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~あの日から~

 小さな頃から、僕の頭には一人の少女が住んでいた。

 身体を動かして一緒に遊ぶことはできないけど、頭の中でいろんな話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたり……。

 別に、特別寂しかったわけじゃないんだ。彼女は一人の友達として……他の友達とはちょっと違う、特別な友達として、僕の頭の中でいつも笑っていた。


 彼女はとても美しかった。

 薄紅色の長い髪に結ばれたリボン。白い肌は透き通るようで、僕を見つめる蒼い瞳が、凛として整った年上の女性だった。

 いつも飄々として、何があっても驚かない。僕が泣いていても、悩んでいても、常に冷静なアドバイスをくれた。

 あとは……ゼリーが好きだった。何かというと葡萄ゼリーを彼女は食べていた。

 少女の存在は僕しか知らない。幼い僕にも、周囲に彼女のことを明かせば馬鹿にされることは分かっていた。彼女のことを知らない人に、彼女を否定されるのはもっといやだった。

 だから彼女はその存在自体が秘密な……僕だけの友達だった。

 初めは名前もなかった。ただただ僕の中で、いろんな話をしてくれる一人のお姉さんでしかなかった。だけど、僕が少し大きくなった頃、彼女は静かに口を開いた。

「リリア=リューズ」

 ……その日から、僕は彼女をリリアと呼ぶようになったんだ。


 リリアは歳をとらない。だから、僕は歳を追うごとに、だんだん彼女の年齢に近づいていく。

 このまま僕が成長すれば、彼女を追い越して励ます立場は逆になるかもしれない。……そんなことを漠然と考えながら、僕は毎日彼女との会話を楽しんだ。

 大きくなるにつれて難しいことを考えるようになって、話題もどんどん増えていった。ちょっとした人生相談みたいな話に発展することもあり、僕はいくつもの意見を参考にして、学校生活を送っていた。

