第3章第3話 「飛鳥の町と鍛冶の神」
一馬たちは翌日の昼過ぎに飛鳥の町へたどり着いた。
まさにたどり着いた、という表現がぴったりな一馬の様子である。
「ああ、もうだめだ……」
「旦那、付きましたよ、飛鳥の町です。もう馬から下りていいんですよ」
「一馬さん、もうでえ丈夫だ。気を確かにな!」
猿彦とイサキたちが一馬を何とか馬から下ろす。
一馬はもう自力で歩くこともつらいようだ。
「どうでえ一馬さん、でけえ町だろう……って一馬さん、ウププ」
お尻を突き出してガニ股でヨタヨタと歩く一馬の様子を見て、イサキが思わず吹き出す。
他人から見ると滑稽だが、本人は必死だ。
「イサキさん、笑わないで下さいよ」
「いや、すまねえ、一馬さんを笑うとか、そんな気は全くないんだが、ウヒヒ」
「そ、そうだよ、恩人の一馬さんを笑うなんてなぁ、アハハ――」
「とにかく旦那、ゆっくりできるところに行きやしょう。そこにあっしの家がありやすから」
猿彦だけは一馬を笑わずに心配してくれている。
優しいのは猿彦だけだ、イサキさんいつか見ていろ。
恨みに思いながら一馬は何とか猿彦の家にたどり着いた。
他に泊まる所のあてがあるらしいイサキたちと別れ、一馬は猿彦に連れられて中に入る。
家はここでもやっぱり竪穴式だ。
「旦那、どうぞお入りになって下さい。おい、帰ったぞ」
「なんだい騒がしいねえ……あんた!」
振り返って驚いた表情をしたこの女が猿彦の女房らしい。
この時代の女性にしては大柄で、猿彦よりもだいぶ大きい。
顔立ちのはっきりした美人だが、かなり気が強そうだ。
「お六、久しぶりだな」
パッチーン!
猿彦が近づいて声を掛けた瞬間、お六と呼ばれた女の張り手が飛んだ。
「なにが久しぶりだよ、あんた今までどこで何してたんだい!」
「いや何って、ちゃんと仕送りはしてただろうがよ」
「銀粒だけ送りゃあそれでいいってもんじゃないだろう! 分かってるよ、どうせ人様に言えない事でもしてたんだろ」
「いや、まあそれはアレだ、とにかくちょっと待て」
猿彦はビンタされた頬を押さえながら一馬の方を向いた。
「へへ旦那、見苦しいところをお見せしてしまいやして。こいつが女房のお六でさあ」
「初めまして、一馬と言います」
一馬はお六に向かって頭を下げた。
お六はまだ不審そうに一馬を見ている。
まあ仕方ないよな、服装とか髪型とかいろいろあれだし。
「あんた、この人は?」
「一馬の旦那だ。お前が言う通り俺はロクでもない仕事をしてたが、この旦那のお蔭できっぱりやめた。心を入れ替えてまじめに働くことにした。それで帰ってきたんだ」
「そうかい、まあ簡単に信用はしないけどね。旦那さん、お六と申します。この人がお世話になってるとか」
ようやくお六は一馬に挨拶した。
まだ完全に信用した訳ではないようだが、とりあえずは入れてくれるようだ。
「ささ、旦那、こちらへ横になって下せえ」
「あ、ありがとう」
ようやく一馬は落ち着くことが出来た。
お尻が痛むのでうつぶせでしか寝ころべないのが辛いところだ。
「お六、ちょっとひとっ走り薬草を買いに行ってくれ。傷や腫れによく効くやつをよ」
「戻ってきて早々なんだよ、あんたって人は」
文句を言いながらもお六は薬を買いに行ってくれた。
「猿彦、なんかごめんね、迷惑かけちゃったみたいで」
「いえ、あっしこそすいやせん。あいつはとにかく気の強い女で」
しばらくしてお六が戻ってきた。
買ってきた薬草を猿彦が臼ですりつぶし、ペースト状にする。
「これを塗ればかなり楽になるはずでさあ」
猿彦が塗ってくれると言ったが、一馬は自分で塗るからと断った。
さすがにお尻や内股はちょっとな。
一馬が自分で薬を塗ると、痛みや火照りは幾分ましになった。
そのままうつ伏せでいるうちに、知らない間に寝てしまっていたようだ。
「えっと、ここって……」
目を覚ますと一馬は一瞬ここがどこだか分らなかった。
そばで猿彦が座っている。
「旦那、お目覚めですか」
「ああ、猿彦、知らない間に寝ちゃってたよ」
「お加減はいかがですかい?」
「あ、なんかだいぶいいみたいだ。お陰様で楽になったよ」
「そうですか、そりゃよかった。旦那、お六の奴にこれを買ってこさせたんですが、着替えますかい」
一馬が寝ている間に着替えの服を買ってきてくれたようだ。
脱いだ服や小物を入れるために麻の袋も用意してくれている。
