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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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稲村の事

 天文二年になって直ぐに北條家の使いとなった小太郎は三浦半島から海路、安房の稲村城を目指していた。ここは現在の千葉県館山市で房総半島のほぼ先端に位置している。

 安房の国は本州でも黒潮の影響が強く、冬でも温暖な気候と言われているが、時期は真冬。快晴とはいえ冬の海風は事の他冷えた。

 そして三浦半島と房総半島は目と鼻の先とはいえ当時の船には動力が風か人力しかないため、一応は北條の使者ということでそれなりの大型帆船を使ったが非常な手間と時間をかけながら進んで行った。

 実はこの無駄な時間のかけ方も計算されたもので、安房の漁師や漁村等からわざと見えやすくして噂を流す下地を作る為だった。

 そして安房の国。

 この時期の里見氏は本家に里見義豊がいる。

 永正十五年に義豊の父、義通が没したため家督を継ぐ事になるのだが、その時義豊はまだ五歳であった。いかに当主とはいえ余りに幼い為に本家の家督は継ぐが、元服するまでは叔父である実堯が義豊の後見人として付くことになり、里見家の実権は粗この実堯が握っていたと見て良いだろう。

 そして後見開始の時には金谷城に入っていた実堯だったが、直ぐに稲村城に入城し、金谷城には一子義堯を入れ、本家義豊は本宮城に入る事となる。

 このため数年すると実堯の威勢は本家を凌ぐようになった。

 この辺りから本家の義豊とは折り合いが悪くなってきた様で、先の鎌倉海賊事件のときも実堯が独自に動いていたように見えた。

 その実は小弓の義明の要請を利用して実堯の勢力を減退させるために本家義豊の命で実堯に鎌倉を襲わせていたのだが。

 この行動には理由がある。

 義豊が里見家を家督してから十五年の月日が経つ。元服も既に数年前に済ませており現在は弱冠であった。(二十歳の意味)しかし北條家との抗争があるという理由で未だに伯父実堯から里見家の家督を戻される事なく鬱々として過ごしていたのだ。

 これが氏綱の狙い目だった。

 そしていよいよ天文二年正月の早朝、冬の海路を渡り切った北條家の使いが稲村城近くの港に到着し、小太郎と共の人数は全員北條家の使者として船烏帽子に直垂姿へと船上で着替え、自らと共に連れて来た馬を引いて馬上の人となる。

 また小者も幾人か同行させて荷車を曳かせており、往来の人々にも見える様にその荷を大きく括りつけて派手に見せた。

 荷物の中身は小田原特産の品物や京や堺で手に入る珍品を満載した実堯への土産だ。

 港から陸路を行く一行が支度をゆっくり整えている間にも、物珍しいお武家の一行が現れたと口々に言い合って近くの漁村から見物人が集まって来た。


 中には侍姿の者も幾人か混じっていた。

 そして見物人が数十人も集まっただろうか、頃合いを見ていた小太郎から合図されると小者達が、その荷の上に北條甍(三つ鱗)を染め抜いた布を被せると、それを見た見物人達から声が上がる。

「ありゃあ小田原の北條様の御紋じゃないか」

 物知りも何人か見物客に混じっていたのだろう。

「北條様といえばいつだかお城の殿様(里見)が攻めたお家じゃなかったか」

「んだんだ、わしゃその船戦に付いて行ったぞ」

「んじゃ里見様とは敵じゃないのか」

「それにしちゃ土産物みたいな物が山積みだな」

「もしかしたら仲良くなったんだべか」

「それなら儂等も戦に行かんでいいから嬉しいのぅ」

 見物客達は一行が何も咎めないのを良い事に其々勝手に予想を話し合っていたが、どうやら土産の効果もあって予定通りに和議の使者として噂を撒いてくれそうな気配である。

 馬上の小太郎が共に目配せをすると、もう一人が出発を宣言した。

 およそ二十人の使者の一行、馬に揺られながら緩い歩を歩ませながら稲村城に向かって進み始めた。

 その一行が稲村城への道程も中ほどに到着した頃には、真冬の時期を押して小田原からの使者が陣代(後見人:実堯)の居る稲村城に向かっている事が本宮城の義豊方に知れる事となった。