 彼女はよく、僕の想像をはるかに越える言葉を吐いて僕をハッとさせてくれる。僕の頭の中にいるのに、僕にはない発想をするんだ。

 だけど、僕には何の疑問もなかった。だって、彼女は僕とは別に、存在してるんだから。


 ある日、リリアは言った。

「キミは、小説家に向いてると思うんだ」

「小説?」

「なにか描いてみたら?」

「小説~~?」

 文章なんてろくに書いたこともない僕だ。そんな突拍子もないことを突然言われても困る。

「歌も素敵だと思うけど……残念ながらキミは歌がヘタ」

「う、うん……」

「でもキミの、内に秘めるものを外に出していく力は大したものよ。描いてみたら?」

「書くことないよ」

「思うことを描けばいいの」

「キャラとか思いつかないし」

「私を描けばいい」

「リリアを……?」

「何でもしてあげる」

「……」

 僕は彼女が何で急にそんなことを言い出したのかは分からなかった。だけど、学生生活が行き詰っていた頃だ。気分転換も兼ねて、キーボードの前に座ってみることにした。


 リリアの見立て通りだった。僕は物語が描ける。

 いや、もちろん『ショーセツ家』というにはあまりに拙い文章だったけれども、彼女を主人公にした世界は、瞬く間に見渡す限りの風景となって広がっていった。

 リリアは、好きな人がいるのに一つもその気持ちを伝えることができず、学校の端に立っている桜の木にばかり語りかけてしまう女子高生。

 春、夏、秋、冬……季節ごとに彩りを変えていく桜を、彼女の抱く切なさとシンクロさせて、美しく表現している。つもり。

 ……誰に見せるわけでもないけど、その物語は、僕の中のリリア=リューズに、確かな世界を提供した。僕は聞く。

「うれしい?」

「キミが喜々としてる姿がね」

 物語のリリアが優しくて切ない卒業式を迎えると、次に彼女は炎を操る魔法使いとなって、世界の悪と戦い始めた。

 傷つきながらも、いろんな逆境を乗り越えて、果ては世界を救うことになるリリア=リューズ。僕の心は躍った。

 ……宇宙船の乗組員となったこともある。

 その時は、撃ち落とされてしまった宇宙船に一人彼女を生き残らせて、随分と寂しい思いをさせてしまった。

 甘い恋もした。騙されて泣きはらした夜もあった。……リリアは、僕が生み出す物語の中で主役を演じ続けた。


「小説家になりたい」

 僕はある日、彼女に打ち明けた。すでに僕の年齢は、彼女に追いついている。

「才能あると思うんだ」

 だって、指が走れば物語がどんどん組み上がっていくのだ。きっとモノを描く世界は、僕に向いているのだろうと思う。

 しかし、彼女はあまりいい顔をしない。

「つらいと思うよ」

「望むところさ」

 頭の中で、僕を見据える彼女。リリアは僕の中では鮮明に映像化されている。世界のどこにもいない、絶世の美女だ。

「僕の描く小説はヘタ……?」

「ううん、とてもうまくなったと思うよ」

「じゃあ……」

 リリアは、長いまつげをやや伏した。

「プロの小説家になるっていうことはね。たぶん私とキミの間に、誰かが入ってくるっていうことなんだと思うの」

 その時、私たちはきっと……今みたいな関係ではいられなくなる。……聞こえないような小さな声で言葉を並べるリリア。

「私のことを大事にしているキミが、きっとつらくなる日が来る」

「でも僕、せっかくだから挑戦してみたいんだよ。自分がどこまでやれるか。自分が、どこまで通用するか」

「……」

 彼女はまぶたを閉じた。何を考えているのかは分からないけど、僕はさらに自分の気持ちを押す。

「それに、リリアは本当は生きているのに、誰もその存在を知らないじゃないか。僕は、リリアのことを皆に知ってもらいたい。胸を張って……キミを世界に紹介したいんだ」

「……」

 しばらく……そのままの彼女。やがて、吸い込んだまま思いつめていた空気を、すべて吐き出して瞳を開く。

 その顔に微笑みはない。だけど、静かにうなずいてくれた。

「応援する……」

 ……その日から、僕の小説家としての人生が始まった。


 ショーセツカトシテノジンセイ。

 などと、言ってはみたけど、実際はただひたすらに独り相撲だ。

 描いても描いても、誰も認めてくれない。存在を認められているかすら怪しい。

 僕は自分自身がリリアになったような気分だった。誰にも気づかれない世界の片隅で、ただ一人歌を歌い続ける少女……確かにその孤独は耐えがたい。彼女も本当はこんな気持ちでいるのだろうか。

 そう思うと、僕はムキになった。

 彼女を皆に知ってもらいたい。このまま、彼女が生き残るか消え去ってしまうかは、僕にかかっているんだ。

 そのため……というのが元々の理由だった。

 見る人の気を引くために、リリア=リューズという人物はどんどん過激になっていった。

 魔物のエサとなって引き裂かれたこともある。マッドサイエンティストに、生きたまま剥製にされてしまったこともある。三日三晩回転ノコギリ刃に追われ続けたこともある。

 初めは罪悪感を感じていたはずなのに、次第に僕の心は麻痺していった。

 読者が喜ぶのだ。リリアが苦しめば苦しむほど、皆は高い評価をしてくれる。

 そのたびに〝実際の〟リリアには顔を合わせづらくなっていく。彼女も作品を読んでいるのだ。今、どんな気持ちだろうか。ボロボロの、つぎはぎ人形にさせられた心中を、どうしても聞くことができずに、二人の会話はめっきり減っていった。

 たまに顔を合わせても、リリアは黙ったまま、青い瞳で僕をただじっ……と、見ているだけだ。結局、僕も一言も言葉を発さないまま、小説の世界に戻ってしまう。

 読者の享楽の声に溺れながら、どうやって彼らの目を喜ばせるかばかりを考えて……。彼女の気が狂おうが、その身体が何で汚れようが、気にならなくなっていった。


 数年もすると、僕は出版社も認めるモノ描きとなっていた。

 描いたものは本屋に並ぶようになり、超有名とは言わないまでも、コアなファンを取り込んだ、そこそこの売り上げを約束された作家として、知る人ぞ知る存在となる。

 実際のリリアと話すことなんてなくなってしまったけど、巷にはリリア=リューズという名前の少女が、さまざまな世界を生きていたから不都合はない。

 元々存在しない女なのだ。黙っていればただ消えていく幻の偶像を、僕は残すことに成功した。それも自己満足ではなく、日本というスケールで認めさせることができたのである。リリアもさぞ満足だろう。

