召喚魔法は上上下下……!
日帰りファンタジー(異世界に日帰りで行き来できるものという定義らしい)コンテストで落ちたもの
枯れ木のように細く長い指に光が灯る。人差し指、中指、薬指、小指……そして親指。
魔王グランザムの魔力が臨界に達し、突き出された指の間で破滅の旋律を奏でている。
あれ一つ一つが大地を揺るがす威力だ。しかしその強大さゆえに、力の解放までに一瞬の間があり、その刹那が反撃の糸口でもあった。
「フェルメイル・サヴァルティン・ニェサ・クェス……」
グランザムよりはるかに小さき者。類まれなる才能を背景に大魔術師まで登りつめた少女サルメラの呼吸が極大魔法の詠唱へと変わっていく。
完成はグランザムが早い。開放される一撃目。地獄をも舐め尽くさん勢いの劫火が少女に襲い掛かる。
しかし彼女にはあらかじめ発動されていた大結界がある。津波のような炎の帯は透明の壁にせき止められて停滞した。
ニ撃目、地上を覆うような電撃を読んでサルメラは跳躍。
高い。地球の物理法則ではありえない大跳躍が彼女と魔王の視線を対等なものにする。
三撃目、その跳躍を追うように放たれた光のつぶてを、自らのマントを翻すことによって無効化し、四撃目の青い衝撃波を瞬き移動で回避した彼女の両手が光る!
「フォンブレマール・ヴァチュール……きゃぁぁぁ!!」
……しかし、魔王の最後の一撃は、今まさに放たれようとした極大魔法ごと、画面すべてを覆いつくして彼女を飲み込んでいった。
「ハァ……」
俺は糸がぷっつり切れてくしゃっと倒れ込んだ操り人形のように脱力した。
「無理だろこれ……」
強すぎだ。勝つためにはコントローラーに当てる指が十四本くらい必要な気がする。
画面の向こうには、何食わぬ顔で街に戻って風景を眺めているサルメラがいて、俺の部屋にはのどかな街の音楽が流れていた。
このゲーム、『CHAOS OF "RINNE"』はPSG4で現在人気の3DアクションPRGだ。
エルフなどの亜人も含めた人間たちの世界を、『六道』と呼ばれる六つの世界が取り巻いていて、それぞれに相容れない魔族の王たちの存在があり、彼らのパワーバランスを守りつつ世界に均衡を保っていく……といった内容の冒険ゲームである。
並みいる魔物を全部やっつければいい、というわけではないのがこのゲームの特色で、話の展開次第でどの敵とも戦えるし、どの敵との戦いも回避できる。しかしだからこそ、通常では絶対にかなわない相手も普通にいる。
たとえば今しがた玉砕した『惷獄の王グランザム』もその一人で……彼に挑んで灰と散ったプレイヤーは数知れず……。
いや、このゲームは課金制で武器や防具を強化できるから、つぎ込む金次第では勝利も見えてはくる。……のかもしれないが、ろくに金のない学生の俺としてはそれは避けたかった。
「なんかないのかな」
裏技でもチートでも、何でもいいんだけどグランザムを倒してしまう方法……。
勝利が困難な分、ヤツを倒すといろいろおいしい。その後の展開がだいぶ有利になるアイテムを落とすため、ここは押さえたいんだけど……。
インターネットで検索してみても、ドヤ声(?)で攻略した実況動画はあれど、抜け道をするするっといけそうな情報には巡り会えない。まぁ、ないのだろう。
あるいはサルメラが不利なのか?……俺は今さら感漂うキャラ選択の浅はかさを感じた。
選べる主人公は八人。
俺がサルメラを選んだ理由は、彼女を選ぶ男の百二十割がそうであるように、全キャラ中一番かわいらしいからだ。
ファウという種族、エルフと同じ妖精族にあたる身の軽そうな少女で、さっき言ったように類まれなる魔力の持ち主である。風に加護を得ているため、長い髪がつねに風をまとって揺れているのが神秘的だ。
ゲームの雰囲気がリアルよりもメルヘン、かわいらしさを追求しているため、彼女はおよそ四頭身しかない。それがいちいちコミカルに動くわけだから、そりゃカワイイに決まっていた。
だから騙される。
彼女を選ぶプレイヤーが多いということは、ゲーム会社としては彼女の課金アイテムは多く売れるということだ。個体がやや弱く設定されていても、それを補うべく重課金をするプレイヤーが続出する。
つまり彼女を本当に強くするためには札束というの名の『愛』が必要なのだ。ぶっちゃけ、俺のような貧乏人が手に負えるキャラではない。
「うーん」
途方で日が暮れる。今からゲームをやり直すのはあまりに酷だし、そもそも画面を舞っているのがサルメラだからここまでモチベーションが保ててる。……とはいえ、『愛』をはぐくむ元手もない。
俺は再びコントローラーを手にとって画面を眺めた。
なんかないのか。そういえば古の裏技に、コントローラーにある一定のコマンドを入力する方法があったことを、ひょんなことから知った。
何かに期待するわけじゃない。しかし、今日もう一度あの魔王に挑戦する気力はない俺の指が、なんとなくその伝説のコマンドを叩きこんでみる。
上上下下左右左右BA
もちろん何も起こるはずはない。……はずだった。
ところがところが現実は小説より奇なり。「ぽゆーん」っていう聞いたこともない効果音がしたその次の瞬間、俺は背中から声をかけられたのである。
「だめなのーー!! そのコマンドはご法度なの!!!」
その声に俺は振り返る前からぎょっとした。聞き覚えのある、今の今、聞いた悲鳴と同じ声。ばっと振り返ればそこには四頭身の妖精が立ってるじゃないか。
「誰だ!?」
分かっていながら聞かずにはいられなかった。だってアリエナイだろ?……こんなことが許されるのならもっと別ゲーの八頭身の美女を呼び出すし!