 見物人の中に紛れ込んでいた武士のうち何人かが走り去っていたのだが、その者が知らせたのだろう。

 そして本宮城内の御前の間では。

「殿、実堯殿の所に小田原の北條家からの使者が入った様にございまするぞ」

 これに血相を変えたのが当主義豊本人だ。

「なんだと」

 未だ痘痕の残る若い顔に血を登らせ、座ったまま知らせをもたらした家臣の方に身を乗り出した。

「あの北條家から陣代に使者だと」

「何やら大量の貢物まで持ち込んでおりまする」

「陣代からは北條家からの使者が来るなどと本家の儂の元には何の使いも寄こしてはおらんぞ」

「もしやすると北條家、陣代殿を取り込む腹ではありますまいか」

 はっと目を見張る義豊だったが、今の今まで家督を返そうともしなかった実堯を疑うまでに時間は掛らなかった。


「本家当主であるこの義豊になんの知らせも無く、つい先ほどまで敵対していた北條の使者を受け入れると言う気儘なことをするとは」

 義豊は独り言のように呟いた。

「実堯は儂が元服を知ってさえ陣代の役を返却しようとしていないな」

 虚ろになった義豊の目を見た家臣は怖気をふるった。

 自らの遠慮会釈ない言葉が里見家当主を突き動かしてしまったのか。

 それを肌身で感じられるほどの義豊の目だ。

「御屋形様?」

 今更ながらこの報をもたらした家臣は、図らずも密告となってしまった自らの言動の罪を軽減するべく義豊かに声をかけるのだが、既に声は聞こえていなかったようだ。

「この里見の家を北條と組んで奪い取る腹であるかもしれぬ。いやそうであろう」

 誰に問うでもない言葉が虚空に舞う。

「お、お待ちくだされ御屋形様、もしやすると陣代様が北條家との仲を取り持つ積りで有るかも知れませぬ」

 射抜くような目を家臣に向けた義豊の口から出た言葉は既に実堯逆心有りと決定した言葉だった。

「問答はもはや無用。この十年に亘る実堯の振る舞いが此度に現れたのじゃ」

 義豊の頭の中での実堯謀反は想像から確信へと変貌を遂げた。

「おのれ、北條と内通したな」

 額に青筋を立てながら歯ぎしりする。

「敵対する北條と誼を通じる積りであるならば儂にも考えがあるぞ」

「今暫しお待ちを、某が確かめに参ります故」

「おのれも実堯に走ると申すか」

「けしてそのような事は」

 このやり取りの最中、再び数人の侍達が小姓に案内されて義豊の前にやって来た。

 後続の家臣たちが先に来ていた同僚をチラリと見て、先を越されたかと舌打ちをしたようだ。

「殿、もう既にお聞き及びかと思われますが、実堯殿と北條家が誼を通じたとか」

「豪勢な品を山の様に荷車に積んで持って行った様ですぞ」

