一章四節 - 薄明と抜牙
大斗は与羽たちを待たせたうえで、まだ少し先にある板戸が半開きになった鍛冶屋の方に滑り込む。鍛冶屋の戸の隙間からはいつものように鋼を鍛える金属音と熱気が漏れていた。
九鬼家の昼は主に妻が行う八百屋。夜になり八百屋を閉めると、家長と息子たちと十数名の職人が隣の鍛冶屋で鍛冶仕事をはじめるのが通例となっている。
与羽は鍛冶屋までの短い距離をのんびりと歩き、足を止めた時には大斗が竹刀を置き、小さな風呂敷包みを持って出てくるところだった。
「風呂にも行ってくるから。夕飯はとっておいて」と奥にいる誰かに言い残して与羽に向き直る。
「待たせたね」
「先輩の家って大きいんだし、湯殿ありませんでしたっけ?」
城に向けて足を歩ませながら、与羽が尋ねた。城に向かったらしい薬師夫婦のことを忘れているのではないかと思うほどのんびりした話題だが、その足どりはいつもよりも大股で歩みも早い。
「汗をかいた時は銭湯の大浴場がいいんだよ。与羽もそう思うだろう?」
「まぁ、いろんな人と話しながらお風呂に入るのは楽しいですけどね……。あまり体を見られるのは――」
「龍鱗の跡、かい?」
中州を治める中州城主一族は龍神の血を継ぐと言われている。その証拠が、与羽たち城主一族の体に残る親指の爪大の無数の痣だ。与羽の場合は左ほほから首筋、背を経て右ひざの上のあたりまで続いている。
「ん~」
与羽は歯切れ悪く肯定した。
「俺は何とも思わないけどな」
そう言って与羽の頬に触れようとする大斗の腕を、番犬のごとく無言でついて来ていた雷乱が押さえる。
「何か思う思わないじゃなくてですね――」
「はっきり言いなよ」
さっさと雷乱の手を振り払い、いらだたしげに大斗。
「……だから――、あれですよ――」
「何が問題なわけ?」
「先輩」
今度は辰海だ。半身を大斗と与羽の間にはさみ、まっすぐ大斗を睨み据えている。
「この話、やめにしましょう。不愉快です」
大斗を苦手とする辰海だが、この時だけはひるむことなく与羽を守るように立ちはだかった。
「お前には関係ないはずだけど?」
大斗の敵意が辰海を向く。
それに辰海は同程度――いや、それ以上の殺気で応えた。
「辰海……」
与羽が不穏な空気を感じて、自分の前に出された辰海の腕を抑えた。
「大丈夫だよ、与羽」
そう左上の八重歯を見せて、与羽ににっこりほほえみかける辰海の顔は、いつもと変わらない。殺気も完全に消えている。
そして、再び大斗に向き直った時も、その体から殺気が発されることはなかった。ただ、少し困ったように肩をすくめている。
「確かに僕自身には関係ないですよ。僕は与羽が先輩の質問を嫌がっているのがわかったから、止めに入ったまでです」
辰海は頼りなさげな困惑した顔をしている。
大斗の目が一瞬光り、敵意が消えた。
「古狐、お前は本当に面白くない。ほんの一瞬鋭い牙を見せたと思ったら、すぐに抜いてしまう。隠してるんじゃない。お前の場合は完全に抜いちゃってるんだよ。だから普段は牙の片鱗さえ見えない。全く……、萎えるな、お前といると。とっとと城に帰りなよ」
辰海にだけそう言って、与羽の肩を抱こうとする大斗。それを雷乱がすんでの所でとめて引き戻した。