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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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河越夜戦(五)

 一方河越城では弁千代が迎えの人数に護衛されながら追手門を潜り、無事に入城を果たしていた。

「弁千代様、よくぞこの敵中を御無事で参られました!」

 真っ先に追手の門を飛び出した木村平蔵、この城に来てくれた旧知の顔を見たのがよほど嬉しかったのか、今にも泣き出しそうな顔をしながら弁千代に駆け寄って来た。

「おぉ平蔵、お前も無事だったか!早速だが兄上の所に案内してくれ」

「畏まって候、しかしたった一騎で敵陣を抜けるようなまねをされるとは、小田原で何かあったのでございますか?」

「それを兄上にお話し申し上げるために急使としてこうして参った」

「では早速に」

 近くにいた者を至急の伝令として捕まえた平蔵「殿に知らせよ、御弟君が小田原の急使として参られたと!」そう嬉しそうに叫んでいた。

「畏まりました」

 伝令が綱成の居る一の曲輪に向かって走り出すと同時に、弁千代も平蔵に案内されて兄の所へ歩き出した。

 追手曲輪から中曲輪を抜け、三の曲輪、二の曲輪と進むにつれて、そこに屯する兵たちが口々に「あれが弁千代様か」との声が聞こえてくる。

 先の伝令が各曲輪を進むごとに触れまわったのだろう。

 皆一様に疲れ切った表情の中にも、この囲みを突破してきた弁千代が何か秘策をもたらしてくれるとの期待を持ったように眼が輝いていた。

 よほどこの籠城戦に厭いてきていると見える。

 城を囲む兵数の違いを目の当たりにしている足軽にしてみれば、この二カ月は生きた心地もなかったから尚更であろう。

 弁千代と平蔵が籠城兵達に見送られながら河越城の中心部に続く一の曲輪の虎口の門を潜った時、曲輪内の屋敷から数人の甲冑武者が歩いてきた。

 よく見るとその人数の中央には兄綱成がおり、驚きと喜びが綯交ぜの表情を作っていた。

「弁千代、そなたこの囲みの中を単騎で抜けて参ったのだとか?」

「これは兄上、よくぞ御無事で」

「それは儂が言わねばならぬ言葉よ」

 綱成は更に弁千代に近付くと親愛の情の現れなのだろうか、両の肩を軽く掌で叩いていた。

「そちのこの快挙、兵達も知れば士気も上がろう」

 綱成の隣にいた馬回りの士もにこやかに弁千代に語りかけ始めた。

「この期に打って出れば我らの意地を公方達に見せつける事ができまする」

 この言葉に便千代はさっと表情を曇らせた。

 自らが河越城にやって来た事で打ち出されては本末転倒になる。

「いや、それはならぬぞ」

「何故でございましょう?弁千代様のお陰で士気はいやが上にも上がりましょうに」

「まぁ待て」

 綱成が馬回りの士を制した。

「もしや、それは小田原の御屋形様からの御下知か?」

「如何にも。その事で使者のおん役目を承ったのでございます」

「左様であったか。ならばここでは何じゃ、屋敷に入ってから詳しく聞かせよ」

 綱成は供周りの士の一人に幻庵を呼ぶように伝えると、弁千代を伴って屋敷、板敷きの評定の間へと入って行った。

 そこは大きく間取りが取られた板の間で、廊下の一部からは一の曲輪へと降りる事の出来る引き戸が施されている。廊下と板の間の間は板襖で仕切られており、外側の壁に穿たれた蔀戸も今は開かれていた。

