真夏の女神を抱きしめて!
擬人化短編コンテストで落ちたもの
↓紹介文
イチゴ「暑中見舞い申し上げますね!」
翔「投稿したのは6月だけどね……」
イチゴ「あれ? でもあたしってもともとフォントの擬人化じゃありませんでしたっけ」
翔「あ、それ、開始早々他の人が発想してた」
イチゴ「危うく二万一千字になるとこでしたね」
翔「それをいうなら、二番煎じだね」
イチゴ「二番煎じは道路公団です!」
翔「それをいうなら、言語道断だね」
夏だ。
原色の青に、燦燦と輝く太陽の圧倒的な存在感。
最近では熱中症だなんだ騒がれ忌み嫌われる、容赦のない暑さに包まれて、翔は人を待っていた。
駅前広場の午前九時半。赤いレンガのデザインの椅子に腰掛けて、ひとり拷問に晒されている。
影を提供する木が申し訳程度に生えてはいるが、この状況、トラベルツアーとかに組み込んだら、キャッチコピーは絶対
『紫外線MAXの街の片隅でスルメの気持ちを味わっちゃおう!』
とかになるに違いない。
とにかく全身の水分が皆お空へと帰ってゆく姿を見送りながら、それでも家に帰らないのは、待っている相手が最近付き合い始めた彼女だからだ。
念願の彼女をゲットして二ヶ月。今日のデートは海の近くにある県営のプールであり、彼女の水着姿が拝めるとあらば、熱中症の一つや二つ、三つや四つ……。
「は……早く来ないかな……」
さすがに五つくらいになるとシャレにならない。予定時刻は過ぎた。早く来てくれないと、スルメじゃなくても温泉卵くらいにはなってしまいそうだ。
六つ目。
七つ目。
……それが八つ目くらいになった時、彼の背中にキンと冷えた声が覆いかぶさった。
「すみません」
振り返る翔。その清涼感溢れる少女の声は、耳に心地よかった。
が、見れば彼女ではない。
「え……」
立っていたのは青みがかった透明感のあるワンピースのフレアスカートに身を包んだ女性だった。
「やっと会えました」
ニコリ微笑む少女の肌は抜けるように白い。なにかの漫画からそのまま飛び出してきたかのようにかわいらしいが、一つ言える事は一と三分の二ミリメートルほども、その顔に覚えがないということだ。
「えと……」
しかし、向こうがこちらを知っていそうなのにこちらがどうにも思い出せない時、人は容易に「誰ですか?」とは聞けない。
おそるおそる、笑顔を作ってみる翔。
「ぁぁ……久しぶり……」
「あら、あたしが誰だかわかるんですね!」
コロコロと転がるような笑みを見せた少女は本当にうれしそうではある。だからなおさら彼はきょどった。
「え、えっと、あの……たしか、えっと、あそこで会ったよね?」
「どこですか!?」
期待に花が咲いている彼女。胸で手を合わせて身を乗り出すように彼のほうを見れば、翔は泡を食いながら、
「えっとあの……学校……」
な、わけはないことを言いかけて飲み込んだ。こんな娘がいたら即隅々まで知れ渡るであろう。それほどの美人だ。
「えと……公園?」
「公園では会ってないと思います」
「駅!」
「ちがいますね」
「山!!」
「いえ……」
「川!!!!」
「いいえ」
「っていうかさ」
どうしようもないので彼は話題転換に走る。
「前会った時もそんなに大きなスプーンみたいなの持ってたっけ?」
言うように、彼女は身の丈ほどもある巨大なスプーンみたいな形状のものを背中に袈裟掛けにしていた。
すると彼女はきょとんとして、
「あたしにスプーンがないと困りませんか?」
「え、困るの?」
「多分みんな困ると思います」
そう言ったまま、ニコニコしている少女。どうやらどこで会ったかの話題は忘れてくれたらしい。
「それで、あたしをどこで見つけてくれました?」
……全然忘れていなかった……。
「ちょ、ちょっとまって……」
翔はもう一度彼女を食い入るように見つめた。
こんな夏なのにまるで雪の世界からやってきたような涼しげな少女は、汗一つかいていない。
腰まである長い髪は根元が赤く、末端に行くにつれて銀というか白というか……どのようにブリーチを掛けるとああなるのか分からないが、見事なツートーンのグラデーションを描いている。
彼は記憶のすべてを総動員しようとした。
社会で覚えた歴史上の人物の名前をすべて忘れてもいい!!休み明けの実力テストの結果がすべて再試となってもいい!!……みんな!オラに力を分けてくれ!!!