さすがにこの格好じゃ目立つもんな。
一馬はありがたく着替えさせてもらうことにした。
「どうかな?」
「ちょっと長さは短けえですが、良くお似合いですよ」
一馬が着るとやはり極端に裾が短い。
身長が周りの人とは全く違うのだから、合わないのは仕方ないだろう。
そもそもサイズ展開の品揃えなどないだろうし。
とりあえず服装で人目を引く事はなくなった、と思いたい。
「旦那、もうちょっとここでゆっくりされやすか」
「もう歩けるよ。せっかく来たんだ、その辺を見ながら鍛冶屋に行こうか」
「ではご案内します。お六、ちょいと出てくるぞ」
一馬は猿彦の案内で飛鳥の町を歩いた。
御剣武尊命が開いた南之国最古の町というだけあって、葛城村とは比べ物にならないほどの人がせわしなく行きかっている。
露店では食べ物以外に職人たちが作ったと思われる焼き物の器や金属製の農具、木工製品、革製品、麻布で出来た服、勾玉などで出来た装飾品などが売られている。
基本作っている人が自分で売っているようだ。
「これはなかなか盛況だね」
「南之国で1、2を争う町ですからね。といっても中つ国の都と比べれば大したことないんでしょうが」
「そ、そうだね」
中つ国の都、という名前が出るたびについビクビクしてしまう一馬だった。
「で、鍛冶屋なんでやすが」
「うん。心当たりあるかい」
「ここには確か3軒の鍛冶屋があったと思います。その中の2件はまあ普通の鍛冶屋なんですが」
「もう1軒は?」
「それがちょっと得体のしれない、というか妙な噂のある鍛冶屋で」
「妙な噂」
「ええ、あっしは行った事はないんですが、えらい年寄りの爺さんがやってるというんですが」
「うん」
「ずっと大昔からその爺さんがやってる、っていうんですよ」
「まあそりゃお年寄りなら昔からやってるんだろう」
「そうなんですが、知り合いの年寄りが、その爺さんは自分の子供の頃から全く変わらないと言うんですよ」
「へー、面白いな」
「腕はいいという話もあるんですが、町はずれにあるし気味悪いんでほとんど誰も行きやせんね」
「興味はあるけどまあ、普通の鍛冶屋さんから周ろうか」
「へい、ご案内しやす」
しばらく歩いて一馬は一軒の鍛冶屋に着いた。
そこで鋸を作ってもらえないかと聞いてみたが、話が通じない。
今作っているもので手いっぱいだ、とけんもほろろに言われてしまった。
「なかなか難しそうだなあ」
「失礼な奴だ。旦那、次へ参りましょう」
猿彦の案内で次の鍛冶屋へ向かう。
ここでは話は聞いてもらえたが、調子が良すぎてどうも不安だった。
一馬が説明する鋸のイメージがうまく伝わっていないようだ。
とにかく前金をくれ、まずは作ってみるからの一点張り。
一馬はとりあえず一度帰って考える、と断って外へ出た。
「旦那、いかがでしたか」
「あれじゃあだめだろうな。俺が言ったことが伝わってないみたいだ」
「とにかく金が欲しいってのがありありでしたね」
結局2件とも上手くいかなかった以上、残る選択肢は一つしかない。
一馬は妙な噂があるという鍛冶屋に行ってみることにした。
猿彦の言う通り、その鍛冶屋は町はずれにあった。
周りにはほとんど家もなく、寂しい限り。
猿彦は気味悪がって表で待っているというので、一馬は一人で中に入る。
「あのー」
「だれじゃ」
しゃがれた声で問いただしたこの鍛冶屋の主とおぼしき男は、背中が曲がってシワだらけの爺さんだった。
うわあ、これでちゃんと仕事出来るんだろうか。
一馬が思わず内心でそうつぶやくと男が話しかけてくる。
「大丈夫じゃ、ちゃんと目は見えるし腕も落ちておらん。ここへ座れ」
男の目の前に座るよう促されて、一馬は素直に従った。
「えっと、俺は」
一馬が自己紹介しようとすると、男は目を急に見開いて一馬を見た。
「なんと、お主、生きておったか……いや、違うな。しかし、似ておる。そなたは誰じゃ」
「俺は渡辺一馬といいます。作ってもらいたいものがあってきました」
「ふむ、しかし実によく似ておる……ん、その剣、ちょっと見せてみろ」
男は一馬に草薙の剣を見せるように言って、催促するように手を伸ばした。
しかし物が物だけにおいそれと渡すわけにはいかない。
一馬は柄を握り、朱雀を呼び出した。
朱雀、ちょっといいかな
――どうした一馬。ん? こ奴は……
知り合いなの?
