明日への魔法
とある短編賞で「もう一歩」という評価をもらった作品(の原本)
魔法学校を扱った青春学園モノ
魔法というのは難しい。
また、作業台を消し炭にしてしまった。先日などは、生クリームを造り出すはずが生身のクレーマーを造り出してしまい、間違えて作り出したことに対して二時間くらい罵声を浴びせられてしまった。
「あたし、やっぱり才能ないのかな……」
少女が呟けば、親友ローゼは軽く叫んだ。
「マコが馬鹿でグズでノロマで、魔法の素質なんてこれっぽっちもないことなんて、今さら確かめるまでもないでしょ!」
「ひどい……」
「でも私はアンタと一緒に卒業するんだ。だからアンタは死ぬ気で頑張んなさい!」
マコはこのままでは三年生に上がれない。
「あと一ヶ月しかないんだから、せめて課題の一つくらいはクリアしてくれないと!」
「わかってるよ……」
「わかってるなら「才能がない」とか言って手を休めてる場合かぁぁぁ!!」
実際、魔法学校においての留年は、退学に近い意味を持つ。一度留年した者は次年も留年するし、卒業もできないのが魔法学校の通例であった。
「だからぁ! この魔法は薬指と人差し指をくっつけながら、中指でこう! 小指を躍らせながら、それを三回繰り返すの!」
そんなの指がつるよ……手元が不器用なマコが、異生物を眺めるような目でローゼの右手を見ている。真似をしてみるが、彼女の方には次々に花が咲き乱れていくのに、自分のほうはミミズがのたくったような茎が怪しげに蠢くのみだ。
「わかった。生物学は諦めよう。このままじゃ、先生に見せられるレベルになるまで一世紀はかかるわ」
「……」
マコはつらい。なにより、こんなに付き合ってくれているのに、その期待に応えてあげられないことがつらい。
そんなマコにも、好きな人がいる。
一つ年上、三年生のフィック=エイブラムズ。軽薄ではない素地と落ち着いた笑顔が魅力の好青年である。
ただ、あまり自分の気持ちを表現することが得意ではないマコにとっては、お堀の向こうにある生垣のそのまた向こうで輝いているだけの存在であった。
しかたないからおまじないをする。
金色の折り紙に二人の名前を書いて、くっつくように折りたたむ。それをいつも肌身離さず持ち歩くと両想いになれると本に書いてあった。
魔法学校の生徒なのだから、これに魅惑の魔力を込めることもできる。だけど……
(絶対できない……)
まかり間違って、彼に久遠の呪いがかかってしまったりしたら……。
本来ありえないことでも、自分の魔法ならやりかねない。それが怖くて絶対にできないし、誰かに手伝ってもらうこともとんでもない。最奥手な彼女は、彼のことを親友であるローゼにすら明かせないでいた。
だから彼女のほのかな想いはずっと、折り紙に折りたたまれたまま、胸の内にある。
フィックとの接点は、彼女が劣等生が故であった。
魔法学校は性質上、大気中に魔力が停滞しやすく、それが魔法使用時に共鳴するとさまざまな誤作動を起こすため、日に一度、それを散らして空気を澄ませる作業を行う。
この作業は在校生のアルバイトとなっており、最終下校時刻である二十時から、仕事を請けた学生達が校内外を回るわけだが、マコはいつも補習や居残りでの実習を行っているため、彼に出会える機会があった。
「下校時刻だぞ」
声をかけられ、ハッとなって立ち上がり、掛けかけの魔力が暴走して、何かを壊す。そのたびにフィックは無言で指を動かしてそれを直しては、
「気をつけて帰れよ」
と去ってゆく。
彼女はその背中を、見えなくなるまで見送るのだ。
それだけの接点。それだけで……ちょっと繋がった気になっている。
だから、マコはショックだった。
「三年のね、フィック=エイブラムズって人」
ローゼは、名前を口にするだけで楽しそうだ。
「かっこいいんだよー。声とかも、聞くだけできゅんきゅんするの!」
進級の考査が終われば三年生は卒業であり、その前になんとか告白をして、気持ちを繋ぎ止めたい。
……と、まさに、マコ自身が思っていることを……ローゼが代弁したのである。
「あ、もちろんマコのことは引き続き手伝うよ。だから私のことも応援してね」
「うん……」
うなずいてしまう。マコは、言い出せない。
ローゼはマコ以上に精力的だった。
マコのタイムリミットが一ヶ月なら、ローゼのリミットも同じなのだ。進級、卒業……空色のフレアスカートを揺らす少女たちは、それぞれの青春をひた走っている。
