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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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関東へ

 氏綱は福島正成の一子、勝千代を子の伊豆千代丸(新九郎、氏康)と共に養育することとし、そこに正室の養珠院を呼んで早速伊豆千代丸と共に奥で育てるよう伝えていた。

 小田原城の主殿奥座敷では正室養珠院と氏綱の二人が共に彦九郎をあやしているところである。

 氏綱も奥に入れば子煩悩な父だったようだ。

「あの子には何か、得体が知れぬが尋常ならざる器があるように見える。伊豆千代丸と共に育てれば共に磨き合ってくれよう」

「殿がそこまでお気に召したのであれば余程に聡いお子なのでありましょう。奥に住まわせて共に育てあげまする」

「うむ、頼むぞ。乳父(めのと:養育係)も相応しい者を探して付けよう」

そう養珠院と話し合った。

 この頃は今手元で遊んでいる去年生まれたばかりの彦九郎(後の北條為昌)もいたので台所はかなり賑やかであったろう。

 そして勝千代が小田原伊勢家の奥に子飼いとなったころ、関東は下河辺の庄は古河の公方よりふたたび婚儀の使者がやって来ていた。今は旅埃を落とす為に屋敷の中の一室を借りうけて衣装を整えているところである。

「このところは良き客が参る事よ」

「古河の高基様の御使者殿も良き客なのでございまするか」

 養珠院が古河の公方と聞いて、表情を曇らせると「奥よ、娘を遠国に嫁がせる事は、人の親としては辛き事なれど、我が家は武家じゃ」そう含める様に言葉をかけた。

「それは分かっておりまする。ただ、生の母親としての気持ちが落ち着きませぬ」

「公方家は遠国とはいえ足利の由緒ある血筋の家。これは一代の誉な事じゃぞ」

「なれど、管領家とも誼のある御家故不安でございます」

「今は我が伊勢家を頼る以外無い足利家じゃ。そも粗略に扱う事はあるまい」

「ならば良いのですが」

 養珠院と氏綱の話を遮るように古河の使者が控えの間に着座した事を小姓が伝えにきた。

「古河の公方様の御使者様、只今控えの間に御到着されました」

「うむ。では行って参る」

 そう養珠院に告げて氏綱は広間に向かった。

 このとき、氏綱の中では武蔵攻略のために古河公方の権力を利用する思惑が出来上がったと云って良いだろう。

 これは以前から漠然と考えの中にはあったものだが、当時は公方をどうやって当家に引き込むか、これといった決め手が無かったのだが、思いもかけず公方からの婚儀申し入れの使者が来てから現実味を帯びてきたのだ。

 この武蔵攻略を滞りなく行うためには扇谷や山内に靡く関東の豪族達を少しでも牽制しておかねばならないのだが、このためには古河公方家を利用する事が最も良い。

 降ってわいたような古河公方家からの婚儀の申し入れは正に渡りに船だった。

「この婚儀を成立させて、まずは扇谷の江戸を盗るか」

 広間に続く廊下を、小姓を従えながら歩く氏綱が独りごち、使者と会うための広間へと入って行った。

 襖が小姓によって開かれると、大広間の中央に公方の使者と対面する座が設けられているのが目に入る。そこには床も黒く練り輝く様に磨かれており、調度品に至るまで公方の使者を迎えるために恥ずかしく無いものを調達させていた。

 氏綱自らの衣装も折烏帽子に大紋直垂を着用し礼を尽くすのは云うまでもない。大広間に入ってからも形式上古河公方からの使者を上座とし、その意向を氏綱が受けると云う形をとる。

 氏綱が着座したのち長烏帽子に水干姿の使者が現れると、上座にその公方の使いを迎え、氏綱は少し離れた下座に控える。この後氏綱からの挨拶が形式通り始まり、それを使者が受けてから本題の芳春院輿入れの流れになった。

 そして使者は、古河公方の奏者梁田高助に言い含められた通りの言上をはじめた。

「氏綱殿、公方様に於かれましては飛ぶ鳥を落とす勢いの氏綱殿と縁戚になるのは大変心強い事と思し召されておりまする。氏綱殿の御力を公方家に御貸し頂き、関東を治めたいとの事。そしてこの様な事も古の吉事にもございます」

