六章六節 - 五月雨と封書
* * *
「おい」
与羽の部屋で主人の帰りを待っていた竜月は、自分にかけられたらしき低い声に振り返った。
「雷乱。ご主人さまならまだ帰ってませんよ~」
「いい」
ぶっきらぼうに答えて、雷乱は片手に持っていた封筒を竜月に押し付けた。
「…………?」
封筒には宛名も差出人も書かれていない。
「オレに何かあったら与羽を頼む」
その言動からそれが戦で彼に不幸があった場合を危惧して書いた遺書だと察せた。
「ご主人さまに渡せばいいんですか?」
自分に渡す意図がいまいち読めず、竜月は首を傾げている。
「オレが直接話せないような状態になったらな。それまではお前が預かっておいてくれ。小娘に余計な負担をかけたくないからな」
これが与羽に渡れば、与羽は万が一を考えて余計な不安を抱くだろう。与羽には何を聞かれても、「絶対大丈夫だ」と答えるつもりでいた。そこには、これ以上与羽の泣き顔を見たくないという、自己中心的な意思もあったのだが……。
「わかりました」
竜月はそれ以上余計なことは言わずに、封筒を風呂敷よりは小さな正方形の布――袱紗で包んだ。
一度開いたそこにはすでに二通の封筒がある。一つは兄――太一から。もう一つが辰海からだ。
竜月は一通増えた封筒を大事に包み直した。雷乱は黙って竜月の白く小さな手を見ている。それが小きざみに震えているように見えるのは気のせいだろうか。
「それで……?」
袱紗をしまいながら、竜月は上目づかいに雷乱を見上げた。
「お話はそれだけですか?」
いつものように間延びしていない竜月の声は、落ち着いた有能な女官のそれだ。
「あぁ」
浅くうなずく雷乱。
「……ありがとな」
素直な感謝の言葉に竜月は一瞬驚いたような顔をしたあと、にっこりと歯を見せて無邪気に笑った。
「いいえ、ご主人さまのためですから」
無理をして笑っているように見えるが、人のことは言えない。雷乱自身も最近の与羽に対しては、わざと明るく装うことが多い。
「頼んだぜ」
雷乱は小さい子どもにするようにそっと竜月の頭に手をのせて言った。
「子ども扱いしないでください」
雷乱の態度に竜月はわずかに声を荒げたが、頭にのせられた手を払おうとはしない。ただ少し吊り上った目で雷乱を威嚇するように見上げた。
いつもは子どもっぽい印象のある竜月だったが、その様子は与羽の筆頭女官にふさわしい落ち着きを持っている。
予想外に大人びた目で睨みあげられ、雷乱はきまり悪そうに竜月の頭から手を放した。
「悪かったな」
そう言い残し、雷乱は竜月しかいない与羽の部屋を去った。
「ご武運を――」
そう小さくつぶやかれた高い声を背に受けながら。