「じゃあヒントです」
彼女は記憶の『なうろーでぃんぐ』で沸騰しかけている翔に笑いかけた。くるりと優雅に身を翻す。
それで……彼はさらにわけがわからなくなった。
回転した彼女からフワリと舞ったのは、キラキラと輝く氷の結晶だったのだ。
その様は確かに美しかった。
まるでダイヤモンドダストが彼女を星のように瞬かせたような光景。とてもこの世のものとは思えない。
しかし、会ったことある、ない、という観点で言えば、これは
『会ったことがあるわけない』
に属して間違いないのではなかろうか。そもそも人間ができる所業では……、
「わかった!! 大道芸大会のマジックショーで会った!!!」
「会ってません」
「……」
一瞬、手品師かと思ってもみたが、あっさり覆される。
「ごめん……本当は覚えてない……」
観念するしかなかった。
すると少女はにこりと微笑む。
「心配なくて大丈夫です。初対面ですから」
「初対面かい!!!」
瞬間、あらかた捨て去った日本史の知識をかき集めだす翔。
「それならそうと早く言ってくれよ。夏休み明けの実力テストって結構大事なんだぞ」
「それはごめんなさい。だって、あたしのこと覚えてるなんていわれたらうれしくもなります」
すると……なんだ。この初対面の手品少女はなんで自分に声をかけてきたんだ?
当然巻き起こる疑問。そして当然導き出される答え。
「なんかの勧誘?」
「勧誘じゃないです」
「ひょっとして"レンタル彼女"ってヤツの営業?」
「なんですかそれ……」
「そもそも僕、お金ないから」
ナップザックを開けても水着と昼飯代くらいしか入ってない。
「お金ってあの鉄と紙ですよね。あんなのいらないです」
「じゃあなに?」
さすがに少し気味が悪くなる。この状況で「好きです! 付き合ってください!」などという奇跡は、今どきどんな三流小説でもあるまい。
翔は可能性を一つ一つ潰しながら、彼女の返答を待った。
少女は、満面の笑みを湛えて、ベンチに座る翔を見下ろしている。その髪が少し動くたびに、キラキラ光る氷の結晶が舞って涼しげな空気を伝えてきてくれて癒やされる。
こんな猛暑には隣にいてくれるだけで天使のように思えるが、とにかく、そのような人間離れした美人が、自分にピンポイントに、何の用事があると言うのか。
勧誘でもない。営業でもない。いきなり「付き合ってくれ」みたいな安易な設定でもないとすると!!!