 やがて、リリアはさまざまなメディアミックスの対象にもなった。

 アニメ化から始まって実写映画にもなり、国内の話題をさらっていく。

 それらはもちろん、過激な内容が抑えられていたが、一方で、卑猥な同人誌なども発売されて、リリアという〝アイドル〟は何層ものファンを持つようになった。

 僕はそれらメディアミックスされたもののシナリオにはほとんど噛んでいないわけで、思い描いてきたままの美少女が独り歩きを始めた姿を、今、半ば呆然として眺めている。


 しかしある日、目に飛び込んできたリリア=リューズの意外な行動に、僕は仰天した。彼女のアニメを見ていた僕は、すぐにスマホを手に取る。許せない。

「担当を出せ」

「は?」

 電話口の女性は泡を食って返答した。

「何のお話でしょうか」

「『女神は時々ヴァンパイア』の原作者だよ。アニメの担当を出せ!」

 剣幕に押され、「少々お待ちください」と声を震わせる女性。程なく電話を受けた男に、僕はがなった。

「なぜリリアにゼリーを投げ捨てさせた?」

「え……?」

「なぜゼリーを捨てさせたかと聞いている」

「あれは……」

 しどろもどろとなる担当者。

「ヴァンパイアの血が沸騰する時、その……猛っていく姿を表現したくて」

「リリアは何があってもゼリーが大事なんだよ! すぐに修正しろ! それで、番組の最後に詫びを入れるんだ!!」

「え、でも……オンエア中ですし……」

「知るか!!」

 僕は確かにいろんなリリア=リューズを描いた。その中で、数え切れない性格破綻と、残酷な仕打ちを彼女に強いた。

 しかし、どれ一つをとっても、彼女からゼリーは取り上げなかった。

 だって、ゼリーは彼女が唯一好きな食べ物だから。どんなに心が離れても、どんなに彼女を汚しても、この部分だけは、譲れない彼女との繋がりだった。

 ゼリーはネタの一つではないのだ。僕と彼女の、最後に残された絆である。少なくとも僕はそう思っている。


 僕が怒り心頭に欲したこの日のことは、そのまま裁判にまで持ち込まれることになる。

 しかし、その判決に僕は目を疑った。

 彼女との繋がりを訴えた僕に対して、判事の出した結論は、

『原告の言う事情はなんら根拠がなく、設定には「ゼリーが好物」とあるだけであり、その意向を問題のシーンで汲んでいないとはいえない』

 それどころか、僕は逆にオンエア中のアニメを無理やり止めさせたことに対する損害賠償を請求されるに至った。

 しかもこの訴訟はSNSやツイッターを通じて世間の嘲笑を浴びることになり、その後、ゼリーを大切にしないリリア=リューズの姿をさまざまな画像や動画で表現し、ネタにするのがアンダーグラウンドで流行った。

