三章二節 - 雲下と看板娘
また当てのない甘味めぐりに付き合わされるのかと思ったが、与羽はまっすぐと大通りを下り、八百屋の前で止まった。
「あら、与羽ちゃん」
自称八百屋の看板娘――中年の売り子が野菜の陳列をしながら声をかけた。しかし、その目はずっと手元の桃に注がれている。正確に与羽の気配を察知したのだ。
「数子さん」
与羽は人好きのする笑みを浮かべた。
「おひとりですか?」
いつもなら二人の息子が手伝っているのだが……。
「北斗と大斗は城で会議、千斗は隣にいるよ」
数子は商人らしい張りのある声で答えながら、隣の鍛冶屋を指差した。
「そうですか」
「何か用があったんね?」
「いいえ、全く。ただの甘味めぐりです。ここにもおいしいくだものがあるんじゃないかと――」
「与羽ちゃんは察しがいいねぇ。いい商人になれるよ! ついさっき森の民が下りてきてね。おいしい桃をたくさん売ってくれたよ!」
数子は陳列中の桃を一つ持ち上げて見せた。
一部にやわからかな乳白色を残しながらも、薄紅に染まった桃は大きく、産毛の一本一本まで美しく整っていた。
「ほら、与羽ちゃんには大斗がいっつもお世話になってるからねぇ。特別に仕入れ値と同じ値段で売ってあげるよ」
「……ただとは言ってくれないんですね」
与羽は桃を物色しつつ、懐から巾着を取り出した。
「商売だからねぇ」
申し訳なさそうに言いつつも、きっちりとお金を受け取るあたり彼女は根っからの商人だ。
与羽は早速常備している懐刀を取り出し、桃の皮をむきはじめた。
与羽は普段刀を持たない。唯一、指の長さほどの刃渡りがある小刀だけ懐に忍ばせていた。
数子も慣れたもので、皮をむく与羽の前に野菜の傷んだ葉をちぎって入れるためのざるを置く。与羽は軽く会釈して感謝を示した。
「……そういえば、森の民が下りてきたんですか?」
このままお互い無言というのも気まずいので、与羽はそう話を振った。
森の民は一応中州に住んでいることにはなっているが、華金山脈でほとんど自給自足の生活を行っている人々の通称。
あまりに交流がないので、城下の人々も彼らのことなど頭の隅に追いやり、話に上ることさえまれだ。
「ほんの数人だよ。山の幸や織物を売りに来て、調味料を買って帰るって言ってたね」
森の民が下りてくることは少ないが、異常ではない。
塩や砂糖などの調味料やぜいたく品、一部の雑貨は山の中では得られないため、城下町に買いに来る。
「あと、城にもあいさつするってね」
「どんな人が下りてきてましたか?」
与羽には森の民の知り合いもいる。
「男の人ばっかりだよ。ここに来たのは、二十半ばから四十くらいのまで三人」
それなら与羽の知った相手ではない。
与羽は少しだけ残念に思いつつ、むき終わった桃を一口大に小刀でそぎ取って口に運んだ。