「好きなので、付き合ってくれませんか?」
「……」
……どうやらこの物語は三流以下だったらしい。
「付き合う……って?」
「まず、一緒に遊びにいきましょう」
「え、えっと……」
その上で、彼は一瞬本気でどう返答するか迷ってしまった。
奇跡じゃないか。如何に四流小説が与えてくれたキマグレでも、駅で座っていたら飛び切りの美少女に「付き合ってくれ」と頼まれるシチュエーションをこのまま見逃していいものだろうか(いや、よくない)。
いやしかし……二つ返事ができない理由として、彼には一人の同級生の顔が浮かんでいる。
ゆでたての卵のような恋愛が始まったばかりなのだ。やっと付き合いだした彼女のすべてすべてが真新しいし、傷つきやすくやわらかい。
それが、今まさに、この場所に姿を現そうとしているわけで。
目の前の奇跡は、熱中症八つ目のめまいが見せている夢と言い聞かせるしかなかった。
「僕……今付き合ってる人いるから」
彼はやすりの上を這うようにその言葉を吐き出す。
「え……」
「今、彼女を待ってるんだよ。だから悪いけど……」
「だって、せっかく暑い日を選んできたのに……」
意味不明の事を言い出す彼女。
「今日一日だけでいいんです」
「どういうこと?」
「詳しくは言えないです」
言えば去らなければならない。そういうルールがある。
「お願いします。あたし、やっとこの姿で現れることができたのに……」
「でも彼女が……」
「じゃああたしが彼女さんに頼んでみます」
「やめてくれ」
それはリスクが高すぎる。いろんな意味で。
娘はつらそうな顔をした。
「あたしに時間をください。このまま戻ることになったらあたし……かわいそう過ぎます……」
「どういうこと?」
……しかし、その答えは聞けなかった。
「翔ーー!」
手を振って、小走りに駆けてきたノースリーブ姿の彼女の名は、真昼という。正午のチャイムと共に生まれたから真昼だそうで、名の通りのはつらつとした娘だ。
「や、やあ」
対して歯切れの悪い翔。当然といえば当然で、今、絶賛愛の告白を受け途中である。
「さ、行こ」
しかし真昼は隣に立っている少女が見えないかのように彼に笑いかけた。
翔も、立ち上がろうとする。しかし、その前に、抜けるように白い肌の少女が真昼の方へ声を発した。
「すみませんが、今日一日、彼を譲ってくれませんか?」
「ハァ?」
「今日は彼はあたしと遊びます」
「何言ってんのアンタ」
「一日でいいんです」
「無理に決まってんじゃん。なに言ってんの」
「だってそうじゃないとあたしがかわいそう過ぎます」
「翔、なにこのフシギちゃんは」
「いや、えっと……」
振られても困る。
「行きましょう? 翔さん」
「勝手に一人で行きなよ。翔は私とプールに行くの!」
あぁ奇跡。
困り果てながら、翔は目の前で起きている奇跡に酔いしれる。
(僕のために争わないで!!)
「何ヘラヘラしてんのよ!」
瞬間、何かが破裂した音がして、次の瞬間には"僕"の脇にオートマチックマグナムの弾丸が突き刺さった。
「わぁぁ! ごめ~~ん!!」
それを目の当たりにしたワンピースの少女は眉をひそめる。
「翔さんに危害を加えるのはやめてください!」
「当てなければいいのよ!!」
「撃っちゃいけないんです!!」
「持っちゃいけないんだよ!!!」
翔も叫んでみるが、彼女は聞いてくれたそぶりを見せない。
「アンタもおとなしくしないと痛い目見るわよ」
真昼が少女に銃口を向ければ、さすがに翔も慌てた。
「わぁぁ! 待って!」
「放っといて翔。四条河原家の恐ろしさを分からせてやるの」
女子高生が白昼堂々、人も雑多な駅の前で女性に銃を突きつけている時点で充分恐ろしさも分かりそうなものだが、対する少女は意外にも微笑みを浮かべていた。
「これって、この国の法律では専守防衛っていうんですよね」
何か違う気もするが、彼女は銃口を突きつけられながら、空に向けて両手を大きく広げる。
そして、何かを集めて落とすような動作をした。
