望つる月夜の涙に濡れて(竹取物語(かぐや姫)のアレンジ)
企画:外部企画
テーマ:おとぎ話や昔話などをもとに創作したショートストーリー。
アレンジやスピンオフ、新釈作品。
一言:竹取物語のアレンジです。比多岐とは囲炉裏のことですね。
とある企画で選考から外れたのでアップしときます。
ちょっといい話になっています。たぶん。
今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。
名をば、讃岐の造となむ、いひける。
後に平安と呼ばれる時代に生きたこの老人は終生、権力や政治とは遠い世界にいた。
家は貧しかったが、若いころから共に生きる妻と長く連れ添い、小さくも暖かな幸せの中を生きている。
ただ、この二人の生涯は子に縁がない。
齢70を重ねた翁にとって己の人生に悔いこそないが、そのことだけが心残りだった。
ある日、野山を行く翁は、金色の光りを放つ竹を見た。
誰かが刃を入れたのか、竹は翁の身の丈ほどの高さで断たれている。光源は筒の中のようだが、内側から放たれている光りであるはずなのに、その色は竹を突き抜けて神々しく輝いていて、この世のものとは思えない。
そしてそれが内壁に身を寄せて眠る一尺にも満たない少女が放っているものであることを知った時、この老翁はしばらくの間言葉も発せずに立ち尽くしていた。
「このままでは具合を悪くしてしまうかもしれぬ」
こぼれてはいけない水をすくうように慎重に赤子を抱きかかえ……いや……
それは片手に乗るほどに小さな赤子であり、マメだらけの硬い手のひらが赤子を傷つけたりはしないかと心配になるほどに儚げに見えて、容易に手が出せない。
しかし同時に、気持ちよさそうに眠っているだけのまぶたが、やわらかく弾んだその頬が、翁にこう思わせせしめた。
「この赤子はわしの子になるべくここで眠っていらっしゃったのだ」と……。
老人は息をもつめる程に静かに鄭重に、この赤子を両手に包んで帰ることにした。
不思議な子だ。
赤子は自分で身支度を整えるが如く、家に富を運んできた。愛くるしい笑顔を見せる日には必ずと言っていいほど翁の取る竹にあふれんばかりの黄金が詰まっているのだ。それが二度三度と続けば偶然とも思えない。
さらに驚くことにこの赤子の発育は呆気に取られるほどに早く、三月を過ぎるころにはすっかり成人してしまった。
その姿がまた言葉を失うほどに美しい。
まつげの長く色白であごの線がほっそりとしていて、つやのある黒い髪はふもとを流れる清流のように穏やかに伸びて背中を隠している。上品に通ったその鼻が、気高い血筋を思わせた。
そんな……化生ともいうべき美貌の娘が今、翁の家の端でただただ幸せそうに笑っている。
翁は、「薄暗き 竹の林に ちらちらと 揺らめき光る 宝珠の如く」……すなわち、彼の子宝に恵まれなかった竹取としての人生と、赤子を見つけたときの喜び、そしてその美しさを掛けてそのように詠い、その思いを「かがよう(輝よう)」という言葉に凝縮して、この娘に「かぐや」と名づけた。
しかしこの老人には、その美しさよりも、かぐやを子として迎えてからの毎日が何物にも代えがたい。
子を生し育てることを夢見た翁にとって、その笑顔が、しぐさが、不機嫌なかんしゃくさえも、彼女と同じ時間を分け合っていることすべてに幸せを感じていた。
評判が国の向こうまで行き届き、数々の男が我が物にせんと詰め掛けた折も、
「結婚などに興味はありません。この家にもうしばらく置いてくださいませ」
と、比多岐の前にちょんと座り毅然と答えるかぐやの言葉に、翁は何も言わなかった。
竹取風情が貴族や豪族の申し出を断ることなど、言語道断である。命の危険すらある中で、それでも翁はかぐやの意向を曲げようとはしなかった。
かぐやを不幸にして生きながらえて、先に何の楽しみがあろうか。
しかし、そのような宝であるはずのかぐやの瞳は、日を追うごとに沈んでいった。
「いかがした」
……という言葉にも黙ってなにも答えない。
翁は当惑し、彼女の好む菓子や美しい宝玉などを用意したが、見立ての違う厚意を奥底から喜んではいないことは明らかだった。
日々は重さを増して過ぎてゆく。ときおり無理に明るく振舞うかぐやのこころが、なおさら翁にとっては悲しい。
……そのまま無為に時は流れ、八月も中頃まで差し掛かったある日、この郎女は比多岐から障子を経て縁側の向こうに見える月を眺めながら、隣でやはり月を見る翁に云った。
「刻限が近づいてまいりました」