「……あたしのこと引っ張り出しといて、すっごい失礼なこと考えてる?」
「考えてません!!」
心を見透かされたようで、硬直してしまう俺。
飾り気のない緑のローブを着ている少女の薄紫色のロングヘアが、風もないのにさらさらと揺れている。信じられないけど、風の加護を受けて精霊が取り巻いている証拠であった。
「サルメラ……?」
「うん」
背丈は幼稚園に行く前の子供くらいだろうか。顔なんてものすごく幼くて、現実に飛び込んできた分の補正はあれど、画面向こうのサルメラそのままだ。かわいらしすぎて、十人中八十人が誘拐を企てるであろうコトは間違いない。
「あなたは?」
「俺は……友哉」
ちなみにこんなでも設定上は高校三年の俺と同い年。IQなど普通科中レベル高校にいる俺なんて足元にも及ばない。
「とにかくダメなの。さっきのコマンドはゲーム界ではタブーなんだから」
じゃあ友哉、あたし帰るね。小さく手を振る彼女の身体が蒸発していく。
何が起きてるかわからない。これが白昼夢ってヤツなのか……?
静寂の戻った部屋。スピーカーからは相変わらずのどかな街の音楽が流れ、それ以外は虫の声ひとつしない。
まるでキツネに化かされたように呆然とコントローラーを握ったままの俺だが、次にやることに迷いはなかった。
上上下下左右左右BA
ぽゆーん
「だからダメなのーー! そのコマンド入力しちゃダメなのーーー!!」
再び目の前に現れるちっちゃな魔女。本当に夢ではないらしい。
「ほんとダメだよ? あたしの仕事はあの画面の中だけなの」
消えるサルメラ。俺はすかさず上上下下左右左右BA。
ぽゆーん
「あなたには耳はないのーー!? こんなところにいたらバスターの本分がまっとうできないの!!!」
帰るから!!……さすがにちょっと怒り気味だが、全然迫力がなくて逆にかわいらしい。
俺は迷わず上上下下……(以下略)。
しかし、四度目はやや事情が違っていた。画面から俺の耳をかすって、部屋の窓から何かが家を飛び出したのである。
「いけない!!」
それと共に現れた少女の声が金切り音を上げた。
「ほら! セヴァントロスまで来ちゃったの!!」
「え!?」
セヴァントロスは雑魚モンスターの一種だ。大鷲サイズの翼竜であり、腹をすかすと獰猛になる。
「街で暴れたら大変なことになるの! 追いかけて!」
「えぇ!?」
そう言われても、原付の免許すら持ってない俺の交通手段は自転車しかない。
「じゃあその『じてんちゃ』で追いかけて! あたしも連れてって!」
説明時の滑舌が悪かったのか、サルメラの中で自転車がじてんちゃになる。
それはともかく、俺も並々ならぬ事態だとは思った。
さっき俺はセヴァントロスを『雑魚モンスター』と言ったが、冒険初期に出遭って勝てる相手ではない。今のが本当にセヴァントロスだとしたら、街にいる丸腰の一般市民には危険すぎる。死者でも出ようものならメディアはこぞって緊急ニュースを打ち上げるだろう。
「こっちの世界でも戦えるの!?」
反射的にそんな質問をする俺。
「あたしこれでも魔王と対決する魔術師なの!」
つまり戦えるということなのだろう。同じスピードじゃ走れないであろう彼女を抱き上げ部屋を飛び出すと、ママチャリのカゴに乗せて走り出す。
十キロにも満たないその身体に、チャリカゴはジャストフィット。網に掴まる彼女は「右!」と叫んだ。
界隈は閑静な住宅街だ。
平日の昼間、人通りは多くない。俺にとっては庭のような場所なので、セヴァントロスの背中を追って、抜け道も含めた最短距離を走る。
それにしても久しぶりの運動だ。目の前の妖精に尻を叩かれるようにして、必死にペダルをこいでいる俺の太ももの筋肉が、早くも悲鳴を上げ始めた。
「もう無理ー!」
立ちこぎで息も相当上がってる。俺はひっくり返りそうな声でサルメラに訴える。
「まだ走んなきゃダメ!?」
が、振り返る彼女の視線が冷たい。
「友哉はよくあたしに全力疾走させたまま、魔法連発させる」
「う……」
「普段あんなにコキ使うのに、「まだ走んなきゃダメ!?」はいけないと思うの」
「そんなこといわれてもー!」
……しかしその甲斐あって、俺たちは低空を優雅に飛ぶセヴァントロスの後姿を捉えることができた。
確かにゲームで見た翼竜そのままだ。本気で人を殺すから、繁華街まで飛ばれたらえらいことになる。
「もうちょっとだからがんばって!」
言いつつ、彼女はどこからともなく右手にステッキを取り出した。左手でカゴをつかんだまま、ガタガタと揺れる『じてんちゃ』の上で文を呟きステッキを突き出す。
「ファイアクラッカー!」
刹那、俺は目の前のカゴと少女に熱気を感じた。らせん状に立ち昇った紅い空気が、火炎球となって翼竜を追う。
(マジか……)
ファイアクラッカー……点を狙うものではなく、広範囲に火花を散らして、牽制効果を狙うものだ。ゲームではおなじみだが、まさか自分の街の空でこの赤い火花を見ることになろうとは思いも寄らなかった。
「ギャァァ!」
腹を焼かれたセヴァントロスが嘶きと共に振り返る。その目からは感情の変化を窺い知ることはできないが、……って、こっちに飛んでくるぞ!
「ちょっ!!」
びびって握力いっぱいにブレーキをかける俺。そのせいでアルファルトとタイヤのゴムがこすれる音がして、
「きゃぁ!!」
サルメラが慣性に負けてカゴから投げ出された。
「サルメラ!」
数メートル先に転がる妖精。迫り来る翼竜。どうしたらいい!?
