オレの名前はアルバート
ここでは珍しく、企画に参加したものではなく、矢久の書庫にあった相当過去作
気が向いたので。
ネコ視点でのお話です。
オレにはアルバートという名前がある。
おとんがつけた名前だ。4つ子の3ばんめとして生まれて……ん?4つ子に何ばんめなんてあるのかって?
……わかんないけど、かっこいいだろ?だから、オレは4つ子の3ばんめのオスだ。
毛並みは茶のトラもようで、しっぽは最後のほうでやや曲がったままになっている。かっこいいだろ?
ネコの社会というのは生まれてあるていど大きくなると生まれた場所を出て行かないといけない。
だって、ここはおとんのナワバリだから。メスはいいんだ。でもオスは、自分で自分の住む場所を見つけなきゃなんない。
ある日オレはおとんやおかんに別れも告げずにナワバリを出た。
今日からはオレは一人前のネコなんだ。自分でゴハンを探して、自分のナワバリを作って、ステキなメスを見つけるんだ。そしておいしいゴハンを探して……さっき言ったなコレ……。
ゴハン……ゴハン……。
そうさ。オレはハラがへっている。どこかでゴハンをもらわないと動けなくなってしまう。
おとんはとあるニンゲンの家でゴハンをもらっていた。都会のノラはタイヘンなんだ。街はすっかりコンクリートだらけになってしまっているから、ネズミなんてめったにいやしない。トリはずっと高くの電線にとまっているし、自分でゴハンを狩りしようとしても手の届くところに自分より小さいイキモノなんていやしない。
街のゴミバコにはネットが張られちゃっているし、あんまり目立った動きをするとこわいニンゲンに連れて行かれるらしいから、無茶はするなっておとんが言ってたし……。
すると、オレたちがゴハンにありつくのは、ゴハンをくれる人間を探すしかないんだ。
オレはそういうニンゲンを何日も何日も見つけられなかった。
次第にカラダはやせ細り、しなやかだったオレのカラダも、骨が目立ってかっこ悪くなってきた。
思ったよりも、ニンゲンというのはムズカシイ。おとんなんて声を上げればゴハンをくれる家を知っていたから、みんなそんなモンなんだと思ってたのに……。
じっさいは、ネコを見るとまるでドロボーが来たかのようにものすごい顔でおいはらうニンゲンたちとかも多くて、どうしたらいいのかわからない。
家のヘイをのぼってみたり、明かりの付いている窓を覗いてみたり、公園をなんども歩き回ってみたけど、センリ品はヘンなスナック菓子だけだった。
ユダンはできない。ちょっと広いところに行けば車というニンゲンたちの乗るハコとぶつかりそうになるし、ニンゲンのコドモたちは、なにもしてくれないのにどんどん追いかけてくるし。
オレは、だんだんニンゲンっていうのが怖くなっていったんだ。
ニンゲンを見れば逃げるようになった。
ゴハンがほしいのに、どんどんハラが減っていくのに、ニンゲンたちにちかよれない。思えばアイツら、オレたちより何倍も巨人なのだ。その気になればこちらが食われてしまうのかもしれない。
だからオレは、ニンゲンにたよることをせずに、ゴハンをさがす方法をかんがえた。
けつろん。そんなものはない。
だって、オレはおとんから狩りの方法も教えてもらってない。なんか、小さくてカタそうな虫が、たまにうろついてるところもあるけど、こんなの食えるかどうかもわからない。ハラ壊したらどうするんだ。
でも、そのうち目がかすんできた。
ゴハン……。
お腹すいた……。
そして気が付くと、オレはニンゲンの家の中にいた。
やわらかいバスタオルの上で横になっていたオレは、目を開けたすぐそこにニンゲンがいることに気づいて、思わず飛び上がってしまった。
「しっ! 静かに……!」
そのニンゲンが口にひとさし指を当ててそんなことを言ったが、オレはパニックだ。ひっくり返るようにソイツから遠ざかると全身の毛を逆立てて大声で唸った。
「静かにってば……!」
