二章六節 - 夜闇と淡紫の羽根
* * *
「はぁ」
与羽は自分の部屋に入るや否や、畳の上に座り込んだ。
「辰海にいらん気ぃ使わせた」
竜月は何も応えずお茶の準備をはじめた。
与羽の部屋では、火ばちでお湯を沸かすところからはじめなくてはならない。台所にお湯を取りに行くこともできたが、与羽を一人にしたくなかった。
「普通に振舞ったと思うたけどなぁ。なんか、大斗先輩にまでバレとったみたいだし」
「ご主人さまはいつもとお変わりなく見えましたよ。九鬼武官は経験的にご主人さまの感情を察されたのだと思います。あたしもご主人さまの態度からはわかりませんでした。辰海殿は、見抜いていらしたかもしれませんけど」
「辰海か……。異常に目ざといもんね、あいつ」
竜月は心の中だけで「それだけご主人さまを見てるってことですよぉ」と言っておいた。
「戦があるかも、って聞いたらやっぱりお辛いですか?」
「……そう、だね。けど、皆辛いんだと思う」
与羽は先ほどまでの無邪気な姫君の仮面を外していた。
「翔舞様のことを考えちゃいますか?」
翔舞は与羽と乱舞の父。与羽が生まれる数ヶ月前の戦で亡くなった。
「そうだね。怖い」
父と同じように、自分の大事な人がいなくなるのが怖い。
「大丈夫ですよぉ」
竜月は与羽を元気づけるために、わざと明るい声で言った。
「ふ……。何を根拠に――」
与羽は鼻で笑う。どこか皮肉めいた響きさえ感じられた。
「前の戦。あん時だって皆『大丈夫』って言うたけど、結局何人かは死んだ」
「それは……」
戦なんてそんなものです。
そう言うのは簡単だ。
与羽は中州が大好きだ。土地も人も――。中州が少しでも損なわれると思うと耐えられないのだろう。
戦になれば確実に中州は被害を受ける。国土は荒れ、民は死ぬだろう。
「ご主人さまはわがままです」
竜月はわざと拗ねたように言った。
「知っとるよ」
与羽はほほえむ。あまりに苦々しい自嘲。
普段無邪気な姫君の仮面の裏に隠している感情が、表情に出ている。隠すことができないほど大きい感情なのか……。
「まぁ、戦なんてそんなもんなんでしょう。たとえ戦がなくても、銀山では毎年何人かは肺をやられて死ぬし、川に落ちて溺れ死ぬもんもおる。事故死をあげればきりがない。
戦も事故死も天寿を全うせずに死んでしまうことは一緒。なんも変わりないのに、戦だけが嫌って言うのは、わがまま以外のなにものでもない」
そう分かっていても、納得できないのだ。与羽の苦しげな表情がそう言っていた。
「ご主人さま……」
竜月は机の上にお茶を置きながら呼びかけた。
無愛想・無関心・不機嫌な姫君が珍しく自分の感情を包み隠さず見せてくれている。それに応えなくて、何が『姫君の筆頭女官』だ。
「あたしも戦は嫌です。きてほしくないです。だけどみんな戦がくるみたいに思ってますし、中州にいたら避けられないことだと思います。だからこそ、あたしはご主人さまやご主人さまの大好きな中州を守る努力をします。それはみんな一緒です。
どうしても避けられないことなら、胸張って受け止めてやりましょう。
もしかしたら、負けるかもしれない。大事な人が死ぬかもしれない。っていうのもわかりますよ。あたしにもそういうことが絶対におこらないとは言えません。でも、みんなそういうことにならないように頑張ってお話したり、戦ったりするんですから、信じましょうよ」
竜月は自分よりも体の大きい与羽を抱きしめた。甘えて抱きつくことはよくあるが、今のように与羽を励まそうとして抱きしめるのは初めてかもしれない。
「信じてください」
「ね?」と念を押して聞くと、与羽は少し困ったような笑みを浮かべた。
「信じとるよ。竜月ちゃんも辰海も雷乱も乱兄も――、皆」
与羽が竜月を抱き返す。小さい子どもをあやすように竜月の背や頭を撫でた。
「苦しいときはいつでも言ってください。愚痴を聞くくらいならできますから」
竜月も与羽の頭を撫で返す。
与羽は竜月の慣れない手つきにくすぐったそうに笑った。
「なんだかなぁ……」
そうつぶやいた与羽の声には、いつもの張りが戻りつつあった。まだ無理に明るい声を出そうとしているようではあったが、少しずつ自分で折り合いをつけていくだろう。与羽の強さはよく知っている。
「これじゃ、立場が逆じゃん」
普段なら竜月が与羽に甘えるが、今はその逆竜月が与羽を甘やかしている。
「別に逆じゃないですよぉ。あたしはご主人さまの筆頭女官なんですから」
竜月は淡い笑みを浮かべた与羽に、精一杯明るく笑んでみせた。