真昼、危険はなさそうだと微動だにしないが、彼女の頭上に突如魔法陣のような複雑な紋様が現れ、空が切れる。……かと思いきや、大量の氷の粒が、まるでバケツをひっくり返したかのように彼女に降り注いだ。
「うぎゃぁぁぁ!!!!」
それはあれよという間に彼女を覆い隠し、真夏の昼の駅前に人一人がすっぽり入る大きさの円錐状の氷山となって積み上がる。
おまけに魔法陣からは赤い雨が降り注ぎ、氷山を紅く染め上げた。
「さぁ、今の内に逃げましょう」
「え、え、え!? ちょ、ちょっ!! うわ!! 冷た!!」
氷のような冷たい手に手を引かれた翔は、引きずられるようにその場所から消えていった。
後には奇怪な円錐状の氷山が一つ。
しかし、それはある意味、夏の日本の風物詩である、ある食べ物によく似ていた。
容器いっぱいの雪のような食べ物。欲張って食べるとこめかみの辺りが痛くなるキンキンに冷えた氷菓……イチゴ味のカキ氷が、真夏の駅に涼しげな彩を添えている。
この少女、実はカキ氷妖精という妖精で、名を『イチゴ』という。
みぞれ、レモン、イチゴ三姉妹の末娘で、日本の八百万信仰の一端を担った、ある意味神に近い存在だ。
ちなみに、兄妹でないだけでフレーバーの数だけ娘は存在するので、メロンとかコーラとか、果ては梅酒(妖精の名はウメという)やブルーハワイ(妖精名はアオイという)まで多種多様だが、いずれにしても氷と共に生きる夏の妖精として、人知れず存在している。
一応神なのでそうそう簡単に人として現れることはできないのだが、この度、イチゴのたっての願いでその機会を得ることができた。
「なんで?」
妖精たちの住むところ。姉のレモンが遠足の前の日のように浮ついているイチゴに降臨の理由を尋ねた時、彼女は変わらず笑顔だった。
「ある男の人に会いに行きます」
「だから、それがなんで? って……」
「その人はカキ氷が大好きなんです」
「よくそういうこと知ってるね……」
「……なのにその人は、生まれてから一回も、イチゴ味だけは食べたことがないんです」
「よくそういうこと調べるね……」
「イチゴのカキ氷のよさを知ってもらうのに、あたしが頑張るべきだと思うのです」
「よくそういう発想に至るね……」
八百万の神は多くの場合、存在しているだけである。ものを大事にしないと"つくも神"といって、人を脅かすこともあるにはあるが、わざわざ興味のない人間の啓発活動を行おうとする物好きは滅多にいない。
「カキ氷妖精として立派に仕事してきますね」
……そういう経緯がある。
イチゴはだから、計画した。
カキ氷にはイチゴ味もあって、それはそれはおいしいことを知ってもらう計画。
まず、デートだと思った。手を繋いで二人で歩いて……自分のよさを知ってもらう。そして昼ごはんはイチゴ特製のイチゴのカキ氷。
たくさん遊んで、夜にはいい雰囲気になって……
(そしたらきっとイチゴ味も好きになってくれます)
確信を持って今、彼女は彼の手を引いて路地を抜けた。海の見える坂道だ。とりあえず"手を繋いで二人で歩いて"、は、クリアである。
「もういいだろ……」
息を切らして膝に手を置く彼。
「ペースが速かったですか?」
「そういう問題じゃない」
彼は荒い息が落ち着くなり、彼女に詰め寄った。
「真昼はどうなったの!?」
「真昼ってさっきの女の子ですか?」
「そう」
「あれはただのカキ氷ですからすぐに脱出したと思います」
「カキ氷?」
「はい、何か不審な点でも?」
「……」
どこに不審じゃない点があるというのだ。
「カキ氷を出したのはキミ?」
「はい」
「どうやって?」
「こうやって……」
彼女は手を空高く広げる。
「こうです」
それを集めて落とすしぐさをすれば、翔の脇に、ササァと涼しげな音がして、カキ氷の山が形成された。
「おいしいですよ。食べてみてください」
「いや、普通にムリだろ」
「え? 何でです?」
……急に空から降ってきた得体の知れないカキ氷だ。確かにこの暑さの中でのこの光景はとても魅力的ではあるが、これを何の躊躇もなく食べられる程、彼も無防備ではない。
「翔さんはカキ氷大好きですよね?」
「何で知ってんの?」
「それはいえませんけど」
「……」