 使者は氏綱を見つめ、一気に言葉を紡いだ。

「その昔、伊予守頼義公が奥州へ下りし時、上野介直方の婿になりて後、八幡太郎義家以下の君達が出来賜い、今も源氏が栄えておりまする、また頼朝公が流人となり北條時政の婿となって御子孫目出度く北條九代まで栄えましたる事、吉例に御座いますれば、とかく宮仕えに参られなさいませ」

 氏綱は平伏しながら聞き入り、その言上を恭しく受けた。

「不肖氏綱、室町の足利家の御連氏であられる古河の公方様の思し召しを承り、これ一代の名誉。二度まで公方様よりの御召しを受けたれば当家歴代の誉と成りましょう。今後は我が伊勢家を古河公方家の分家とも思し召さば氏綱、粉骨の馳走を致しまする」

 こうして古河足利家と小田原伊勢家との婚儀が纏まる事となった。

 この後婚儀の使者の往来が幾度かあり、正式に下総は下河辺の庄、古河の城に芳春院が嫁ぎ、足利晴氏の御台所となる。これにより伊勢家は古河公方家の縁戚となり一躍関東に影響力を持つに至った。

 そしてこの関東に向かうために氏綱が執った行動の第一歩が、京の室町に近い「伊勢」の名を捨て、関東に多大な影響力を持つ「北條」と名乗りを変える事だった。

 ここに小田原北條家が誕生する。



 古河の公方と縁戚となってから氏綱は着々と武蔵切り取の下地を作るため各地に調略の手を伸ばし、そして調略の仕上げとして大永三年、武蔵国江戸の太田資高に使者を送り込んだ。

 この太田資高とは、太田道灌の孫に当たり、扇谷上杉朝興の居城江戸城の城代をしている。

 その江戸城では太田資高が氏綱の使者を迎えていた。

「城代様、小田原の北條様よりのお使者が御到着されました」

「うむ、では客間に御通しするように」

「畏まりましてございます」

 小姓が衣擦れの音をたてながら使者を案内に向かうと、資高も間もなく客間に向かった。

 客間では使者が折り目正しく平伏し、資高の出座を待っていた。

「お待たせし申した。それがしが太田資高でござる」

「初めてお目通り致しまする。それがしは小田原は北條氏綱様の使者を務めまする遠山直景と申しまする。今後ともお見知りおき頂きたく」

「小田原の北條殿とはもとの伊勢殿じゃな」

「いかにも左様でございます」

「ならば我が父祖、太田道灌の盟友伊勢盛時殿のお血筋。遠山殿と共に氏綱殿とも昵懇になりたいものよ」

「これは恐れ多くも有り難きお言葉。主氏綱も喜びましょう」

「して、本日はいかな御用で参られた」

「はい、資高様には我が北條家が古河の足利家と縁戚となったは御存じですかな」

「無論じゃ。目出度き事にござる」

「まことそう思われますか」

(おや?この遠山、もしや)

 この言葉を聞いた資高は、即座に北條の調略であると判断した。

 この太田資高の属する江戸太田家は、祖父道灌が主家扇谷上杉定正に討たれてからも扇谷に属していたが、道灌を討たれた無念さは晴らしようもなく代の変わった主家にも今もって良い感情は持っていなかったのだ。

 ここに江戸太田家と断ったのは、後々登場してくる岩付(岩槻)太田家と区別するためである。

 江戸太田家は道灌直系の太田家であるが、丁度この時期に岩付の城から成田氏を追い落として城主になった太田資家と云うものがいる。これから江戸太田家と岩付太田家に分かれることになり、後々北條家と因縁が深くなるのは岩付太田家である。また太田の家は江戸も岩付も、名前に「資」の文字が入るので非常に区別が付きにくくややこしいので始めに断っておく。

