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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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太田の資正

 天文十五年から十六年にかけての憲政の行動に呆れた山内上杉方だった上野、西武蔵の諸将は次第々々に憲政から離れて行った。もはや管領上杉氏の衰退は火を見るより明らかになっていた。

 天文十五年の河越夜戦で惨敗を喫した太田資正は、寄宿していた武蔵松山城を北條氏に奪われた為に、管領家側だった上野は金山城に寄る横瀬(由良)成繁を頼っていた。

 この横瀬氏、本来は主家の岩松氏に仕えていたのだが享禄元年に下剋上を起こして金山城を奪い盗っていた。そして後の永禄八年に横瀬の姓から由良と改名し、戦国大名として独立した事を内外に表明する事になる大名家である。

 本来は天足彦国押人命あまたらしひこくにおしひとのみことを祖とする小野氏流の横山党の一族とされる。

 横山党とは武蔵七党の一で、武蔵国多摩郡横山荘に割拠した武士団である。しかし後に横瀬氏の自称は清和源氏新田流とした。これは本拠の城としていたこの金山城が、清和源氏新田氏の流れだった主家岩松家の居城だった為に下剋上で奪い取った事を正当化しようとした狙いもあったのだろう。

「憲政様は志賀の城に兵を出されましたか」

 金山城内で、そう資正に聞いて来たのは金山城主の成繁である。

 金山城、別名太田金山城とも言い、現在の群馬県太田市金山町にあった。関東では下野の唐沢山城と並び珍しい石の城だ。

 一つの山を掘削して細い尾根を一続きの道筋として本城に至らせ、各所に堀を刻み石積みを施し、曲輪を梯郭状に配置した段曲輪で構成している。

 城の南側に追手道を持ち、その追手口には段曲輪が幾重にも並ぶ曲輪が二つ縦に配置されて張り出しており、侵入者に睨みを利かせる作りは鉄壁の守りを感じさせる。

 その城の三の曲輪に城主の屋敷が構えられていた。そこの一室にある客間とも言える板張りの二十畳程の居間に二人は並んで座っていた。

「左様にございます。箕輪の長野殿と共に平井の城まで出向き、出兵を思い止まって頂くよう申し上げたのですが、お聞きいれ頂く事叶いませなんだ」

「我が手の者の知らせで憲政様の軍勢が碓氷峠にさしかかったようじゃが、どうなる事か」

「無事に帰って来て頂きたいものじゃ」

「それはそれとして、資正殿、御前は難波田殿が松山城におった頃、そこに寄っていた事がありましたな」

 成繁はふと思い出したように資正を見た。

「如何にも左様にござる。恥ずかしながらそれがし、兄資顕とは反りが合わずに岩付の城を抜け出てから難波田殿に世話になっておりました」

「ふむ」

 成繁は資正を見つめた。

「如何なされた?」

 成繁の不意な視線を感じた資正、何事かの意図があるのかと見つめ返すと成繁がつと目線を外した。

「資正殿、これから茶など召しあがらんかな。いや何、儂が茶を飲みたいからなのじゃがの」

 先ほどの会話と不思議に噛み合わない茶の誘いに、資正は何かを感じたのだが、これは吉凶何れにあるのだろうか。

「茶、でござるか。これは楽しみな」

 相好を崩した成繁、ならばと立ち上がり「座を設ける故暫しお待ち下され」そう言って座を去って行った。

 季節は七月文月、稲の穂も膨らみ始め、ざわつく風に靡く様は緑の海が打ち寄せる様にも見える。風に乗る稲の匂いも心地よい。

 残された資正は座敷の濡れ縁に立ち、三の曲輪に周る板塀の上から見える上野の景色を眺めていた。

 暫し眺めた後、そのまま濡れ縁を降り石積みの曲輪を順々に歩いて城内に作られた飲料水を溜めておく池までたどり着いた。これは二つある池の内の馬場に近い方の池である。

 城内の者には月の池とも呼ばれていた。

 (飲み水も事欠かぬ山城か。山城故の堅固さと相まって、これは上野随一の堅城かも知れぬな)