怪しすぎて、このようなかき氷を食べたら洗脳とかされてしまいそうだ。
「キミがどんな人なのか僕はよく知らないけど、一つだけいいたいことがある」
「はい、なんでしょう」
「真昼には謝っておいた方がいいよ。キミは知らないかもしれないけど……」
彼女の名前は四条河原真昼。条河原コンツェルンの一部門を担う社長の娘であり、何とどういう癒着があるのか知らないが、見たとおり、堂々と銃を携帯しているように、あの一族には一種治外法権が働いているように思える。
あんなことをして、報復に何が飛んでくるかわかったもんではなかった。
現に……彼は奇怪なプロペラ音に顔を上げた。ヘリである。それも、一般的に飛んでいるような生易しいものではない。攻撃ヘリと呼ばれる対地上兵器が突如、巨大な影となって二人を覆い隠したのだ。
ヘリには機外マイクがついているらしい。乗組員の声が降り注ぐ。
「真昼お嬢様からの達しである。すみやかに男子を解放せよ。さもなくば攻撃もやむなし」
「ちょ!!」
開放されなくば攻撃もやむなしということは、開放されない場合、アレから何かが飛んでくるというのか。
「僕も死んじゃうよ!!」
いや、彼女だけならいいと言ったわけでもないのだが、彼はついそんな言葉を叫んでいた。
一方その隣でイチゴのほうは平然としたものだ。ヘリを見上げ、
「こういうのをサルベージっていうんですかね」
「多分違うーー!!」
その間にもヘリからは警告が飛んでくる。
「後十数える間に男子を置いて十歩後退せよ。繰り返す……」
「あの、あたしからも警告していいですか?」
「警告……?」
マイクから素っ頓狂な声が返ってくる。
「後十数える間に帰ってくれないと、そのヘリコプターは墜落します」
言って微笑む。この場面になんとも似つかわしくない少女の笑顔に、ヘリの乗組員は動揺した。
「何を馬鹿げたことを……」
「三」
「いきなり三からか!!」
「二」
「ちょっとまて!!」
「一」
彼女はおなじみとなった、両手を空に広げる動作をする。そして何かをかき集めて落とすと、攻撃ヘリの主軸ローターの動きがみるみるうちに緩慢になった。
「ええええええ!?」
間もなく、地面と機体が接触する大きな音とローターがへし折れる音が坂道に鳴り響く。高度があまりに低かったためにパイロットも無事のようだが、そんな安否を確認するでもなく、イチゴは翔に「行きましょう」と海のほうを指差した。
「な……なにをしたの……」
もはや翔はついていくしかない。攻撃ヘリを墜とすような得体の知れない女にみだりに逆らうことは自殺行為であった。イチゴは笑顔で答える。
「ああいうのを動かすのってエジソンって言うんでしたっけ」
「エンジンね」
「ああいう機械はそこにカキ氷を詰め込んじゃうと動けなくなります」
「……キミって、何者なの……?」
「それは言えないことになっています」
彼のために一日だけ現れることを許されたカキ氷妖精。笑顔に揺れる赤から白へのグラデーションの髪が、真夏の太陽の光を浴びて美しく輝いている。
「翔さんは、イチゴは嫌いですか?」
浜辺を行く二人。夏休みの海岸は人も多いが、この海岸に限っては足の踏み場もないほどの人数ではない。時にパラソルやレジャーシートを避けながら、二人は並んで歩いている。
彼もいつの間にかすっかり毒されて(?)隣を歩く違和感を忘れていた。イチゴはとっても満足……上機嫌だ。
「イチゴって、あの、食べるイチゴ?」
「はい」
「好きだよ」
「えぇ!?」
イチゴはほんの少し背の高い翔を見上げた。
「イチゴ好きなのにイチゴのカキ氷は食べないんですか!?」
「何でそんなこと知ってんの!?」
「"弘法も筆の誤り"っていうのと同じです。みんな知ってます」
「意味わからんーーー!!」
「それより、なんでなんですか?」
「そりゃぁ……」
彼は、イチゴは好きでもイチゴ味は好きじゃないのだ。
「何が違うんですか!!」
「全然違うだろ!!」
例えばトマトが好きでもトマトジュースが好きとは限らない。コーラが好きなほどコーラ味はコーラではないと思う。よく言われるイチゴ味は、断じてイチゴではないのだ!!
