一章二節 - 黄昏と論争
「そうだよ、雷乱」
与羽の頭越しに、大斗も言う。
「不要な挑発をするのは、先輩の悪い癖です」
与羽は軽く振りかえって大斗にも言ったが、たしなめる様子は微塵もない。その声には諦めの響きがあった。
「仲良くしてください、二人とも」
雷乱と大斗――二人が同時に視野に入る位置まで離れて、ほほえむ与羽。
しかしそこまで。与羽は一瞬笑みを見せただけで、すぐに関心をなくしてしまったようだった。
自分の腰ほどの高さがある岩に登り、その上に立って再び西を見つめる。
「オレとこいつは性格的な温度差が大きいんだ」
そんな与羽の気を引くためか、すぐに雷乱が反抗的な口調で言う。
「俺も、こいつが感情的な限り、仲良くしようとは思わないな。まあ、お前がどうしてもって、俺に頼み込むんなら別だけどね」
そう言いながら、大斗は岩の上にいる与羽の腰に手を伸ばそうとした。
それを乱暴に掴んで雷乱が止める。
「こいつが下心丸出しで小娘に近づく限り、仲良くできねぇ。お前が何と言おうともな」
雷乱は与羽に言った。
「与羽の事何も知らないのによく言うよ」
そして、そう軽い口調で言った大斗を睨みつける。しかし、睨むだけで何も言い返さない。いや、言い返せないのだ。およそ三年間与羽に仕えてきたが、未だに彼女のことはよく分からない。
大抵、与羽は無関心・無愛想でかわいくない。そして表情は、何かを企んでいるように笑っている。
どんな時でもそうなので、彼女の表情からその時の感情を読みとる事は難しい。その上、与羽の考えていることや過去のことを聞くと、決まって不機嫌になる。
だから、雷乱は与羽の事など知らないに等しい。
いくらかは、まわりから聞いたり、想像がつく事もあるが、実際に彼女の口から教えてもらった事などなかったような気がする。
「九鬼先輩だって与羽について知らない事、沢山ありますよね? 僕もそうですけど」
辰海が必死に仲裁に入るが、効果は薄い。
「与羽っ! 助けてよ」
与羽は聞いているのかいないのか。西の田園と街道、そこを飛び回るコウモリをのんびりと眺めている。
「ん?」
しばらく待ってやっと与羽は反応らしい声を漏らしたが、辰海に返事をしたのでないことは声をかけた本人が一番よくわかっている。彼女の視線は、未だに遠方。中州城下町の西を南北にのびる街道にそそがれていたからだ。
「薬師のおじちゃんおばちゃん?」
薄闇の中、目を細めて城下町へと向かってくる二頭の馬に乗った人物を見極めようとする与羽。
「え?」
辰海も闇を凝らすように目を細めて、与羽と同じ方を見る。大斗と雷乱も与羽の関心が全くこちらを向いていないことを悟り、おとなしく辰海に倣った。
ほとんど全力で城下町へと駆けてくる馬影が、闇の中にさらに濃く浮かんでいる。
「……確かに、薬師朱里さんと沙奈さんに見えるかも」
辰海も馬の脇にくくりつけられた薬草の束や薬の箱でいっぱいになった袋からそう判じた。
「誰だ?」
雷乱が不機嫌に与羽に問う。
「凪ちゃんの両親」
薬師朱里、沙奈夫婦と言えば、中州城下町出身の凄腕医師として中州だけでなく、周辺の国にまで知れ渡っている。
しかし、普段は中州やその周辺国を旅しながら治療を行っているため、城下町に帰ってくるのは年に数回。下手をすれば一年以上帰ってこない。