 そこに綱成以下供の者の鳴らす錣の音も騒がしく皆が円座に座った。

「さて弁千代、御屋形様からの御下知を聞こう」

 腰かけた床几をぎしぎしと軋ませながら綱成が弁千代を促した。

「はい、まず大事は年明け卯月頃までは籠城に徹し、打ち出す事はならぬと仰せにございまする」

「卯月までか、して、卯月には何がある?」

「小田原の後詰が既に江戸の城と寺尾の城に入りましてございます、しかし公方・上杉の調略に今暫しかかる故小田原本陣がこぞって後詰に参るのが卯月なのでございます」

「調略と?御屋形様は如何様な手を考えておられるのだ?」

 するとそこに、腹巻に僧服を纏った幻庵がやって来るのを見ると、さっと立ち上がり自らの横に用意された床几へと僧服腹巻の僧侶を手招いた。

「幻庵様、ささ、此方へ座られよ」

 綱成の手招きに従いながら幻庵は柔和な目で弁千代を見た。

「おぉ弁千代、久しいの。よう参った。此の度のそなたの振る舞い、城兵の語り草になっておるぞ」

 間の延びた声は相変わらずである。

「これは幻庵様。お久しゅうございまする。息災でございましたか」

 敵に囲まれた城に居て息災とは、中々の諧謔と言えるのかどうか。

「ほっほっほ。息災じゃよ。城を囲む公方と上杉の軍は兵糧攻めを始めた様じゃからの。此処まで矢は届かぬ」

「これはこれは」

 合戦の最中に息災もなにもあったものではないだろう。

「弁千代、続けよ」

 落ち着いた声で綱成が話の続きを催促した。

「まずお知らせせねばならぬ事は、この河越の城を囲む敵方には我が方に内通している者が幾人も居る事」

「それはまことか」

 綱成は驚いた様であったが、幻庵は柔和な表情を変えずに弁千代の言葉を聞いている。

「まことにございます」

 続けて弁千代は、大石定久、藤田重利(康邦)、上田朝尚、小幡憲重と指を折りながら名を挙げて行った。

「それらの者は両上杉の重臣ではないか」

「今は更に他の者にも密使を送っているとか」

「ではこの城の囲みは虫食いだらけと云う事だな」

「それと、参戦している公方、上杉傘下の各大名に対しても、互いにそれらの領地へ兵を入れる絶好の好機と密使を送っている由」

「仲間割れを誘ったのか」

「更にはその大名の領地後方に控える敵対勢力にも、背後を突いてくれるよう使を出しておりまする」

 公方、上杉勢力の背後の勢力と云うとそこは常陸全域、下野、上野の北方西方に蟠居する豪族・一揆勢を指した。関東では室町幕府成立の頃から地方の御家人達の争いが絶えることなく続いている地域であり、網の目のように古河公方勢力、両上杉勢力が入り乱れ、今まで一つに纏まった事のない地域である。後年豊臣秀吉が全国統一を成し遂げるときになってまでも一つの勢力となり得なかった原因がここにあるのだ。

 この河越包囲戦で公方・上杉が纏まったとはいえ、数百年に渡る諍いが急に氷塊する筈もない。分裂の種が灰の中で熾きになっている状態でもあるのだ。

「それでは関東包囲網ではないか!」

 綱成が事の壮大さに呆然となった。いや、呆然を通り越して、あまりの壮大さに綱成は笑いだしてしまった。

「これは勝ったぞ!」

 幻庵も笑う綱成に眼を細めながら頷いた。

「包囲網、なるほど左様にございますな。元々各地で争っていた大名豪族達が、公方と管領の下知で一時だけ集まったに過ぎぬこの戦。何れも国元では相争っている間柄の者たちが、その留守に興味を持たぬはずはないと読まれましたか」

 綱成は幻庵の言葉にしきりに頷いていた。

「流石に氏康の御屋形様よ、儂には思いもつかぬ事をして下さるわ」

「はい。それ故必ず卯月には小田原から援軍が参りましょう。なにとぞ御辛抱頂けますよう」

「相分かった、この事兵達にも知らせてやろう。この稀代の大合戦じゃ、厭戦気分も吹き飛ぼう。皆々、城兵達にこの事知らせてやれ」

 弁千代の伝えた小田原の謀が城兵に知らされたとき、厭戦気分はすっかりと抜け切り、猛々しい気勢が河越の空に立ち上った。

 一方の河越城を囲む公方・上杉連合軍では、城方からの思わぬ鬨の声に胆を潰し、最前線にいた足軽達が仕寄り場の中で一時大混乱となったようだ。

自らの勝利を疑わなかった者達が不意の敵襲に恐れ慄き、哀れな滑稽劇が其処此処が現出する。

 自らの太刀や具足を求め奪い合い右往左往する様は哀れを越して不憫でもあった。

 そして河越包囲軍のいる砂久保・東明寺に対して、弁千代入城に合わせた頃合いで氏康の第二の調略が開始された。



「小太郎、風魔の一党を使い砂久保の公方の陣に土地の者を使わせ、戦勝祝いの酒と貢物を送らせよ」

 氏康の腹では百姓をも取り込んだ包囲網が出来上がっていた。

「公方と上杉を油断させるのだ。骨身に染みる酒を振舞ってやれ」

 この氏康の下知を受け河越城下で風魔が動き始めた。

 当時は合戦となると、乱暴取り(又は乱取り)と称した略奪行為が頻繁に行われる事がままあった。これは大名が足軽達に差し下す褒美が少ない、または無い様な時に戦場となった土地の農家、商家への略奪を褒美として認めた行為である。保存してある農作物を根こそぎ奪い、金品や金目の物は云うに及ばず、女子供を浚って売り飛ばす場合もある。こんな事が日常茶飯な時代なのだが、これを氏康は逆手に執ったのだ。