「えぇ……」
消え入るような声を上げるイチゴ。
「昔イチゴ味のコッペパン食べたんだけど、アレで二度とイチゴ味は食べないと決めたの」
「えぇぇぇ……」
なんと早まった決断なんだろう。彼女はすがるような目をした。
「おいしいですよ……? イチゴ味」
「あの味はキモい」
「ちょっと食べてみませんか……?」
「断固拒否」
「きっと食べたら抱腹絶倒っていうのだと思いますよ」
「絶対にそれ意味違う!!」
その時、砂浜を俯瞰できる建物の屋上の金属が、キラリと太陽に反射した。
「危ない!!」
イチゴが反射的に翔を突き飛ばす。その身体を、何かが貫いた。
一瞬、小さな帯を描く氷の結晶。貫かれた場所から小さく吹き出した氷の帯が、銃弾が貫いてしぶきが飛んだ跡であったことを、翔はしりもちをついた状態で知った。
「わぁぁ!!!」
実際の狙撃現場などは見たことがあるはずもないが、地面に転がった銃弾を見て、彼女に飛びついた。
「大丈夫!!?」
間抜けな質問をする。が、返答はさらに間が抜けていた。
「平気ですよ。カモノハシに噛まれたくらいです」
「どの程度やねん!!」
どうやら妖精は銃弾くらいでは平気らしい。が、翔は知る由もない。
「とにかく逃げましょう。真昼さんってすごいですね」
……まったくだ。普段はちょっと気が強いだけのいい子なのだが、この嫉妬深さ(?)はさすがにヤバイ。
翔が急いで立ち上がると、イチゴは再び彼の手を取って走り出した。
真昼の攻撃は執拗だった。
その追い詰め方はまるでハリウッドのアクション映画のようだ。銃弾がかすめたと思えば逃げ込んだビルは立て続けに爆破され、トラックに轢かれそうになりながらも地下道に飛び込めば、いつ設置されたか見当もつかない、槍が飛び出す仕掛けに襲われた。
「真昼に謝ろう!!!」
今しがたまた爆破があり、瓦礫と化した地下道の一角で、立ち往生をする二人。
袋小路に追い込まれて男は泣き出しそうだが、彼女は諦めない。
「あたしにはもう時間がないんです!」
謝れば彼のことは取り上げられてしまう。まだ彼には何も伝えていない。イチゴのカキ氷を好きになってもらうどころか食べてもらってすらいない。
ちなみに、周辺住民も悲鳴を上げながら逃げ惑っているが、構ってる場合ではなかった。
「翔さんは、真昼さんと結婚するんですか?」
「……」
この状況で「うん」と言える男はいるのだろうか。
実際、この嫉妬深さ(?)を除けばかわいげのある性格だし、容姿もくっきりとしているのだが、命がいくつあっても足りないかもしれない。
「まぁ……」
イチゴは笑った。
「いいえって言ったら逆に死なせてくれないかもしれませんよね」
「……」
どういう意味かは分からないが、ニュアンスだけでひたすらに怖い。
「僕……このままキミと逃げた方がいいのかな……」
「あはは」
イチゴは満面の笑みだ。
デートの計画は大幅に狂ってしまったが、これはいい雰囲気になってきたと言えるのではないだろうか。
……そんな勘違いに胸を躍らせていたイチゴの耳が遠くの音を拾う。
逃げ惑っていた人々は塞がった道とは逆の方へと逃げたが、当事者である二人はそちらにいけば相手に鉢合わせてしまうことがわかっている。うかつに動けないままでいた。
そんな折、近づいてくる一団の足音を、この妖精の耳は拾ったというわけだ。
遠くから聞こえる女性の声は真昼に間違いなく、彼女は今、多人数を引き連れてこちらに向かっているようだった。
「……やっぱり、逃げ切れないですね」
さっきは強がってみたが、冷静に判断すればそうだ。
