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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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安房からの狼藉

 大永六年六月二十三日、駿河今川家当主氏親が死去した。

 死の二か月前の事、自らの死期を悟った氏親は嫡男氏輝が去年元服したばかりで十四歳と若年であったため、過去の自分のように家臣による家督後継争いを防ごうと後年『今川家仮名目録』と云われる分国法を作っている。

分国法としては早雲が制定したとされる早雲寺殿廿一箇条の次に古いものだ。

 そして駿府の今川館で息を引き取った氏親の葬儀は、曹洞宗の増善寺で行われた。この寺は生前氏親が曹洞宗に関心が深く辰応性寅禅師しんのうしょういんぜんじに帰依し、それを開山として元々真言宗の慈悲寺と呼ばれた寺を増善寺と改名し、宗派も曹洞宗と改め伽藍を整えたとされる寺である。

 この葬儀、七千人もの僧侶が参加したと言われる壮大な葬儀であったようだ。

 そして家督を若年の嫡男氏輝が継いだが、母の寿桂尼が後見人となって実権を握っていたため家中に波風は立たなかった。

 こうして駿府今川家は、後年中興の祖と云われた氏親から氏輝への世代交代が無事行われた。

 相模では、今川家への弔問の使者が北條家へと戻ってきた文月の始めころ、鎌倉で海賊騒ぎがおこった。

 はじめのうちは何処かの食い詰めた浪人達が海賊となり、鎌倉の神社仏閣に押し入り略奪狼藉を働いているのかと思われたが、場所が場所だけに氏綱が下知して調べさせたところ、どうやら安房の里見実堯が幾艘かの船を率いて狼藉を働いている事が判明した。

 近くの領主にも話を聞いてみると、この地はだいぶ前から安房より海賊がやってきては略奪の限りを尽くしているとの事だった。三浦半島付近の百姓に至っては年貢を半分に分け、一つを小田原に。もう一つを安房に振り分けるのだとか。