「刻限?」
翁の瞳に映るかぐやは、月に目をやったまま悲しげにうなずく。
「お別れの刻限です」
翁の目は動かない。驚いてはいる。驚いてはいるが、そんな日が来るはずがないと信じるには、この姫は特異に過ぎる。
「もうすぐ、天からお迎えが参ります」
「……天……か……」
翁の胸には「天」という言葉がやけに静かに響いた。天女であればその美しさと今までの不可思議はすべて解決するのだ。
だがその上で……。目に力が宿る。
「わしはかぐやを失いとうない」
勢いで立ち上がった。やることは知れている。武力をもってしても子を守らなければならない。
周辺にはかぐやを諦めきれない貴族たちが己の力を誇示するために兵を率いて住みついている。事情を云えば未明には天をも焦がさんばかりの武力が集まろう。
「無駄です」
だが、結末まで知っているかのような湿った伏し目をもって力なく首を振る姫の声が、走り出さんとする老人の足を止めた。
「弓矢の通づる相手ではありません」
「しかしこのまま座してそなたを失うよりは……」
「とと様」
口の端に泡を溜めて興奮している翁を、かぐやは柔らかく制す。
「いえ……御前様」
その目の優しさがまるで、長年生活を共にしてきた者のようで、翁は言葉を詰まらせた。
「失われるのは、わたくしではありません。天からのお迎えは御前様のために参るのです」
「なにをいう」
「御前様は……」
かぐやは一度、唇をかみ締めた。明らかに言葉に迷っている。が、意を決したように、たたずまいを直し、翁を見上げると、
「……すでに今朝方、お亡くなりになっておられます」
「な……」
さすがに目を丸くする翁に、かぐやは静かに言葉を接いでゆく。
「浄国に召される少しの間、わたくしの通力により御前様は夢の中においでです」
「夢……と? 一体いつから……」
「わたくしの身体をその掌でおすくいあそばされたその日の朝……」
翁の頭にあの日の記憶が鮮明に呼び起こされる。それから今日この刹那まで、思えば確かに夢のような刻をすごした。
「なぜ……」
これが夢というのなら、なぜこの、人とも思えぬほどに美しい姫が通力まで用いて自分にこのような夢を見せたのか。
人間は死してから浄国に向かうまでの間、このような夢を見るものなのか。
すると、かぐやと名づけたこのなよ竹の神は、浄国への送り人のような存在なのだろうか。
いろいろな思考が交錯し、答えも出ぬままにもう一度かぐやに目を向けた翁は「あっ」と声を上げた。
……そこに座っていたのは、長く長く連れ添ってきた嫗……妻であったのだ。
「わたくしにも心残りがございました」
「心残り?」
「子を生せなかったことです」
「あ……」
そのことを大層残念に思っていたのは翁だったが、実際に気に病んだのは嫗のほうであった。
「そこで通力を……讃岐の稲荷様にお借りしてまいりました」
ただしその力は、魂が肉体を離れて浄国に向かうまでの少しの間しかかけられないと云う。嫗は別離の日までそれを秘し、通力の中で自ら娘を演じ、中秋に至るまでの長く……短い夢を、ほんの数刻の間に見せたのである。
「最後まで笑顔でお送りいたしとうございましたが、御前様との日々を思い起こせばそれも叶わず、せっかくかぐやの身になれたというのに、刻が近づくほどに沈み行く気持ちを抑えきれませんでした」
嫗はそれを詫びたが、翁にとってはとんでもない。
「すまなんだ……」
このような妻を持っただけで自分は幸せだったはずなのに、その妻に長く長く、気持ちを煩わせてしまったことを、いまさらながらに気づいた。自分は何も知らぬままに、赤子に笑いかけ、服を換え、夜通しあやして、髪を結い上げ、また笑った。
ややを抱き上げた時の身体の暖かさを翁の腕は覚えている。しかしそれはそのまま、妻の想いの暖かさであることに、今、気づいたのだ。
「すまない……」
その言葉の先で、嫗はすべてを達したかのような晴れやかな笑顔を浮かべた。
「いいえ造様。長い年月を共に寄り添って頂いたこと、わたくしはひたすらに感謝しております。婚礼から今日の今まで、変わらずお慕いしておりました」
笑顔はかぐやの笑顔とも重なっていく。翁は、妻に、子に見送られることを、心の底から幸せに思えた。
……やがて、夜の闇を突き破るような明るい光が天から舞い降りて視界いっぱいに広がった。
「お別れ……でございます」
歳をとっても別れには涙を伴うものだ。嫗の瞳を揺らしてあふれる涙がいつまでも……
いつまでも、夢の外……比多岐の傍に眠る、翁の頬を濡らしていた。