 ふと遠方に見える山頂の一の曲輪を見上げた資正は岩付の城を思い出していた。

 古くは成田自耕斎正等と云う人物が縄張りしたとされ、大永の頃に資正の祖父、太田資家が奪取した城である。

 水に囲まれた半島状の平地の上に、曲輪を多数配置した水に浮かぶ城とも言えた。

 (兄資顕は何やら病魔に取り付かれたらしいが)

 望郷の念に襲われたのか資正が物思いに耽りはじめた時、小走りに走り寄り軽く首を垂れて腰をかがめる者が居た。成繁の小姓だろう。

「太田様、茶の用意が整ったとの事で殿がお呼びでございます」

 余程探し回ったのだろうか、息を切らせ肩を上下させていた。

 なるほど資正には左程時が過ぎていないように感じたが、成繁から茶の誘いを受けてから半刻程は過ぎていたようだ。

 自分でも意外と思えるほどに物思いに耽っていたようだ。

「これは手間をかけさせてしまったな。では早速伺おう。案内してくれ」

 そう小姓に言葉をかけると、年若い小姓は鐘の鳴る様な小気味の良い返事をして資正の案内を始め茶室のある屋敷まで暫く先導した。

 二の曲輪辺りであろうか、少々広くなっている曲輪までやって来るとそこには屋敷とは別棟の建物があった。

 この時期、まだ茶聖と呼ばれた千利休の考案した茶室は歴史に現れていない。

 小姓は屋敷の式台までやって来た資正に再び首を軽く下げた。

「殿はこちらにおわしまする」

 そう言うと手慣れた様子で水盥を用意し、砂塵で汚れた資正の足を拭い座敷に上がらせた。

「ではごゆるりとお過ごし下さりませ」

 小姓が去った後、座敷の障子前に立った資正は御免仕ると慇懃に挨拶をして障子を開けた。しかしそこに居るはずの成繁がおらず、板敷きの空間が静かにそこにあるだけだった。

 資正は少々呆気に取られ、小姓が案内する所を間違えたのかとも思った。

『資正殿、参られたか』

 不意に部屋への明かり取りとなっている閉まった障子の方向から声をかけられた資正。どうやら小姓は案内する所を間違ってはいなかったようである。

「成繁殿か?どちらにおられるのだ」

 毒気を抜かれたように成繁と思われる声の主に語りかけた。

 からりと障子を開けると、濡れ縁欄干を越えた所に、玉砂利の上に贅沢にも畳を何枚も敷き並べて野立て風の支度がされているのが見えた。

 その端に風炉先屏風がまわされ、その中にある風炉が炭を赤々と灯して湯をわかしている。湯の鳴る音が心地よく響いていた。

 棚や水差しなど一式が用意されており、成繁が亭主の座に座って居る様は成繁を含めて一幅の絵の様な赴きだった。

「お待ちしておりました。ささ、まずはそこに」

 成繁が手の平で場所を示して資正に座を進めて着座させると、資正が感心したように声をだした。

「成繁殿、これは大層な茶の湯の設えでございますな」

 畳の並べられた玉砂利の庭からは、幾重にも回された段曲輪の逆茂木に囲まれてはいたが山上の為に遠方までの眺めが非常に良い。薄く霞がかかって見える関東平野を一望できる金山城では江戸辺りまでは遠望できるのだ。

「この眺めといい、またと無い馳走にござる」

 成繁はにこりと微笑み、作法通りに支度をはじめた。

「わざわざ庭に設えた茶にお呼びしたのは他でもない、資正殿にな、人払いをして話したい事があった故なのだが」

 ほう、わざわざ野立てを用意するほどの折り入った話とは何事かと資正は興味を持った。

「さて、成繁殿ほどのお方が茶の湯を使ってまでの内証のお話とは如何様な事でござろうか」

 成繁は、はははと笑った。

「いやいや、茶の湯は儂の好みでな。屋敷でも申しましたが、折角なので資正殿にも茶を楽しんでもらいながら話をしようと思ったまでの事」

「左様でございましたか。では遠慮無う楽しませて頂きまする」

 成繁は話を続けながら茶をたてはじめた。

「先の河越の戦の後でござるが、武州松山の城には上田殿が入った事はご存じか?」

「はい、それがしと長野殿と共に上州平井に憲政様を伴って落ちるはずでござったが、どうやら上田は北條と誼を通じていた様子。それゆえ今も上田が入っておるのでござろう」

 唐物の茶入れを手に取り、井戸茶碗に茶を掬い入れながら成繁は話を続けた。

「松山の城は北條の直轄となったようにござる。初めは多目元忠と云うものが城代を務め、上田殿はその与力とされていたようだが幾日か前にその城代が変わったようにござってな」