マコはその真っ青な道を走りながら、一本向こうの、ローゼが走っている道が気になってしかたない。今日もまた魔法に失敗しながら、何かを壊しながら……自由に羽ばたいて彼の元へと向かっていく鳥を、ただ……見つめている。
その姿がいくらうらやましくても、自分はまず、進級しなければならない。進級を本気で心配して、いつも付き合ってくれる友達のためにも、わがままは言っていられなかった。
実は先日、マコは担任マルクとの面談を行っている。ローゼが設定してくれたもので、彼女も隣に座っていた。
ローゼはマコが魔道に関してひたむきであることを切々と語り、海より深く頭を下げて、情状酌量を願い出た。
「おねがいします! まじめさって何より大切だと思うんです!」
「……」
マコの方を向く担任マルク。うつむいて黙ってしまっている彼女は、確かに実技は酷くても教養の成績はトップである。まじめさは誰もが認めるところだ。
しかしここは魔法学校なのだ。例えば料理学校でいくら野菜に精通しても、料理ができないのでは太鼓判が押せない。それと同じである。
が、あまりに懇願するローゼに、マルクも最後にはうなずいた。その上で彼は提示する。
「何か一つでいい。実技で俺達教師を驚かせてくれ。そしたら俺が上に掛けあってやる」
「自由課題でもいいですか!?」
「いいだろう。マコ。どうなんだ?」
「……」
「必ずやります。いいぇ、やらせます! よろしくお願いいたします!!」
指導室を出て二人。並んで、しばらく無言で廊下を歩く。
「ローゼ……ありがとう……」
うつむいたままのマコ。ローゼは笑顔だ。
「いいんだよ。魔法がろくに使えなくたって魔術師稼業はできるんだから」
実際、魔法知識を生かした仕事ができる。免許さえあれば、魔道具を取引することができる。立派に生計は立つ。
マコの故郷は貧しく魔術師さえいない。微々たる量でも魔力を備えていた彼女は、故郷の期待を一身に背負って送り出された存在であった。
留年をしてドロップアウトしました……では、おめおめと帰ることすらできない。
「でも……どうしたらいい?」
「なに言ってんの。アンタのやることは一つ。高等魔法を完成させる。それだけよ」
「無理……」
「お前は本当に魔法学校の生徒かぁ!!」
ローゼの剣幕にマコは思わず鼓膜を塞ぐが、その両手を取って、彼女は言った。
「とにかく進級するよ! 手伝ってあげるから!」
「ありがとう……」
マコは、目頭を熱くした。魔法の素質もない自分に、こんなにも親身になってくれる友達がいる。
充分じゃないか。その幸運が、幸運のすべてで構わない。
「ローゼ」
「ん?」
「……フィック先輩とうまくいくといいね」
「あはっ! ありがと!」
その言葉はローゼを色めき立たせる。これでいいのだ。マコは自分にそう言い聞かせた。
事実、マコはローゼとフィックの仲を取り持とうとまでした。
一人残る実験室に、最終下校時間になると現れるフィック。しかし今日は彼の「下校時間だぞ」で、何かを壊すこともない。どこか冷静なマコは、振り返ると言った。
「すみません。あの……今度友達に会って欲しいんです」
自分のことだと思っていた時は、あんなに引っ込み思案だったのに、他人のこととなると、するすると言葉が出てくる。
「その子、先輩に憧れてて……もしご迷惑じゃなければ……」
「へぇ、うれしいな。どんな子だろう」
「とても元気で優しい子です」
こんなに話したのは初めてだった。彼の、いつもとは違う声を聞いて、うれしいけれど耳は痛い。
「連絡先を聞いてもいいですか……?」
心とは裏腹に、彼を自身に通ずる道とは別の道へ誘ってゆく。それはそのまま、ローゼの歓喜の声に変わっていった。
勿論、マコの心は沈んでいく。
そうしているのだから当たり前なのに、ローゼに心を開いていく彼の話を聞くのがつらい。
表面は細波のようでも、内面はすでに火がついていたのだ。彼に憧れた。彼に近づきたかった。友達という枠組みではなく、もっともっと近くに。だけど……
頭の中で、彼と、ローゼがぐるぐる回る。どうしたらいいのかわからない。
勉強が手につかない。やらなきゃいけないのに。この一ヶ月でその後の一生が決まってしまうのに……。
この前までは、急な上り坂かもしれなくても、真っ青な道が未来の先にまで繋がっていた。でも今は、急に何本かに分岐していて、そのすべてが目に見えるところで塞がっている。
(ううん……)
思考はあるところで立ち止まった。
……そもそも分岐した道なんてあるんだろうか。魔法学校を諦めて、ローゼと恋敵として戦って……それで何が残る?……彼が自分を選んでくれる可能性は?