「まことじゃとも。日の出の勢いの北條家である事も存じて居る」

そうは言うものの、遠山の次の言葉が気になる。北條殿はどう出るのか。

「なれば話が早い。我が北條家は江戸の太田殿の御力をお借りしたく」

 この微笑みを湛えながらの遠山の言葉に一瞬だが怯んだ。

 なんとも明け透けな調略もあったものだとの思いで何か裏でもあるのではないかと勘繰りたくなる。

 資高はこの遠山の言葉に気を呑まれたのか、微妙に引き攣った笑みを湛えたまま数瞬沈黙した。

「北條殿はこの太田に力を貸せと、申されるか。それは如何様に貸せと、云われるのかな」

 この資高の言葉も予定していたのだろう、笑みを絶やさずに遠山は続けた。

「資高殿、単刀直入に申し上げますぞ」

「どうぞ」

「資高殿が公方様へ内密に使者を使わしていた事、公方様から伺いましてございます」

 これには仰天した。公方には扇谷上杉家の使者として幾度となく面会をしていたが、一度として内密の使者を遣わした事などないのだ。

「公方様からじゃと?それはどういう事じゃ」

「どうもこうもありませぬ、資高殿」

 すっと膝を資高の方に進めた遠山、二人しかいないこの座敷で内密の話をするかのように扇を口元に当てると小声になった。

「資高殿を含めた太田の家では今もって祖父道灌殿の不本意な死に内心穏やかではない。と伺いましてな、それが元で我が足利の家に使いになっておるのだろうと」

「いやいや、遠山殿、お戯れを」

「おや?某の戯言と申されるのか?」

 資高は唸ってしまった。実のところ扇谷上杉家から離反したいと云う思いは確かにあるのだが、それが為に公方への使者を送った事や自らがなった事などないのだ。しかし公方がそう受け取っていたとなると。

「どうでござろうか、いま太田殿が江戸の城代になっておられまするが、元は道灌殿の居城にございましょう。我が北條にお力をお貸し頂ければ江戸城をそのままお任せできるかと」