……もはや脊髄反射だった。俺は自転車を乗り捨てて彼女を拾い、翼竜の降下直線から外れた路地に飛び込む。間一髪、翼竜は倒れた自転車を撥ねていった。
「ごめんサルメラ、大丈夫!?」
「いたい……けど大丈夫なの!」
アスファルトに叩きつけられたわりにどこからも血を流していない。擦り傷さえも見受けられないのだから受身を取ったとかそういうことでもないのだろう。ゲーム内で一撃をくらって血を噴き出したり、血を滴らせながら戦う勇者がいないように、彼女には出血というもの自体がないのかもしれない。
っていうかそれどこじゃない。旋回して再び獲物である俺たちを見定めるセヴァントロス。
「友哉。どうすればいい……?」
「え? 俺?」
「あたしはいつも友哉の判断で戦ってるの。友哉が出してくれた指示はどんなこともやってみせる」
そうか。俺は一点、翼竜を凝視したまま台詞を吐いたサルメラの横顔を見た。
俺たちは別々だけど一心同体なんだ。
本当に会ったのは今日が初めてでも、俺たちの付き合いは長い。俺はこの大魔術師を誰よりもよく知っていた。
「セヴァントロスは降下体勢に入ったあとは上昇まで必ず同じ経路を飛ぶんだ。そのラインにいると攻撃をくらってなお突進してくるタフさがあるんだけど、タイミングを計ってジャンプで避けた後攻撃を打ち込めばそんなに怖くはない」
「攻撃はなに?」
「アレでいこう。ライトニングボルト」
「わかったの」
サルメラが路地から飛び出し、自分に注意が向くように小魔法を一つ打ち上げる。セヴァントロスはその挑発を受けて、小さな妖精を睨みつけた。
仁王立ちの少女。呪文の詠唱はライトニングボルトのものだ。"曲がる光の魔法"と呼ばれるように、光が目標に向けて弧を描きながら追尾する便利なものだが、問題は照準を固定するまでに少々時間がかかること。今も彼女はひらひらと進路を変えて飛ぶ翼竜に吸い付いたように視線を動かし、必中を期している。
徐々に円周を縮めながら狙いを定めるセヴァントロス。奇声を発して、一度降下してから真直線に彼女を目指す。大鷲ほどの大きさしかない……とはいっても、サルメラ自体が一メートルもないのだ。彼女にとっては十分に巨大である。地を這うように飛んでくるその突進が怖くないわけはないが、彼女は気丈に翼竜を睨みつけながら文の詠唱を続け、進路変更できないギリギリのところまでひきつけた。
(危ない!!)
叫びかけた瞬間、彼女の足が大地を蹴る。翼竜が今の今までいた場所を通過して、彼女はそれを数メートル上空で見下ろしていた。
翻る身体。竜の背中を追った視線が魔法の完成を告げる。
「ライトニングボルト!!」
ステッキから放たれる放電を帯びた光の帯。異変に気づいたセヴァントロスは急上昇して回避しようとするが、一度照準を決めたライトニングボルトは止まらない。
熱した飴細工のようにぐにゃりとその軌道を変えると、ばたつく翼竜を執拗に追い、追いついてこれを貫いた。
「やった!」
サルメラはたとえ自分が楽勝できる相手に勝っても、いつも初めて勝ったかのように大喜びする。その笑顔がかわいすぎるのだが、ホンモノ見るとなんだかへんな道に走りそうで後ろめたい気分になってしまう。
そんな、同い年なのに四頭身の幼女がくるりとこちらを振り返った。
「わかった? あのコマンドは危険なの。だからもう入力しちゃだめなの」
とりあえずうなずくしかない。だが、その上で言った。
「もう帰っちゃうの?」
「それはもう」
髪の毛をゆらゆらと揺らめかせて、当たり前のようにうなずくサルメラ。
「ここにいたのでは魔族退治の本分が勤まらないからね」
「ここにいると平和だよ」
「は?」
きょとんとする少女。見つめられると俺はしどろもどろしてしまう。
「いや、あの……だってほら、魔族がいないから、戦って世界のバランスをとる必要がないし」
俺は……何を言ってるんだろう。戦うことが彼女の存在意義だし、それを楽しんでるのは俺自身なのに。
いや、だけど、たぶん言うよ。俺でなくても。
だって、帰っちゃうんだよ?……恋だの愛だのじゃない。なんとなくワクワクさせてくれそうなレアキャラに会ったのにもうさよならなんて、そんなの……そんなの……
「新岩国駅通過の新幹線みたいじゃん!!」
「へ?」
いいんだ。誰かに伝われば。
「とにかく、もうちょっと帰るのは待って!」
「ダメなの! あたしはもっと強くなってあの世界を護らないとダメなの!」
「大丈夫。あの世界は誰かが守ってくれる」
「だめなのーー!! あたしが護らないとバスターの本分がまっとうできないの!」
「でも、それって俺が魔族の巣窟まで行かないとできないよね?」
「うん」
「じゃあもういかない」
「そんなの絶対にだめーーーー!!!」
俺の太ももほどしかない背丈の少女が目いっぱい叫んで、昼の住宅街に響く。俺は人目が気になった。
「とりあえず一回家に戻ろう」
「うん、じてんちゃに乗る」
翼竜がぶっとばして、はるか向こうに置き去りにされていた自転車を起こすとサルメラはちょこんとカゴに飛び乗った。ちっちゃな手で縁に掴まって、「早く」と風を求める。
「じてんちゃは気持ちいいの」
「あはは」
おかしくもないのに笑みがこぼれるのは、彼女の笑顔がかわいらしすぎたからだ。
「少しだけ遠回りして帰ろうよ。それくらいはいいよね?」
「……いいよ」
よし。
俺はペダルをこぎ出した。サルメラはそよぎだした風を気持ちよさそうに受け止めている。
ママチャリをこいで街を流してるってそれだけのことなんだけど、カゴに乗る小さな魔女の存在が、いつもの街にほんの少しの彩りを加えていた。
部屋に戻るなり、サルメラはハタと俺の顔を見上げて「思いついたの」と言った。
「え? なにを?」
「この世界にいながら強くなる方法」
「マジ!?」
「あたしは強くならなきゃいけないから元の世界に戻りたいけど、こっちにいて強くなれるのならもうちょっといてもいいと思うの」
「そっか!」
「だからちょっと手伝ってほしいの」
「俺でできることなら何でもするよ!」
「課金して」
「あぐぅ……」
いかついパンチが飛んできた。俺のハートがそれをまともに受け止めることもできずに大きくのけぞる。
「か……課金……?」
「うん。課金して装備が強くなればあたしはここにいられるの」
「でも俺、金ない……」
「稼げばいいと思うの」
平然と言ってのける。
「だって俺まだ学生だし」
「アルバイトがあると思うの」
「いや、簡単に言うけど、金稼ぐなんて面倒なんだよ」
面倒、面倒。自慢じゃないが俺はこのゲーム以外では無気力を絵に描いたような男だ。しかし、サルメラは釈然としない顔で俺を見ると、
「……一日中ゲームの中であたしにお金稼がせてるのに「金稼ぐなんて面倒」はいけないと思うの」
「ぐはっ!」
精神的ボディブロー一閃。
「そ、それに、俺、人と接するのニガテなんだよ……」
「……知らない街の、知らない人の家にいきなり押しかけさせたり、スラム街にあたし一人出向かせて、浮浪者たちの気を引かせたりさせる友哉が「人と接するのがニガテ」って言って、やらないのはいけないと思うの」
「……だってほら、それはゲームだから」
「一緒。あたし内心すっごい怖いんだから」
……知らなかった。
「あ、ほら、友哉、いいのもってる」
「それは!!」
無気力者を無理やり職につかせようとする悪の情報誌、求人誌!!
