10.奇跡
「警備兵の方は病人を礼拝堂へ運んでください! 修道士や修道女の方は病人の看病を!追加の毛布はあちらに!」
副修道院長に率いられ礼拝堂に向かうと、シスター・カトリーヌが礼拝堂の中心で指揮を取っていた。修道院内で一番広い礼拝堂に病人を集めて全員で治療にあたるという的確な指示の賜物か集団パニックにはなっていない。
「シスター・カトリーヌ、ここは私にまかせて貴女は病人の治療に専念なさい」
「分かりました、お願いします」
副修道院長の言葉にシスター・カトリーヌは頷くと、重症の者が集められている場所に駆けていくと、次々に秘跡を使って治癒していく。
「警備兵、食堂から運びきれなかった修道女を運ぶのを手伝ってください!」
「分かりました姉御!」
シスター・イレーナが病人を運び終えた警備兵を呼び止めると、彼らは背筋を伸ばしてシスター・イレーナについていく。
私とシスター・コレットが肩を貸して何とか一人連れてきたところを、シスター・イレーナは意識のない中年のふくよかな修道女を軽々と抱え上げていた。物腰穏やかな女性かと思っていたが、警備兵を引き連れている姿は騎士を彷彿とさせるほど凛とした佇まいである。
他にも普段は安楽椅子に座って笑っているのか眠っているのか分からない高齢の女子修道院長がカッと目を見開きしっかりとした足取りで歩いて病人の看病にあたっている。のちに私はマザー──女子修道院長が若かりし頃数代前の聖女であったことを知る。
私は長椅子に横たわっている修道女の汗を拭きながら、容体を見る。腹痛に高熱、手足の震えは寒気か、痙攣か。もう一枚毛布を掛けてやる。ガブリエラは毒と言っていたが、食中毒なら嘔吐などの症状が出始める前に飛沫や接触感染の対策を取った方がいいだろう。
「シスター・コレット」
私の横で泣き出しそうな顔で修道女の看病にあたっているシスター・コレットに、シスター・カトリーヌが近づく。
「シ、シスター・カトリーヌ、い、一体何があったのですか?」
「恐らく食中毒かと思います。倒れた方は皆キッシュを食べていましたから」
「えっ」
シスター・コレットの隣で私は小さく声をあげる。幸い辺りは騒然としており誰の耳にも入らなかった。
ガブリエラがキッシュを食べていたということは、つまり私は食べていたということだ。食べたからこそ毒と断じたのだ。
自覚がないだけで私の胃袋は鉄でできているのだろうか。現にガブリエラはぴんぴんしている。
「私ほどの存在になれば毒の浄化など一瞬できるので!」
私の視線に気がついたガブリエラはえっへんと胸を張って豪語した。意味が分からない。
「秘跡を使える方はほとんど倒れてしまい、薬も不足しています。ですから、薬草畑から解熱作用や殺菌効果のある薬草をありったけ取ってきてください。薬草には時々私が秘跡の力を付加していましたから、他の薬草よりも効果が高いはずです」
「わ、分かりましたっ!」
返事をするや否や、シスター・コレットは駆けだした。
「シスター・マリアもシスター・コレットを手伝ってあげてください」
「ええ、分かったわ」
そういえばいつかの早朝、薬草畑の近くでシスター・カトリーヌと出会った。そんなことをしていたとは。植物の質を向上させる術は土属性以外に知らないので、事態が収束したら教えてもらおう。
「では頼みま、す……」
踵を返したシスター・カトリーヌが突然ふらつく。私はまた彼女が転びそうになったのかととっさに身体を支える。
「大丈夫ですか、シスター・カトリーヌ。……カトリーヌ?」
私にもたれかかったまま、声を掛けても反応しないシスター・カトリーヌの額に手を当てる。驚くほどの熱が手のひらに伝わった。
「聖女様、この娘まさか!」
私は顔を青褪めさせる。食べていたのだ、シスター・カトリーヌもキッシュを。
自身も同じ症状を患っていたからこそ、緊急事態に対処できた。
「シスター・カトリーヌ、しっかりなさい! カトリーヌ!」
「す、すみません……。もう、限界、みたいで……」
「どうして自分を先に治さなかったのよ!」
私はシスター・カトリーヌを近くの長椅子に連れて行きながら、思わずシスター・カトリーヌに怒鳴ってしまった。
「使いましたよ。でも、秘跡は対象が自分だと効きにくいんです」
「そんな……!」
シスター・カトリーヌは腰かけたまま、決して身体を横たえることはしなかった。聖女と信じられている自分が倒れたら皆が失意の底に落ちることを、彼女は理解している。
「シスター・マリア……、私が治療した方は、よくなっていますか……?」
「……!」
私は二の句を継げなくなる。いつ意識を失っても不思議ではないほどの苦しみにある状態で、他人の心配をするなんて。
シスター・カトリーヌが治療していた病人は、他の病人よりは容体が安定しているが、完治しているとは言い難い。
私は唇を噛みしめる。本当のことなんて、言えるはずがない。
「ええ、ええ。貴女が一番重症よ!」
「そうですか……。よかっ、た……」
苦し気な表情に僅かに笑みのようなものを浮かべると、シスター・カトリーヌはそのまま意識を失った。
「どうして……」
シスター・カトリーヌを長椅子に寝かせ、呆然とする。頭を殴られたような気分だった。
「神よ……」
誰かの呟きが耳に入り、顔を上げる。
ずっと周囲の声に耳を傾ける余裕がなかったが、病人はうわ言のように、看病している者も縋るような声で神に祈っている。
「やめてよ……!」
耳を塞ぎたくなる。今すぐにでも、ここから逃げ出したい。
「何が神サマよ。そんなもの、この世のどこにも存在しない……!」
「聖女様、それは違います!」
「違わないわ、ガブリエラ。私はこの人たちが、どれだけクソ真面目にお祈りしているか知ってる!」
本当にいるのなら、信心深いこの人たちを光という癒しの力を持ちながらどうして神は助けない。シスター・カトリーヌのような善き人がどうして苦しまなければならない。
もしも本当に女神サマがいるのなら、私は──天に向かって唾を吐いてやる。
「神は、神様は―─」
私は膝をついて、シスター・カトリーヌの手を握る。きっと今の私は、先ほどのシスター・コレットよりも情けない顔をしているだろう。
「神様は、この人たちの心の中にしかいないのに」
瞬間、胸に暖かさが灯る。生成できなかったはずの光のマナが、私の周囲に光が集まり始める。
今なら、使える。教本の内容は覚えている。
否、私は、使い方を知っている。
私はシスター・カトリーヌの手を強く握る。シスター・カトリーヌさえ持ち直せば、きっと状況は好転する。
「光よ、穢れを浄化せよ──!」
私を中心にして礼拝堂の床全体に巨大な陣が出現する。
「この光は! あぁ、貴女はまさしく聖女様だ!」
礼拝堂全体が光に包まれる。
シスター・カトリーヌがうっすらと目を開けた。
「ああ、よかった……」
安堵でほっと息を吐くと、どっと疲れが押し寄せた。もう魔力が空だ。
意識が遠のき、膝をついたまま後ろに倒れる。
「聖女様!」
床に身体をぶつける衝撃を覚悟したが、私の背は誰かに受け止められた。
私を受け止めた主を見上げるが、目がかすんで輪郭が判然としない。判然としないが、誰かは不思議と分かった。
「ア、レク……」
私の意識はここで途切れた。倒れるその瞬間まで、誰かがずっと私の名前を呼んでいたような気がした。