あくまで声を潜めてそのニンゲンはオレをたしなめようとしているけど、おとなしくなったらなにをされるかわからない。
そのうち
「歩美。なに? なにかいるの……?」
「なんでもない!!」
その「あゆみ」というニンゲンは急いで窓をあけた。
「あとでかまぼこを窓の外に置いておいてあげるからね……!」
そして、近づいてくるもう一つの声を止めに行くように、とびらをきっちり閉めて出て行った。
オレにはかんがえる余裕なんてない。いきなり開いた窓を頼りに全速力で夜のベランダに逃げたんだ。
そしてあとでおそるおそるそのベランダをのぞいてみると、はしっこの目立たないところに、しろい半月みたいなかまぼこが並んでた。
だからってオレはすぐにあゆみを信じたわけじゃなかった。オレだってそんなに甘くない。
でも、ベランダにはその日から、いつも何かが置いてあるようになったんだ。コメだったり、サカナの身体だったり……いいときにはとり肉なんかも置いてあったりする日もあったからうれしかった。
たまに、窓辺のあゆみと目が合うときがある。でもオレはまだこわいからあゆみの手の届かないとこでじっと見る。見るだけ。
すると決まってあゆみはこう言うんだ。
「ぴよぴよ。おいで」
なんだ、ぴよぴよって。
「おいでおいで」
右手でちっちゃく手招きをしながら、「オイデ」という言葉と「ピヨピヨ」という言葉をくりかえすから意味がわからない。
まぁいいや。あのニンゲンはひとしきりそれをしたあと、ゴハンを持ってきてくれる。オレはその時まで待てばよかったから、意味がわからなくても不自由はなかったんだ。
オレがおとんやおかんからジリツしたのは、春だった。
それから夏がきて、秋がきて、冬がきた。
あゆみはあいかわらず「おいで、ぴよぴよ」をくりかえしているけど、オレには関係ない。ゴハンがもらえればそれでいいから。
ところが、コマったことが起きた。冬という季節を、オレはナメていたんだ。
さむい。なにこのさむさは。
今まで、風がオレにつきささってくることはなかったのに、こんなのはひどい。身体がかたまって動けなくなってしまいそうだった。あついのはダラけてればよかったけど、さむいのは倒れてしまいそうだ。
でも、ひとつだけ……オレはさむくない場所を発見したんだ。それは、あゆみの部屋。あゆみの部屋は、あったかい。
知ったのはオレがカシコかったから。あゆみのくれたゴハンがとてもあったかいことに、オレはふと気づいたんだ。
あったかいゴハンが部屋からでてくる。ということは部屋はあったかい。われながら頭がいい。
モンダイは部屋に入る方法だけど……。
……あゆみがあの「ぴよぴよ」をはじめた隙に入るしかない。
オレはベランダの物カゲにかくれて、窓があくのをまった。そして……。
「ぴよぴよいるかな……ひゃ!!」
作戦は、ハンブン成功したことはした。
思ったとおり、部屋の中はあったかい。ところがコマったことになっている。
オレは最高のスピードで中に忍び込んだのに、さっそくあゆみに見つかってしまっているところだ。
あゆみは少しおどろいた顔をした。けどすぐに、
「ようこそ」
と微笑んだ。ようこそ?……聞きなれない言葉だ。
そして、いつだったかのように口にひとさし指を当てて、
「静かにね。うち、お父さんもお母さんも、ネコだいきらいなの」
よくわからないけど、とりあえずオレは部屋の隅でじっとあゆみを見ていた。なぜって?いつ襲ってくるかわからないからに決まってるじゃないか。
足の速さには自信があるから、あゆみが前に来れば、オレはそれだけ逃げればいい。
ところが、あゆみはぜんぜん動かない。その場所に座ってしまうと、ベランダに置くつもりだった「ちーかま」をその辺の紙の上に載せてオレのほうへ押しやってきた。
「食べな」
あゆみのいる向こうの壁には、こん色の服が引っかかってる。
オレは、それが高校の制服だっていうことをあとで知ったんだ。