あるわけがない。こんなグズで何のとりえもない田舎娘を選んでくれるわけがない。
道は、枝分かれしているようで、前と同じ、一本道じゃないか。
ローゼの厚意の下、自由課題をこなし、進級して卒業すること。そして、故郷にもどって恩返しをすること。これしかない。
マコは、懐にしまいこんだ折り紙に手を伸ばす。折り込まれた紙をゆっくりと広げれば、そこには自分と、フィック=エイブラムズの名前が書き連ねてある。
彼女はこれを切り裂いてしまおうと思った。
しかし……力の入る両手に、それ以上の気持ちが加わって、彼女は折り紙を傷つけることができない。
ため息一つ。つくづく弱い自分の心に愛想も尽きて、憮然としたままそれを部屋のゴミ箱に捨てた。
(これでお終いだ)
マコの気持ちはしかし、ゴミ箱に消えると共に落ち着いていった。
だが……これがどれだけ軽率な行動だったかを、マコはすぐに痛感することになる。
「マコ。ちょっと話がある」
表情の険しいローゼの右手に掴まれ、個室に連れて行かれたマコは、扉を閉められると同時に、雷を浴びせられたように身体を縮込ませた。
「アンタ、なんのつもりよ!!!」
鼻先に突きつけられる折り紙。
「え……どうして……」
「アンタ手伝うために私も実験室、よく行ってんのよ! 目立つ折り紙がゴミ箱に落ちてるから何かと思えば……!!」
「ゴメン……」
「なに謝ってんの!? そういうのがムカつくの!!」
このグズは、自分が好きなのに、二人の仲を取り持ったのか。
「ええ、私はアンタと違ってかわいくもないわよ。アンタに同情されないと男もできない女だよ!!」
「ちがぅ……」
「折り紙もわざと!? あてつけ!?」
邪推でも、わざとローゼに伝わるようにこれを捨てたかと思うと……
「もうアッタマきた! アンタなんか知らんわ!!」
一度地団太を踏むローゼ。怒りに任せて印を結び、爆ぜるように一瞬にしてその姿を消した。
マコは劣等生だが、美しい。その姿は月明かりに照らせば、女神とまごうほどに美しい。
ローゼは優等生だったが、女としての魅力があるわけではなかった。
実はこの二人は、互いが互いのコンプレックスを補完するかのような相性であり、ローゼも気持ちの上でマコに劣等感を感じていたわけだが、マコにしてみれば、まさか彼女が自分にコンプレックスがあったなど思わない。
マコにとっては、彼女は非の打ち所のない優等生だし、憧れでもあった。
それだけに、なぜ彼女があそこまで腹を立てたのかが分からず、容易に謝りにもいけないまま、無為に日は過ぎていった。
一向に完成しない魔法。もう、潮時なのかもしれない。
故郷に帰ったら、皆になんて謝ればいいだろう。いやそもそも、貧困にあえぐ故郷で、自分のような何のとりえもない女が一人、生きていけるだろうか。
といって、故郷を出て暮らす金もない。
どうしたらいいのだろう。どうしたら……。
考査の日が来た。
会場である中庭に向かうマコの足取りは重い。結局、彼女一人では、どうにもならなかった。
辞退しようかと……彼女は思う。
そうすれば恥をかかないですむだけ、心に傷を残さずに済むかもしれない。
もちろんそれは退学を意味する。彼女も分かっている。だけど……。
足を止め、うつむいたまま左右に目を配せば、すでにこの学校の風景自体が懐かしいもののように思えた。
ため息……そしてゆっくりときびすを返した時、彼女は突如腕をつかまれた。
「あ!」というマコの短い悲鳴。振り返るその先にいたのは
「ローゼ!?」
「逃げないよ?」
「だって……」
「行こう」
「だけど……!」
「いいから!」
