一章一節 - 黄昏と竹刀
一瞬の黄昏色が消え、辺りが宵闇に包まれはじめている。
与羽は立ち上がりはしたものの、まだ名残りおしげに赤みの残る西の空を見つめていた。そんな与羽をせかすように、雷乱はまだ与羽の背に手を当てている。
「気に入らないな」
大斗がぼそりとつぶやいた。
「とっととその手を離しなよ」
その言葉は雷乱に向いていた。
「あと、お前は『空気を読む』って知ってるかい?」
「あ?」
雷乱が不機嫌に大斗を見る。
与羽から手を離し大斗に向き直った。彼からはすでに殺気が発され、すぐにでも殴りかかりそうな雰囲気だ。
「与羽を気遣ってるのは分かるけどさ。お前には与羽しか見えてないわけ?」
「ちょ……、九鬼先輩」
突然険悪になった雰囲気に、慌てて辰海が仲裁に入るが効果は薄い。
「何が言いてぇんだ?」
雷乱がどすの利いた声ですごむ。
「全く……」
それに大斗はいたって落ち着き払った声で返した。
「この状態でわからないのかい? お前は与羽を気遣っているつもりで、負担をかけてるんだよ。お前の世話をしている与羽がかわいそうだ」
「なんだと!」
雷乱は辰海の「ちょっと!」と言う静止を聞かず、手に持っていた竹刀を構えた。
彼はいつだって与羽を守ってきた。それを否定されるような言葉は、全ての暴言の中で二番目に許すことができない。ちなみに、一番許せないのは、与羽を侮辱する言葉だ。
振り下ろされる竹刀を大斗はひらりと避けた。
「ちょっと雷乱!」
辰海がもう一回声をかけるが、雷乱は止まらない。
雷乱が再び武器を振り上げ、大斗が脇に置いていた自分の竹刀を手に取る。
その瞬間、やっと与羽が動いた。
静止を呼び掛けるでもなく、刀を抜くでもなく、その他いかなる武器も持つことなく、その身一つで雷乱と大斗の間に立ちはだかったのだ。
白い軌跡が与羽の耳を掠め、肩にふれる前に止まった。背後では大斗が構えを解く気配がする。
「小娘!」
雷乱はまっすぐ自分を見上げる少女に怒鳴った。剣を止められた怒りと、危うく自分の主人を叩くところだった恐怖とで、その声は裏返っている。いくら竹刀とはいえ、無防備な少女を叩けば、無事では済まなかっただろう。
ちなみに、小娘とは与羽のことだ。雷乱は与羽の名前を口に出すのをひどく嫌う。
「怒ると後先考えんくなるのが、あんたの欠点よね」
雷乱から視線をそらしながら、与羽は落ち着いた声で言う。竹刀の前に飛び出したにもかかわらず、その様子に恐怖は感じられなかった。
自分の内側――見えないところに恐怖を押しとどめているのか。二人が剣を止めるのを確信していたのか――。おそらく両方だろうと、与羽の幼馴染である辰海は判断した。