 前もって近隣の百姓達に貢物を陣中見舞いと称して持って行かせるのだが、この行為は乱取りを止めてもらうための常套手段でもあったので公方に疑われることはまずない。

 そして小田原からの荷駄の列が砂久保付近にやって来たのは師走の初めごろ。

 近隣の農村に幾つにも分かれて入って行った。

 粗末な家が立ち並び、其々の軒先には冬支度の干し柿や干し大根がぶら下がっている。

 霜が降りて久しい田畑には枯れ草が少々残るのみで今年の収穫が終わっている事を知らせていた。師走の事だ。そこに住む百姓達は纏まった農作業も無いために、家の中で藁を編む作業に勤しんでいる。

 そんなころ、村の入り口から幾つもの荷車の音と馬の嘶きが聞こえてきた。

 大勢の荷駄隊がやって来た物音なのだが、変事の少ない寒村である。興味を惹かれてか何事かと家の中からもぞろぞろと家人が出てきた。

 馬に牽かれた荷駄隊がようやく全て村に入った頃合いになると、かなりの数の村人が集まり始めていた。それを見た荷駄引きの中の一人がするすると集まる村人の前に出て行くと、人の良さそうな笑顔を振りまきはじめた。

「皆の衆よくぞ集まってくれた。これより皆に冬支度をしてもらおうと、遥々小田原からやって参ったぞ」

 良く通る声の男だ。

 直後、寒村に遠慮気味のざわめきが広がった。

 小田原といえば、将の名などは知らぬが今河越城で囲まれているのも小田原ではないか。この合戦で足軽稼ぎをする心算の無い百姓達である、殆ど負けが決まっている領主の施しを受けた事が知られては後々公方勢の心証が悪い。これがざわめきの原因であった。