 茶筅が井戸茶碗の中で踊り始めた。

「上田め、何れ戦場で会うたらその身の肉を喰ろうてやりたいわ」

 資正は先の裏切りが身に染みて堪えていた。憲政の身を案じる風情でありながらその実裏切っていたなど、資正の感覚からはとても許せるものではない。

「資正殿、そう申すものでもありますまい。いやさ上田殿が北條に靡かずば松山の城を北條に盗られる事も無かったやに思われるが、そもそも松山城は上田殿の城だったものにござる」

「なんと申された?」

「お若い資正殿は知らぬでも致し方あるまいな」

 この時の成繁と資正の年齢差は十七歳、松山城が築城されたのはその成繁が生まれる九年前の応永六年。上田友直によって朽ちていた古い要害を建て治したとされていた。

「元々は上田朝直殿の一族が扇谷上杉氏の被官として寄っていた城にござる、それが主人朝興殿の命で難波田善銀殿に城を明け渡す事になったのでござるよ」

 資正の膝前に湯気を立てた井戸茶碗が置かれると茶の香気が鼻をくすぐってきた。

「左様にござったか。ならばその主家が滅び、伝来の城が手に入ると踏んで北條に靡いたとも言えますな」

 風炉に掛っている茶釜の湯を見ていた成繁が体を資正に向けて座りなおした。

「流石に資正殿にござる」

「なにが、でござるか?」

「上田は餌に弱い。と言う事を暗に言われてござる」

 成繁はにこりともせずにつぶやいた。

「松山城の城代が代わり城の守りが手薄になったいま、与力の上田殿を引き込めば再び松山の城を落とす事が出来ると思われぬか」

「なるほど、上田は松山の城を餌にすれば調略しやすいと、こう言われるのでござるな」

 成繁は頷くと、「茶が冷めまするぞ」と資正の膝前にある茶を資正に進めた。

「兵はこの儂が都合致そう。どうじゃな資正殿、松山城を盗ってみぬか?」

碗から口を話した資正は思いもかけぬ申し出に目を輝かせはじめた。すでに岩付からも松山からも伝手を無くした資正である。この申し出は有難かった。

 資正は茶を喫し終えると、最後に一啜りした。

「成繁殿は何故某に力を貸して下さる」

「北條に河越と松山を盗られてから後、武蔵と上野の領主が挙って北條に靡きおった。これに我慢がならぬのよ」

 成繁が資正から戻って来た碗を手に取り、「今一服如何」と進めると資正は二服目を頂戴する事にした。

「このまま北條に蹂躙されるに任せては余りにも情けない。よって忠に厚い資正殿と手に手を取り、共に管領上杉家の意地を見せつけたいが本音」

「成繁殿の申し入れ、有難き事にござる。このご恩、資正今生の限り忘れませぬぞ」

 金山城二の曲輪の一角の茶の湯は武州松山城分捕りの密儀だった。

 しかし。

 成繁の本音は更に別な所にあったのだが、それが世に現れるのは十数年の歳月が必要だったようだ。

 さて、その後も暫く金山城に寄宿していた資正だったが、その間に手の者を幾人か使って松山城の上田朝直の調略をはじめており、着々と松山城攻めの計画を練り始めた。

 その上田朝直から返事が来たのは天文十六年八月末の事。

 使者は金山城に到着していたのだが、肝心の資正は昼日中の金山城の門前町とも呼べる様になった市を、馬を引いて歩いていた。

 資正はぎらつく太陽の熱気に負けない程の活気があるこの門前町の雰囲気が嫌いではなかった。雑多な人間が日々入れ替わり、様々な野菜や日用品などを並べる店と店との狭い間を歩いてゆくと、そこに集まる人間達の熱気が直に伝わって来る感覚が心の何処かを刺激するのだろう。

