巫技
ディーヴアルトが学校に通い始めて数日。
決闘を申し込んできた有象無象をことごとく返り討ちにし、見知らぬ女子生徒がいきなり声をかけてくる事案も減ってきたこの頃、ようやく巫技を教えてくれそうな人物に目星をつけることができた。
エリス・フラーレンという友達の少なそうな女子生徒だ。
美麗にして苛烈。
そんな表現が似合うムスッとした顔がトレードマークの女の子。
1組でもかなりの実力者らしく、二年生女子の中では彼女がトップだという噂があるほどだ。
なにより取り巻きがうるさくなさそうな感じがディーヴアルトにとって好ましかった。
教えを請うための最低条件として、巫技を扱える者でなくてはならない。
なぜなら、授業では巫技は無闇に使うものではないと注意されるばかりで、その指示をするときぐらいにしか巫技という単語が出てこないからだ。
まだ授業にして教えられるほど理解が深まっていないらしく、教員に直接聞いてもアバウトな答えが返ってくるばかり。
そもそも巫装を偽装して使用しているだけのディーヴアルトが自ずから巫技を発現するに至るとは到底考えられないので、それがどのようなものなのかは扱える生徒に親身になって教えてもらうしかない。
「なあ。少し訊きたいことがあるんだが」
ディーヴアルトは机で一人勉強をしていたエリスに声をかけた。
「なにかしら」
顔の角度を変えないまま返事をするエリス。
彼女だけはディーヴアルトが編入してきたときも微動だにしていなかったことを覚えている。
「巫技がどんなものか、俺に見せてもらえないか」
「どうして私なの?」
「特に理由はない。強いて言うなら話しかけやすかったからだ」
エリスがダメならば他の人でもいい。
それぐらいの気概で尋ねたディーヴアルトにとって、その言葉にはなんら嘘も含みもないものだったのだが。
怪訝な顔でエリスはディーヴアルトの方に向き直った。
「私、普段から人と話をしてないの。見ててわからなかった?」
「ああ。だからお前を選んだ。何か問題があったか?」
ディーヴアルトの表情はどこまでも真剣である。
エリスとしては邪魔だから話しかけないでという意味で返した言葉だったのだろうが、どうやら本気で自分が都合のいい人間だと思われたことを理解したようだった。
「……そう。私でいいの」
「お前がいいんだ」
「あの、えっと。さいですか」
エリスはやりにくそうにしていたが、そのうち承諾してくれた。
どうやら人選に誤りはなかったようだ。
「演習室の予約は取ってある」
「準備がいいのね。断られてたらどうするつもりだったの?」
「他をあたっただけのこと」
「そう。言っておくけど――」
生徒たちが自主的に巫装の鍛錬をするために設けられた、演習室のドアの前。
エリスは居住まいを正してディーヴアルトの目を真っ直ぐに見た。
「巫技っていうのは、言ってみれば隠し玉なの。だからみんな、禁止されていない授業でも使いたがらないし、おそらくあなたが頼んでも素直には聞いてもらえなかったわ」
言葉の響きからそれとなく察していたことだったが、改めて言われてみれば無謀な頼みをしたものであるとディーヴアルトは思い直す。
「では、なぜ俺に見せる気になった?」
当然の質問。
「なんでかしらね」
エリスははぐらかし、そそくさと演習室に入ってしまった。
また人間の難しい感情か。
などと、ディーヴアルトは辟易しつつ後に続く。
今回はその気まぐれに感謝しなければならないわけだが。
「手短に進めるわよ」
5メートルほどの距離を開け、どういう仕組みか仮想の演習場が展開されている室内で、二人は向かい合う。
「私の巫装は三つ重ね。ナイフ型で白兵戦向き。巫技は……。口で説明するより体験してもらったほうが早いと思うわ」
「同意見だ。遠慮なくやってくれ。腕の一本ぐらい落ちるのも覚悟の上だ」
冗談に聞こえないのだけれど、と呆れながら、エリスはなんの飾り気もない銀色のナイフを片手に取った。
ディーヴアルトも巫装アリーヤを展開する。
エリスの巫技が簡単に受け止めきれてしまうようなものであれば、それはそれで情報として得ておきたいからだ。
「巫技っていうのはね、巫装が持ってる元々の力を開放して、その結果生じた現象のことを指すの。あなたがどういう目的で巫技を見たいと言ったのかはわからないけれど、見たところで参考にはならないということだけはあらかじめ言っておくわ」
「ほう。そういうものか」
ディーヴアルトにとってはその忠告だけでも貴重な情報である。
「加えてもう一つ」
エリスは静かに巫力を高め、歩き始める。