結局マコは中庭まで引きずられてきた。その場には、担任マルクの他に試験官である教師が数名控えている。
「先生! マコ=ディンプロール来ました!!」
「本人の口から聞きたいな。その言葉は」
しかしマルクも、マコ=ディンプロールという生徒が、このローゼ=クリスティーヌという優等生に支えられていることは知っている。小言を吐いても、もじもじしている本人に多くは突っ込まない。
「今日は自由課題だ。お前の力が二年次の修了程度の実力と認められれば合格。そうでなければ……」
「わかってます!!」
「ローゼ。お前じゃない」
「だって、マコにこんなハキハキした声が出せると思いますか!?」
「分かっているが……」
「私たちは二人で一人みたいなものなんですっ! 異論は!?」
「……ありすぎるが、この際どうでもいい。マコ、準備はいいか?」
「はいっ!!」
「お前じゃない」
「いえ、今日魔法をかけてもらうのは、私になんです!」
「え……?」
ローゼは一歩進み出て、マコを指差した。
「今日、コイツがかけるのは、増幅の魔法です!」
「ほう?」
「私の魔力を倍化します」
「……なるほどな」
担任が内心で笑う。よく考えてきた。
増幅魔法というのは確かに高等技術であるため、課題としては申し分ない。しかも、それは掛けられた本人にしか実感がないのだ。
つまり、やりようによっては「かかったフリ」で誤魔化すことができるのである。それを知ってなお、マルクはあくまで友達を護ろうとする優等生に、深い詮索はしなかった。
「だが増幅をどう証明する?」
「私が修了検定で行った、戦闘カカシの五十人抜き。……今日なら百人いけます」
え!?……と仰天するマコの正面で、マルクの顔が険しくなった。
「お前……死ぬぞ」
「やります」
「待ってローゼ!!」
それがどれくらい無茶かは、マコも重々分かっている。
しかしローゼは彼女の口を塞ぐと、
「……やらせてください」
睨み合うマルクとローゼ。しばらくその瞳は戦っていたが、やがて担任の方が折れた。
「やってみろ」
「ありがとうございます!」
「だが!!」
マルクはぴしゃりと言い放った。
「無理と思えばすぐに止めるぞ。お前を殺すわけにはいかん」
「わかってます」
止められた時は、マコが不合格となる時だ。
「なんで……」
マコは泣きそうだ。そんな彼女の肩に手を置くローゼ。
「一緒に卒業しようね」
「だって……」
「何でもいいから私に魔法をかけて。頑張ってくる」
ローゼの表情はしかし、彼女への感情をすべてをご破算しました、というものではない。
「やめて、とか言ったらほんと怒るからね。私、まだムカついてるよ?」
「……ゴメン」
「謝るな!」
「だって……」
「悪いけど、フィック先輩は渡さないから」
俯いたままのマコを、ローゼが励ました。
「さ、進級しよ。魔法お願い」
……マコはうなずくしかない。
とりあえず、両手でグーを握って、ぱっとその手を広げて彼女に差し出す。その効果に、彼女は思わず笑った。口の中全体に、イチゴの風味が広がったのだ。
「じゃ、行ってくるね」
……そして飛び込んだ戦場で一人目のカカシを粉砕すると「楽勝!!」と叫んだ。
二十人、三十人……確かにローゼの戦闘力はすごい。
四十センチほどのステッキをくるくると回しながら、攻撃魔法の量産機の如く、さまざまな魔術を開放していく。身のこなしも冴え渡り、回転しながら角度を変えて襲い掛かる木製のカカシの連撃を見事にかわしていく様は、試験官たちも思わず感嘆の声を上げた。
しかしマコはつらい。ローゼの限界を、彼女はよく知っている。
四十人、五十人となって衰えていく様は前回と同じ程度であり、彼女の動きには、これっぽっちの増幅もないのは明らかだった。