 金山城の門前町はそれなりの賑わいになっており、古くからそれは変わっていない。

 そもそも城での消費を当て込んだ近隣の者達が自然と集まり、物々交換等を行う内に自然と市から町へと変貌を遂げた場所とも云える。

 柱を立て梁を縛り付け、その上に蓆を掛けて簡易の屋根とし、網籠や蓆を地面に敷いて其の上に品物を並べている店では、通行人を見つければ声をかけてくる。

 この頃ようやく流通してきた銭と云うもので売買も始まったようだ。銭を持っていなければその通行人の持っている物と交換して契約は成立する。

 馬を引く武士などは景気の良い上客と見えてその売り子達は引っ切り無しに資正に声をかけてくる。

 何軒か見回ると、ふと刀の鍔を売る店があった。

 (ほう珍しい、鍔売りか)

 そう思いながら品定めを始めると、金で唐草を象嵌し、蝶と桔梗の紋を小透かしにしている非常に凝った作りの鍔を見つけた。

 (この桔梗は我が紋、太田桔梗であるな。なかなかに良い物を見つけた)

 自らに縁のあるものを見つけ、淡い高揚感が資正を包んだ。

 その鍔を売りに出している男は何処かの百姓が落ち首稼ぎでもしているうちに、名のある武将の身に着けていたものでも拾ったのであろう。売られている物と人物の差が出ている様に見える。

「ちと尋ねるが、この鍔は幾らで売るのじゃ?」

 継接ぎだらけの麻の上着を一枚纏い、下は褌姿の見た目では三十を越えた程度の男が、一寸ほど伸びた月代をぼりぼりと掻きながら厭らしくにやりと笑った。上客と見たのだろうか。

「へぇ、鍔が欲しいんけ、どの鍔がよがっぺか?」

 売主は上州訛りのきつい言葉を吐いた。

 おや、とこの時、どこか話し方に微妙に違和感を受けた。

 だが上州でも各地で訛りが異なるといつぞや聞いた事がある。おそらくはそれであろうかと自らを納得させてから並べられた鍔を指し、「この鍔じゃ」と手に取って見せた。

「あぁ、それなら四十貫文だ」

 四十貫文、正確ではないが現在の価値では七十万円程度であろうか。

 この男、よくも吹っ掛けたものだ。資正を見て未だににやにやと笑っている。

 大きく値を上げてから半額程にまける技でもあるのだが、そもそもがこの男の持ち物で無い事が窺われる代物である。どれ程値切られても大して痛くはないだろう。

 更にこの男、何時も気の荒い足軽等を相手にしているような者なのだろう、まずは脅しをかけてきたようだ。しかし相手が悪かった。

「この鍔が四十貫文か、我が太田家の家紋の施された鍔じゃ。確かにその程度の値打ちはあろう」

 鍔を手に持ち押し頂くようにしてから元の位置に戻した資正。

「しかし何故お主が持っておる?その鍔、そもそもは我が祖先、太田道灌より伝わった鉄地唐草象嵌桔梗てつじからくさぞうがんききょう蝶透鐔ちょうすかしつばと云う物ぞ。何処で奪い取ったか?」

 と、これは資正の嘘。

 しかしその嘘を真実と聞いた鍔売りの男は、引き攣った笑みのまま冷や汗を流し始めた。

「奪わずとはいえ、戦場で落ち首拾いをして稼いだか?返答次第ではそちを此処で斬らねばならぬが、答えてみよ」

 鍔売りの男は何かを言おうとするが、資正からの殺気に気圧されたのか口を動かすが言葉が出て来ない様に見える。

「その方、口がきけぬ訳ではあるまい。何故黙っておる」

 資正の目に殺気が点った。

 鍔売りの男は飛び下がって平伏すると、「申訳ね、その鍔お返しすっから命だけはご勘弁」頭の上で手を合わせる姿は仏像に拝んでいるように地面に潰れた。

「何も只で受け取ろうとは言ってはおらぬ、真っ当な値を言えばそれで良い」

「いえ、これは誰かが松山のお城の外でふてた(捨てた)折れた刀に付いてた鍔でございました。それを拾って来たもんだから、おめ様が言うそんなに名のある代物とは思わねで持ってきちったんだ。だからおめ様のご先祖から伝わった物ならただで持ってってくろ」