「小田原の殿様の使いのお侍だべか」

 恐る恐る聞いた百姓に、荷駄引きの男は鷹揚にその通りじゃと言った。

「この村に住む者はお前達で全てか」

「いえ、これで半分くらいだな」

「そうか、では皆を集めねばならんな」

 そう言うと荷駄引きの男は、一息吸い込んでから声高く口上をはじめた。

「さあさ皆々、藁なう御手を休ませても聞き候え。只今砂久保の御陣には公方様がござっしゃる。長陣ゆえに酒な肴なと持ち行き候へ。貢物は小田原より持って参った」

 そう言い、荷駄の米俵をひょいと担いでみせた。

「公方様の陣だと?おめぇ達は小田原様方じゃねぇのか?」

 荷駄引きの男は屈託のない笑顔を見せている。

「儂らは小田原のもんで間違いない」

 そう答えるこの男、風魔の草と呼ばれたれっきとした忍である。

 この村の他にも様々な装束を纏った草達が大勢荷車を曳いて村々に入り込んでいた。

 村々に現れた無数の荷車には、小田原からの樽酒や米麦、干魚などが山積みされている。

「皆の衆皆の衆、この貢物、主ら百姓にもおん下りがあるぞ。恐れ多くも公方様の御陣に見舞うた者には持って行った分の一割が頂けるのじゃ」

 これを聞いた百姓達が隠れていた家からぞろぞろと集まりだした。

「小田原様が公方様との戦を手打ちにするんだべか」

「まぁ俺らにはどっちが勝っても戦なんか早く終わってもらった方がいいんだけどな」

 其々の口から疑問がでるが、やはり興味は分け前にあったのは確かなようだ。

「俺達の分け前ってのは嘘じゃねぇだろうな」

「だまされるのはまっぴらだぞ」

 こんな言葉が大多数をしめていた。

 風魔の草は大笑いをして集まった百姓の眼を集中させ、くるりと一回り見渡した後、奇妙な節をつけて手足も舞うように歌いだした。

「騙し騙すはただ事でなし。只事為らずばお足が欲しい。それは天道の道理哉。故に持ってけ一割の米」

 くるりと一回りして最後にぽんと掌で頭を叩いた。

「駄賃は先取りじゃ。我こそと思わん者はまず駄賃を取ってから荷を運ぶがよかろう」

 これを聞いた百姓達は我も我もと先を争って陣中見舞いの参加を申し出た。

 一人が並ぶと一気に荷駄の周りには黒山の人だかりが出来上がり、中には並びなおして何度も駄賃を取って行く者もあった。が、そこはわざと見ぬふりをして気前よく分けてやる。百姓の何人かが少々手取りを増やしたからと言って、そこを細かく咎めれば河越包囲軍に走ることもありうる。そうなれば身も蓋もないからだ。

 大挙して農村に入った草達が農民に焚きつけ、近隣の農村ではお祭り騒ぎのようになっていた。

 そんな事があってから、砂久保付近の百姓や町民達が挙って公方の陣中見舞いにやってくるようになったのは師走の中ごろ。しかしこの陣中見舞いは一時的なものではなく、延々と引きも切らずに年明けを迎え、天文十五年に入っても百姓達の列は続いていた。

 よくよく考えれば付近の疲弊した百姓達にこれ程の財力はないので公方も怪しむ事を思いつくのだろうが、貰える物は身分の貴卑に関わらず嬉しいものだ。全く気にする素振りも無かった。

 百姓衆も百姓衆で、公方の陣に見舞いの品を持っていけばその内の一割がもらえる。そもそもが小田原から持ち込まれた品なので、使われる百姓達にも否やはない。幾らでも運んでくれた。

 このためしばらくすると、公方の陣所では見舞いの貢物が溢れだしてきた。氏康の思惑通りに事が運んでいるようだった。

 公方の陣ではこの貢物を初めの頃は荷駄(輜重隊)の荷物として保管させていたが、そろそろ保管場所も雨ざらしになり初めると、苦情を荷駄隊の長が晴助に持ってきた。

「中務様、百姓達の見舞いの品でございますが」

 これが苦情と云えるかどうか。

 梁田晴助は、公方の陣中では兵糧方も担っている。よって公方の貢物も表立っては晴助が受けているのだ。その荷駄隊の長を陣幕内に迎えたとき、晴助は茶を喫していた。

 寒空の中の長陣だった為に、暖を取る意味合いもあって野立てをしていた所だった。

 茶碗からの暖かそうな湯気が立ち上っている。

「それがどうしたのだ?」

 茶で暖を取ろうとしていた晴助は、口元まで持って行った茶碗もそのままに輜重隊の長に一瞥をくれた。

「一月もの間百姓達から届けられた見舞いの品が、そろそろ荷駄に詰めなくなっておりまする」

 晴助は笑顔になった。公方の勢力が河越の百姓の間ではまだ衰えていないと思ったのだろう。

「荷駄に詰めなくなるほどの兵糧、大いに結構ではないか」

「たんとある兵糧は嬉しいのでございますが、百姓達の寄こす品は陣備えの物ばかりではない故、足の早い物はそろそろ痛んでしまいまする」

 ふむ、と言って一服、茶を啜った。

「なるほど、折角の品を腐らすのも勿体ないものよな」

 このとき、晴助はふと公方晴氏を脳裏に思い描いた。

(この長陣じゃ、上様に申し上げて参陣する諸将大名達に振舞えば、良い退屈しのぎとなろう)

「わかった。ならば儂に考えがある、追って知らせる故戻って良いぞ」

 晴助は茶を喫し終わると、嬉しそうな顔をしながら公方の陣所に向かう事にした。

 晴助の陣所は公方と隣り合わせ。距離にして五町(五百米)ほどしか離れていない。

 三人程の家人を連れて霜柱の立つ道を音を立てながら歩くのだが、底冷えの中で成長した氷の柱を踏みしだく音が心地よい。

 直ぐに晴氏の陣所に到着した。

「上様、少々困った事が起こりましてこざいます」

 ねばっこい笑顔の晴助が、更に笑顔を上乗せした顔で晴氏の陣幕内に現れた。

「中務(晴助)か」

 陣幕の内にいた晴氏は、晴助の顔を見た。

「その方の顔を見るに、困った様子は窺えぬが」

 公方晴氏も、長陣にそろそろ厭き始めていたところだ。近くに流れてきた白拍子などの舞を見ながら酒を飲み、退屈を紛らわしていた所でもある。

 いまは具足も脱ぎ捨て陣幕内に敷かせた板に畳をのせ、それに寝そべり小姓に腰を揉ませていた。

「実は」

 晴助の笑みは昔から変わらず粘っこい。

「下々の者からの貢物が溢れだしております。このままですと折角の貢物が雨ざらしになりかねませぬ、そこで如何でありましょう、この長陣で諸将も飽いておりましょう故上様からの下賜として酒宴を開いてみては」