サルメラはそれをぱらぱらとめくるとその中の一つに目星を付けた。
「電話してあげるね」
「だめなのーー!!!」
……思わずサルメラ化する俺。しかし、冗談ではない。
鋭い拒絶だった。部屋がシンと静まり返る。
「無理だよ。バイトなんて……」
俺は今、とにかくなににかけても自信がない。
高校生活は、挫折ばかりだった。
中学までと高校からって全然違う。でも、なにが違うんだろうっていうことを理解できないまま、俺は、その変化に乗り遅れた。
うまくいかないことばっかりで、だんだん学校に行くこと自体億劫になっていき、ついに不登校となって早五ヶ……
「はい、わかりましたですの。あ、働くのはあたしじゃなくて弟なんですけども……」
「なにやってんのーーーー!!!!!」
いつの間にかサルメラは俺のスマホを持ち出してバイトの面接を取り付けてしまっているじゃないか!
「俺が感傷に浸ってるだろ!!」
「え?」
「こういう時は心を読んで察する場面なんだよぉぉぉ!!」
「知らないけど、アルバイトの面接は明日の朝十時なの」
「マジかぁぁ!!!」
「あたしもついてってあげるから」
「無理ーーー!!!!」
……と言いながら、翌日の面接でバイトはあっさりと決まってしまった。意外にも。大いに、意外にも。
本人が電話をかけなかったため、担当者はあまりいい印象を持ってなさそうな表情で面接に臨んでいたが、隣には一見幼女にしか見えない妖精がいた。彼女が一芝居うったのだ。
彼女はつぶらな瞳で担当者に上目遣い。
「パパがびょーきで働けなくなっちゃったの」
「え、そうなの?」
担当者の目がサルメラに落ちる。
「にぃに(←兄)はひきこもり。でも、「これからは俺が稼がなきゃ」って……」
「おぉ……」
もう、悩殺といっていい。雰囲気だけで押してる。冷静に考えてみれば幼児のわりにすごい理論だてて話してるところとか不自然極まりないのだが、担当者は気づかない。
まぁ、サルメラを見て俺と同い年と思うヤツなんているわけない。結局、担当者は彼女のお涙頂戴にすっかり丸め込まれてしまい、終いには
「だからこんなちっちゃい子を同伴したんだね。わかったから明日から頑張ってね。『若いときの苦労は買ってでもせよ』だよ」
などと肩まで叩かれてしまう始末。制服までその日の内に渡されてしまった。
「やったね!」
帰路、俺を見上げてウィンクするサルメラに、俺は二の句も告げない。
サルメラが選んだバイトはスーパーの品出しの仕事だった。対人関係ニガテだって言ったからこれを選んだのかは定かでないし、聞きづらいのでそのままだけど、無理やり始まった新しい生活は意外にも悪くない。
もともと求人誌は、学校に行かない俺に「別の世界を見てきてみたら?」ということで、毎週日曜になると親が部屋の前にそっと置いておいてくれていたものだ。
仕事が楽しいわけではない。単調だし、面倒で仕方ないが、バイトを始めて、なんとなく負い目を感じていた親との関係が変わった。
いや、仲良くなったっていうのとは違うんだけど……なんていうか、部屋にいつ連れ込んだかもわからないサルメラと大声でしゃべってるのに、遠慮して声すらかけてこなかった親の、俺を見る目が変わった気がする。
それと夕方、仕事終わりになると必ずサルメラが迎えに来てくれる。彼女は店のちょっとした人気者になっていて、彼女自身も心得て妹役を演じているから、彼女が来るとぱっと店が明るい雰囲気になる。その恩恵が波及して、なんだか俺自身もバイト内で優遇されているような気分だった。
もっとも、彼女が必ず迎えに来てくれるのは俺を慮るばかりではないようで……、
「友哉、じてんちゃ」
サルメラは自転車のカゴに乗るのが相当気に入っているらしい。
確かにさえぎるもののない開放感の中で、秋の風を浴びながら、少し高いところでゆっくりと揺られていくのは気持ちいいのだろう。まったくゲンキンなもんだが、俺も彼女を自転車に乗せて走るのはまんざらじゃないし、バイト終了間際にニコニコしながら入店してくる彼女が来るのが何よりの楽しみになっていた。
「友哉」
帰り際、近くの川の土手に寄った時のことだ。傾斜した原っぱに二人で腰掛けて、落ちる夕日を眺めていると、サルメラはぽつりと言った。
「魔法がないっていいね」
「ん?」
見れば、彼女は苦笑いを浮かべている。
「初め、この世界には魔法がないって知って、なんて不便な世界なんだろうって思ったの。だけど、ここは魔法なんて必要ないくらい便利で、平和で、楽しいところ」
「そんなもんかなー」
実際住んでると全然わからない。便利で平和かもしれないが、楽しくはない。
「絶対、こっちの方が文明が進んでると思うの」
「そりゃ、向こうは中世がモチーフだからなぁ……」
「あっちだと、こうやって川とか見てるとモンスターが飛び出してくるし」
「そりゃRPGだからなぁ……」
「ドワーフとかいるし!!」
「そりゃファンタジーだからなぁ……」
っていうか全国のドワーフさんにあやまれ。
「素敵だと思うの。この世界」
「あはは、こっちの世界に住む?」
一見、何の不都合もないように思える。
まぁ、小さいとか、戸籍がないとか、人間じゃないとか、いろいろあるかもしれないが、本人が気に入ったのならいいんじゃないだろうか。
などと無責任なことを思い浮かべながら笑いかけたけど、彼女の眼差しは真剣そのものだ。
「ダメなの」
「どうして?」
「ここにいたらバスターの本分が果たせないの」