あゆみの部屋でゴハンを食べる。……そんな生活が始まった。
一度、不覚にもあゆみの前で寝てしまって、ハッと目を覚ました時に自分がなでられてることに気づいた。
そりゃ、おどろいたさ。思わずオレはあゆみを引っかいて転げまわったし。そしたら、あゆみはツメの当たった手をおさえて、
「ごめんね」
と言った。
そんなことよりも血が流れてる。わるいことをした。あゆみを傷つけたかったわけじゃなかったんだ。ただ、びっくりしてつい、ツメが出た。
ちょっとこわいけど、その時オレは、あゆみにはツメを出さないことをカミサマに誓ったんだ。
そしてまた、春がきて、夏がきた。
オレとあゆみはすっかり仲良しになっていた。あゆみが学校から帰ってくるのを待って、あそびに行く毎日。
でもオレはこの部屋で、絶対に声を出しちゃいけない。
あゆみと一緒に暮らしてるニンゲンは、オレがあゆみを傷つけてしまった原因を作った、こわいニンゲンたちと同種だったから。
なぜ、あゆみだけ他のニンゲンと違うんだろう。それはわからなかったけど、とにかくオレはカシコいから一度わかればわかる。それからというもの、オレは一切鳴かないで、ひたすらあゆみの声を聞いてる。
だけど、コマったことがまた起きた。
「ほら、かまぼこだよ、ぴよぴよ」
どうやら、ぴよぴよ……はオレのことらしい。まてあゆみ。オレはアルバートっていう、かっこいい名前があるんだよ。
「それでね、ぴよぴよ」
いや、違うんだあゆみ。
でも、名前を伝える方法がない。このままではオレはぴよぴよという名のネコになってしまうじゃないか。
とにかく目で訴えてみる。……そういえば、昔よりもあゆみは太った。
「ねぇぴよぴよ」
ちなみに、訴えは、まったく届いてないらしい。
「わたしね、お腹に赤ちゃんできたの……ねぇ、わかる? ぴよぴよ」
だから、オレはぴよぴよじゃないんだって……。
「でもわたし、まだ未成年だし、お父さんお母さんはきびしい人だから、まだ結婚を許してくれるわけなくて……」
お腹がおっきくなってきてそろそろ隠せないんだよね。……みたいなことを言ってる。意味がわからない。
それよりもオレはぴよぴよじゃない。こんなに仲良くなったあゆみだから、名前くらいはちゃんと呼んでほしいと思う。
あゆみと話したい。話せるようになりたい。
……いつしかオレは、そう思うようになったんだ。
だから、ネコガミ様のところへ行くことにした。
場所はおかんにちっちゃいころ聞かされてるから平気。でも遠い。すっごく遠い。行って帰って一ヶ月くらいあゆみに会えない。
それでも、行こうと思った。あゆみと話をしたいから。
オレの名前を教えてあげたらあゆみは喜ぶに違いない。だってアルバートなんて名前はそうそうない。かっこいいんだから。
「ニンゲンの言葉は勉強しなさい」
ところがネコガミ様はメンドウなことを言った。
「勉強? しゃべれるようになるの?」
「しゃべれるようにはならない」
「意味ないじゃないか」
「いや、そんなことはない。お前が言葉を覚えたらお話ができるおまじないを教えてあげるから」
なんと、それはすごい。さすがネコガミ様だ。
それからオレはフクザツでナンカイな人間の言葉を、来る日も来る日も勉強した。
こんなに発音を使い分けなければならないのはニンゲンだけだろう。ネコは単音で感情を伝えられるのに、まったくニンゲンってやつはポンコツだ。
でも、そんな理解力のないニンゲンでも、あゆみは友達。引っかいても威嚇しても、いつも優しい顔でゴハンをくれた。なでてくれると気持ちよかった。初めは怖かったけど、慣れてくると、いつまでもなでてほしくなった。あゆみの膝は柔らかかったし、あったかかったし、すごい幸せな気持ちになれたから。
それからまた長い時間がすぎて木々の葉っぱが赤や黄色くなって落ちるころ……オレはネコガミ様に言ったんだ。
「もう大丈夫だからおまじないを教えて。あゆみのところに帰りたい」
するとネコガミ様はコマった顔をした。
