人間との共存
王位継承を目前に現魔王が言い放った、人間との共存宣言。
これが本当に意味するところを四人の候補たちはまだ知らない。
人間と魔族が交戦してきた理由の一つは、歴史だ。
魔物と人類がこの世に誕生したとき、支配者は魔物であり、魔物の王である魔王だった。
だが、ある代の魔王が人間の女に惚れた瞬間から歴史は変わりはじめた。
魔王は人間と子を成し、そして部下たちの反逆にあって魔界のすみに落ちぶれた。
更に年月を重ね、元魔王と人間との間に誕生した魔族が魔界を席巻すると、人間に対する支配が徐々に緩和され、人間のための生活特区が設けられることになった。
これがすべての始まり。
魔族の人間好き(あくまで性的な意味でだが)を利用し、とある魔族を籠絡した女が手に入れた“魔典”と呼ばれる書物が人間の生活区に流れ、特区の中で秘密裏に儀式が行われるようになった。
その魔典がどのようにして生み出されたのかは定かではない。
ただ、人間はその中から奇跡を見つけ出したのだ。
勇者の召喚という奇跡を。
対魔物戦においてとりわけ強い力を持っていた勇者は、その身一つで快刀乱麻を断つが如く魔王軍を撃退していき、魔物から半分の領地を取り返した。
魔王の首を取るまでには至らなかったが、力を限界まで尽くした勇者はやがて一つの概念となり、人間の領地に加護をもたらした。
その加護が、魔界と人間界という世界の断裂と、巫装と称される人間の力だった。
これにより人間たちは、魔族と対立する形を保ってきた。
今では魔界と人間界の通り道である虚洞が閉鎖され、一種の冷戦状態にある。
なおこの虚洞をすべて把握しているのは魔界側だけであり、魔王候補たちが人間界に忍び込むことができたのもそのおかげである。
海中、空中、そしてマグマの中にまで棲む魔物すべてに意思があり、魔族がそれらとコミュニケーションとを取る能力があったからこそのアドバンテージだ。
魔王側が人間を恐怖で支配しようとする意志を捨て去るのであれば、それぞれの世界の境界を侵さない限り戦争をする必要はないように思える。
しかし、争いが続いているもう一つの理由として、資源があった。
表と裏で同じ星を共有する両者にとって、魔力という資源は文明の発展にも武力にも関わってくる、譲るわけにはいかない大切なものだ。
人間は魔力をマナと呼んでおり、万物が元々持っていたエネルギーだと捉えている。
魔族は魔力は自分たちが生み出したものであり、こちら側に還元されるべきだと考えている。
世界が断裂された現状で、魔力がどのように循環しているのかはまだ解明されていないが、少なくとも勇者が誕生するまでの人間にはマナを生成する力はなく、間違いなく魔物は魔力を生み出してきた。
歴史と資源。
どちらも譲歩と献身が必要だ。
人間と魔族が共存するには、この2つの側面から争いを避ける方法を考えなければならない。
ディーヴアルトがクリーディア第一学園に来て感じたことがある。
一年から卒業までのカリキュラムを通して、戦闘訓練が明らかに多いのだ。
授業の半分以上が巫装を使ったもので、中には巫装の根幹をなす巫力を底上げするための、それこそ修行のようなものまで含まれている。
聞いた話では、この傾向は近年現れたもので、クリーディアだけに限った話ではないらしい。
人間は本格的に魔界と全面戦争を始めるつもりだろうか。
それがディーヴアルトの素直な感想だった。
この世界がマナ――すなわち魔力――に満たされている以上、人間界にも魔物は生まれる。
あるいは、ただの動物がマナに影響され、突然変異的に暴走した魔獣なんてものもいる。
だからこそ冷戦状態になった今でも巫装士は職を失わないのだが、戦争の前提を抜けば巫装士の供給量は需要を大幅に超えているはずで、ディーヴアルトには人間界の様子が変質しているようにしか思えなかった。
魔王にこの違和感を伝えなければならない。
放課後、廊下の窓から外を眺めつつ、ディーヴアルトはそう思って、ふと冷静になった。
人間界には、王位継承の試験が始まるより前に、スパイとして何人かの魔族が潜伏していたはずなのだ。
ならば人間が戦争の準備を急速に進めている事実に気付いているはず。