「私の巫技はきっと、何をされたのすら、わからないと思うわ」
一歩、二歩、歩幅を変えずに歩み寄って来たはずのエリスとの距離が、不自然に詰まっていた。
ディーヴアルトは全神経を研ぎ澄まして観察する。
その両の眼に、一気に疲労感が押し寄せる。
怯むようにして瞬きをした。
その僅かな間の、たった一度、視線を切ったディーヴアルトの目前で、エリスは二人に分身し、両隣を通り過ぎていく。
思わずアリーヤを横に薙いだ。
かなりの速さで斬ったはずの先で、エリスに当たった感触はなく。
気づけばエリスは5メートル前方。
そしてディーヴアルトの両腕には、薄っすらと付けられた傷跡から血が流れ出ていた。
「驚いたな。これほどのものとは」
「満足していただけたかしら」
「十二分だ」
まるで奇術。
エリスに言われた通り、何をされたのかはさっぱりわからなかった。
ディーヴアルトにとってはそれ自体もまた新鮮な体験である。
「感謝する」
巫技がどういう質のものなのか、少しは理解することができた。
魔族は魔力という比較的万能な力を持っていはいるが、これと似た現象を再現するのは難しい。
理屈がわかっていないだけでタネは単純なのかもしれないが、ディーヴアルトですら捉えきれない技ということが既に脅威なのだ。
「もういいの?」
「そう何度も見せていいものでもないだろう」
「まあ、そうなんだけど」
エリスは何かを言いかけて、喉奥で留めた。
お互いに巫装を解き、演習室の角にあるベンチに並んで座る。
「傷つけちゃったけど、大丈夫?」
「気にするな。もう塞がっている」
「えっ。はやっ」
引き気味にエリスは驚嘆する。
鋭利な武器で斬った直後だ。
いくら浅かったからといって、無処置で済む傷ではなかったはず。
「あなたの巫装って、守備型なのかもしれないわね」
「これはただの体質だ」
「そ、そう」
心配するほどのことではないことをエリスは悟る。
そして、エリスはその話題から避けるようにして巫技の話に繋げた。
「巫技を使いたいなら、巫装の性質を良く知ることだわ。よく知って、よく考える。自分の巫装が起こし得る現象を。いくつもね。あなたが巫装に目覚めたときと同じように、巫技の使い方も急にわかるようになるものなの。私から教えられるのは、これくらい」
巫技とは、巫装の性質を極限まで高めた末に起こしうる奇跡。
エリスはそう言った。
巫技を引き起こすためには巫装への理解が必要らしいが、ディーヴアルトの巫装は作り上げたものであって与えられたものではなく、そもそも正式には巫装ではないため、アリーヤからはどう頑張っても巫技を引き出せない。
ディーヴアルトが巫技を使えると騙るには、それらしい現象を巫技として定義することから始めなければならないようだ。
「そうか。では、礼をしなければならんな」
恩義に報いるのは当然のこと。
ディーヴアルトは相手からの提案を待ちつつ、人間にはどのような礼をしたらいいのかを考える。
「お礼、してもらえるの?」
エリスの表情は、ここ一番に固かった。
「ん? それは何の冗談だ? この俺が礼もしない不届き者に見えるか?」
「あ! ううん! そういうつもりじゃ、全然!」
手と首と、振れるとこは振れるだけ振って否定するエリス。
それが落ち着くと、エリスはおもむろに口を開いた。
「そういうことなら……私からも、頼み事していい?」
「ああ、そうしてくれると助かる。何が望みだ」
ディーヴアルトがいつもの調子で尋ねると、エリスは前髪をいじりながら答えた。
「人が多いときは、できるだけ話しかけないで欲しい」
「そうか。お前は独りが好きだったな。今日は悪かった」
ディーヴアルトは事も無げに承諾する。
「いや、そうじゃなくて!」
するとエリスが被せるように口を開いた。
「昔、色々あったからさ。あまり目立ちたくないの。でも、独りはほんとは好きってわけじゃないから。だから、えっと」
たどたどしく言葉を並べるエリスは、それまでディーヴアルトが思い描いていたエリスの像とはどこにも重ならないものだった。
「たまにこうして、二人で巫装の訓練をしてくれたら、嬉しいなって」
そうしてついには、頬を赤らめながら願いを口にした。
はっきり言ってしまえば、エリスが言った理由が現状とどう関わってくるのか、ディーヴアルトにはさっぱりわからなかったが、それが望みとあらば叶える以外にはない。
「承知した」
人間の習性その5。
面倒くさい。
いや、これは魔族にも言えることだし、あまりに雑だなと、ディーヴアルトは胸の内で取り消すことにした。