バスターとは、あちらの世界で『魔物退治をする者』を指す肩書きのようなものだ。冒険を行う者は、ある一定の場所に行き着くことを目的とする者、伝説を形成する宝を求める者……のように数種に分類され、そのうち、ヒューマノイド以外の、この世に害する種族を退治することを専門としている者のことだ。
彼女はバスター。それは知っている。でも……、
「本分って何?」
「そのために生きてるって思える誇りのこと」
「サルメラは魔物退治のために生きてるの?」
「うん」
「言い切れるってすごいなぁ……」
「あたし自身が決めたからなのよ」
「え?」
「『何のために生きてるのかわからない』のはね、自分で決めてないからなのよ。何のために生まれたかを神様とかが教えてくれるなんて思ってるうちは絶対に見つからないの」
「……」
「あたしは魔物退治をするために生まれた。そう決めたからあたしはそのために生きてるの」
「違ってたらどうするの?」
「違ってたっていいの。自分で決めたことなんだから」
……サルメラは確かに物語の中を、葛藤にもまれて生きている。その中で出した彼女の答え。物語では語られていない部分……。
……なんだか小さなサルメラが大きく見えて、「魔法がないっていいね」の言葉が今さらながらに重く響いた。
実際、心が折れてるのは俺のほうで、グランザムはもういいかなと思ってもいたのだが、
「ダメなのーーー!!」
生きがいを奪わないでとばかりに大否定されてしまったのでは仕方がない。俺は約束どおり、バイト代の半分をそのゲームに突っ込んだ。彼女の苦行を助けると思えば抵抗もなく課金できるほど、今の二人は親しい。
リアルマネーで武器を整える。するとサルメラは言う。
「服も変えてほしいの」
つぶらな瞳。思わずそれだけで負けそうになるが、一応抵抗してみた。
「服は強さと関係ないから買い換える必要ない」
「ダメなのーー!!」
二人で同じ画面を眺めながら、隣で彼女がバンバン机を叩く。
「テンションが違うの! 朝起きて寝巻きのままじゃやる気出ないけど、着替えると『よし、今日もやるか』って気分になるよね!?」
「いやいや、俺は万年無気力だから」
「そんなことだから彼女ができないのーーーー!!」
「余計なお世話だーー!!」
「とにかく、年頃の女の子がいつまでもいつまでも飾り気のないローブじゃかわいそうだと思うの!!」
「じゃあどんなのが着たいの?」
「えとねーー」
必死だった顔が、急に甘え顔に変わる。くるりと画面に振り返ると、
「これ、ずっとかわいいと思ってたの」
白いブラウス、黒いボレロとキュロットスカート。
「それは確かにかわいいなぁ」
「でしょー!? でしょーー!?」
「でもこの値段はなにかな?」
「タカイネー」
何で片言なんだ。
実際、武器の強化に匹敵するほどのリアルマネーが飛ぶことになる。
「だから諦めよう」
「ダメなのーー!! 買ってくれないとバスターの本分が果たせないのーー!」
「わかったわかった! 髪ひっぱんな!」
……よくわからないまま押し切られてしまう。結局初任給は全額、課金に消えた。
しかし、おかげで万全(?)だ。彼女は満を持して画面に飛び込んでいった。
「待ちわびたぞ……」
天井が見えないほどに高い吹き抜けの広間。背を向けたままの巨大な玉座に座る魔王グランザムは気配のみでサルメラを察し、しゃべりだす。
「魔族の法に取り憑かれしものよ。その宝玉は貴様には過ぎたものだ」
「師匠の魂を返してほしいの」
「魔術師フューリアスの魂……彼奴は魔族にとって面倒な存在だ……。殺せぬとあらば永遠に封印するより他はない」
「互いに譲れぬものを抱いて……決着をつけるしかないよね」
「決着だと……?」
ゆらりと立ち上がる漆黒の闇。
「宝玉を差し出し、泣いて詫びれば、ファウの一族は赦してやらんでもないと思うたが……」
その背中に殺気が集まっていく。振り向けばサルメラは息を呑んだ。
枯れ木のように骨ばったしわだらけの顔。しかし老いた形相ではない。全身から噴き出している凍てついたエネルギーは、彼がただの枯れ木でないことを嫌というほど漂わせている。
「魔族の法を掠め取り、なおかつ我と肩を並べてるつもりになっている痴れ者が! 今だけは我に同調せぬ愚かな同族すら貴様のハラワタを所望し我に加勢するであろう!」
怒りが衝撃波に変わり、サルメラに死を与えようとするが、彼女は十字に切った腕を開放し、奇声一発、巨大な一撃を弾いてみせた。
……魔王グランザムとの決闘前のイベントだ。魔王とはいいながらラストバトルではないのだが、この時流れている音楽がスッ……と背筋が凍るような荘厳なもので、いやでも戦闘ムードを盛り上げてくれる。
いやしかし、衣装チェンジにはアンチだった俺も、身を低くして構えた彼女の姿に、今までとは違うトキメキを覚えた。服というものは人の雰囲気をだいぶ変えるものらしい。画面見てるだけでモチベーション上がる。
「くぅ!! おのれ、猪口才な!!」
やること一つ一つ、ほんの少しずつ上を行かれてイラつく魔王。当たり前だ。レベルアップしたサルメラと俺の熟練コントロールの最強コンビが後れをとることはそうそうない。
……だが、そう思った矢先、俺は表情を引き締めた。魔王が、問題のモーションをとったのだ。
一、ニ、三、四、五……指に灯る絶望の光。
逃げ場など存在せぬ必殺の輝きが、一瞬サルメラの眼球に反射したかのようだった。
「まだだめだーーー!!!」
コントローラーを投げ出して燃え尽きる俺。
強すぎる。完全にムリゲだ。
いや、そもそも、あの五段構えに至るまでに、受けちゃいけない攻撃とか、残しとかなきゃいけない魔法とかがあるんだろうが、アレを全部かわすことなんて、ゲリラ豪雨の雨粒を全部かわせといわれているようなもの。
