二章五節 - 宵口と不安
「ご主人さまはお部屋に帰られますか?」
その瞬間、竜月が隠れていた雷乱の背後から出てきて尋ねた。
「ん~」
「あとは延々と難しい話をしながら対策を練るだけだから、帰ればいいと思うよ。ずっと竹刀振り回してたから疲れたでしょ?」
どうしようか迷っているような与羽の返事に、辰海が部屋に戻るよう促す。
「ほら」と軽く背を押すと、与羽は自分の部屋へと歩きはじめた。
与羽は城主一族が住む屋敷と客間に自分の部屋を持っているが、今は屋敷の方へ向かっている。
そちらは城主一族の私的空間。彼らと親しい者や一部の使用人しか足を踏み入れることは許されない。
もちろん、与羽の幼馴染で代々城主一族を最も近いところで支えてきた古狐家出身の辰海、自称『姫君の筆頭女官』竜月、与羽専属の護衛である雷乱。三人とも屋敷に入ることは許されている。
しかし、もし与羽がこの三人をもてなそうとするならば、客間にある自室に向かうだろう。辰海はそう思った。
与羽は多くの人と気軽に交流できるからと、客間を好んで使う。
にもかかわらず、あえて入れる人の限られた屋敷に向かうのは、人と接したくないからではないだろうか。そっとしておいてほしいのだ。
その理由もわかる。
辰海は少し前を歩く与羽と、それを嬉々として先導する竜月を見た。
与羽はいつも通りに見える。
竜月はにこにこしながらも辰海に視線をよこした。それで彼女も自分と同じことを考えていると察す。
「雷乱」
辰海は同じように与羽の後ろについて歩く雷乱の袖を引きながら、小さく声をかけた。
「ちょっと付き合って欲しいことがあるんだけど」
「なんだ?」
雷乱が不機嫌にすごむ。
「ここではちょっと――」
辰海は言葉を濁した。正直に言えば、雷乱に話すべきことなど何もない。ただ、与羽にかかる負担を少しでも減らしたいだけだ。
「付き合ってあげて、雷乱」
与羽が肩越しにちらりとだけ雷乱に視線をやる。
それで雷乱は「仕方ねぇな」とまだ不機嫌にしつつも従った。
「すぐに行くから」
ほとんど決まり文句のように、辰海はすでに背を向けて歩いて行く与羽に声をかける。与羽はひらひらと軽く左手を振って応えた。