これは軍事行動と云えるのか。

 その知らせを受けた氏綱は、首謀者が由緒ある源氏の家と云われる安房の里見と聞いて少々驚いた。

「安房の里見と申せば源氏の流れ。八幡宮の氏人ではないか。それが寄進をするどころか盗賊まがいの行いをするとは」

 知らせを持ってきた小太郎に信心があるのかどうか分からないが追従する。

「まさに。神罰を恐れぬ前代未聞の悪逆と言えましょう」

 この安房を本拠にする里見氏は、当代を義豊と云う。稲村城に入り(現千葉県館山市稲)今より八年前の永正十五年に父義通の後を継いで里見氏当主となっていた。

 しかし一族の金谷城城主(現千葉県富津市金谷)、里見実堯とは折り合いが悪いようで、その実堯は里見家に所属はしているものの独自の行動をとっている。

此の度の海賊騒ぎも金谷城と目と鼻の先にある三浦半島を掠めようとする実堯独自の行動であったようだ。

 氏綱は静かな怒りを込めながら、

「そのような輩は懲りもせずにまたやってくるであろう。小太郎、相模湾の物見を増やし朝な夜なと物見を怠るまいぞ」

と三浦、鎌倉の見張りを小太郎に下知した。

「畏まってございます」

「次に現れたときにはいちいち取り押さえて見せしめにしてくれよう」

「では早速物見の数を増やし、里見の船が見えたら相図を致しまする」

「それと小太郎、良い機会じゃ。配下を幾人か安房上総下総に送り込んで里見と小弓と真里谷を探れ。いずれも攻めねばならぬ敵となろう」

「合わせて進めまする。それとお耳に入れたき事が」

「なんじゃ」

「下総の公方様の事にございます」

 氏綱の表情が曇る。

「なんぞあったのか」

「配下を梁田の領地に潜ませておりましたが、松山の難波田と岩付から石戸に移った太田資頼が梁田高助と密会したげにござる」

 氏綱は目を瞑り鼻を鳴らしたあと溜息を吐いた。

「公方の探りも続けよ」

 言い終わると、ふと前半に指していた扇子を右手で抜き取り、一度ばかりと開きすっと閉じた。そして閉じた扇子の先を顎に付けてから思い悩むような素振りを見せた。

「先月扇谷の朝興が我が方の蕨城(現埼玉県蕨市)を攻めてこれを落としたが、それに絡む動きかもしれん。扇谷の朝興にも人数を送り込め」

「畏まりました。それと山内の晴直様ですが」

連続で公方家の名を出した小太郎をちらりと氏綱が見ると、そこには表情一つ変えずに淡々と報告をする情報を担う忍の姿がいる。

「晴直様には警戒が必要かと」

「扇谷の朝興を筆頭にして山内の家臣達が良き様に晴直殿を担ぎ始めたのか」

「詳細は未だ分かりかねまするが、殿が諫言の使者を使わしてから幾日も経っておりませぬのに何やら不穏な動きが山内家で起こり始めておりまする」

「管領殿は簡単に事を運ばせてはくれぬとみえるな」

「こちらも何かあり次第ご報告致しまする」

「仔細漏らさず知らせよ」

 この会話の後、風魔の者を多数鎌倉の海岸が見渡せる小高い丘に送り込み、同時に安房、上総、下総、武蔵へは行商、行者、乞食、河原物等に化けさせた配下を大量に送り込む事になった。

 氏綱が小太郎に言い含め諸々の手当てを済ませると少々疲れが出た。

 少し気を紛らわせようと奥に戻り、新九郎と勝千代の様子を覗く事にした。

 今はまだ午の刻を少々過ぎた頃合いなのでいつもの様に御用部屋で新九郎と勝千代が友に習字の習い事をしているのだろうと思い、そちらに歩を向け長い廊下を歩いて行くと、何時もなら明りとりのために開いているはずの障子が閉まっていた。