 資高はこの言葉を聞いて腕を組んだ。

 そしてじっと遠山の目を見つめると、相変わらず遠山の顔には穏やかな微笑みがあり、目の光も実に穏やかであった。

 暫しの後、資高の口が開いた。

「それは公方様の思し召しでござるか」

「両方にてござる」

「なるほど。高基様の御意向もあらばこちらも動きやすい、しかし我が太田を北條殿はどう扱われる御心算じゃ」

「主氏綱は資高様を江戸の城にそのまま置かれ、扇谷の所領を切り取らばそれらの何処かを差し上げる所存にござる」

「なるほど。では後ほど所領安堵に加増、江戸の城を安堵する旨の書付を頂こう」

「畏まりましてございます。では後ほどそれらの安堵状を御持ち致します」

「ではこの後、知らせがあらば太田家は動く故、内密な使者を立ててくれ」

「畏まりました」

 こうして遠山直景は小田原へ引き上げたが、この時期城主朝興は川越城に入っていたため江戸城代太田資高の離反に気づいていない。

 使者遠山直景が引き揚げたときは既に日も落ち夕べの刻限であったが、城下の一角に屋敷を持つ弟、源三郎を人を使って呼び寄せた。

 この源三郎、名乗りを資貞と云う。

 家人を連れて城に上って来たが資高の居る一室の手前で資高の家来に呼び止められ、これよりは御人払いをして会合したいとの事でございますと伝えられた。

 兄弟が会合する部屋は左程広くない。二十畳程の広さで、日頃は茶坊主が詰めている部屋であった。

 これは資高が他の上杉家家臣に情報が漏れぬよう選択した場所であったのだろう。まさか城代兄弟が茶坊主の詰め所で密会などするとは通常思わない。

「兄上、また面妖な場所での会合でござるな」

 確かに面妖な場所ではある。

 膝前には此処の主人の茶坊主が入れてくれたのであろう、茶が用意されていた。

「先ほど小田原の北條家から遠山と名乗る使者が訪れて、公方と北條との合議じゃと云う事で我が太田の力添えが欲しいと言うてきた」

 資高が簡単に使者の用向きを言って聞かせると、なるほど左様でござるかと、特に意に介す風でも無い返事が返ってきた。

 この源三郎も祖父道灌に対する先代定正の処置に不満を持っており、上杉家から気持ちはとうに離れている。

「公方様だけでは心もとないが、先ごろ公方様と一味した北條家が後ろ盾ならば儂等太田家が北條殿に付いても宜しかろうと存ずる」

 がしかし、氏綱殿の時節の見かたの巧さよ。と感心していた。

 山内上杉家の家督相続に端を発した古河足利家と山内上杉家、名目上その配下となった扇谷上杉家、更には古河足利家の分家ともいえる上総小弓足利家の争いの中、本家古河公方家と縁戚となり、相模と隣接する武蔵の扇谷上杉の江戸城を城主不在の今を狙うて窺うとは、流石智謀の梟雄と言われた早雲公の血筋だけのことはある。

「朝興の御屋形は頼るに足らずと思うておった」

 資貞の言葉を聞いて資高もさすがに苦笑した。主不在とはいえその居城で堂々と批判をするとは。

 しかし資高はこれで腹を括った。

「では我が太田家は北條家に一味仕る。後日のために心知れたる家臣のみに話して聞かせ、氏綱殿と合図を定めて朝興の御屋形を江戸城から追い落とす事とする」


 この江戸の他にも氏綱は扇谷上杉家の支城を崩して行くため調略の使者を放ち、武蔵は岩付の城、城主太田資頼の家臣、渋江右衛門太夫をも北條家に引き入れていた。

 この年の師走、江戸城下の資高の屋敷に氏綱からの使者が現れ、明くる大永四年正月、豆相両国の兵を率い、江戸に向かうので先手引き入れを頼むと言って寄こした。

「それとこれが」

 使者が資高に差し出したものは、領地安堵と加増、江戸城安堵の書付だった。

「流石氏綱殿、これにて心おきなく北條家に一味できると言うものよ」

 それと、と言ったのは資高だ。

 それがし、兵を江戸城の外に伏せて豆相の兵が来るのを待ち、城攻めとなったら城の弱きところに案内しもうす。と請け合い、それまでは朝興の御屋形に悟られないよう江戸のお城に出仕し、北條家の旗が見えたら城を抜け出して合力致す。と付け加えた。

