複雑な人間の感情
クリーディア第一学園の1組は、優秀な生徒の中から選ばれた優秀な生徒たちの集う優秀なクラスである。
しかし、その優秀とは、学校の成績と巫装による戦闘力のみが考慮されたもので、生徒がどのような人格者であるかなどは教員たちの知るところではない。
今の人間界で求められているのは生き残る強さであり、上に立つものとしての器うんぬんはそれが問われるときになったときに問えばよいことになっている。
ディーヴアルトの学園生活は基本的に一人である。
一人であって、独りではない。
人気者であるがゆえに人を避け、人が距離を置く高嶺の華だ。
だから学校を歩いていると、隣に人がいない分、周りの人間がよく見える。
例えば恋人関係。
この学園ではクラスを隔てたカップルが少ない。
それは上のクラスに行くほど顕著で、言わずもがなプライドが下位の人間と付き合うことを許さないのだ。
2年1組には奇妙なカップルがいる。
クラスでトップを名乗る男、リジュル・シュタイナと、そのガールフレンドのユミス・バレンタインだ。
どちらも相当な実力者であり、勉強もできて顔も良い、まさに絵に描いたようなカップルである。
「お前な。髪は二つ結びにするなって言ったよな? 子供っぽいんだよ」
「は? なんで髪型のことまであんたにとやかく言われないといけないの? 細かいこと気にし過ぎ。キモい」
「その言葉遣い。それもやめろって言ったのに全然直んないよな? お前、俺の彼女の自覚あるの?」
「はぁ、もう、わかったわよ。解けばいいんでしょ解けば」
教室中から痛い目を向けられる二人。
ユミスはそれが耐えきれなくなって大人しく従うことにしたようだ。
この二人、倦怠期かと思いきや付き合った当初からこの調子らしい。
このやりとり、お互いに愛があるようには思えないが、どちらかと言えばリジュルの想いが一方通行になっているように見える。
ユミスはどこまでも無愛想で、リジュルは過度に支配欲が強い。
そんな傾向は演習の時間にも表れていた。
この学校では巫装の相性や実力から教員がペアを組むことがあり、その日はディーヴアルトがユミスと巫力のコントロール練習をすることになっていた。
巫力とは巫装の性能を上げるための力で、ディーヴアルトが魔力を操作するように、人間も巫装や巫技の力加減を調整することができる。
巫装はマナの変換器であり増幅装置でもあるのだ。
その調整技術を学ぶために、ペアになった二人で同じだけの巫力を集中させながら巫装のぶつけあいを行う。
戦闘訓練のように負かし合いではないものの、受ける側も相手の巫力に合わせて力を弱めなければならないため、どちらか一方でも下手ならお互いに怪我をする危険も高い練習だ。
学園にいくつも設置されている演習場のうち、比較的小さい場所に集められた生徒たちは、そこでペアを発表されて二人一組になる。
ユミスが先にディーヴアルトを見つけ、近づいてきた。
気難しい人間かと身構えていたディーヴアルトだったが、教室で見るよりは柔らかい雰囲気をしていた。
「よろしく、ディート。あなたとは……初めてだったわね」
「話すのもな」
「そうね」
やや皮肉っぽい言い方が気に入ったのか、ユミスは小さく笑う。
その様子が気に入らないリジュルはペアなど無視してディーヴアルトに向かってきた。
ユミスが相手にするのは多く女子生徒にちやほやされ、その実力もいまだ謎に満ちているディーヴアルトだ。
当然、リジュルの不安も普段より大きくなる。
「おいディート。お前、今回はユミスとペアなんだってな。怪我させたらただじゃおかねえぞ」
今のディーヴアルトとユミスにとって、リジュルは無関係。
それに答えたのはディーヴアルトではなくやはりユミスだった。
「いちいちそうやって口挟んでこないで。私だって一人前の巫装士を目指してるんだから、怪我する覚悟ぐらいしてる」
「ユミスには自分の身を守れるだけの力があればいいんだよ。将来、俺は一番の巫装士になる。お前に必要なのは女として支える力だ。腕なんか怪我されたら、また料理の練習とかできなくなるだろうが」
「またその話。うんざりよ。もういいから声かけないで」
こんな調子で喧嘩が繰り広げられていく。
授業中ということもあり、さすがにリジュルの方も自重したが。
「ユミスは受ける側はやるなよ」
最後に捨て台詞を吐き、ディーヴアルトを睨みつけてながら定位置に戻っていった。
「ごめんね」
ユミスは深く頭を下げる。
そこに先ほどまでの気楽さはなかった。
「なぜ謝る。愛する者を心配するのは当たり前のことだ」
「うーん。まあ、そうなんだけど……」
何か言いたそうにしていたが、リジュルの目がずっと二人に向いていることに気付いて思いとどまる。
「それでは始めてください」
ユミスとディーヴアルトの巫装はお互いに刀型。
巫力は目で見ることはできず、肌で感じる以外にはない。
それは自らが操るときも同様だ。
だから巫力のコントロールは、才能ではなくどれだけマナを使い込んだかよってその実力が分かれる。
この分野においてディーヴアルトの右に出る者はいない。
人間界でも、魔界でもだ。
緻密にして精巧。
強靭にして完璧。
ユミスは刃を交えながら無自覚に震えていた。
自分が打ち込むときも、受けるときも、巫力差による衝撃を全く感じないのだ。
二年でトップだと語るリジュルの実力に、嘘はない。
死闘の域まで達すればどうかはわからないが、成績の上ではクラウスを凌いでナンバーワンに輝いている。
そんなリジュルと稽古を重ねてきたユミスですら鳥肌が立つほどなの正確な巫力コントロール。