上上下下左右左右BA
「だからダメなのーーーー!!!」
「いや、だって、勝てなかったじゃん」
「惜しかったの。前よりも身体はだいぶ軽かったの」
服もローブより全然動きやすかったよ。と、服の正義を訴えつつ、サルメラは疲れたのか部屋の座椅子にへたり込んだ。
「アレとまだ戦うつもり?」
俺、かなり諦めムード。すると彼女は疲れた身体に鞭打って飛び起きる。
「もちろんなの!」
この不屈さがうらやましい。
「ねぇ友哉」
上目遣い。
「馬鹿! そんな目で見るな!」
「もっと課金して……?」
「ぐはぁ!!」
衣装も変わって俄然女らしくなった(?)彼女が俺の理性を破壊しにかかる。本人にその気はないのだろうが、もはやこれは新手の恐喝だ。
「おねがい、友哉」
「や、やめろ! そんな風に摺り寄られたら……!!」
まるでミネフジコに骨抜きにされるルパンのように力が奪われていく。
「あたしこのままじゃバスターの本分がまっとうできないの……あたしを助けてほしいの!」
「や、やめ……!!」
…………
……
……それから俺たちは幾度となく課金と敗北を繰り返した。一ヶ月、ニヶ月、三ヶ月……。
四回目のバイト代をつぎ込んだ時、サルメラが言った。
「いいことを思いついたの」
「いいこと……?」
いい予感はしない。
「ちょっと来てほしいの」
ちっちゃな腕を目いっぱい伸ばして、俺の手を欲しがる。おそるおそる右手を差し出せば、彼女は五本の指で、俺の人差し指をしっかりと握った。
「行くよ!」
「はぁ!?」
一瞬、その手がぴんと張る。彼女が俺の指を持ったまま、画面の方へ走ったためだ。
いやしかし、彼女の力じゃ俺は動かな……
「うわ!!」
俺は、突如加速した。どういうことかわからないかもしれないが、うまい言い方がみつからない。ぐんと身体から何かが抜け出て、"加速"したのだ。
眼球にゲーム画面が迫る。こんな勢いでぶつかったら頭が割れる!……焦った時にはすでに俺の意識はディスプレイを通り越していた。
真っ黒な海。白色に見える風。まるでポタージュスープの中を分け入ってすっ飛んでいるかのように思える。
そして吐き出された場所に、俺は見覚えがあった。
天井が見えないほどに高い吹き抜けの広間。向こうを向いたままになっている巨大な玉座……。
「グランザムの目の前やん!!!!」
信じがたい光景だが、ここ数ヶ月、あまりに見覚えありすぎて、なんというか、目の前にその光景が広がっていてもまったく違和感がない。そもそもサルメラが行ったり来たりしてるんだし、それ自体にはあまり驚かなかった。
それよりも、だ。
「しっ!!」
サルメラの手が俺の口を塞いだことに驚天動地。……熟語の意味違うけど。
俺は、口を塞がれたことより、隣で神妙な表情を浮かべている少女の姿に驚きすぎて絶句していた。
いや、正確には少女の姿よりも、少女の姿を見たことによって知った、俺の姿に……だ。
「ミニ化してるぞぉぉぉぉ!!!」
「(静かにってば! あたしのことを何百回も殺した魔王の前なの!!)」
ウィスパーながら耳に突き刺さるその言葉。
その通りだ。驚くべきは四頭身化している自分よりも、目前にムリゲの魔王がいることだ。
しかも、
「待ちわびたぞ」
明らかにバトル開幕展開なう。
俺、思わず自分の持ち物検査。
うん、見事に丸腰だ!
「魔族の法に取り憑かれしものよ。その宝玉は貴様には過ぎたものだ」
玉座に深く腰掛けたまま、こちらを向くこともなく言葉を重ねるグランザム。サルメラも俺を置いて役に戻る。
「師匠の魂を返してほしいの」
「魔術師フューリアスの魂……彼奴は魔族にとって面倒な存在……。殺せぬとあらば永遠に封印するより他はない」
「互いに譲れぬものを抱いて……決着をつけるしかないよね」
「決着だと……?」
ゆらりと立ち上がるその姿が、ゲーム画面の外で見ているよりも、はるかに大きく見える。
「宝玉を差し出し、泣いて詫びれば、ファウの一族は赦してやらんでもないと思うたが……」
殺気も……画面では炎の風のようなものが魔王の周りを渦巻いて、感情の高ぶりをプレイヤーにも伝えるのだが、今、ここに吹いている風はそんなちゃちなモノじゃない。
身も毛もよだつとはこのことか。まるでその威圧感に心臓をわしづかみにされて揺さぶられているような……有無を言わせぬ殺気が呼吸を圧迫して苦しい。
「魔族の法を掠め取り、なおかつ我と肩を並べてるつもり……ん?」
しかし、魔王の勢いが止まる。……無機質な白い眼球が、不思議そうにこちらを見ていた。
「だれだ、貴様は」
「あ、えと、あの、自分、友哉っす」
しどろもどろ。まさかここで台詞を求められるとは思っておらず、アドリブ力ゼロの俺は泡食って答える。
「誰かと聞いている」
「え、だ、だから友哉っす」
「何者かと聞いているのだ!!」
「ええっ!?」
俺に友哉以外の名は存在しないはず!
半ばパニックして目を泳がせる俺の隣で、サルメラが叫んだ。
「裕也は見学者なの!!」
「見学者……? そうか。……そうだ。我はそういうことを聞いていたのだ」
なぜかちょっと安堵した様子を見せる魔王。意外に小さなことを気にするらしい。
「友哉は善良な一般市民なの! だから危害を加えないであげてほしいの!!」
「承知した」
「……」
しかも意外にいいヤツ。
「しかし一度でも戦うそぶりを見せた時は、遠慮せずに灰にしてくれよう」
「……」
さらに律儀だ。
「では、もう少し下がっておれ」
親切だっ!
「椅子はいるか?」
なんなんだぁぁ!!!
