試合崩壊
高みに向かって努力を続けることは、決して無駄ではない。
今は無駄が多くて徒労のように見えるかもしれないが、少しずつ頂点へと進んでいるのは確かなのだ。
(by哲学者/ニーチェ)
「しまった」
まったくの無警戒だった。
槇原投手と森捕手の不注意で、一塁ランナーがスタートを切ったのだ。
「へへへ……」
わざとらしい笑みを浮かべて。
木山遊撃手は。
「俺の狙いは始めからバスターだよ。ヒットエンドランは頂きだぜッ♪」
そう言って、木山遊撃手は。
バントからヒッティングに切り替えた。
快音が鳴り渡り。
浅く守っていた一・二塁間を破った。
「吉村ッ!」
キャッチャーマスクを外して。
森捕手は声を張り上げた。
「テメーの強肩、見せてやれ」
一塁ランナーはすでに二塁ベースを蹴っている。
「うおッッッりゃアアア!!!!」
雄叫びを上げて。
吉村外野手は球を投げ返した。
「おおっ! すげー肩だな、アイツ」
東校のベンチは吉村の返球にどよめいた。
「FCだけどな。ま、牽制にはなったみてーだが」
森捕手は吉村からの、矢のような送球を受け取った。
ノーアウト、ランナーは二・三塁。
「3番、ライト、高田くん。背番号5」
こっからが正念場ですよ、槇原先輩。
森捕手は心の中でつぶやく。
今度の相手バッターは。
正確なバットコントロールと、粘り打ちがウリだ。
ならば。
臭いところへの投球なら。
手を出してくる公算が高い。
ここは。
内角外角は問わずに、低めに外れる変化球で勝負してみるか。
スッ……と。
ミットを低めに構える。
槇原投手はランナーを気にしていたが、牽制球は投げなかった。
そして、投球姿勢に入る。
先程までより動作がぎこちなく、小さくまとまったようなフォームになっている。
「ボール」
判定はボールだった。
が、重要なのはそこではない。
低めの変化球を要求したのに、投げて来たのは高めのスローボール。
それは、北別府を彷彿とさせる精密機械。
槇原投手が崩れる前兆だったが。
「どんまいどんまい。力まずに投げましょう」
森捕手はそこまで深刻にとらえなかった。
「そうだな」
ベースボールキャップを脱いで、槇原投手は頭を掻いた。そしてそれをかぶり直す。
その間も落ち着きなく、ランナーを警戒する。
神経質に、何度も何度も。
今度は緊張をほぐす意味も込めて。
「なっ!?」
ポーカーフェイスの槇原は。
森のサインを見て。
動揺を顔に出してしまった。
ど真ん中のストレート、だと?
槇原投手はタイムもとらずに、ずかずかと森捕手に近づいた。
慌ててタイムをとる森。
「どうしたんですか、槇原先輩」
「冗談じゃねーぞ、なんだあのサイン。なんでど真ん中にストレートなんだよ。俺の長所は速球じゃねえ。制球力と変化球だろうがっ!」
「ええ。ですが3番の高田くんは広角打法で打率は高いですが、一発は出たことがありません。今回は外野を深く守らせて、被害を最小限に抑えるべきだと思います」
「ふざけんなっ!」
槇原投手は激昂する。
外野手はともかく、内野の選手は何事かと集まってきた。
「打たれないからこそのエースだろ? 最初から逃げ腰じゃあ情けねーぜ」
「それは違いますよ、槇原先輩。エースというのは、なるものではなくて……」
「うるせーよ、俺に指図すんな」
「指揮の全権は捕手にあります。従えないなら、投手交代を申し出ますが?」
「なにを血迷ったことを……。チームの爆弾、江川を投入する気か?」
「状況が煮詰まれば、そうします」
「だったら今すぐ代えろよ。俺はベンチでのんびり応援してるからよ」
「それはダメです」
「はっ? 俺にスタメン降板しろっていう意味だろ?」
「ですが江川の肩があたたまっていません。監督に申し出て、ブルペンで肩を作ってもらいますから、それまで槇原先輩には『場繋ぎとして』投げてもらいますよ」
「冗談じゃねー。俺は帰る。
あとは爆弾にでも、爆弾を投げさせてろッ!」
「そうやって、逃げるんですか? そんなことじゃいつまで経ってもエースの看板は背負えませんよ?」
「結構。お前とバッテリー組むくらいなら、エースは辞めるわ」
「監督、ピッチャー交代お願いします」
それからわずか1イニング後。
西校は盛大な挫折と敗北を経験することになる。
2イニング。
12対0のコールド負け。
「なるほど。実力はないわけではない、素材もセンスも悪くない魅力的な選手達ばかりです」
グラウンドの金網越しで。
Tシャツ、ジーンズ姿の男は言った。
「堀内監督、私にコーチの全指揮権を委譲してください。
どうしても我が母校を甲子園に連れていきたいんです」
その男は社会人ドラフト1位指名を受けた、元プロ野球選手だった。
拙い小説をお読みいただき、ありがとうございました。
今から「須藤靖貴」先生の「どまんなか(1~3)」を読んで。
野球をもっと勉強します。