「いやこれは、儂も言い過ぎた。銭は払うが手元には四貫文しかない、それで間に合わせぬか?」

 この言葉に鍔売りは冷や汗を流した顔ながらにっこりと笑った。

「そんだけ貰えるんなら嫌だとは言わね、どうぞ持ってってくれ」

「もう直松山城攻めが始まる故、お主がそのまま松山の城にその鍔を捨て置いてくれても、いつかは儂の元に戻ったであろうが、これも何かの縁じゃ」

 そうは言うものの、松山城を攻めた所でそうそう拾えるものでもない、ましてや自分に縁があるのは桔梗の紋の図柄だけである。

 (ちとやりすぎたか)

 最初に余りにも値を吹っ掛けて来た鍔売りが癇に障ったので少々灸を据えてみたのだが、少し反省もする資正。懐に手を入れて全財産であった四貫文を取り出し、鍔売りに渡すと、それと引き換えた鍔を受け取った。

「資正様と繋がりのある桔梗の鍔だったとは、知らねとは申せ恐れ多い物を手にしちまったもんだ」

「まぁよい。また何れここに参ろう、そのときはもっと良き鍔を並べておいてくれよ」

「へへっ」

 平伏した鍔売りの前から去った資正、そして再び楽しむ風に品物やそこに集まる人間を見物し始めた。

 そして何軒か見回っていた時、金山の者だろう、幾人か侍達がいることに気が付いた。どうやらその侍達は誰かを探しているらしく、辺りを見回しながら歩いている。

 そしてふと資正に目を止めると一目散に走り寄り、「太田様、お探し致しましたぞ」と汗を拭きながら首を垂れた。

「そなた等は成繁殿の」

「はい、お城でその成繁の殿がお待ちでございます」

「それほど慌てて何の御用にござるか?」

「松山城の上田殿からの使者が城に到着され、資正殿のご帰城を待っておりまする」

「なんと!それは一大事でござるな、急ぎ城に向かいましょうぞ」

 資正は引いて来た馬を市の外に連れ出し、ひらりと馬上の人になると一目散に城に向かって駆け出していた。

 (そういえばあの鍔売り、何故儂の名を知っておったのじゃ?)

 奇妙な鍔売りに名を知られていた事を今更ながら気になりながらも、追手口から登城道を進んで行った。

 やがて近道の鍛冶曲輪を抜ける為に馬を繋ぎ徒で向かった。

 急な登りを抜けてから月の池がある実城(一の曲輪:本城)への矢倉門を潜り、客間のある屋敷が建てられている三の曲輪へと到着すると、そこには資正を待ち構えていた成繁の家臣が数人佇んでいた。

「おぉ太田様、お待ちしておりました。上田朝直様の御使者が殿と御一緒に奥でお待ちになられております」

 屋敷入り口両脇に直垂姿の家臣が並んでいる。要人警護を兼ねているのだろう。

「遅くなり申した、早速案内を頼む」

 資正を中央にして前後を挟むように屋敷式台まで案内するとその警護は去り、代わりに水盥を持った小姓がやって来て足を拭ってくれる。それから埃にまみれた着衣を改めて髷を結いなおす為に一室借り受けてから成繁と上田の使者の待つ広間へと向かった。

 広間の襖を開け、その上座に座る成繁に遅くなった旨を詫びて広間に入ると、その成繁が待ちくたびれたと云わんばかりに手招きをしていた。

「資正殿、ようやく参られたか、ささ、近う参られよ」

「此の度は上田朝直殿の御使者が参られたと伺いました。こちらがその御使者か?」

 成繁の一段下に座る大紋と折烏帽子姿の使者が平伏をしていた。

 使者の用件は、先の資正が上田朝直に仕掛けた調略で北條離反をする旨とそれにより松山城が落ちた場合、松山城を上田が治める事を認めると云った内容なのだが、それを承ったと伝える為のものだった。