 あまりの長陣に公方晴氏も暇を持て余していたところに否やはない。

「それは良い、早速にも用意をせよ」

 二つ返事で事が決まった。

「畏まりましてございます。また、憲政様、朝定様をお誘い申し上げたく思いますが如何にございましょう」

「良きに計らえ。参陣しておる諸将にも振舞うが良かろう」

 公方の一声で、砂久保の陣所から各所に布陣する諸将へと使者が散って行った。

 この頃から関を切った様に毎日毎晩の酒宴が始まりだした。

 元々酒色に溺れていた憲政に至ってはこれ幸いと入間川の崖の陣所を引き払い、公方と同じ砂久保に仕寄り場を築いて陣所としたほどだ。

 これで河越包囲網の一角が崩れたのだが、人数にものを言わせていた公方・両上杉はその事に気を使う事も無かった。

 そして天文十五年三月、各地の手当を終えた氏康は満を持して小田原を出陣。

 御本城様出陣との早馬が道沿の各城に走ると、岡崎城、玉縄城、住吉城、小机城、奥沢城其々の城から行軍する氏康の軍に次々と人数が馳せ集まる。

前もって用意させておいた人数を糾合しながら進む軍勢は江戸城に着くまでには予定通り八千人となっていた。

 全ての人数を揃えて江戸城に入った氏康の元に、関東包囲網の仕上げの伝令が次々に届き始めた。

 まずは常陸。

 河越包囲網に公方方として参加している常陸国は小田の城主(現茨城県つくば市小田)小田政治の背後を突くため、真壁城(現茨城県桜川市真壁町)の領主真壁氏、府中城(現茨城県石岡市石岡)の領主大掾氏の両軍が動き出したとの知らせである。

 さらに上野の国では太田金山城(群馬県太田市)に拠る山内上杉方の横瀬(由良)成繁には旧主でありながら傀儡と化していた岩松氏純を動かして横瀬氏の御家騒動を誘発させ、 また下総では結城(現茨城県結城市)の領主結城氏と小山(現栃木県小山市)の領主小山氏に対して宇都宮(現栃木県宇都宮市)の領主宇都宮氏と真岡(現栃木県真岡市)の領主芳賀氏が北方の撹乱を始めた様だ。

 上野と西武蔵には風魔一党を使い、河越を囲む勢力の国元に草(忍)をばら撒いて様々な噂を撒かせている。城下町や各農村に草を入れて、国元に残る有力家臣の謀反や近隣諸公の勢力が攻め込む気配である等の噂だ。

これが意外な効果をあげた。

 国元を離れている各大名・国人領主にしてみれば信用の置けない者達が自らの留守に暗躍しているとの知らせが来れば疑心暗鬼に陥るのは想像に難くない。

 この知らせを受けた氏康は、江戸城香月亭に多目元忠、遠山綱景、富永直勝、北條綱高、清水康英を集め、非公式とも云える評定を開いた。

 香月亭は父氏綱が江戸城詰めになると必ず入っていた屋敷である。

 周囲が池や庭園となっているところは氏綱が使っていた頃と変わらない雅な作りとなっている。城の中ではあるが、此処だけは外界から切り離されたように静かなものだ。

「さて」と集まる家臣に声をかけた氏康。

「常陸、下総、下野、西武蔵の調略が無事済んだとの知らせが入ったのだが」

 ここに集まった家臣達は、軍装は解いており裃姿の平服で集まっていた。

 二十畳程の板の間の広間に畏まって座っている。

 外から広間に差し込む日差しはだいぶ春めいてきたようだ。

 庭園の草木からは新芽が萌え出ている。

「更に公方・両上杉を油断させる策を用いようと思う」

「ほう、念には念を入れるのですな。してどの様にされますので」

 多目元忠の質問に、氏康が披露したのは一通の書状だった。氏康の花押も書かれた正式なものだ。

「皆も目を通しておけ」

 評定の間に居合わせた五人全員が目を通した書状の内容は、調略を仕掛けたはずの常陸小田の小田政治に対して、北條を助けて欲しいと公方に伝えてもらいたいとの内容が書かれていた。