 原作者の僕がそれにどれだけの神経が逆撫でされるかなど、誰も気にしない。きっとそれで狂い死したら更なるネタになる、くらいに思っているのだろう。

 怒りに任せて、リリア=リューズの絡む物語すべての差し止めを各方面に突きつけたが、すでにいくつもの権利に守られた彼女は、僕の意思を離れている。

 川の流れを身一つで堰き止めようとしているようなもので、とても手に負えるものではなかった。


 本当のリリアのことをしっかりと思い出せば、世間が認識している彼女はなんと低俗なことか。

 僕はみなの勘違いしているリリア=リューズを憎んだ。アンダーグラウンドで売買されている同人誌を、すべて切り裂いてやりたいと思った。

 だけど……僕は知っている。そういうリリア=リューズを創り出したのは、僕なのだ。

 彼女は言っていた。

「プロの小説家になるっていうことはね。たぶん私と、キミの間に、誰かが入ってくるっていうことなんだと思うの」

 思えば、聖域であった。

 彼女との絆が、小説という世界を通じて繋がっていた。とても小さくて尊い、二人だけの空間だったのに。

 なぜ忘れた。なぜ僕は……その聖域の尊さを忘れてしまったのだろう。

 彼女は、ただただ、歌と花を愛する少女だった。彼女がほんの小さな恋をしたり、歌で勇気を得たり……。無垢な大草原でひっそりとたたずむ妖精であったはずなのに。

 気がつけば、その八重歯は牙と化し、血塗られた阿婆擦れへと変貌してしまった。

「私のことを大事にしているキミが、きっとつらくなる日が来る……」

 彼女は警告していた。なぜ、今日のような日を彼女が予期できたのかは分からない。しかし今、その言葉が頭の中で半鐘のように、がんがんと鳴り続けて僕を苛む。

「僕のせいだ……」

 彼女を殺したのは僕だ。目立ちたい一心で、僕は彼女を拷問し続けた。

 彼女はその間、一つの文句も言わず、なすがまま、僕の辱めに耐え続けた。

「応援する……」

 彼女は、あの時不本意ながらうなずいてくれた。その言葉の通り、恥辱にまみれても応援し続けてくれた。

 僕は大きくなった。彼女の犠牲の元に。

 ……だけど僕は、彼女を犠牲にして、一体何を求めていたのか。

 リリア=リューズが僕の元から巣立っていく様か?

 本来の彼女を消し去ることか?

 なぜ……彼女をもっと大事にしてやれなかったのか。

 ……後悔が隙間風だらけとなった身体をすり抜けて、僕はちくちくと痛む頭を抱えるしかなかった。


「一樹……」

 その時、僕は名前を呼ばれた気がした。

 僕は目を見開く。その声が無視できるわけがない。頭の中に直接響くその声は、

「リリア!?」

「私とのしゃべり方を忘れた?」

 声は出さなくてもいいんだよ……彼女はそう含む。

「リリア!! まだいてくれたのか!?」

 数年……いや、十年は越えている。

 もはや、僕の年齢は彼女を軽く見下ろすほどになっているが、久しぶりに浮かび上がった彼女は、しかし、どこかのイラストレーターのデザインに邪魔されて、その姿がよく見えない。イメージにならない。