 ふむ、どこかに出掛けておるのか。

 同じ城に居ながら親子とは言え中々合う事もままならぬ為に、久しぶりに会おうと思ってやってきても相手がいないとなると何処か寂しいものである。

鼻を鳴らした後、致し方なしと踵を返したところに少し離れた庭から聞きなれた声が聞こえた。

「伊豆千代丸様(新九郎、氏康の幼名)」

 これは勝千代の声だ。

「只今北條家は武蔵の上杉家と戦っておりまするが、伊豆千代様でしたらどう戦われまするか」

 ほう。氏綱は嘆息した。

「儂は、まずは上杉家の様子を窺うかな」

 どうやら二人は二尺半の鉄の棒を使って剣技の鍛錬をしていたようだ。

「窺ってどうされます」

「我が北條家と戦う家がどのような家であろうともその家の内情が分からねば戦いも危うい。孫子曰く、敵を知り己を知らば百戦危うからずと云うらしい」

「では相手が弱いと見たら攻めまするか」

「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するのは善の善なり」

「では戦わずに勝ちを得られると仰せですか」

「勝千代、儂は戦が余り好きではない」

「これは北條家の棟梁ともなる御方のお言葉とは思えませぬ」

「ただ徒に兵を起こし国を攻めるのが北條家の棟梁の仕事ではあるまい」

「左様ではござりまするが、配下にそれを聞かれては従う者も従いますまい」

「勝千代、兵は国の大事にして死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず。とも言うぞ」

 これは兵を起こす事は国の一大事であって、国家の存亡がかかっている。良く考えよと云う事だ。

 これを影で聞いていた氏綱は不意に足音を立てて歩いてきた事を二人に気づかせた。

それに気づいた二人は鉄の棒を脇に挟み、廊下に端坐して氏綱と相対した。

「お帰りなさいませ。父上」

 十二歳になったばかりの新九郎が父との挨拶を交わすと、隣にいた勝千代も続いて挨拶をした。

「御戻りなされませ。御屋形様」

「今日は剣の鍛錬をしておったのか」

「はい。日頃より鍛えておきませぬと、体が鈍りまする」

にこやかに新九郎がほほ笑んだ。

「文武両道に励むが武家の習い。二人共によう精進しておるようじゃな」

 若い二人の顔には氏綱に褒められた喜びが表情に現れた。

特に勝千代の喜びは大きかったようだ。

 勝千代は氏綱を実の父以上に敬慕していた。

家臣に連れられ遠州土方の城から落ち延びて来てから今日まで氏綱の身の回りに小姓として置かせてもらっている上に、今川の被官であった父福島正成が討ち死にしてのち、流浪の境涯にあっても不思議ではなかった身の上を氏綱が不思議ともいえる厚遇を寄せてその一子伊豆千代丸と共に育ててくれている恩義を感じているためでもあった。

「先ほど良う通る声で二人の話声、聞こえたぞ」

聞かれてしまったかとの思いで新九郎は顔を赤らめて下を向いてしまったが、勝千代は目を輝かせたままで直視していた。

「勝千代に問う。勝千代ならば武蔵の上杉家にどう対する」

 目には微笑みをためて勝千代を見つめると、わたくしはと良く通る声で答えた。

 庭の夏草が青みを増して愈々夏到来の乾いた土の香りを奥の屋敷に届ける。

新しく春に芽吹いた命が渾身の力で成長する様子をその場にいる者に伝えるようだ。

「攻めに攻め、相手が疲れきるまで押しまする」

 いかにも若者らしい直線的な答えが氏綱には快く響いた。

「ほう、では相手が此方より強かったらどうする」

「相手の弱き所を見つけ、そこより切り崩しまする」

 勝千代も氏綱に問われたのが非常に嬉しく、湧き立つような心で答える。

「なるほど弱き所か。では上杉家を滅ぼすと言うのだな」

「敵であれば致し方ございません」

「うむ、良う言うた。しかし武蔵の上杉家には山内上杉家と云う狸が付いておってな、さらに古河足利家という狢も付いておる。さてどうする」

「そ、それは」言葉に詰まった勝千代が暫く考えてから出した答えは、その狸と狢の家を隈なく調べ上げて弱き所を見つけまする。だった。

氏綱はその答えを聞き大いに満足した。

「勝千代、そちには伊豆千代の片腕として今後大いに期待しておる。故に文武の鍛錬を怠るでないぞ」

「御屋形様のご期待に必ずや添えてみせまする」

「頼もしき哉。敵を知り、己を知らば百戦危うからず。であるぞ。それと伊豆千代、そなたの戦いを厭う心、大事である。忘るるべからず」

 そう言うと衣擦れの音を残して氏綱は表の職務に戻って行った。

 そして九月に入って間もなく氏綱の元に急報が届いた。古河公方家から山内上杉家に養子に入った上杉憲弘が武蔵は河越城の扇谷上杉朝興の兵を糾合出兵し、双方の軍を率いて小沢城(現神奈川県川崎市)に急進しているとの事だった。

 氏綱は急ぎ相模の人数を集め小沢城に向かわせる為の手筈を整えたが、豆相武の各城からの人数が集まるのに時間がかかり過ぎ、纏まった兵力になる前に急攻めされた小沢城はあっけなく落とされてしまった。

しかし事後に人数を整える事ができた北條軍は勝手知ったる城を包囲し、遠征上杉軍を僅かな日数で蹴散らし、無事武蔵は河越に追い落とすことができた。

ところがこれに懲りず、上杉軍は冬の足音が聞こえ始める十一月に再び遠征軍を整えて相模に現れ玉縄城を攻めた。

これに対し氏綱は玉縄城主である弟氏時に城門を硬く守らせ、自ら兵を率いて上杉軍を挟み撃ちに攻めかかる素振りをみせると、これを回避するように上杉軍は玉縄城下に放火をしたのみで退却して行った。