「まだお前はほんの少ししか言葉を覚えてないじゃないか」
「あゆみと話せるだけわかればいいんだ」
「それじゃまだ、おまじないを教えることはできないよ」
「でも、あゆみにはオレがついてないと心配だ」
「半人前のネコがおまじないを使うと、命が危ないんだよ」
「命?」
「死んじゃうの」
「死ぬって?」
「この世の中からいなくなっちゃうの」
「オレが? いやだ」
「だから、教えられないんだよ」
よくわからないけど、いなくなっちゃうのは困る。あゆみと話せなくなるじゃないか。でも、オレはおまじないをあきらめてもとにかくあゆみのところへ帰りたかった。
もうずっとあゆみと会ってないから。それに、胸の辺りがムズムズするんだ。
このヘンなムズムズが、いやな予感だったんだって気づいたのは、あゆみの家に戻ってきた時だった。結局オレはおまじないも覚えずに帰ってきちゃったんだ。
あゆみがいない。
部屋をのぞいても、家の周りをぐるぐるしても、ドアのところでこっそり待ち伏せしても、夜になっても、雨が降っても、あゆみは家から顔をみせない。
オレは次第にパニックになっていった。あゆみがいない心配もそうなんだけど、ネコガミ様のところにいた時は心配しなくてよかったゴハンが、今はない。
あゆみが病気で家を出てこれなくても、ゴハンがあれば待ってることはできるけど、でないとオレはどんどんやせ細ってしまう。
ゴハン……ゴハン……ゴハン……ゴハン……
骨が浮き出てきたカラダで、オレはあゆみがいつか顔を出してくれることをずっと待った。
動く気力もなくしてきたある日、あゆみの家から出てきた二人のニンゲンを見つけた。なんか叫んでる。
「歩美があんなに思いつめたのも、あなたが厳しくしすぎたからじゃない!」
「お前の目が行き届かなかったからあんなになるまで気づかなかったんだろう!?」
「あそこまで必死に隠されたら分からないわよ! 私だって働いてるんだし!」
「まぁいい、それで? 歩美はなんて言ってるんだ」
「あくまで「生みたい」って……」
「無事に生まれてくる可能性はどれくらいあるんだ」
「わからない。母子共に危険だって……」
「……急ごう」
二人が向こうへ駆けていく。それらの会話の意味はほとんど分からなかった。あんなに勉強したのに、ほとんど聞いたこともない言葉だった。ネコガミ様は教えるのがヘタだ。
でも……オレは力を振り絞って立ち上がった。
二つだけ、分かった言葉がある。
あゆみ、キケン、だ。
オレは二人を追った。アイツらの行く先にあゆみがいる。それだけは分かる。
アイツらは車という名のハコに乗るらしい。オレも乗れるだろうか。オレは獲物を狙うように体勢を低くして、ハコが開くなり走り出した。
「うわっ! なんだ!?」
しかしコマったことに、オレはすぐに見つかってしまう。ハラが減っていつもの力が出ないから、飛び込むスピードが遅かったのかもしれない。
とたんにハコの中は大騒動。二人は目をサンカクにしてオレを追っ払おうと必死になるし、オレはそのせいでいろんなもので叩かれそうになるし。しかたないから一度飛び出して様子を見る。
すると、車はすぐにブロンという音を立てて行ってしまった。
……行ってしまった……じゃなかった。このまま行かせるわけにはいかない。オレだってあゆみが心配なんだ。あゆみ、キケン、なら、オレはそばにいてやりたい。
友達だから。オレとあゆみは、友達だから。
たすけてやる。オレが、助けてやるんだ。
だからオレは、車をいっしょうけんめい追ったんだ。
だけど、車というハコは速い。ものすごい速い。ネコ仲間でも一番速い、トモキチよりも速いんじゃないか。
しかも今のオレはハラがペコペコで力が出ない。ユダンするとすぐにハコを見失ってしまいそうだ。
でも、見失うわけにはいかなかった。オレとあゆみを繋ぐ、たった一つの手がかりなんだ。
見失えない。見失ってたまるか。見失ってたまるか!!