 これは東明寺の陣所に参陣している小田政治の家臣に、穴蔵城主(現茨城県かすみがうら市穴蔵)菅谷すげのや壱岐守晴範(貞次とも)と云うものがいたのだが、それを伝手に晴氏と親密な関係にある政治を動かそうとしたものである。



曰く、


“取圍マレスヘキ様ナシ御邊ヲ頼候間

如何ニモシテ籠城ノ佐衛門大夫ヲ助ケ玉ヘ

 サアラハ河越ヲハ其方ヘ明渡スヘシ

 其上憲政トモ無事ニシテ皈ルヘシ

 合戦ヲナサハ多勢ニ無勢難叶“



 この事を聞いた遠山綱景が納得がいかない顔をしていた。

「何故に逆包囲を成した今、公方に助けを求めるのでござろうか」

「只今公方様は、河越の地で酒宴を開いてござっしゃる故よ」

 なかなかに嬉しそうな氏康の顔だ。

「酒宴と助けが何か関わるのでござろうか」

「酒宴なればだ」

 北條綱高が酒宴と聞いて不服気な顔をしていた。

「ふん、我が方の城を囲んでの宴とは、これはずいぶんと剛毅な事でござるな」

「それで良いのよ」

 氏康を囲む諸将、全く腑に落ちぬと言いたげな顔が並んでいた。

「御屋形様、もそっと分かりやすくお聞かせ願えませぬか」

 と、これは富永直勝。

「なに、話は簡単じゃ。公方と上杉に油断に油断を重ねさせる為であるのよ。城を囲む人数は八万六千、こちらは城方と合わせても一万千。これだけでも公方どもは絶対勝利を疑わぬであろう」

「そこがわかりませぬ、油断を重ねさせるために城方を助けよとの書状を送るまでは分かりまするが」

「各地の包囲や領地内での一揆勢の蜂起の方は、今少したてば公方方にも知らせが来よう。なれば国元が不安故、この河越攻めを逸早く済ましてしまおうと考えるやもしれぬ」

 氏康は咳払いをして続ける。

「そんな中我が方から河越の城兵を救い給へとの書状が届けばどう動く」

「それは北條組み易しと見られて遮二無二討ちかかって来られましょう」

「野戦であればそうなる。そして攻め寄せられれば我が方は、まずは逃げる」

 野戦と明言したのは、河越城を攻める公方勢の矛先を氏康本隊に向けるとの意図だろう。

「逃げるのでございますか?」

 これは綱高。

「左様、この戦、公方勢が一度押し出して勝を拾えばどうなる」

まだ今少し腑に落ちぬ顔の富永直勝が疑問の声をあげた。

「さて?どうなりますか?」

「大軍故の行動に出よう」

「大軍故の行動とはどのような?」

「目の前の敵は弱いのだ。なれば不安が残るとはいえ、一度国元へ戻る等と云う手間を惜しもう」

「まずは眼前の敵を討ち平らげてから国元の手当をすると読まれたのですか」

「あれだけの軍勢を今一度催す事は中々に難しかろう故な」

 ここでようやく腑に落ちた富永直勝、顔にようやく笑みが出た。

「なるほど分かり申した」

 直勝は幾度も頷いている。

「なれば我ら、何時であろうと河越の後詰に向えるよう戦支度をして御屋形様の下知をお待ち致しましょうぞ」

 氏康は書状をじっと見つめていた遠山綱景に使者の役を命じた。

「綱景、小田の臣、菅谷壱岐守に使者を送れ。それに合わせて我らは公方の仕寄り場、砂久保間近まで出陣致す。皆々戦の支度をせよ」

 氏康のこの言葉を評定の締めとして江戸城内では御本城氏康の本陣出陣となった。

 江戸城を出陣した北條勢は進路を北西に取り、赤塚の砦をかすめて扇谷の家臣である大石定久の城、滝の城(現埼玉県所沢市)の脇を抜けて行く。

 既に大石定久は内通していたため、最短の道筋にあった難波田善銀の支城、難波田城を迂回したのだ。

 無事に大石の裏切りも無く軍勢を進め、天文十五年の四月初めに公方の陣所、砂久保の近くまでひたひたと寄せて行った。

 丁度この頃、公方・両上杉の国元での騒ぎが早馬に寄って報告され始め、砂久保で酒宴を共にしていた大名諸将達は、自らの主人である公方晴氏や、上杉朝定、上杉憲政に対して国元へ帰還する暇乞いを始める者が出始めた。