演習が終わったとき、ユミスは訳も分からず目尻に涙を溜めていた。
そしてそんなユミスを見てリジュルは更に激怒。
再三の痴話喧嘩を挟み、そこで演習は終わったのであった。
人間とは不思議なものだな、とディーヴアルトは思う。
魔族にも人間の血が入っている以上、似たような感情の起伏は持っている。
しかし、魔界と人間界とでは社会が違う。
魔界では力こそが正義であるため、人間界ほどのまどろっこしさはない。
いやむしろ、力を持つがゆえに迫害される者や、力があるにも関わらずそれを行使しない者が多い。
続いての人間観察は昼休みのことだった。
購買部にパンを買いに行こうとしていたディーヴアルトは、校舎の外で女子生徒が群れているの様子を確認した。
彼女らは一人の女子生徒を取り囲んでおり、人気のないところへ歩いていく。
こんな時間に飯を食う以外のことを考えるなど普通ではない。
となんとなく思ったディーヴアルトは彼女たちの後をつけた。
たどり着いたのは、勉強のために使われている本校舎からはだいぶ距離のある礼拝堂の陰。
華やかな女子会でも開いているのかと思いきや、聞こえてきたのは罵声と呻き声だった。
これは穏やかではない。
「ああ、ムカつくわ! あのユミスとかいう女!」
一つの罵声の後、何かを叩く音と悲鳴がセットで続く。
「リジュル様があれほど気をかけてくれているのにそれを無碍にするなんて! 何様よあいつ! ちょっと顔がいいくらいで調子に乗って!」
聞こえるのはどれも女の声。
怒気を超えて殺意すら響いてくるほど痛ましい叫びと、今にも消えそうな小さい謝罪が交互に繰り返される。
「あんたがいつまでも弱みを握ってこないせいで、私たちが何もできないじゃない! 金も脳もない愚図が! あんたも同罪よ! 死ねばいいんだわ!」
1人の女の子に対し、5人の女子生徒が蹴るに殴るに一方的な暴行を加えている。
ディーヴアルトにはその光景に心当たりがあった。
「拷問か」
捕獲した敵軍の兵士から情報を聞き出したり、あるいは重大な罪を犯した者への罰として、尋常ならざる苦痛を与える悪魔の所業である。
人間界でもこれほど若い女が立派に拷問などするのだなと、感心したディーヴアルト。
「誰っ!?」
もう少し観察するつもりが、感嘆のあまり声が出てしまい、やむなく面に立つ。
「すまんな。妙な声がするもので見にきてしまった。礼拝堂の裏で拷問とは、なかなか粋なことをする」
女子生徒はうろたえていた。
まずその現場を見られたことに。
「痛みを与えるには温いな。せっかくだから俺が正しい拷問の仕方を教えてやろう」
しかし、ディーヴアルトが彼女たちのことを責める様子はなく、むしろ自分たちの側の人間であることに安堵したようだった。
一部の生徒はこの闖入者がディートという名の生徒であることに気づき、穏便に済ませた方がよいと忠告するが、リーダー格の女は止まらない。
「そう! こいつは拷問にかけて罰せられるべき女はなの! 1組の女に幼馴染がいることを利用して、不正に成績をあげてるクズなのよ!」
「ほう、そうなのか」
蹴られていた生徒をよくみると、ディーヴアルトはその女の子が同じクラスの人間であることに気づいた。
クラスメイトからはエミーと呼ばれているが、教員からの呼び名は違うようだった気がする、くらいの影の薄い存在だ。
お腹を抱えながら何か言いたそうにしているが、声が出ていないため理解はできない。
「こういう痛みはな、慣れてしまうのだ。それに弱みがどうとか言っていたが、これでは聞き出せまい。喉や腹は避け、できるだけ神経の通っているところを狙う。最も一般的なのは指先だな」
ディーヴアルトはしばらく、拷問についての講義を続けた。
何人かはその内容を聞いて気持ち悪そうにしているが、ディーヴアルトは気にせずに続ける。
「爪を剥ぐのが楽だが、やはり針を刺すのが一番だ。爪の間を抉るように刺してもいいし、貫通させてもいい」
「う、うん。あの、そこまでは……」
「一番効くのは長い針を用意して指と平行に差し込むことだ。これは訓練された兵士でも根を上げるくらいの激痛だからな」
「そう、なんだ。でもちょっとやり過ぎな気が……」
ヒソヒソと声が交わり始める。
皆が皆、顔を青くして、これ絶対やばいやつだと確信していく。
そして、ある生徒はリーダーの女の腕を引っ張り、説明に夢中になっているディーヴアルトに気づかれないように言った。
ディーヴアルトは、味方のフリをして実は自分たちを咎めているのではないかと。
「どうした? ああ、初めてでは気が進まないか。では俺が手本を見せてやろう。指はたくさんあるからな、こうして人に教えるのにも向いている」
「いや、いいです! ほんと、ごめんなさい! 私たちが悪かったです! もうしませんから、許してください! ごめんなさい! ごめんなさい!」
リーダー格の生徒に続いて全員が頭を下げる。
全くもって意味不明だった。
なぜ彼女たちは大して咎めもせずに不正を許してしまったのか。
なぜ被害を受けた彼女たちが謝らなければならなかったのか。
「あ、あの……」
幸いにも顔に被害を受けなかったらしいエミーは、ディーヴアルトが長々と講釈を垂れているうちに幾分か回復したようだ。
「ありがとう、ございました」
エミーの言ったそのひとことに、ディーヴアルトは何も言葉を返すことができなかった。
――人間は、拷問をしようとしていた相手に感謝するのか?
ディーヴアルトの人間への理解は、逆に謎が深まるばかりであった。