 これは資高と資貞の城代という高録の兵力を、合戦直前まで朝興の兵力と思わせる謀だったようだ。そして年があけて、愈々江戸城攻略となる。

 資高、資貞兄弟は江戸城に戻ってきていた扇谷上杉朝興に気づかれないよう江戸城外に人数を潜め、自らは何食わぬ顔をして朝興に出仕していた。

 正月のある日、江戸城一角の朝興の屋形で資高が出仕しているときに早馬が到着した。

 息を切らせた武者が朝興のいる屋敷の庭へと回り込み、息を切らせながら膝づいた。

「その姿は何事じゃ」

 と、言ったのは資高か。

 正月早々具足姿で現れた注進の武者に朝興も明らかに不興げだ。

「武蔵相模境からの早馬にてございます。正月十三日より相模表から凡そ一万五千騎の北條軍が武蔵に向かい進軍しております」

 これには朝興も反応した。

「既に先陣が戸塚に到着し、後続は楢(奈良)、馬入、平塚、八幡の辺りまで軍を押し出しております」

 この早馬の後も続々と家人達が急報を告げに来た。

「これは一大事、御屋形様、それがし一足先に軍勢整え品川辺りに押し出して様子を見て参ります」

 資高はかねてよりの手筈通りに朝興に言上して朝興の前を辞し、資貞と共に江戸城を去った。

 残された朝興も、居ながらに敵を受けるは武略無きに似たり。と言い放ち急ぎ兵を集め、北條軍の出鼻を挫こうと資高の向かった品川まで押し出した。

 先陣を受け持ったのは曽我兵庫頭、それに続き本庄、小幡、大石、宇田川、毛呂、岡本等の諸将が朝興の軍として出向くと、北條方の先陣の松田勢が既に到着していた。

 ここで出会い頭に合戦が始まった。



「あれは朝興の軍勢だな」

 氏綱が馬上から大道寺駿河守に話しかけた。

 品川は高縄原(高輪)に向かって行軍していた北條軍の先陣である松田の部隊に向かって何処の者とも知れぬ騎馬隊数百が突進して来たのだ。

「そのようですな。朝興殿も早々と打って出てきたようで」

 氏綱の江戸城攻略の考えでは、朝興は今少し腰が重く、北條軍が江戸を包囲する辺りで合戦になると予定していたのだが、意外と早く戦端が開かれた。

「太田からの知らせはどうした」

「まだ何も届いておらぬように御座いますが、追って知らせも参りましょう」

「儂もこれほど早く朝興が出てこようとは思わなんだ。太田の兄弟も知らせを寄こす暇がなかったのであろう」

「では知らせが来るまでにまずは一当り致しましょう」

 その何処の者とも知れぬ騎馬隊は、曽我兵庫頭の軍勢だった。

 曽我の軍勢が行軍そのままに松田勢に襲いかかってきた。

 松田勢も心得たもので騎馬隊を横一列に纏め上げて出会い頭の一戦に躊躇もなく討ちかかって行く。騎馬隊が打ち合い駆け合い七度までも鎬を削り、両軍颯と引きわかれた時には、すぐ後ろに大道寺駿河守の部隊がやってきていた。

 そして新手となった大道寺が前線に打ち出して曽我の部隊を苦も無く蹴散らすと、これに上杉勢の本庄、毛呂、岡本が一団となって討ちかかってきたが大道寺には勢いがある。

 打ちかかった本庄、毛呂、岡本勢が逆に追いたてられていった。

 その中で、この上杉勢の劣勢の中から一人引き返してくるものがあった。

「それがしは水澤の藤次と申す、小田原の武者共と手合わせしたい故戻って参った。誰ぞ相手となるものはおらんか」

 そう大音声で叫ぶと、四尺に余る太刀を振り回して豪勇を振るい優勢だった大道寺勢の先方を当たるを幸いに切り倒し始めた。

 幾人か切り倒された所で小田原勢の石巻、桑原、諏訪、岡山、木下等の七、八騎が水澤を取り囲む。しかし囲んで斬りかかろうとしたが中々隙がなく持て余してしまった。

 この様子を見ていた大道寺が「おぉ、上杉の家臣の中にも勇士が居ったか。誰ぞ、奴の首を挙げてみよ」と馬上で嬉しげに馬回りに呼び掛けると、一人応と言って颯っと馬を乗りかけた者がいた。苦林平内と名乗る武者だ。

 この苦林、強力無双と云われた力自慢だけに馬上から水澤に組みうちを挑み、どっと地面に打ち転んだ途端に水澤の首を挙げてしまった。

 これを見ていた大道寺勢から歓声があがり、愈々士気も奮い立った。

 この最中に氏綱は小田原勢を二分して、上杉勢の後方に迂回させ前後から挟み撃ちをしかけたが、朝興も陣構えを前後に分けて備えて奮戦し、中々勝負が付かなかった。

 しかし二刻程過ぎると流石の朝興も人数の違いから劣勢が目に見え始めた。

 このため江戸城に入り籠城策を取ろうと上杉軍が退却を始めたとき、氏綱に太田資高からの早馬が到着した。

 太田資高が江戸城を占拠したとの知らせが入ったのだ。

 実は太田資高と資貞兄弟は、朝興に対して品川表に出陣すると言って江戸城を出て来たのだが、その時はまだ江戸城下の自らの屋敷に兵を置いていた。

 予定では江戸城下まで北條軍が攻め寄せて来た所で寝返り、江戸城を攻めるつもりでいたのだが、予想に反して朝興が足取りも軽く迎撃に出陣してしまったので取り残されてしまった形になっていた。