オレは走った。身体がナマリのように重くても、途中でクギを踏んでも、とにかく車を追った。足がイタくても、空腹で目がかすんでも、とにかく追ったんだ。
でも……オレはとうとう、車を見失ってしまった。ボーゼンとなってあたりを見回すと、そこは、右を見ても左を見ても、知らない場所だった。
ハコがそんなオレに知らん顔のまま、ものすごいスピードで脇を通り過ぎていく。ひょっとしたら、そのどれかに飛び乗ったらあゆみのところまでいけるんじゃないか?……そう思ったりもしたけど、今のオレに飛び乗るゲンキはない。だけど、とりあえず進まなきゃ……。
オレは血のにじんだ足をなめて、車が行ってしまったほうへ歩き出す。その足がもつれた。
そして、バランスを崩して転んだ時、オレは見た。
追っていたハコとは別のハコが、ものすごい音を立てて、オレに襲い掛かってきたんだ。一瞬、バン!!って音がして、オレは道路の向こうまで弾き飛ばされた気がする。
よく覚えてない。一瞬で、目の前が真っ暗になってしまったんだ。
でも、オレは、そのクラヤミの中で、あゆみを見つけた。
あゆみは、横になっている。オレは知ってる。あれはベッドというやつだ。フトンというふわふわのふわふわがあって、あゆみがいると、中がすごくあったかいんだ。
「あゆみ!!」
オレが声を上げる。あゆみは横になったまま、こちらを向いた。
「あ……ぴよぴよ……」
「あゆみ! だいじょうぶか? オレが来たから、もうだいじょうぶだぞ!」
オレはいつものように、あゆみのほっぺたのところまで行く。そして自分のほっぺたであゆみのほっぺたをすりすりする。
「どこ行ってたの? ずっと心配してたんだよ。事故でもしたんじゃないかって……」
そこで気づいた。あゆみが、何を言ってるのかが分かるんだ。
「ネコガミ様のとこにいたんだよ。オレ、あゆみと話したかったから」
「ネコガミ様?」
「うん、ニンゲンの言葉を教えてくれた」
「そうなのね……」
オレはいつものとおりのあゆみを求める。でも、あゆみの様子はいつもどおりじゃなかった。なにか、深く沈んでいるふうに見えた。
「どうしたの? あゆみ。お腹すいたの?」
「ううん……」
あゆみはポツリ……言った。
「さいごに、ぴよぴよと会えてよかった」
「さいご……?」
「わたし、もうダメかもしれない……」
「なにがダメなんだよ」
「今、みんなが必死にわたしを処置してくれてるけど……もう、死んじゃうかも……」
「死……」
"死"とは聞いたことがある。ネコガミ様が言ってた。
「この世からいなくなっちゃう……?」
「そう。お腹の赤ちゃんをね。隠しすぎたら身体が悪くなってることに気づかなくって……」
「だめだよ! そしたらオレともう会えないじゃないか!!」
「うん……ゴメンね」
「だめだよ!! あゆみがいてくれなかったら、オレは誰にゴハンをもらえばいいんだよ!!」
「そうだね……」
「あゆみと、もっといっぱいあそびたいんだよ! いっぱいゴロゴロしたいんだよ!」
あゆみが、なぜか涙をこぼし始める。でもオレはかまわなかった。
「ねぇ、オレもっとちゃんとニンゲンの言葉、練習するから。な? そしたらあゆみも楽しいだろ? だから死ぬなんていわないで……」
「……」
とても悲しい顔をしているあゆみ。オレはあゆみにそんな顔をしてほしくない。だからもっと叫んだ。
「あきらめるなよ! オレがついてる! オレがずっとそばにいてやるから!!」
「……」
笑ってほしいんだよ。なんていえば笑ってくれるんだよ。オレはありったけの言葉を探して、叫び続ける。
「オレ、ゴハンがなくてもずっとあゆみを待ってたよ。別のところに行かないであゆみの家で待ってたよ。あゆみが大好きだから。あゆみが大好きだから!!」