彫士が枯れ木となった千年木で彫り上げた悪魔、のような姿をしている魔王の意外な一面にうろたえながら、とりあえず小走りで距離をとる俺。その上でグランザムは律儀にもいつものように衝撃波を放ってサルメラに防がせてから戦闘に入ったのであった。
一進一退。
俺のコントロールを受けていないサルメラが繰り広げる戦いは、弁慶に立ち向かう牛若丸のようで、非力そうに見えて魔王の強大な一撃をよくしのいでいる。そしてひとたび魔法を放てば、半年近い課金の加護を受けた成果は絶大だった。
例えば初めてグランザムと対峙した時は、ほんの小さなサイズだったファイアボールが、今では火龍を伴って、唸りを上げているのだ。その威力たるや、昔のそれがハエタタキなら、今のそれは、さながら『火星十二号』の如し。……魔王だと優越して彼女を野放しにした結果がこれだ。
しかし、俺にはもっと言いたいことがあった。
魔王が律儀すぎ。
サルメラの魔法は流れ弾となってこっちに向かってくることもある。なのに、魔王の攻撃は地表がすべてめくれ上がるようなエネルギーを放出しておきながら、俺がいるところは見事に避けて広げてくれているのである。
大人の分別というかなんというか……なんだか、話し合えば分かってくれるんじゃないかという気が、今はわりとしている。
いや実際、そうした方がいいんじゃないかと思うほどに魔王は強い。課金サルメラの成長は著しいのに、それでも押しているのは魔王であった。
「むん!!」
「きゃぁぁ!!!」
やがて一撃が彼女の身体から重力を奪い、俺の立ち位置の脇をかすめて彼女を吹き飛ばす。
「大丈夫!?」
駆け寄り、手を差し伸べる俺。受けるサルメラ。
「瀕死なの!」
そのわりに元気そうだが、RPGのキャラクターは戦闘で死が近づいても、無傷の時とパフォーマンスが変わらないことなどは常識なので、そのことにツッコむのは野暮だ。
つまり瀕死も嘘ではないのだろう。課金で攻撃力が上がっているとはいえ、避けきれない攻撃が多数存在するのは変わらず、その辺がうまくないと追い込まれることには変わりがない。
サルメラは傷ついている。しかし、魔王グランザムもまた、リアルマネーの力に物を言わせた彼女の力を前に、かなりの深手を負っていることは間違いなかった。
「これでどうだ!!」
死力を振り絞った闇の声。突き出された枯れ木のような腕に、数色の光が灯る。
「あれは!!」
思わず俺が叫んだ。五連撃の構えだ!
「友哉」
唇を噛み締めたサルメラの首筋に、ふっ……と、乾いた風が吹いた気がした。
「……あたし、今回だめなら諦める」
「え?」
「今まで本当にありがとう。ほんとに、ホントに、ありがとうなの」
「やめろよ。もしダメでもまた頑張ればいいよ」
その雰囲気の異様さを何とか打ち消そうとするが、サルメラは力強く首を振った。
「ずっとずっとわがまま言って……働いてもらって課金してもらって、それでもあたしがしつこくお願いしたのは……本当は、向こうの暮らしが楽しかったから……」
「え……?」
「子供のフリをして、じてんちゃに乗って、いつまでもいつまでも平和な空を眺めて……それが楽しかったから……」
「バスターの本分は……?」
「言い訳なの。もちろんあたしはそうやって生きていこうって決めたし、これからもそうしようと思ってる。言い続けないと自分の生きる価値を忘れるから言い続けてきたけど……でもそれは、画面の外に出て課金をお願いすることとは違うはずなの」
「いいじゃん、頼ってくれればいいんだ」
「友哉なしではこの気持ちが持続しなくなるようじゃ……ダメなの」
「サルメラ……」
「決めたの。あたしがあたしでいるためにも、これ以上、友哉には甘えない」
「……」
自分の生きる意味を自分で決めた彼女だ。その決心には並々ならぬものがあるのだろう。
「最後に見てて欲しい。うまくいってもいかなくても、全力を尽くしてみせる」
意思の灯ったその表情はハッとするほどにりりしい。俺は口をつぐんだ。
何か言ってやりたいのに。パートナーとして、何か言ってやらなければならないのに……。
やっとのことで「わかった」と唇を噛み、せめて言った。
「俺に何かできることはない?」
「ある」
「え?」
「あの攻撃を避けきる自信は今もないの。だけど、友哉が手伝ってくれたらひょっとしたらいけるかもしれない」
「どうすればいい?」
「走って」
……まず、一つ目の火炎を結界で受けた後、サルメラは電撃をひきつけるために左に飛ぶらしい。
「そしたら右が開くと思うの」
「そっちに走ればいいんだね?」
「うん」
うなずくと同時に二人を包み込む結界。
「火が通り過ぎたらスタートなの。タイミング間違ったら死ぬからね」
「わかってる」
タイミングは熟知している。直接ではないせよこれまで幾度となく戦ってきたのだ。ここで絶妙なダッシュができなければ嘘であった。
だが……
俺の脚は震えていた。
喉が渇いて仕方がない。いくら見慣れていてもゲームではない。今俺は、リアルにこの場に立っているのだ。
今から来るのは地獄の劫火と雷撃の海、すべてを押し流す光の雨に、目に見えないまま貫かれる衝撃波、そして避けることのできない闇の力。
例えば体育館などに閉じ込められて、今からそんなものが同時に降りかかってくることを考えてみたらいい。誰だって絶望に打ち震えるはずだ。
「大丈夫」
サルメラが、そんな俺の肩を抱いて、そっと擦り寄る。
「あたし友哉が、怖くても頑張れる人だって知ってるの。アルバイト、よく頑張ったよね」
「……サルメラはこんな恐怖の中を戦ってたんだな」
微笑む彼女。
「それがハンターの本分だからね」
彼女の肩が俺から離れ、その手が複雑な印を結び始めた。
「フェルメイル・サヴァルティン・ニェサ・クェス……」
詠唱を遮らんとする灼熱が周囲を覆い尽くす。が、結界は二人の周囲に丸い空間を作り出して、炎を打ち消した。
「行って!!!」
大跳躍の間際、サルメラはその言葉を残した。弾かれたように走り出す俺。を、飛び越えて電撃が空を迅り、マントを翻した彼女を直撃した。
あのマントは魔法を通さない特製だ。困ってる賢者のじーさんを助けて手に入れたもので、乾いた布が水を吸い取るように魔力を吸収することができる。
でも布と同じで飽和すればもう吸えず、例えば今の五連撃などは一種類を打ち消すので限界だった。
そんな彼女に間髪いれず襲い掛かる光のつぶて。彼女はそれを瞬間移動一つですり抜けて、意味不明なことを叫んだ。
「友哉が撃って!!!」
サルメラはその意味を示すように手で何かを投げるモーション。合わせて発生した白い光の弾が、孤を描いて俺に降り注ぐ。
俺は戸惑いながら反射的にその光の意味を必死で探った。
「まさか……」
奇妙に思っていたのだ。五連撃はいつも、ニ連撃目までを地上で受ける。が、今回は二つ目を飛び上がってマントで受けた。つまり防御を一つ繰り上げた。
すると、最後の五撃目を避ける手段がない。
つまり彼女は、その五撃目を身を挺して受けて、ノーマークとなった俺に極大魔法を託したのではないか。
「くそっ!」
俺は立ち止まる。手順は知っている。何百度と見てきたのだから。
なんの修練も積んでいない俺に極大魔法なんて撃てるのか?