 朝興の行動を家臣の知らせで知ったときは計画も失敗かと思われたが、冷静になって考えてみれば主不在の江戸城が目の前で大口を開けて待っている。

 これは千載一遇の好機とばかりに手勢五百ばかりで江戸城に入城して城門を閉め、急ぎ氏綱に使者を送った。その使者が先ほど到着した早馬だった。

偶然とはいえ無血の城乗っ取りをやってのけたのだ。

 この太田資高江戸城占拠の報が伝わると、氏綱は得たり賢しとばかりに江戸城に退却する朝興勢を総軍で攻め立て始めた。

「資高のやることよ」

 氏綱は後方に納めていた本陣を押し出し、さらにもう一手を渋谷方面に迂回させて上杉軍をわざと江戸城に押し込めていく。

「多目、荒川、遠山、富永、その方ら朝興の脇腹を突いて江戸城際まで押し込めよ」

 騎馬で本陣にいた四人が自らの部隊を率いて押し出してゆく。

 上杉方の大石、毛呂、岡本等が北條方を何とか押し止めようとするが如何ともし難くじりじりと押されて行った。

「早馬」

 氏綱が叫ぶと、後方にいた伝令武者が颯と現れる。

「よいか、そちは是より江戸城へ向かい太田資高、資貞兄弟に伝えよ。北條軍が渋谷より千代田に上杉軍を追い詰める故、城より打って出よ。朝興に隙あらばこれを討ち取れ。と」

「は、畏まりました」

「では行け」

「九嶋」

「はっ」

「大道寺を助けよ」

 攻勢をかけていた大道寺隊の与力として九嶋隊を差し向けて正面よりの力押しを確実に押し切る手にでた。

 こうなるとさすがの朝興も氏綱の軍勢を支える事が辛くなり、江戸城に潰走を始めた。

「ここは致し方なし、城に戻り軍を立て直す。皆々急ぎ千代田に進め」

 朝興が敗軍を叱咤しながらなんとか血路を開き江戸城までの道のりを進んで行った。

 そのころ氏綱からの伝令が江戸城に着き、資高に氏綱の言葉を伝えていた。

「相分かった、北條殿の申す通りに致す故、戻り復命してくれ」

 伝令が氏綱の元に帰るのを見計らって現れた資貞。

「兄上、北條殿の申すが如く、まこと昨日の主を討ち果たす御積りでござろうか」

 資貞は昨日までの主を討つ事への柔らかな抵抗を示した。

「源三郎、儂とてその事は考えておる。帰り忠をしたとあっても昨日の主を討ち取る事など北条殿からの下知でも出来ぬことじゃ」

「難しき舵取りでござるな」

「これが吉と出るか、はたまた凶か」

「いずれにせよ太田の名を汚すまいぞ」

 この兄弟の会話から左程時も経たずに遠来から土煙りが挙がるのが見えた。

 いよいよ朝興が自らの城と思い込んでいる江戸城にやって来たのだ。

 それを知った資高は大手の櫓門二階に上り、朝興を待った。

 そうとも知らずに朝興が敗軍の幾ばくかを引き連れ大手門まで来ると、開いていたはずの門が閉まっている。

「これはどうした事じゃ」

 呆気にとられている朝興の目の前の櫓門から現れたのは太田資高だった。

 これを見た朝興は目を見開いて驚きの表情を見せた。

「資高、そちは品川表に出陣しておったはず」

「御屋形、この江戸城はこの太田資高が頂戴いたした。元はと言えば太田の祖父、道灌が築いた城故本来の主が戻ったようなもの。御気に致さず何処ともへと落ちられよ」

「おのれ、重代の恩義を忘れ謀反いたすと言うか」

「数限りない忠節を踏みにじり扇谷の大忠臣を討ったは上杉家ぞ、祖父道灌のやむにやまれぬ沐浴の馳走、刃を腹に受けたときに言われた御言葉、当方滅亡を忘れたか。しかし昨日までの主なれば今討つ事心苦しい。よって落とし仕るゆえ何処ともへと向かわれよと申しておる」