――うむ。古い、な。まだ生きておったか
って言う事はこの人いくつだよ?
――こ奴も神の一人だ
神様? このお爺さんが?
――そうだ。見せてやってくれ
でも神様だと草薙の剣は持ったりできないんじゃないの?
――こ奴は神とは言っても人神だからな、大丈夫だ
人神、って人が神さまになったってやつだっけ
――然り。武尊命も人神であった
じゃあ渡すよ、いいんだね
――うむ
「どうした、朱雀と話をしておるのか」
「それも知ってるんですか」
驚きながら一馬は草薙の剣を男に渡した。
男はそれを受け取りしばらく持って眺めていたが、じきに顔を上げ一馬に話し始めた。
「まこと草薙じゃ、懐かしいの。我は天津麻羅、鍛冶の神じゃ。」
「神様だったんですね、失礼いたしました」
「よい。神とはいえ元は人なればな。ただ鍛冶の腕を買われて神とされたにすぎぬ」
「なぜ朱雀、じゃない草薙の剣をご存じなんですか」
「なぜと言われてもの、この剣は我が打ったのじゃ」
「そうなんですか?」
「さよう。この剣を我のもとに持ってきたのはスサノオ等であった。彼奴らが蛇を討った時、その尻尾からこの剣が出てきたことは知っておるか」
「朱雀にそう聞きました」
「その時、スサノオの剣によってこの剣は真二つに折れておったのじゃ。そこで我の元へスサノオが来た」
「それは初めて聞きました」
「うむ。して我はその剣の柄の側の長き方を打ち直し、今のこの草薙へと作り替えたのじゃ」
「じゃあ元はもっと長かったんですね」
「然り。今は四尺四寸(約130センチ)ほどのこの草薙じゃが、折れる前は六尺六寸(約2メートル)ほどの長さがあったのじゃ」
「そんなに長かったのか」
「しかる後スサノオはこの草薙に朱雀を封じ、御剣武尊命に与えた。そして武尊命はこの剣で国津神どもを平らげてこの南之国を建て、ここに町を作った」
「それは聞きました」
「そうか。しかして我はこの剣の手入れをせんがために請われてこの地に来たのだ」
「それからずっとここに?」
「然り、他に行くべきところもない故、な。で、そなたは何故草薙を身に帯びておるのだ」
一馬は今までのいきさつを大まかに天津麻羅に説明した。
「なるほど、それ故に朱雀と共にスサノオを探す、か」
「そうなんです」
「面白きことかな。これほど良く似たそなたが草薙と引き合うとは」
「似てる、って誰と似てるんですか? 朱雀もなんかそれっぽいこと言ってたんですが」
「まあ良いであろう、いずれ分かる日も来るやもしれぬ。して今日は何のために参ったのじゃ」
「実はノコギリ、という物を作って頂きたいと思いまして」
「ほほう、それはいかなるものじゃ」
一馬は地面に絵をかきながら鋸を説明した。
天津麻羅は熱心にそれを聞き、一馬にいくつもの質問をする。
「なるほど、それはなかなか便利そうなものであるな。して刃の厚みはいかほどのものじゃ」
「たぶん、薄い方がいいと思います。持って曲げたらしなるぐらいに」
「しなる、すると薄いだけではなく粘り強くなければならんの」
「そんなこと出来るんですか」
「恐らくはな。熱の加え方や鉄に加えるものによれば出来るであろう」
「ぜひお願いします」
「うむ、して大きさはいかほどじゃ」
一馬は頭の中で考える。
大きい方が木を切る時には便利だろうが、小さい方が小回りが利くだろう。
とりあえず今回はやや大き目で作ってもらうことにした。
「まずは刃の長さがこれぐらいでお願いします」
一馬が手を広げてサイズを表現すると天津麻羅はうなずいた。
「およそ2尺(60センチ)といったところか、良いだろう」
「ありがとうございます、で、いつ頃出来上がりそうですか」
「そうよな、一つだけであれば明日の昼ごろには出来上がっておろう」
「そんなに早く! 助かります。では明日改めて伺います」
一馬はその速さに驚いた。
さすが鍛冶の神様、半端じゃないな。
あ、値段聴くの忘れた。