知らない。やるしかない。自分で勝つことを放棄しても、彼女は勝利を願ったのだ。俺は見よう見真似の印を結び、極大魔法の詠唱を行った。
「……ヴァッチャイス・リー・フェンデゲン・ナティル……」
すでに魔王は四撃目を終えている。彼女がどうなっているかを見る余裕はないが、急げば彼女も助かるかもしれない。
俺は手順を間違えないよう慎重に詠唱を続けながら、両手を突き出す!
「フォンブレマール・ヴァチュール・メヒカ・エストーラゼ!!」
しかしそれを捕捉する魔王の目。
「警告したはずだ! 戦うのであれば容赦はせんと!!」
吼えて、魔力の灯った親指を俺目掛けて、くんっと倒す。
それは、五撃目の闇が俺に飛んできたことを意味していた。
「やばっ!! うわぁぁぁ!!!」
黒の濁流が一瞬にして俺の視界を真っ黒にして、その後のことを俺は覚えていない。
長いこと暗闇の中を泳いでいた気がする。俺は死んだのか?
人間、死ぬとこんな川を泳ぐのだろうか。するとこれが三途の川?
……さまざまな思いをめぐらせながら行き着いた先……俺はゆっくりと目を開ける。
空。空が見える。泳いでなんかいない。仰向けに寝ているらしい。そして……
「あ……」
視界に入ってきた女が声をあげ、俺はその女に膝枕をされていることを知った。
「目、覚めた……?」
まぶしい笑顔。愛嬌たっぷりのかわいらしい妖精の顔が、空ばかりだった俺の視界に入ってきて、それがサルメラで……。
「俺は……気を失ってたの?」
そして彼女は驚くべきことを言った。
「ううん、死んでたの」
「は!?」
「五段目の闇の力は即死するの。知ってるよね……?」
「……」
確かにそのとおりだけど……。
「でもゲームだから生き返るの」
「……」
確かにサルメラ自体、何百回と死んで、そのたびに生き返っている。俺にもそのルールは適用されてるのか。
「ごめん」
俺は起き上がると振り返って彼女を見た。
「俺、役に立たなかったね」
「ううん、おかげで勝てたの」
「へ!?」
……あの時、グランザムの注意が俺に向いたおかげでノーマークになることができた。……と、彼女は言う。
「……ってことは……?」
「いくらモーションを知ってたって、友哉が極大魔法を撃てるわけないの」
「じゃ、じゃあ……」
「ごめんなさい! おとりに使わせてもらったの!」
かわいく両手を合わせて申し訳なさそうにするサルメラ。俺、驚愕。
「俺が死ぬだろがーーーー!!!」
しかしそこにキレると、彼女は一転口を尖らせ、そっぽを向いてぼやいた。
「いつもいつもあたしに無茶させてポコポコ殺してるのに、「俺が死ぬだろがー」はいけないと思うの」
「う……」
まぁ、しかしアレだ。そのために呼ばれたのか、俺は。
苦笑う俺を受ける、彼女のいたずらっぽい笑顔。それが空から降り注ぐ日の光を浴びて輝いて見える。りりしい顔もよかったけど、やっぱり彼女には笑顔が一番似合っていた。
それはそうと……
街の一角。メルヘンチックで、全部が公園みたいな街の原っぱを見ながら、俺は四頭身の身体を確認するようにちょこんと座りなおす。
「俺はこれからどうなんの?」
「うん」
サルメラは意味不明にうなずいて、それからしばらくしてから言った。
「こっちに住む?」
「え……?」
言われた瞬間、なぜか俺の頭に走馬灯が回ったようになった。
俺の今。親。過去の出来事。今の心境。そして俺の未来……。
全部混ざってどんな表情を浮かべていたのかは分からない。けど、サルメラは確かにその表情を見て苦笑いをした。
「冗談なの。帰してあげるね」
そして彼女は立ち上がる。その背中が見せる表情に翳が差していたことに、俺は気づけない。
「お別れだね。あたしはまだまだこっちでバスターの本分を果たさないといけないし」
「また何かあれば呼ぶよ。あのコマンドで」
「ダメなの! ご法度だって言ってるの。アレで呼び出せるのはあたしだけじゃない時もあるって知ってるよね?」
……実はここ数ヶ月、課金しては負けてを繰り返すたびに呼び出していたのだが、そのたびにあっちの世界に迷い込んだモンスターたちの後始末をする羽目に陥っていた。
アレを繰り返すと、さらにどんな歪みが互いの世界に生じていくかもわからない。
「大丈夫。ゲームを始めてくれればいつでもあたしは友哉の目の前にいるから」
「……うん……」
「じゃあ……送るね」
一瞬、複雑に動くサルメラの右腕。俺はぼんやりとその姿を眺めていた。
ぼんやりは、部屋に戻っても続いている。
終わった。グランザムだけじゃない。なにか、いろいろなものが終わってしまった。
画面を見れば、サルメラもぼんやりと自分の街を眺めている。確かにお互い近くにいるけど、それは限りなく遠い近さだった。
…………
……
……そんなのいやだ!
上上下下左右左右BA!!
ぽゆーん
「だからダメなのーーー!!!」
現れるなり、すっごい怒ってるボレロとキュロット姿の小さな妖精。
でも我慢のできない今どきの日本人をナメてはいけない。怒られたって会いたいものは仕方ないじゃないか!
サルメラは「もう!」と吐き出して、俺から視線をはずし、ばつが悪そうに言う。
「……せっかくだから、ちょっとじてんちゃ載せてほしいの!」
その声は……怒っていながらも、少しうれしそうだった。