「おのれ憎き奴ばらよ、この場で予を討たなば何れ後悔致そうぞ」

 資高が朝興の後方をちらりと一瞥すると氏綱の軍勢が視界に入った。

「それ御屋形、後ろを御覧じられよ。古河公方様の身内の方がやって参られたぞ」

 朝興にも着々と注進があり、北條軍が朝興勢後方の小幡、宇田川勢を追い散らしながら既に間近く追撃しているとの報が入っていた。

 朝興は資高を睨み据えながら、何れこの江戸城に帰って参る故それまで資高に預け置く。柱を磨いて待っておれと嘯くと、くるりと踵を返し、河越の城に向かって落ちて行った。

 この上杉軍河越落ちで江戸城攻略戦は終結し、太田資高・資貞の抑えた江戸城は北條方の手に落ちることとなる。

「扇谷管領家の城にしてはやや小ぶりか」

 江戸城に入城してから首実検も終わり、城全域を氏綱と松田、大道寺の三人で見まわりながら修築改築箇所を下調べしていた。

「道灌様の縄張りと聞き及びましたが、総構えは確かに小ぶりですが中々に結構なものにござる」

「しかしこれからの大人数での戦には堀も土塁も小さすぎるな。これを倍ほどに堀は深く、塁は高くせよ」

「畏まりました」

「また矢倉を高く立ち上げよ」

 三人が三の曲輪を巡り二の曲輪に入ろうとした時、まだ軍装を解いていない伝令の武者が氏綱の前に現れ一礼した。

「殿に急ぎお知らせしたき事がございまする」

「如何した」

「先の戦で上杉方だった宇田川和泉守、毛呂太郎、岡本将監の三名が我が北條家に仕えたいと参っております」

 はははと笑い声を挙げたのは大道寺だったか。

「殿、これは幸先良い事にございますな。上杉家にあった武蔵の豪族たちが臣下の礼を執るとあらば武蔵も荒れる事無く治まりましょう」

「ともかくその者たちと会ってみよう、太田を呼んで良き所に案内せよと申しておけ」

「畏まりました」

 大道寺が急ぎ太田資高の所に向かい、旧上杉方の三人とまみえる屋敷を見つくろう事になった。

「しかし、江戸城の城代を太田殿にお任せになるのでございますか」

 松田が二の曲輪入口の増形の造りを見ながら氏綱に問うてきた。

「まずは富永四郎佐衛門を本曲輪に入れ二の曲輪に遠山四郎兵衛(直景)を入れる」

「なるほど、して先の太田に書き送ったという江戸城安堵の書状はどうなりましょう。一度主家を裏切った者故あまり手荒な事をすると、再び謀反を起こす事も在り得ましょう」

「うむ、しばらく考えてみよう」

 氏綱と松田は二の曲輪に入って行く。正月というのに穏やかな日和が続き、散策するには丁度よい気温が続いていた。

 また城とはいえ曲輪の中には城主の趣味に合わせて庭園なども作られている場合があり、戦乱の合間に逍遥するのもまたこの時代の面白みでもあるか。

 そして左程時も経たずに大道寺が戻ってくると太田資高も共にやって来た。

 会見の場所には香月亭と呼ばれる建物が宜しかろうとの事で、資高が案内をはじめた。

 その香月亭は本曲輪に含雪斎、泊船亭、莵久波つくば山亭など、幾つかある建物の一つだったようだ。

「これより香月亭に案内仕る、今後、各所の武家との会見には香月亭がよいかと思われまする」

 これは香月亭の周囲が池や庭園に囲まれ、その一角だけが戦場から離れた世界として切り取られているところから降人や客人の案内として相応しかろうと資高が探した屋敷である。

 資高に案内されてその場所に行くと香月亭はなかなかに広く造られており、一個の曲輪の中に建っている室町風の建物にもなっていた。これは道灌の時代から客間として建築されていた。

