけが一番油断ならないもの」
動く意志がないことを伝えると、シスター・コレットは目を丸くした。そして眦を下げ、ぺこりと頭を下げると部屋を出て行った。
「一体どんな人生歩んだら、あんな歳の子が修道女になろうと思うのかしら……」
「う~ん。非常に嘆かわしいことですが、あの年頃の娘は大抵貴族の行儀見習い代わりに修道院に入るのがほとんどですからねぇ……」
シスター・コレットのいる間、介抱されている私の様子を見守っていたガブリエラが口を開いた。
「きっと生涯仕える覚悟の女主人が亡くなり、その魂を慰め祈るためではないでしょうか! うっ、泣ける話です」
「そうかしら……」
ごろりと寝返りを打ってガブリエラから顔を背ける。
主人の話をしたシスター・コレットの表情を思い出す。一体どれだけの時間が経てば、死者を懐かしんだときにあんなに穏やかな顔ができるようになるのだろう。
目を閉じると、瞼の裏に父の顔浮かんだ。
「お父様……」
私はまだ。
*
しんと静まり返った夜半過ぎ。
ゆっくりと起き上がったマリアはそろりと床に足をつけ、窓辺に近づく。
「ん~~、聖女様~?」
床がきしむ音で目を覚ましたガブリエラが、寝ぼけ眼を擦ってマリアを見遣る。
寝間着にストールを羽織り、窓の桟に腰かけて夜空に浮かぶ月を眺めていたマリアは、ガブリエラの視線に気がついて微笑を浮かべた。
「久しいですね、ガブリエラ」
聞き慣れているはずの声だが、言葉遣いも穏やかな声音も常とは異なるもの。
何よりマリアから滲み出る、澄んだ、暖かく、神々しい気配。
「女神様!!」
「あらあら、またそんな愉快な姿になって。ふふ」
見知った姿を二頭身に縮めたガブリエラを見て、口元を抑えてマリア──女神フィリアは嫣然と微笑んだ。
「わ、笑わないでくださいよ~! 仕方がないじゃないですか! まさか契約を結んだ聖女様がまさか無神論者だなんて!」
「ふふ、ごめんなさいね。その姿では不便も多いでしょう。少し、力を与えます」
女神がガブリエラの頭に手をかざす。掌からあふれる光がガブリエラに注ぎ込まれる。
「あら?」
突然女神の身体は均衡を崩し、後頭部が窓にぶつかりガタンと音を立てる。光が消え、伸びていたガブリエラの手足は四頭身程度で留まった。
「女神様!? これ以上は聖女様のお身体が持ちません。本来踏むべき手順を踏まずに依り代にしているのです。どんな危険があるか……」
「いいえ、ここまで固有マナの相性がいい人間は『あれ』を封じたあの子以来です。器にしても代償はないに等しいはず……」
「ではなぜ?」
「恐らくは神など存在しないという、マリア自身の拒絶のせいでしょう。カトリーヌという少女を介して『神』を定義したことにより憑依できたものの、もう限界とは……本当に口惜しい」
女神は手を頬に当てて嘆息する。窓枠からベッドに座り直し、ガブリエラに向き直った。
「ガブリエラ、マリアのことを頼みましたよ。『あれ』の復活も、近い……」
女神が目を閉じるとマリアを光が包み込みはじめ、マリアの身体から清廉な何かが抜け出て天に昇って行く。
「聖女様!」
ベッドに倒れ込んだマリアは規則正しい寝息を立てており、ガブリエラはほっと息を吐く。
本来、女神の依り代になるには上級秘跡の中でもひと際大がかりな儀式を行わなければならない。さらに依り代となる人間の身体には多大な負担がかかる。それをマリアは儀式を介在させずその形代となり、今は健やかな寝息を立てているではないか。
「これで聖女様にご自覚さえ芽生えれば……」
ガブリエラは熟睡しているマリアに毛布を掛けながら嘆いた。
「しかし『あの者』が蘇るだなんて……」
最後に女神が残した言葉こそが、最も伝えたかったことだというのは疑いようもない。
「これから一体何が起こるというのです?」
ガブリエラの問いが夜の空気に融けて消えた。
ガブリエラがミ〇モでポンの妖精から金色のコ〇ダの妖精にグレードアップしました。