 その知らせは公方にも両上杉にも少しづつではあるが届いていたので、このまま河越城の包囲を続けるべきか判断する時期に来ていたのだが。

 ところがこれに合わせ、北條方の使者の口上と書状を受けた壱岐守が、主政治を通じて公方晴氏と両上杉の元に現れた。

 先の氏康の書状、これを披露するためだ。

 これで河越城包囲軍の判断を狂わされたと言っても良いだろう。

 砂久保の陣では連日の酒宴が行われており、諸大名が集まっている折でもあった。

 その酒宴の開かれた公方の陣幕へ、大声をあげて小田政治が菅谷壱岐守を引き連れてやってきた。

「上様、上様に申し上げたき事あり」

 小具足の形で草摺りの小札が擦れ合う音も高らかに、大股で陣幕内に入って来ると正面に座る公方晴氏の正面に、台を挟んで片膝付いた。

その台を囲む諸将大名達が杯を手に何事かとこの闖入者を見やったその顔は、どことなく嬉しそうな顔をしている。

 その笑顔に、何か良き知らせである事はそこに居合わせた全員が感じたようだ。

「左京大夫(小田政治)か、やっと戻って来おったな。酒宴の座を抜け出して何をしておった、早よう席に戻れ」

 晴氏が片膝付いた政治をその席に付けようと手招いたが、政治はまずは御報告と、そのままの姿で言葉を続けた。

「まずは御報告。我が家臣の壱岐守が北條方からの使者を受けたようで、その報告を受けるために席を外しておりました」

「左様か、して、どの様な知らせを持って参った」

 政治は後ろに控えた壱岐守から書状を受け取り、諸将の居並ぶ台を廻って晴氏の所まで近づいてその書状を渡した。

「小田原の氏康からの書状にござる。曰く、河越の城兵を助けてくれれば我が方は兵を引き払い、河越城を明け渡すとの事にござる」

 一座には歓喜のどよめきが起こった。

 公方晴氏の隣に侍る上杉朝定は、その報告を聞いて公方に言上を始める。

「上様、案の定でございまするな。我らのこの大軍を見て氏康も怖じ気づいたのでございましょう。北條の軍勢が如何に強力と謳われても手も足も出ぬ、と云う事が露見致しましたぞ」

 朝定の後ろに控えていた善銀も言葉を添えた。

「左様にございまする。これはこのまま一気に河越城に押し寄せて攻め取り、その足で国元へ帰る事が最も良い策かと思われまする」

 上杉憲政もされば、と話始めた。

「諸将の国元でも大事が出来しているようだが、今この時を於いて河越を取り返す好機はござるまい、また北條をその書状のままに一戦も交えず小田原に返したとあっては、幾ら河越城を取り戻したとしても何れ戻ってくる事も考えられましょう。ここはその書状は破り捨て、氏康を攻め北條を滅ぼす事が得策かと」

 そこに「しかし」と反対意見を述べるものもいた。と、言うよりは、この河越包囲網に参戦している諸将大名は国元の不安が大きく反対意見の方が大多数を占めている。そのため陣を解散して河越城を取り戻し、すぐにでも国元へ戻りたいという者が圧倒的に多かったのが本当のところであろう。

 これにより軍を解散するか、このまま城攻めを続行するか。軍議が開かれるかと思われた矢先、憲政家臣の菅野大膳と上原兵庫が伝令として駆けつけてきた。

「ご注進にござる」

 憲政が大声で聞き返した。

「何じゃ騒々しい、何があった」

「小田原の北條勢、江戸を出陣して只今砂久保近くまで進軍中との事にございます」

「なんじゃと!」

 軍解散を唱えようとしていた諸将に向き直り、憲政が一同を見渡した。

「各々、これで氏康を屠る好機が到来したぞ。助けを求めるような腰抜け相手に、最早軍議などは後回しじゃ、皆々戦の支度をせよ」

 これにより軍解散の意見は上杉憲政に一蹴される事になった。

 憲政は尚も公方晴氏に続ける。

「氏康はこちらが城方を助けるか、まだ知り申さん。しからば只今この砂久保に向かっておる無防備な氏康を一挙に屠り、その兵を持って国元の手当と致すのが最も宜しいかと存じまする」