そんな時期に、人間との共存が宣言された。
そこから導き出される答えは一つ。
和解による戦争の阻止。
それが狙いという以外に考えられない。
「今や魔族もヒトということか」
ディーヴアルトは青空を見上げながら独りごちた。
「ディートくん! その、これから暇かな?」
不意に、女子生徒の一人が話しかけてきた。
三つ編みに眼鏡という一見すると大人しそうな見た目だが、ずいぶんと積極的な性格らしい。
「予定なら特にないが」
「ほんと!? じゃあこれから一緒にパフェ食べに行こうよ! あたし、これでもスイーツグルメマスターで通っててさ、絶対に外さないよ?」
パフェ、というのはグラスに甘味がドサドサ乗せられた食べ物である。
魔界にもパフェはあるが、人間の作るパフェは心を奪われるほど美味だと聞く。
「そうか」
しかし、ディーヴアルトは食に対しては興味が薄い。
魔物にも三大欲求はあるものの、だいたいは一点に特化している変わり者ばかりだ。
当然、魔族であるディーヴアルトは人間の女を求める本能が強い。
「お前のほうが美味そうに見えるが」
長ったらしい髪から目を覗かせて、少女の瞳を見つめる。
魔界流のお誘いである。
「きゃー! もー! ディートくんったらエッチ!」
ワキワキして悶える少女。
とても楽しそうだ。
「女の子を誘うときは、もっと手順を踏まないとダメなんだよ?」
上目遣いで諭された。
なんということであろう。
ディーヴアルト、人生初の交渉決裂である。
人間のコミュニケーションは奥が深いと、快楽に単純な魔族は真面目に反省をした。
「ちょっと待ちなさい」
今度はお付きをぞろぞろと連れたお嬢様風の女子生徒が、桃色空間に鋭い声を挟んできた。
「ディート様はあなたのようなあばら屋に住んでる小娘が声をかけていい方ではないの。そこから離れなさい」
どうやら見た目通りずいぶんとお家柄の良い生徒の集まりらしい。
「またあんた!? あたしが男の人と絡むとすぐそれよねー。フリスバル家では猫ほどの躾もされないのかしら?」
「この私に向かってよくもそんな口を……! そんなナリして大して勉強もできない分際で!」
「眼鏡と三つ編みはあたしのポリシーよ! 頭デッカチの運動音痴!」
「たまたま相性が良いからといって自分が上だと思わないことね! これだから頭の悪い娘は……」
異様な光景だった。
どうやらディーヴアルトを取り合っての喧嘩のようで、それ自体は魔界にいた頃からも目にした光景なのだが、双方ともにディーヴアルトは全くの初対面なのだ。
名前すら存じていない。
金で雇ったわけでも何かの契りを交わしたわけでもないのに、王子である身分を隠しているディーヴアルトに対して様付けをする奇妙。
人間の文化は、難しい。
ディーヴアルトがここまでかける言葉に困ったのはいつ以来だろうか。
「ギャーギャー騒いでんじゃねぇ! 女の高い声ってのは痛くて不快なんだよ! 悪いが、その男はこの俺、バルフガイン様と真剣な用事があるんだ。お遊びなら後にしな」
本日3組目のご到着である。
「てきとーぶっこいてんじゃないわよ! ディートは予定ならないって言ってたの! さっさとどっか行きなさいこのデブ!」
「デブじゃねぇ筋肉だ!」
「2組の分際で1組に話しかけないでくださるかしら。不快で仕方ないわ」
「黙れババア! 2組でナンバーワンの俺様を差し置いて1組に編入たぁ見過ごせるか! 決闘を申し込む! 逃げんなよ!」
人間の習性その1。
知らない相手は外部から観察して勝手な設定をつける。
人間の習性その2。
人との交流において何より先立つのは嫉妬である。
人間の習性その3。
本人のいないところで勝手に盛り上がる。
「聞き捨てならないなバルフガイン! この僕、キーピック・カグマスタを差し置いて2組のナンバーワンを名乗るなど!」
人間の習性その4。
人の群れているところに集まりたがる。
「これはレポートに使えるな……」
完全に傍観者となったディーヴアルト。
その後、男女がごった返す廊下の中で話題からすら弾かれてしまったディーヴアルトは、巫技の正体を教えてくれそうな生徒を探しにこっそりと抜け出した。