そして、決定的に鈍り始めた六十七人目。カカシの振り回した腕が彼女を、数メートル先へと突き飛ばす。
「ローゼ!!」
マコ同様、身を乗り出すマルク。彼女は痛くて苦しいというより、息が切れて苦しそうに立ち上がる。
「平気でーす!」
声だけは元気だ。しかしそれが虚勢だということは一目にして瞭然である。
七十一人。先ほどまでの身軽さはもうない。全身を汗と泥に濡らして顔をしかめる女子高生。苦し紛れの雷撃が七十三人目のカカシをへし折ったが、彼女を一秒も休ませることなく、次のカカシが現れ襲い掛かる。
疲労の色もだが、肌の露出している部分の、アザや擦り傷も目立ってきた。七十四人。そして七十六人目で、彼女は頭をしたたかに殴られ、うずくまってしまう。
「もういいよ!!!」
泣いて駆け寄るマコ。マルクが停止の合図を出し始めたが、それを横目に挟んだローゼが「とめるな!!」と叫んで立ち上がる。
「もういいよ……ありがとう、ローゼ」
「近寄るな馬鹿。下がってなよ」
マコの接近を気にも留めずに追い討ちをかけてくる戦闘カカシ。しかし、目を見開き拳を握ったローゼが、手の平を返しながらそれを開く。地上から火炎が噴出し、木偶を一瞬にして焼失させた。
躍り出る七十七人目。一向に下がらないマコを心配してか、ローゼがやや戦場を変えようとする。
走ることなど一歩一歩がつらいだろうに、彼女は転げるように走り、カカシの注意をそらした。マコは、それを黙ってみていることしかできない。
涙が出る。とめどなく涙があふれる。自分の無力さ。なぜ……そうまでしてくれるのだ。彼女はあたしのことを嫌ってしまったのに。本来はあたしの戦いなのに……。
「とめるぞ」
後ろから小走りで駆けてきたマルクは言い、彼女は逡巡なくうなずいた。
カカシを止めるための印を結ぶ。しかし、その力を解放した瞬間、彼は唖然とした。
ローゼから、レジスト魔法がかかったのだ。つまり、マルクの魔法を、彼女は打ち落としてしまったのである。あのガンコさでは二発目を撃っても打ち落とすだろう。
「……ったく……」
マルクはため息を吐き、泣いてクシュクシュになっている少女を説得する。
「マコ、お前が止めるしかない」
「……」
「危険な状態だ。分かるな?」
「はい」
彼女は泣きっ面のまま再び彼女に向かって駆ける。そして、もはや膝の立たない彼女に覆いかぶさるように抱きしめた。
「ありがとう! もう、ありがとう!!」
その無防備なマコを護るかのように、彼女の傘の下からステッキが翻る。
八十人目の木偶は、まるで超重量物質になったかのように地面に這いつくばった。
徐々に圧壊していくカカシだが、まだ生きている。そのため、八十一人目が具現せずに時間が空く。その合間で、ローゼはくぐもった声を上げた。
「どいて……マコ」
「もういいんだよ! あたしこんなので進級したって……!」
「私には、これしかとりえがない……」
「え……?」
「私にとっては、アンタがライバルなの。アンタがいなくなったら、私も卒業まで行き着けるかわかんない……」
「どうして!?」
しかし、その質問を振り払うように、彼女は身体に鞭打って立ち上がった。八十二人目が具現化したのだ。
「自分で考えな。グズ」
「死んじゃうよ!!」
「じゃあ……ほんとに増幅、させてみろ……」
切れ切れに言葉を残して、彼女はまた飛び出した。ここではマコに被害が及ぶ。震える指で印を結べば、風がかまいたちとなって木偶を襲った。が、力のない一撃だ。カカシは構わずローゼに襲い掛かる。
マコは混乱した。ローゼはなんと言った?増幅の魔法?あたしが……?