「朝興め、性根の座らぬ憲弘殿を舌先三寸で垂らし込み攻めて来たのであろう」

拘束する力はあまり期待できないが、古河公方にこの山内上杉家の侵略行為を北條家の縁戚として諫言する事を期待し仲裁する事を求める使者を送った。

 そしてこの侵略に対して古河足利家と梁田家、山内と扇谷の両上杉家に対して対応を始めた矢先、氏綱の元に鎌倉に放っていた物見からの急報が届いた。

 安房からの小船の船団が現れ、物見に出していた風魔衆からの合図の烽火が上がり敵襲が告げられたのだ。

 時期は師走、十二月に入っていた。

「今度は里見か」

 安房からの海賊には伊豆・相模の兵を集め、再び氏時を総大将として人数を鎌倉へと送り込み町を取り巻いて見てみると、海賊になり果てた武士の集団があちこちの漁民の家々に入り込み略奪の限りを尽くし、それだけでは飽き足らず鎌倉の町に侵入し寺社仏閣にまで押し入り始めた。

しかも略奪にすることだけに関心が向いてしまい、方々に散り々々になっている上に囲まれた事にも気づいていない。

「これは」と声を出したのは鎌倉の町を包囲した北條勢の武者の一人だった。

「これが安房の里見勢で間違いはないのか」

「ただの盗賊ではないか」

 幾人かの里見勢が漁民の家から女を引きずり出している。おそらく慰み者にしようとしているのだろう。その後を家族と思われる男が出てきたが、追いすがる男を里見の海賊が太刀で切り捨てた。

 かと思えば寺社の門前に立ちはだかった僧侶を槍で突き倒し、僧俗区別なしの惨劇が至る所で繰り広げられていた。

「今までもこの様な事があったのか」

 氏時がこの地を所領としている家臣に問いただすと、当家が武蔵に勢力を伸ばしたころから海賊行為は頻繁になったが、今日のこの有様は初めてとの事だった。

「この悪逆非道の行い、捨て置く事はできぬ。押し包んで全て討ち果たすか捕らえるのだ」

 氏時の下知が若い武者達に届くと、我先に里見勢にかかって行った。

 北條勢が押し込んで来る様を見た里見勢は、ようやく囲まれていた事に気付いたようだ。

 これに抗しようと集まろうとするが既にその暇は無く、里見勢は纏まる前に捕縛されるか、または討ち取られていく。

そして侍大将だった里見左近太夫が討たれると抵抗する気概も失せたらしく、算を乱して船へと潰走して行った。

しかし氏時は尚も追撃の手を緩めることなく里見勢を追い立て追い詰め、海岸でも散々に討ちかかった。船に乗って難を逃れたかのように思えた里見勢の幾人かも追い詰める北條方と船戦になり、船上の乱戦となっていた。