「それと正木通綱までもが懐柔されておるとか」

「正木めは近頃実堯殿に取り入って重臣の筆頭になりおったからのぅ、北條も目を付けたのでありましょう」

「北條の印を付けた布を帆袋にして堂々と練り歩いたようで、正に和議の使者然としておりました」

「城下近くの村々まで良き事じゃと噂が流れておりまする」

後続の家臣たちは口々に言い合ったが、義豊が反応した言葉は「良き事」だった。

「良き事とは如何様な事か」

 目を血走らせた若い里見家当主の顔を見て、今更ながら後続の侍達は何時もの雰囲気と違う事に気が付いた。

「それが、その」

 少し言い淀んだ事が義豊の苛立ちに拍車をかける。

「さっさと言わんか」

 御前の間に怒鳴り声が響き渡った。

 冷や汗をかきながら平伏する家臣の口から出る言葉は、義豊のこれからの行動に是を与える事となるだろう。

「いや、しかし」

 先に来ていた事情を知る家臣が目配せをし、早よう申された方が宜しいと配慮する。

「では、これは里に流れる噂にござるが、殿の気分を害されるやもしれませぬぞ」

「かまわぬ、申せ」

「北條家と里見家がこれで戦をしなくなる。良き事じゃ。さすがは里見の殿様、実堯様じゃと噂が流れておりまする」

 言い終わるや義豊が立ち上がり一閃した太刀は、その報をもたらした家臣を袈裟がけに打ち据えた。

 辺りに濡れ莚を討ち叩いた様な音が響くと、家臣たちの眼の前には既に骸となった同僚が横たわっていた。

「殿!何をなされるか」

「だまれ!そ奴は儂をないがしろにする言葉を吐きおった。儂が里見の当主、義豊である」

「左様でありましょうとも、惨うございまするぞ」

「そなた等も実堯に一味するのか?」

「滅相もございませぬ、我らは代々里見の御本家に仕えておる者でございまするぞ」

「左様か、ならばその方、儂の使いとなり小弓の公方様の所へ参れ」

 義豊の眼には既に狂気が宿っていた。

 そしてこの日、本宮城から上総小弓の御所まで里見義豊の使者が遣わされる事になり、同年七月になってから里見実堯追討令を小弓公方足利義明から受ける。

 この後、義豊が軍勢を催して稲村城を急襲したのは天文二年七月二七日の明け方だった。

 稲村城では思いもかけぬ本家からの急襲だったため反撃も儘ならぬまま、あっという間に城を落とされた。

 同時に城主実堯とそこに居合わせた重臣正木通綱は討たれる。

 稲村城を落とした義豊はその軍勢を正木氏の居城、安房の山之城に差し向けて通綱の子、時茂、時忠兄弟も討ち取ろうとしたが、いち早く急報を受けていた山之城は門を堅く閉ざして義豊勢を退ける事が出来た。


