序章一 - 華金
「思ったよりも、早く帰ってきちゃったな……」
比呼は行き交う人々に紛れながら小さくつぶやいた。
人に馬に牛に――、他にも色々なものが行き交う大通り。通りの両端には数多くの屋台が並び、飲食物から実用品、反物、遠方の国から入ってきた珍しい工芸品まで、様々なものが道行く人々の目を楽しませている。
雑踏の音にまぎれて聞こえた怒声に視線だけ向けてみれば、通りのど真ん中であるにもかかわらず、がらの悪い男同士がいがみ合っていた。この都市では毎日見かける、日常の光景だ。
人の数も物の量も中州城下町の比ではない。
彼が歩いている通りの幅も、中州城下の大通りの数倍はある。良く踏み固められた通りは直線で、この町の入り口となる門から王の住む宮城まで結ばれていた。
「華金の王都、玉枝京……」
――すぐにでも不穏な動きがあるはずだ。
若い大臣はそう言った。
――中州に放ったはずの間者がいつまでも帰って来ないんだからな。
暗殺がばれて捕まったか、逃げたか。どちらしろ、もうそろそろ半年がたつ。暗殺失敗とみなして新たな策を練ってくるだろう。一番に思いつくのは――。
「戦……」
華金は巨大な国だ。人口も面積も財力も中州よりまさっている。数で押し切れば、小さな中州など簡単に滅んでしまいそうだ。
実際は、能力の高い官吏達と団結力、周りの国々の協力もあり、小さくても金剛石のような硬さと柳のようなしなやかさをもつ中州を攻め落とすのは、そう簡単ではないのだが……。
それでも、華金王は何か仕掛けてくるだろう。彼はそういう男だ。負けることを極端に嫌い、自分以外の全てを力でねじ伏せなければ気が済まない。
実際、目の上のたんこぶである中州の他にも、周辺の国や一揆をおこした民など様々な所に繰り返し軍を動かしている。
さらに、ひそかに抱えている「影の者」を駆使し、国内外の邪魔者を亡き者にすることで、王にとって都合のよい状態を作り出してきた。比呼はそれを身をもって知っている。彼も、その「影」の一人だったのだから。
そして、華金王を知るからこそ、彼が政治的、経済的な面からの侵略を好まないのも分かっている。華金王が好むのは、戦のようなはっきりと目に見える暴力による侵略と支配だ。
暗殺も戦の勝率をあげるためのものくらいに考えており、最後のとどめは必ず数千の軍が刺す。
――中州を、守る。
その気持ちは、今まで抱いたどんな感情よりも強く、硬い。覚悟と言い換えることもできるかもしれない。
――そのために、少しでも早く華金の動きを知って、正確に中州に伝えなきゃ。
比呼はふっと息をつくと、全くの違和感なく人ごみへまぎれていった。