「よく、がんばってきたね」

「リリアごめん!! ほんとうにごめん!!!」

「……」

 繰り返し、何度も何度も声を荒げるが、彼女のイメージは一向に鮮明にならない。

 もともとが僕の中で生きている少女だ。僕が想像する習慣を忘れたら、そのまま忘れられていく運命にあるのかもしれなかった。

「ごめんな! ほんとうに、謝りきれない」

「……引っ込み思案だったキミが、立派に立ち回ってることがうれしかったよ」

「だけど……」

「私は、何でもするって言った」

「だけど!!」

 あのような形で、みなにリリアのことを認めてもらいたかったわけではなかった。

 ほんとは、こんなに美しい。こんなに心優しい妖精なのに……。

「恨んでないよ。キミは外の世界を生きなきゃダメなの。いつまでも私だけと話してちゃダメなんだから……」

「僕はそんなの望んでない!!」

 矛盾しきっている言葉を、僕は叫んだ。

 目が曇っていた時は、「本当はいない女」と断じて無視をしきっていた。

 理由には、罪悪感もあった。努めて彼女の感情から目を背けようとしていたことも揺るぎない。だけど、僕はやはり、リリア=リューズを失いたくない。

 世間に知られた偽りの彼女じゃない。本当の……僕だけをひたすらに見つめてくれていた少女を。

「リリアだって、また僕と話したくなったから出てきてくれたんだよね!?」

「……」

「また、前みたいに楽しくやろう!? 僕はまた、毎日キミに話しかけるし……」

「今日は一つだけ言いにきたの」

「やめてくれよ!!」

 僕は小説家だ。今の流れ、今のセリフ。さよならをいいに来たことくらい分かる。

「全部捨てる。小説家なんてやめてやる! だから、さよならだけは言わないで!!」

「さよなら、だけじゃない」

「え……?」

 どうしても彼女の姿がよく見えない。僕はそれに苛立ちさえ覚えたが、彼女の次の言葉で、すべての感情が吹っ飛んでしまった。

「私のことを、いなかったことにしてほしい」


 本物の、いつも飄々と言葉を生み出しては僕に安心をくれたリリア=リューズは、やはり訥々と言葉を発した。

「キミはやさしいから、私のことを思い出してしまった以上、外の世界の私を見るたびに心を痛めると思う。それは、とてもつらいことだと思うの」

「……」

 確かにそうだろう。そして今、リリア=リューズにまったく接することのない生活は、僕にはできない。

 なにかといえば彼女の影がちらついて、そのたびに僕はえもいわれぬ苛立ちに心を病むことは間違いなかった。

 彼女は言う。

「それは、キミの心の中に私が住んでいるから。なまじ私がいるから、キミは苦しむ」

 だから……と彼女は続けた。

「私のことを、いなかったことにしてほしい。はじめからリリア=リューズなんて女はいなかった。キミはただ……小説家っていう枠の中で、つぎはぎだらけのお人形さんを生み出しただけ」

「そんなのできるわけない!!!」

 彼女がいたから、僕は文章を描き始めた。そもそも彼女が僕に文章を勧めてくれたんだ。彼女は友達でもあるし恩人でもある。

 そりゃ、確かにいないものとして考えたこともある。だけど、僕はずっと、リリア=リューズと共に生きてきた。このことだって間違いないのだ。

 彼女は「うん」とうなずいた。

「そのままリリア=リューズと一緒に生きてくれればいいよ。ただし、もう消すことのできなくなった外の世界のリリア=リューズとね」

「いやだ!!!」

「それがキミのためだと思う。私は知ってる」

「……なにを……?」

「キミは、このまま行けば自殺する」

「……え……?」

「私は、キミをそんな風に失うために、小説家を勧めたんじゃない」

「……」

 僕は、声が出なかった。

 今でこそ、死は隣にはない。しかし、これから先、僕の意識を離れたリリア=リューズに〝殺される〟可能性は、往々にしてある。

「だから、私のことを忘れなさい」

「できないよ!!!」

「できる」

「忘れられるわけがない!!!」

「それができることを今日は言いにきたの」

「え……?」


 一転訪れる静寂。なにができるというのだ。

 僕は呆然と、姿のハッキリしない彼女を見つめながら、彼女が言い出す言葉を待った。

「その方法はキミを少し傷つける。それだけは言っておかなきゃって思った」

「なにをする気だ……」

「キミの脳の一部を、ほんの少しだけ傷つける」

 彼女の住む記憶の一部……。

「それでキミは、私を思い出すことができなくなる」

「そんなの!!」

「大丈夫。マイクロメートルとか、そういう単位だから日常生活には支障がないよ」

「いやだよ!!」

 ……マイクロメートルの破壊で、彼女と造り上げてきたすべての記憶がとんでしまうのか。僕はそれに恐怖して、ひたすらに叫んでしまっていた。

「リリアを失いたくないのに、どうしてそういうことをするんだ!! 復讐なのか!?」

「馬鹿……」

 視線を外して悲しげな表情を浮かべたリリアの、本当に言いたいことは分かってる。

 僕を、あくまで護ろうとしているんだ。

 彼女が消えれば、僕が外のリリア=リューズに腹を立てることもないのだ。袋小路に迷い込んだ僕を、すべてを無に帰すことで開放しようとしている。分かってる!

