八章十節 - 篠突雨と龍姫の逆鱗
「……雷乱はこんなことじゃ死なない」
与羽は感情のこもらない声で言った。
「分かってる」
これは嵐の前の静けさだ。辰海は与羽をできるだけ刺激しないようにやさしく応えた。
「絶対帰ってくる」
「うん」
「あいつは何十年でも私に仕えるって言った」
「うん、だから帰ろう。雷乱が帰って来た時、ちゃんと迎えられるように」
「ここで待つ」
しかし与羽は、あいかわらず感情の欠如した声で淡々と言う。
「与羽っ」
「帰ってくるんでしょ? ならここで待ったっていいじゃん」
与羽の声に再び怒気がこもりはじめた。これ以上は逆鱗に触れてしまう。
「戻ろう?」
そう分かっていながらも、辰海は引き下がれなかった。
「何で戻る必要があるの!? 帰ってくるなら待てば――」
その瞬間与羽の言葉が不自然に途切れた。それだけでなく、与羽の体全体から力が抜ける。
その背後には硬くこぶしを握りしめた大斗が立っていた。与羽は彼に殴られて気を失ったらしい。
「九鬼先輩!」
辰海は大斗を見上げた。
彼は左手を固く握りしめ、右腕にはぐったりした華奈を抱えていた。彼女の顔は青白く、大斗も華奈も全身ずぶぬれだ。
「こうでもしないと与羽は止まらない」
辰海が華奈のことを聞く前に、大斗は冷たい声で言った。
そして、辰海が何か言う前に背を向ける。
「ここには与羽に見せたくないものがたくさんあるしね」
その間に乱舞が素早く割り込んだ。わざとらしさを隠せない笑みを浮かべて。
辰海は何も訊けずに、軽くあごを引くようにしてうなずいた。
「悪いけど与羽を城に連れて戻ってくれる? あと、城下町の華金兵の数と城に運ばれたけが人の様子を見て、可能なだけ医務班をこっちへ――」
「わかり……、ました」
辰海はぐったりした与羽を抱えて、ゆっくりと立ち上がった。
中州川のたてる轟音と、まだ平野部から響く剣戟を聞きながら――。




