三章四節 - 夜更と訪問者
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客殿で床に就いたのは、せめてもの救いだった。
屋敷で寝てしまえば、よほどの理由と正当性がない限り、城主一族以外誰も寄り付けない。
「雷乱」
いつものように与羽の休む部屋の前で番をしていた雷乱は、自分の名を呼ぶ声に顔を上げた。与羽ではない。
与羽の部屋からは衣擦れの音ひとつ聞こえない。熟睡しているようだ。
雷乱は声のしたほうに視線だけ向けた。すでに声から相手の察しはついていたが、わずかに開けた雨戸から差し込む淡い月明かりに照らし出されたその影を確認したかったのだ。
そして、束ねることなく無造作に背に流された長髪を見て確信した。数ヶ月前から華金に行っていた同志。
「比呼……。帰ってたのか……」
雷乱は与羽を起こさないように小さく声をかける。
「たった今ね」
少し疲れているものの、比呼は女性と見まがうばかりの繊細な笑みで答えた。
「この様子だと、やっぱり与羽は何も聞かされてないみたいだね。与羽を起こしてもいい? 大事な話がある」
雷乱はしばらく比呼の顔を見ていたが、与羽を起こすに値する話を持ってきたと感じたのだろう。その場から立ち上がって、比呼が戸を開けられるようにした。
「ありがとう」
比呼は雷乱にほほえみかけてから、細く戸をあけた。
「与羽、起きてる?」
少し大きな声で呼びかける。
すぐに、「比呼、か……」と与羽の声が返ってきた。予想以上にしっかりした声だ。常にあたりを警戒しながら寝ているのかもしれない。
「話がある。真夜中に悪いけど、聞いてくれる?」
「わかった」
与羽は声の覚醒具合とは裏腹に、ひどく緩慢な動作で上半身を起こし、寝巻の上に上着を羽織った。
それを見計らって、比呼は与羽の部屋に入る。
遠慮がちに敷居をまたいだ比呼を、与羽は「雷乱、明かり」と指示しながら布団の上に座って迎えた。
「やっぱり、華金が攻めて来るんか……?」
与羽は比呼が口を開く前に、ほとんど確信的な口調で尋ねた。揺らめく燭台の明かりで照らされた与羽の顔は、陰影のせいかひどく険しい。
「……そう、だね」
比呼は言いにくそうに肯定した。
「時期はおよそ一ヶ月から一ヶ月半後。華金王が戦を決めたのが、多分春の初め、弥生(やよい:三月)。あの人は即決速攻だから」
あの人とは華金王のことだろう。
「規模は四千、五千くらい。でも、もしかしたらもっと増やしてくるかも――」
「ふっ」
与羽が浮かべた笑みは、嘲笑に見えた。
「たいそうなことじゃな。こんなちっぽけな国に五千も出すとかさ。中州じゃどんだけ出しても二千にも足らん」
順位を持つ上級武官が百名ほど、城下町とその周辺に住む中級、下級武官が三百あまり。地方に出ている武官は上級から下級まで足しても、千人ほど。
もちろん、武官全員が戦に参加できるわけもなく、地方官や武官準吏、農民や町民の志願兵を足しても千三、四百程度は集まるだろうが、それ以上は不確実だ。前回の戦では、千五百で華金三千と戦ったという。
ひどい嵐で、華金の拠点の多くが流されたため、一日で終わったがあのまま続いていたら大きな被害が出たことは間違いない。