「兄上にこの事を伝えよ」

そう氏時が近習に言ったのは、海賊の大将となっていた里見義堯が安房に向かって退却していった後の事だった。

 この氏時から里見の狼藉の知らせを持った使者が小田原に到着したときは、丁度小太郎が上総からの知らせを氏綱に伝えていたところだった。

「御屋形様、上総からの知らせが入りました。この安房からの里見の件、どうやら小弓の義明が指図のようにございますぞ」

「左様か。して真里谷は如何しておる」

 この真里谷とは上総武田氏の一族で、現在の当主は武田信保と云った。法名を寿里庵恕鑑、式部大夫、三河守。遠く遡れば甲斐武田氏と同族と言われている。

 この真里谷恕鑑こそが古河公方高基の弟、足利義明を擁立し小弓公方として仕立て上げた人物である。

古くは早雲からの援軍を受けて原氏と戦ったこともある。

「恕鑑殿は里見と同盟を結んだようにござる。只今の鎌倉の町の騒ぎも里見と真里谷が結び、品川から鎌倉までの海を一面抑えたことで里見が出張って来たので御座いましょう」

氏綱は即座に小弓公方義明に調停の使者を立てた。

 この使者に北條家は小弓公方家に敵対する意思は無い事を伝えさせ真里谷、里見両氏の兵を引かせる事に成功している。

しかし事がより複雑になって行った。

小弓の義明や真里谷武田氏から、北條家が小弓に敵対しない旨の使者を出した事が古河公方家に伝わってしまったのだ。

 この知らせを下総は関宿の城で聞き及んだ高助は、北條殿が小弓と和睦したのかと緊張したが、よくよく事の成り行きを聞いてみると、さもありなんと云う結論に落ち着いた。

とにかく鎌倉へと小弓の指図で里見が攻め行った事と、これに対して北條家が調停の使者を里見に使わしたこと、また里見と真里谷と小弓が繋がった事、これを古河公方高基に知らせるため、高助は師走の雪の降るなか従者を幾人か連れて古河の地に向かい関宿の城から馬を打たせて出ていった。

 この日は朝から非常に寒く、昼過ぎから雪が降り始めた真冬の一日だった。

関東平野のほぼ中央に位置する古河の地に降る雪は、北国の雪と異なり人の背丈ほどは積もる事がない。灰色の空から粗目雪が一通り降ると、その後は大粒の牡丹雪となり俄かに地面に吸い込まれる。

ただ夕方から降りだした時には少々積もる事もあり、今日の雪は明日まで残る程度に積もるだろう。

 この新雪の上に、先ほど古河の城に向かって行った高助の馬の足跡と従者の足跡が続いているのが見て取れる。しかしその後を踏み消す様に真新しい別の足跡が、爪先の方向を逆にして付けられた。

関宿城客間には高助に知らせを届けた間者とは別に、もう一人同じ知らせを届けた間者が到着していた。

 これは特に深い意味が有っての事ではなく、ただ偶然に同じ情報を持ってきただけだったのだが、先ほど高助が古河城へ出仕したため不在だったので、高助の家宰(後の世では筆頭家老の職)と晴助がその報告を受ける事になった。

「只今小弓より帰参致しました」

「苦労、小弓の様子はどうなっておる」

 若い晴助は間者の報告が待ちきれぬように半分腰を浮かせて身を乗り出している。

 初めて梁田家の間者の報告を受けたようで、これを見た家宰も咳払いをして気付かせると、我に返った晴助が少しばつが悪そうに座りなおした。

「まずは里見殿と真里谷殿が同盟を結んだようにございまする」

晴助は目が輝き興奮しだしたようだ。

「して、それからどうした」

「北條殿と海を隔てて相対する領地を持つ里見殿が所へ義明様が働きかけ、北條様の御領地、鎌倉に侵攻した様なのですが、北條様から義明様に対して調停の使者を派遣し義明様へ敵対する意思はないと伝えたようにございます」

「北條殿が義明様に敵対する意思がないだと?」

「はい、左様に伝え里見の兵を退かせたようにございまする」

しばし晴助は考える風情であったが、ふと家宰を見てぼそりと吐いた。

「つい先ごろ北條殿は我が家を通じて古河の公方様に使者を差し向けたな」

 家宰はつい先だって、小沢城と玉縄城とを山内上杉家に養子に入った憲弘に攻められた折に、当梁田家を通じて公方家に仲裁の使者を送って来たことを伝えた。

これを聞いた晴助は、脳裏に湧き出す言葉を止められなくなってきていた。

「小田原北條家、恐るるに足らず」

この言葉に家宰は戦慄し、身を震わせた。

「若、何を言われるか。北條様は晴氏様の御台所様の御実家でございますぞ、滅多なことを口にされてはなりませぬ」

「何を言うか、山内に攻められ為す術を知らず公方家を通して助けを求め、今また里見、真里谷に攻められたと思えば小弓を頼る。これは北條家の行く末が見えたようなものじゃ」

「武家の調略とはそのようなものにございまするぞ。一見したのみで判断を下すなど危うき事にござる」

晴助はひとしきり笑った後に、古河の御座所に参る。と一言残し、先に参内した父高助とは別に晴氏の元に参内するために雪の降りしきる関宿城を後にした。

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