増幅は難しい技術だ。対象の呼吸、魔力周波数、そのリズムが分かっていないと重石にしかならない。しかし……。
思えば二年間、二人はずっと一緒だった。彼女の呼吸は知り尽くしているじゃないか。
手順だけは知っている。だって勉強は誰よりもまじめにやってきたのだから。
彼女は仁王立ちとなり、印を結び始めた。ローゼはもう、今にも崩れ落ちそうだ。なんでもいい。もし彼女が助けられるなら魔法なんて使えなくなってもいい。
「お願い!!!」
印が完成する刹那、まばゆいばかりの光がつむじを巻いて、マコを、そしてローゼを包み込んだ。
「あ!!」
思わず声を上げるマルク。地鳴りと共に、中庭に強大なエネルギーが凝縮される。
さながら金色の鳳凰のような姿と化した光の螺旋は、教師達が呆気にとられる間もなく、考査会場全体を飲み込んでいった。
気がつけば、二人とも医務室で横になっている。二人が二人とも、同時に目覚めて顔を見合わせた。
「なんでアンタまで寝てんの? 戦闘カカシはどうなった?」
ローゼに言われても、マコにも分からない。気がつけばベッドの上なのだ。
体も思うように動かないのでしばらくそのままでいると、マルクが医務室の扉を開けた。
「どうだお姫様たち。気分は」
「大丈夫でーす」
ローゼ、死に掛けの顔をしてみせてピースサインを送る。マルクは笑った。
「まだ嫁にはいけそうだな」
「それは別の意味で不安でーす」
「さて……考査の結果だが」
マルクは仰向けに寝かされている二人の中央にたち、見下ろした。
「戦闘カカシの記録は八十二人」
……ローゼは伏し目となって、男と親友を視界から遠ざける。
「よく頑張ったといわざるを得ないが、戦いぶりから増幅が認められたとは言いがたい」
マコも、瞳を閉じた。
終わった……。
死んでもいないのに、自分の今までが走馬灯のように思い出される。魔法学校で過ごした二年間が……いろんな人に期待された入学前が……いくつも彼女の頭を駆け抜けて、いたたまれなくなった。
思い浮かべば、また涙があふれてきた。感情を表現するのが下手な彼女でも、今回のことではとめどない涙が抑えられない。
部屋を濡らす嗚咽をそのままに、しばらくの時間が流れ……それが落ち着くのを待っていたマルクは尋ねた。
「お前は、最後に使った力、何かを分かって使ったのか?」
「え……?」
彼は「だよな」と頭を掻き、もう一度向き直る。
「あれは『百三十号』っていう仮名がついた魔法だよ。自分の魔力と、それに共鳴する魔力をすべて吸い上げてエネルギーを撃ち込む決死の攻撃魔法だ。だから二人とも気絶した」
ドラゴンなど、人間個々の力では及ばない怪物に対抗するために考案されたものの、まだ確固たる手段が確立されていない代物で、現在も魔法学者達が躍起に研究を行っている。
「つまり、お前が見せたものは、高校の自由課題の範疇ではない。残念だが、アレに評価点をつけられる教師は、この学校にはいないんだ」
「そうですか……」
マコは相槌を打つしかない。泣きたいのだからもう放っといてほしい。
が、その落胆の裏側で、マルクは肩をすくめてみせる。
「だからしかたない。他の先生とも協議した結果、自由課題は合格とするしかない」
「……え?」
空気が、止まった。身体をきしませながら順々に上半身を起こす二人。
「増幅詐欺は考査への冒涜だが、お前がやったことは魔法の先進技術だ。誰も文句はいえんよ。その研究を進めてみろ。もし形になれば、学校としても鼻が高い」
二人は顔を見合わせた。
「じゃぁ……」
「三年に上がれ」
「……」
震える部屋。マコの瞳からボロボロと落ちる大粒の涙。ローゼの「やったぁぁぁ!!」という大歓声……。
興奮の渦は医務室を突き抜けて、少女達をまた、明日へと送り出したのであった。