 なんともあっさりと了承したものである。

 資正が上田朝直に調略の使者を送ってから一月しか過ぎていない。上田が北條に降ったのは四月、余りにも早い上田朝直の動きに、離合集散とはこの事を云うのだろうかと上田朝直に対する怒りもふつふつと湧いてくるのだが、しかし考えてもみればそもそもは一所懸命が武士の本文ほんもんとも云う。

 ここで転びやすい上田を利用すれば北條に奪われた松山城を奪い返す事が出来るだろうと、まずは怒りを治めることにした。

「なれば我が太田が松山城を攻める時には城の内から騒ぎを起こしてくれるように。軍勢を動かす前に知らせを遣わす故宜しく頼む」



 資正のその答えを持って上田の使者は金山城を去ってから直後とも云える天文十六年九月、横瀬成繁の兵を借りた太田資正は愈々松山城攻めの軍勢を上げる事になった。

 出陣は北條方に察知されぬように深夜の進軍とし、松明は用いさせず月の光を反射させないように白刃は鞘から抜かぬまま、正に闇夜の不意打ちを敢行したのである。

 その出陣前、実城主殿にて成繁と具足姿の資正が出陣の挨拶を交わしていた。

 主殿の周りには少々の篝火が焚かれ、横瀬家の紋の入った陣幕が巡らされている。

 式台の上には成繁、庭には資正とその郎党が控えていた。

「成繁殿、此の度の力添え、誠に有難く。何れこの恩はお返し申し上げる」

「なんの、これで北條の鼻を明かしてやれれば本望じゃ。存分に働かれるが良い。それとつい先ほど知らせが参ったのじゃが、管領憲政様の軍勢が先月六日に小田井原で武田に大敗を喫したらしい」

「なんと!して、憲政様は御無事でござるか?」

「無事ではあるが、兵を三千程も討たれたとの事。ここで資正殿が気負うてくれねば愈々管領の家が危ういかも知れぬ」

「左様にござるか。まずは憲政様が御無事で何より。では是にて御免仕る。我が働きをとくと御覧下され」

 くるりと振り返った資正、味方の士を鼓舞するために大音を発した。

「皆々、このいくさは逆賊北條を討伐する為の手始めの一戦である。管領上杉家の御仇、先の河越の戦にては畏れ多くも古河の公方様の御仇となった北條家じゃ。ここを一期の働き場と思い、愈々励め。手柄を立てれば褒美は思いのままぞ」

 資正の言葉が終わると同時に実城には大きく鬨の声が木霊した。

 子の刻(午前零時ごろ)、松山攻めの太田勢が金山城からの出陣を始め、それに合わせて松山城の上田の元へと知らせが飛んだのは秋の刈入れも済んだ頃であった。

 その頃、小田原の小太郎の元には一人の百姓が上野から知らせを持ってきていた。

 小太郎は忍の棟梁とはいえ氏康の側近でもあるため、最近更に拡張を始めた小田原の城の縄張りの中に屋敷を構えている。屋敷とはいえ城主の構える豪勢な物ではなく、どちらかと言えば農村に建つ百姓屋敷に毛の生えた程度のもので、一応は火が出たときの延焼を防ぐために屋根は瓦を葺いていた。

その屋敷の濡れ縁から降りた所にある庭先でその百姓が座っているのだが、どうにもみすぼらしい。月代には半端に伸びた髪の毛が無精さ加減を現わしており、継接ぎだらけの麻の上着は如何にも食うや食わずの生活をしている百姓に見える。忍とはいえよく化けるものだ。

