三章三節 - 雲下と行違
甘い。むくときにも思ったが、少し圧力を加えただけで果汁があふれ出し、のどを滑っていった。
「んま……」
おいしいものを食べると口数が少なくなるというのは本当だ。与羽は森の民の話もほどほどに、桃を味わうことに専念した。
恍惚とした表情で桃を口に運ぶ与羽は通りを行きかう人々の目を引き、「そんなにおいしいのか? ならひとつくれ」とやってくる。
数子は与羽の宣伝効果もわきまえていたのだ。
さらに桃を数個買い、与羽は家路についた。
時間はまだ昼過ぎだったが、大きな桃を抱えての甘味めぐりはつらいし、もう十分おいしいものを味わえた。
門をくぐり、会議中であるだろう謁見の間を迂回するために、裏庭を通り、公務を行う本殿と、客人をもてなしたり泊めたりするための客殿をつなぐ渡殿で屋敷に上がる。
そのまま客殿の外をぐるりと囲む縁側を通って、客殿の端にある自室へ入った。中州一族の私的空間である屋敷にある自室よりは狭いものの、十分な生活空間と少数の人間をもてなせる設備がある。
与羽は買ってきた桃を机に置き、自らお茶を二人分入れた。
その間、雷乱は部屋の隅に胡坐をかいて座り、細々(こまごま)しく動き回る与羽を見るともなしに目で追っていた。つまり、何もしていない。
「桃は辰海や竜月ちゃんと一緒に食べようか」
そう呟いて、雷乱と自分用のお茶、茶うけに今日買ってきたばかりの金平糖を出した。
金平糖が甘いので、お茶は渋めに入れてある。それを知らずに飲んだ雷乱は、顔をしかめつつ金平糖に手を伸ばした。
与羽もにこにこしながら、お茶を楽しむ。
もし、森の民の役割を知っていたら――。
もし、謁見の間が見える前庭を歩いていたら――。
そうすれば、絶対成り立つはずのなかった幸せな時間を与羽は心置きなく堪能した。