 一方稲村城落城、実堯討ち死にの報を受けた実堯の子義堯は急遽北條氏に援軍の使者を送り氏綱と同盟を結ぶ事になった。

「御屋形様のお考え通りになりましたな」

 小田原城内の喫茶の亭では、亭主となった氏綱が客となった小太郎をもてなしていた。

 このときの茶室は利休時代の狭い茶室とは異なり、八畳以上の広さがある広い空間だ。

 詫びも寂もこの時代にはまだない。室町風の茶である。

「これも小太郎、そなたの働きによるものじゃ」

 炉にはほんのり赤く焼けた炭がくべられ、茶釜からは湯気がふわりと立ち上り細かい金属音を響かせていた。

「ありがたき仕合わせにござる」

 氏綱は棗から茶杓で茶を掬い椀に入れる。

「ところで、里見義堯殿から援軍の使いがあったとか」

「うむ」

 椀に茶釜から掬った湯を注ぎ入れる。

 茶の良き香りが喫茶の亭に広がった。

「儂もこれほど上手く行くとは思うておらんかったが、義豊の家督固執は思った以上であったと言うべきか」

「いかにも左様で。京や堺の土産物が里見を崩すなど思ってもみませんでした」

 茶筅が椀の中でくるくると踊っている。

「義堯は今、金谷城を出て造海城(つくろうみじょう、通称:百首城)に正木兄弟と共に籠っておるようだ」

 小太郎の前に湯気を上げた椀を差し出した。

「造海城と言えば真里谷信隆殿の城ですな。匿われましたか」

「そうらしいな。儂はこれより為昌を大将とし、北條水軍を上げて義堯救援に向かわせる」

 小太郎、椀をとりあげて茶椀の形を見た。

「よき椀でございますな。これは大井戸とか申す渡来の品でございまするか」

「うむ、堺から参ったという商人から買い受けた」

「鄙びた趣がまこと良き加減で」

「どうした、何か思う所があるのか」

「鄙びた茶碗なら目の保養にもなりますが、鄙びた公方では始末に困りまするな」

「小弓か」

「はい。此度は小弓様が義豊に追討を許したとか。後々面倒になりませぬか」

「良いわ。小弓の義明は何れ潰さねばならぬ。幸いにも我が北條は古河の本家との縁繋がりじゃ」

 小太郎は茶を喫し、懐紙で椀を拭った。

「まこと良き加減で」

「小太郎、その方また上総へ向かえ」

 小太郎は椀を膝前に置き、一礼した。

「上総、真里谷でございまするか」

 氏綱は目を伏せながら笑顔を作った。

「察しが良いな」

「里見と真里谷、小弓は繋がりが深うございます故」

「ならば任せる。真里谷と我が北條の間に誼を通ずるのだ」

小太郎の膝前から大井戸茶碗を引き取り、湯を掛けながら小姓を呼んだ。

「誰ぞある」

 直ぐに喫茶の亭の外より声がかかる。

「玉縄の為昌に使いを出せ。これより石巻、山角、垪和、清水の兵を後詰として送る故造海城の義堯の援軍として水軍を押し出せと伝えよ」

 小姓は勢いよく家臣の控えの間と使い番詰め所まで走って行った。

「では某も上総に向かいまする」

 小太郎が喫茶の亭を後にすると氏綱は大井戸茶碗を手に取り、

「公方家を筆頭に、古き物が良きモノとは限らんな」

 そう言うと小柄を鞘ごと引き抜き、目の前の大井戸茶碗に打ちつけて二つに割った。


 天文二年八月、為昌率いる北條水軍が義堯・正木兄弟の籠る造海城の援軍として安房に上陸。

 この報を受けた里見義豊は保田妙本寺(現千葉県安房郡鋸南町)に軍勢を動かして両軍は衝突する。

 一方義豊の里見水軍は三浦半島へ船団を催し、陸海の二方面作戦を採った。

 義堯勢と北條勢の連携を断とうとするのが目的だったが、三浦半島では小田原からの後詰の北條勢に駆逐され安房へ撤退、また保田妙本寺の合戦も敗退して滝田城(現千葉県南房総市)に籠った。

 北條の援軍が到着した義堯は翌九月、滝田城を力攻めし始めると支え切れなくなった義豊は城を捨て上総に落ちのびた。

 そして城代の一色九郎が奮戦したが力及ばず自刃し落城。

 義豊は上総の真里谷信保(恕鑑)の元に落ち保護される事になる。

 この合戦で義豊を保護した真里谷武田氏の当主の信保は、小弓公方義明の命で義豊側に立っていたが、ついに救援が間に合わなかった上に嫡子の信隆が義堯を自らの城に匿った事で義明の勘気を被っている。

 この隙を突き、氏綱に送り込まれた小太郎が信保の子、信隆と信応に調略を始めていた。

 そして年が明けた天文三年、義豊は真里谷信保(恕鑑)の支援を元に大戸城(現千葉県君津市)に拠って勢力を盛り返し、俄かに軍勢を催して真里谷武田氏の援軍と共に四月六日、安房に侵入するが、これは間者によって義堯に知られることになる。


 二手に分かれて進んでゆく義堯勢と北條勢、これと義豊勢と真里谷勢が衝突したのは犬掛と呼ばれる土地だった。

 これが後世『犬掛の合戦』と呼ばれる里見氏の身内同士の争いだった。

 激戦の結果、里見義豊は自刃し、里見嫡流は断絶する事となる。

 そしてこの年、甲斐武田家と武蔵扇谷上杉家の間で同盟が結ばれ、武田晴信の正室として上杉朝興の娘が嫁いでいた。


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