 その百姓姿の忍が庭先で待つ事暫し、障子の内側で足音が聞こえると直に障子がからりと開き裃姿の老人が現れた。

 その老人はゆったりとした所作ではあるが、矍鑠とした姿は老人とは思えぬ精気が漲っている。

「猪助か、よく戻った。して上野に何かあったのか」

「小太郎様、お久しゅうございます。猪助只今戻りましてございます」

 その百姓は太田丈之助と足を競い合い、武蔵は鉢形の城下で勝負を付けた後に伊賀に消えた筈の二曲輪猪助だった。

 この猪助、小太郎の命で伊賀に消えた噂を流してから身を隠し、関東各地の情報を収集していたところで偶然にも上州は太田金山城に、太田資正が寄宿しているとの情報を得て潜伏していたのだ。

「上野は横瀬成繁の城下まで入っておったのですが、ここで思わぬ人物に出会いました」

 小太郎は濡れ縁に座り、猪助の話を促すように合の手を入れた。

「太田資正殿は近々武蔵松山城に兵を差し向けるようにございます」

 小太郎の眉間に一瞬皺が寄った。

「兵を上げると申したか。しかし資正殿は上野新田で逼塞しておる所であろう、城に攻め寄せる兵の数もあるまいに」

「それがし、棟梁様より与りました鍔を並べ、鍔売りの百姓として門前の市におりましたところ、不意に馬を引いた太田殿が現れましてございます。そして偶然にもそれがしが品として並べていた鍔の中に太田桔梗のあしらわれているものを見つけた様で、目の前まで来るとその鍔を取り、幾らじゃと聞いて参りました。まさか太田の資正殿とは思いませなんだので四十貫文の値を付けて去らせようとしたのですが、これがとんだ事になりました」

「四十貫文か、これはまた」

 呆れた様な目で猪助を見つめたが、「しかし太田殿が無事に桔梗の鍔を見つけた事は重畳じゃな」と続けてふっと笑みを漏らしたのを猪助は見逃さなかった。

「棟梁様、もしや桔梗の鍔はわざと某に持たせたのでございますか?」

「確信は無かったが、この様なこともあるかと思うてな」

「左様にございましたか。してその後、太田殿はそれがしにその鍔の謂れを話されて、元々は祖道灌より伝わった物、弁解に寄ってはここで討ち果たすと言われたものですから、太田資正殿と分かって驚いたことと、手元の鍔にその太田殿に繋がる品が有った事に驚いて言い逃れを考えるのに一苦労致しました」

 猪助の、資正の素振りをまねた物言いと手を使った素振りを見て小太郎は含み笑いを始めていた。

「棟梁様、笑いごとではありませぬぞ」

 小太郎、咳払いを一つして笑いを治めた。

「これは儂が悪かった。猪助に持たせた鍔な、あれは本物じゃ」

「なんと、左様にございましたか。これは棟梁様もお人が悪い。しかし流石と言いましょうか、その鍔一つで太田資正殿を引きつけられたのは棟梁様のお手前。それがしの手柄では無くなり申した」

「良い、お主の手柄とせい。して、資正殿は何と言っておった」

「もうじき松山城攻めが始まる故、お主がそのまま松山の城にその鍔を捨て置いてくれても、いつかは儂の元に戻ったであろうが、これも何かの縁じゃと申して四貫文で買って行かれました」

「四十貫文が四貫文か。資正殿も商売上手じゃな。武士にしておくのが勿体ないわ」

 はははと笑っている小太郎に、猪助が懐から四貫文を取り出して差し出そうとした。

「それはよい、手間賃として取っておけ。して、資正殿はもうじき松山城攻めが始まると申したのだな」

「はい、左様にございます」

「しかし城攻めをする大量の兵は何処より調達するのか」

 腕を組んで独り言のように呟いたとき、猪助がそういえばと話を続けた。

「その鍔を買われた後に、金山城からの侍達が太田殿を迎えに来られておりましたな。これは横瀬成繁殿の兵を太田殿が借りるのではありますまいか」

「横瀬殿がのう、上野でのいくさで兵も足りぬであろうに。何か裏が有るのかもしれんな」

 小太郎は暫し瞑目した。

「分かった。この事御屋形様に申し上げよう、猪助、これから松山の城と岩付の城に向かい城下にてその二城の状況を仔細漏らさず調べ上げよ」

 そう言うと猪助を武蔵に去らせ、自らは氏康の居る屋敷へと出かける事にした。

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