でも、あゆみは逆に、オレが何かを言うたびにもっと泣いてしまう。意味がわからない。
「約束する! オレがあゆみを守る! 頼もしいだろ? だから泣かないで……」
でも、オレは、叫ぶしかなかった。他に何ができる?カシコいオレでさえ、こんな状況じゃ何も思いつかない。
「だから約束して! ずっと一緒にいよう!? 一緒にゴハンを食べよう!?」
「……」
あゆみは、だまったままだった。
でも、ほんの少しだけ……、あゆみの顔が、泣きながらも微笑んだように見えて、オレはうれしかった。
……でもでも、それを最後に、オレはあゆみが見えなくなってしまったんだ。
ずっと……ずっと……長い間……
オレには、あゆみが見えなかった。
でもある日、気づいたんだ。
……お昼時。部屋の窓の先で、知らないネコが毛づくろいをしていることに気がついたオレは、あゆみを見上げて、ちっちゃな手を広げながら口をあけた。
「ママ」
あゆみは振り向かない。振り向く必要がない。いつもいつも、オレを見ているから。
そして、手を広げる、このポーズをすると、あゆみは抱っこをしてくれるのだ。
「なに? まさちゃん」
オレは、あゆみの暖かさを感じながら、自分を指さした。
「ボク、生まれる前は、アルバートってゆう名前だったんだぉ」
「ふふ……前世は外人さんだったのかしら」
前世?外人さん?……よくわからない。だけどわからないと思われるのはイヤなので、「うん」とうなずいた。
「ボクはね、ママの部屋で寝てたんだぉ」
「へぇぇ、ママと?」
「うん。ママ、お腹おっきかった」
「そうなのね。まさちゃんはママのお腹の中にいたからずっと一緒に寝てたよね」
「お腹じゃなくて、おふとんの中だぉ」
「うんうん。そうね」
なんだか、いまいち分かってくれてるのか、くれてないのか……あゆみはただうなづくばかり。
微笑むあゆみから一瞬目を離して、オレはネコを指さす。ただしくいうと、ネコのいるところを指さした。
「ママ、いつも、かまぼこくれたの」
「ふふふ、まさちゃんはニャーニャーだったのかな」
「うん」
オレとあゆみの中では、ネコは全部、ニャーニャーという名前がついている。
今もあゆみは部屋の窓を叩きに来るネコに、かまぼこをあげている。……あの頃と全然かわらない。やさしいあゆみ。
「いつも抱っこしてくれてたの」
「うんうん」
今も全然かわらない。抱っこしてくれるあゆみがオレは大好きだ。だから、あの時、あゆみが死ななくてよかった。
「ママがこの世からいなくならなくてよかった」
「ん……?」
「ボクね。ずっとママに、死なないで! って、お願いしてたんだぉ」
「え……」
「もっとあそびたかったから。ボク、ママのことが大好きだから……」
ふと見上げると、あゆみの顔が、少しこわばっていた。つぶやくような低い声をあげる。
「ねぇ……なんの話……? それ……」
なんの話かって?……あの時の話だよ。だけど、オレはうまく説明できない。
「ボクね。ずっとママに、ホントの名前はアルバートだよって言いたかったの」
「アルバート……」
思えば、オレはずいぶんといろんな事を忘れている。もっとムズカシイことを考えていたはずなのに。もっともっと、あゆみにいろんなことを言いたかったのに……。
残り少ない言葉で、それでもオレは今、初めてシンケンに聞いてくれてるあゆみに対して必死だった。
「でも、ママはいつもいつもボクをぴよぴよって呼ぶの」
「えっ!?」
あゆみの目が、一瞬大きくなった。
「それを教えてあげたら喜ぶと思ったら、ママは「もう死ぬかも」っていうんだ。だからボク、死なないで!! って叫んだんだぉ」
一生懸命。あの日と同じ、一生懸命。オレはあゆみに語りかけた。
あの時は伝わりきらなかった。ずっとずっと悲しそうに泣いていた。今度こそ、今度こそ!!