 ……彼女の声はあくまで飄々としていた。

「キミは、私との話し方を忘れかけてる。最悪、私だけ消え去って、私との記憶だけが残る可能性がある。ううん、その可能性が高いと思う」

「今日からずっと思い出す! 話し方なんて思い出せばいいんだ!!」

「脳はね。衰える一方なんだよ」

 いくら努力しても、前のようには話せまい。記憶だけが残るくらいなら、今、決断した方がいい。

 彼女はそう呟いて……あらためて僕を見た。

「ずっと……私に話しかけてくれてありがとう。キミが優しかったから、私はこんなにも長く生きられた。そしてキミが、また思い出してくれたから、話すこともできたんだよ」

「……」

「さよならを、言いにくることができたの」

「やめて!!」

 僕の方がずいぶんと年上になっているはずなのに、まるで僕は母親に抱かれて眠る子供のようだ。いくらふてっても、さらに大きな愛が、包み込んでしまう。

「キミの事は、ずっと応援してる」

 そして彼女はいつぶりだろう……やさしく、ほのかな笑みを浮かべた。

 幼かった頃、彼女はいつも微笑わらっていた。僕はいつもその笑顔に支えられて生きてきた。

 見たい。彼女のくれるその安らぎが見たい。ずっと見ていたい。僕は必死に目を凝らす。

 なのにイメージがかすんでよく見えない。

 僕が今まで握りつぶしてきたものが……まるで涙で幕を張ったかのようにかすんでいる。

 それが悔しくて悔しくて……脳を引きずり出してでも見てやろうと、両腕でありったけの髪の毛を掴んで、むしり取ろうとしていた。


「一樹……」

 すっかり地面にうずくまってしまっている僕に、声が上から降ってきた。

 頭痛も治まり、ふつと見上げると、一人の女性が僕を見下ろしている。

 見渡せば家の近くの公園じゃないか。僕はこんなところにいたのか。……というか、今まで何をしていたのだろう。

「本当にキミは世話が焼けるんだから……」

 その声で僕は我に返る。こんな姿を女性に見られていることはバツが悪く、平静を装って膝の埃を払って立ち上がった。

 立ち尽くしている女性をもう一度見ながら「大丈夫です」と言いかけて……少し笑ってしまった。

 リリア=リューズがいるのだ。

 薄紅色の髪、青い瞳、白いワンピース……。僕は思わず感嘆の声を上げる。

「すごい。僕のイメージ通りのリリア=リューズですよ」

 あまりにイメージ通りなのだ。アニメ化はされた、実写化もされたが、これほどの〝出来〟は、見たことがない。

 その少女がやわらかく微笑めば、僕は息を呑んだ。

 あまりの美しさに……それ以上に、不思議な懐かしさが、僕から言葉を奪う。

「見えた?」

「え……?」

「笑顔は……見えた?」

「は、はい……」

 コスプレ少女は満足をしたかのように、ふわりと背を向ける。

「応援してるから」

「あ、はい。あなたは……」

 名前だ。こんなリリア=リューズは他にいない。今、話の持ち上がっているリリア出演作品の映画化で、僕は是非彼女を主演に推薦したい。

「どうですか!?」

 しかし、彼女は何も言わず立ち去ろうとする。僕はムキになった。

「あなたが大好きなリリア=リューズですよ!? 有名人になりたくないですか!?」

「……」

 なおも振り返らない薄紅色の妖精。僕は更なる言葉を用意して口を開きかける。しかしその時……彼女の背中は、ポツリ……つぶやいた言葉で僕を制止した。

「キミは、リリア=リューズが好き……?」

「もちろんです。僕の生み出したキャラの中でも、彼女は一番の当たりキャラです」

「……」

 その背中が一瞬、震えた気がした。僕は彼女が振り返った時のために、笑顔を用意する。

 が、彼女が次に声にした言葉が、涙に濡れていたことに愕然とした。

「ずっと……応援してるから……」

「え? あの!!」

「さようなら……」

「ちょっと!!」

 しかし、もう、彼女には僕の声が届かない。伸ばした僕の指の先……彼女に中指が触れた瞬間、彼女は、フッと煙を巻くように消えてしまったのだ。


 そして……僕は彼女に二度と会うことはなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 物語を書こうなんてヤツは空想好きで、心の中にキャラクターを何人も持っているに違いない。 そのキャラクターが世に出て「自分の手を離れる」というのは「子供の独り立ち」に似た感覚なのかな、と思う。…
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