神に近い存在とはいえ、人間の世界で多くのことができるわけではない。世界を破壊する力どころか、空も飛ぶこともできない。
ただ、カキ氷を発生させる力だけ……それが彼女にできる、唯一のことだった。
「たぶん、こういう状態を絶対死亡っていうんですね」
「絶体絶命だと思う……」
「あたしはちょっと意外なんですけども……」
妖精は微笑った。
「翔さんは、よくここまでついてきてくれましたね」
五分とあけずに振りかかる猛攻にすべて逃げおおせたのは、彼女が銃弾に貫かれても死なない妖精だからではない。
彼が進んで逃げてくれたからだ。
手を取り合って、時に力を合わせて、ここまで逃げてきた。
そんな彼もわずかに笑む。
「まぁ、初めはちょっと怖かったからだけど、キミがあんまりに一生懸命僕を求めてくれるから……」
その答えは、なぜか彼女を満足させたらしい。えもいわれぬ表情を見せたイチゴの雰囲気が、フワリと軽くなった。
「よかった……」
「キミは本当に何者なの?」
「……」
彼女は何かをいいかけてやめ、別のことを言う。
「……言わなければ、また会うことができます」
彼女は両手を高く空へ掲げ、何かを集めるようにその手を下ろす。
魔法陣からは大量の氷がかき出され、山となって二人の前に積もる。その上に赤いシロップが降りかかれば、氷山は堂々としたイチゴのカキ氷となった。
彼女はもう一度微笑む。
「今日は帰ります。またきっと会いましょうね」
そして彼女は、カキ氷の中へ、溶けるように消えていった。
「はあっ!?」
妖精たちの住むところ。金髪が美しいカキ氷妖精、レモンは驚愕をこめて彼女の報告を受けた。
「それで帰ってきちゃったの!?」
「はい」
イチゴは相変わらず、満面の笑みを湛えていた。
「だって普通そこまで行ったら最後の戦いがあって、決死の覚悟の中で愛が芽生えて、大逆転劇を経て愛を分かち合ったりしない!?」
「え? そんなの必要ですか?」
だって、今日一日、二人は濃厚な時間をすごした。そりゃ、ちょっとは変わった時間だったかもしれない。でも、彼は自分が彼を求めたことを分かってくれたのだ。
「だからきっとイチゴのカキ氷もいいんだなって、翔さんに伝わったと思います」
「いや、それ、絶対分かってないと思うよ」
「え?」
「アンタ、どう考えてもすっごい中途半端なところで帰って来てる」
この末妹の思考回路にはいつも苦笑いだ。
「大丈夫。続きはまた……会いにいきますから」
「それまでにアイツが殺されてなければね」
「大丈夫ですよ。ボーイズビーアンビシャスです」
「意味分からんわ」
あのタイミングで去ったのは、彼女にも彼女なりの考えがあった。
多分あの場に自分がいたら、彼は自分のことをかばうだろう。
そのほうが殺される可能性があると、イチゴは思った。彼一人ならきっと大丈夫。
「まだまだ暑い日は続きます。翔さんはきっとイチゴのカキ氷も食べてくれると思います」
「……ただトラウマになっただけな気がする……」
「そんなことないですよ、あたしと一緒に逃げたいくらい好きになってくれたんですから」
「う、うーーん……」
そんな彼女の無邪気さを、この黄色い姉は呆れて 唸ってごまかすしかない。
ともあれ、人知れず、物には神が宿っている。レモンのカキ氷にも、イチゴのカキ氷にも……。
彼女らはなかなか人間たちの前に姿は現してはくれないけれども、暑い最中に白銀に輝く氷の存在……色とりどりのフレーバーに彩られた七色のカキ氷を、頭をキンと痛めながらおいしそうに食べてくれることを、彼女らはいつもどこかで見守っている。