「ボクは、ママに笑ってほしくて帰って来たのに、いなくなっちゃうなんてイヤだから。だからずっとずっと叫んだの。泣かないでって。もうだいじょうぶだからって……」
……その後の言葉に、ボクは詰まった。あゆみの目からとめどなく涙がこぼれだしたんだ。何で泣き出したのかはわからない。また泣かせてしまった。
「ママ……?」
でも、その表情はすぐに見えなくなってしまった。あゆみはオレを、さらにさらに強く抱きしめたんだ。
「……ぴよぴよなの…………?」
あゆみの声は、深く……深く……噛み締めるような声だった。オレはアルバートなんだけど、もうオトナだからクウキを読んだ。
「う、うん」
あゆみがその返事を待っていたかのように震えだす。そして声を……まるでコドモのように大きな声を上げて泣き出してしまったんだ。
「ママ……」
やがてあゆみは嗚咽交じりになにやら難しい言葉を並べ始めた。
「わたし、集中治療室で意識を失った時、夢を見たの。もう、全部諦めてたのに、ぴよぴよはずっと耳元で鳴いてて……それが、まるで諦めたわたしを怒ってるようで、……だからがんばらなきゃって思った」
あゆみはオレを抱きしめたまま、さらに言う。
「あなたはあの時、ホントに叫び続けてくれてたんだね。おかげでわたしは助かったの。 でもね。お腹の子はもう絶望的だったの。完全に心臓も止まってるって。心臓が回復しても、脳に酸素がいってない時間が長すぎるって。だけど……生まれたの。生まれてくれたの。あなたが」
啼いたんだよ……みんなが諦めた時、大きな産声を上げて……
わたしも泣いたよ。いっぱい、いっぱい……
あゆみはそこまで言って、やっと、腕の力を抜いてくれた。苦しかったから助かった。死ぬかと思った。
「お医者さんからは奇跡だって言われたの。その時ほど神様に感謝した時はなかったけど……まさかその神様がぴよぴよだったなんて……」
「うん」
ウンとしか……オレは言えない。
でも、やっと伝わったんだ。やっと……あゆみを喜ばせてやることができた。そんな気がした。だって、あゆみは泣いてるのにすごいうれしそうなんだ。
ヒゲや尻尾をなくしてしまったのはちょっと残念だけど、あゆみはこんなに喜んでくれている。
それでいいやと、オレは思えた。
「でも……あなたは? ぴよぴよのあなたは……どこにいったの?」
あゆみが涙で鼻を真っ赤にしてオレを見る。
あゆみが知らない事実。オレも、よくわからないあの瞬間。車がオレをハネ飛ばして、それからオレはどこに行ったんだろう。
あゆみと会った、あの世界はどこだったんだろう……。
わからない。わからないけど、一つだけ確かなことがある。
オレはいなくなってなんかいない。ネコのカラダはなくしちゃったけど、オレは、断じていなくなってない。だから、死んでなんかいない。
だからオレは、再び自分を指差した。
「ボクは、ここにいるよ」
……あゆみは、それからまたしばらく、オレがお腹がすくまで、ずっとずっと、泣いていた。