「これは中々に雅なものだな」

 氏綱がそう呟くと、資高が相槌を打つ。

「この香月亭は朝興の御屋形の気に入りで、良くこの庭を愛でておられました」

「左様であるか。では後々儂も歩いてみよう」

 氏綱はそう言うと、現実の世界の仕事に思考が戻った。

「では先の三人にここで会う事とする。支度をせい」

 すぐに資高には香月亭での支度を始めさせ、大道寺には先の三人の元に向かわせて氏綱が面会する事を伝えさせると、そのまま氏綱は本曲輪へと歩を進めた。

 おおまかに江戸城内部を検分し終えたのは一刻余りも過ぎていただろうか。父宗瑞からの念願であった江戸城奪取をやり遂げた事もあり珍しく足取も軽いようだ。

「殿、香月亭の用意が整いましてございまする」

 資高が歩きまわる氏綱を探していたのだろう、息を切らしながら追いついてきた。

 宇田川和泉守、毛呂太郎、岡本将監の三人は既に香月亭に入っているとの事で、思った以上に長く江戸城内を歩いていた事に気づき早速香月亭に足を向けた。


 香月亭に入り、降人の待つ部屋に入ると、氏綱が座るのが待ちきれないように大道寺が三人の紹介を始めた。

「殿、これにおる三人が上杉朝興の家臣に御座る。殿より向かって右から宇田川、毛呂、岡本で御座る」

 氏綱は着座するなりこの三人に質問をしてみた。

「左様か。してそなた達は朝興殿には付いて参らなんだのか」

 小具足に陣羽織姿の氏綱は床几に座り三人を見据えた。

 この質問に答えたのは岡本将監だった。

「北條様、我ら三人は武蔵のこの江戸にほど近い所に領地をもっておりまする。朝興の御屋形様は確かに先ほどまでの主ではありましたが、今は太田に追われて何処へか落ちて行かれました。如何に管領殿であろうとも我が領地を頼む人にあらずば主を変えねば生きて行かれぬのが小地頭で御座いまする」

 氏綱の目が光った。

「では儂がこの江戸を離れれば、そなた達は再び主を変えると、こう言うのだな」

「言い辛き事なれど、左様にござる」

 この岡本将監の言葉を氏綱は気に入った。

「よき心得じゃ、気に入った。これより我が臣下となり儂に隙があらば何時なりとも離れるがよい」

「しかし北條様の調略は凄まじいと噂に聞いておりましたが、噂以上でござりました」

 こう世辞を述べたのは毛呂太郎だ。

「まさに。忠臣の太田が裏切った事も驚きを隠せぬが、朝興の御屋形を江戸城の門前で槍も交えずに落とされるとは、この後の一手が気になる所で御座る」

 この宇田川の一言に氏綱が食いついた。

「なに、槍も交えずと申したか」

「はい。北條様の御下知ではないので」

「ふむ、そうか」と言った後は、氏綱は二、三言葉を交わしたのみで、ではこれより大道寺の与力として励むが良いと言葉を残して香月亭客間から去って行った。

 そして去り際に太田資高を呼び、太田よ、この香月亭をそなたら兄弟に与える。後は江戸城代の富永四郎佐衛門の下知を受けよ。と云い渡した。

 この江戸城代が富永と云う言葉に資高は衝撃を受けたようだ。

 一瞬の間が流れ、資高の鼓動が早まった。

「それは、どう言う意味でござろう。」

 重代の恨みから北條家に加担して主家上杉家を裏切り、その対価として武蔵の領地と江戸城の安堵を約束されたのではないのか。それを約する書付まで手に入れたのにこれはどういう事だ。

 この資高の脳裏に走った考えを遮るかのように氏綱が下知する。

「まずはこの城に富永と遠山を入れる、そして近隣が落ち着いた頃合いをみてそちを城代とする積りであったが、暫く待つが良い。日を改めて決める」

 有無を言わせぬ氏綱の口調に、資高はしばらく声も出なかったが、「左様にございまするか」と、一言かろうじて言う事ができた。

 これでは何のために謀反を起こし、何のために北條を江戸に引き入れたのか。

「これより小田原に戻るぞ」

 氏綱が小田原凱旋を告げた時、資高が氏綱に何かを言おうとしたが思い留まった様にふと目線を外すと、去る氏綱の後に続いていた松田が資高に近づき、「なぜ朝興に槍を付けなんだのじゃ」と、ぼそりと資高のみに聞こえるように松田がそっと、そして憐れむように言葉を残した。

 これに資高ははっと目を見張り氏綱を見た。が、既に氏綱は視界から姿を消していた。

 この後氏綱は豆相の兵を俄かに纏めて小田原に凱旋して行った。

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