 この勝利を確信していた公方・両上杉勢は軍議も開かぬまま、公方方砂久保の陣近くに寄せてきた北條勢を迎え撃とうと全軍を持って寄せて行った。

 一方の砂久保の陣から少し離れていた所まで寄せていた氏康、数多く放っていた物見の知らせを受けて即座に撤退を判断する。

「やはり公方勢が寄せてきか。皆々退却するぞ、一気に国府(現東京都府中市か)まで引く故遅れるな」

 軍を引き連れ砂久保近くまで寄せていただけの北條勢、公方勢が辿り着く前に駒がえしに国府まで引き上げてしまった。あっという間のできごとだ。

追討軍の公方勢も目と鼻の先にいた北條勢があっさり引き上げてしまい、肩空かしを喰らった雰囲気が漂ったが、これで両上杉氏は勝利を確信した。

「北條勢恐るるに足らず」

 そう気勢を吐いたのは上杉憲政配下の菅野大膳である。

「いつ北條勢が寄せて来ようとも追い散らしてくれましょうぞ」

「まったく。一戦も交えず尻尾を丸めて逃げ去るとは、武士の風上にも置けぬやつばらよ」

 憲政へのおべっかを使うのか、上原兵庫もしきりに小田原勢を貶している。

「今日の酒宴も酒が旨かろうぞ」

 そう言いながら大笑いする憲政も、この二人の気勢に中てられつい気が大きくなっていた。

 北條勢が去って砂久保の地に戻った公方勢は、一応の備えとして再び砂久保の仕寄り場を厳重に構え治したようだ。

 そして再び宴の場を設け、日がな一日酒びたりの兵糧攻めを始める事となった。

 しかし。

「今一度砂久保に押し出すぞ」

 氏康の一言で再び北條勢は東明寺と砂久保の陣の中間付近まで押し寄せて行った。

 攻め寄せてきた場所が違っていた為に物見の知らせを受けた公方勢は、初めは慌てていたようだが、軍をあげると、これも北條勢が一戦も交えず武蔵府中に引き上げてしまう。

 この二度に亘る退却戦を目の当たりにした公方勢は、最早北條勢を敵とは見なさなくなっていた。

 上杉憲政に至っては、氏康に最早戦意は無い。我らの勝利は目前である。とまで豪語していた。

 その勢いのまま公方に北條殲滅の策があると披露し始め、まずは、と、酒に酔った眼を輝かせた。

「運よくこちらは上様の軍勢と我ら管領の軍勢の二隊がござる、再び北條勢が攻め寄せたとき、その二隊のうち管領の軍を入間川の崖の陣に置き、北條勢本隊を叩く。その間に上様の軍は河越城に向かって頂き、短兵急に攻め込んで頂ければ氏康本陣と河越の城、両方とも殲滅すること、叶いましょう」

 公方晴氏は憲政の策を聞いているのかどうか、さほど酔った風でも無く盃を舐めていた。

 そして一つ、溜息を吐いた後に酒を満たした盃をぐいと空けると「その方たちは我が義兄弟をどうしても攻め滅ぼしたいのだな」と、独り言のような呟きを漏らした。

「上様、なんと仰せある。この期に及んで女々しき事哉。我らと共に北條討伐に立ちあがってくれたのではござりませなんだか」

「女々しきとは聞き捨てならぬ、そもそもこの北條討伐はそち達管領が勝手に始めた事。儂は初め中立と申しておったではないか」

 この憲政の言葉に晴氏も血相を変えたが、ここで公方に陣を去られたら管領勢にとっても一大事。朝定になだめられて取敢えずは事なきを得た。

 まぁまぁと二人の間に割って入った朝定。

「憲政殿が言うようにわざわざ兵を二隊に分ける必要はありますまい。今の氏康にそれほどの策を用いずとも勝は転がり込むでござろう」

 晴氏を立てた朝定の物言いで憲政が折れる形となったが、憲政は自らの申し出た策を捨てられた思いは如何ともしがたく「氏康を屠るにはあれが最も良いのじゃ」と言い残し、鼻息も荒く公方の砂久保の陣を出て自らの砂久保陣場へ帰ってしまった。

 これが切っ掛けとなって酒宴も終わり、其々が其々の陣に帰って行く事になるのだが、その隙を狙ったかのように氏康が動き出した。

 再び砂久保の陣に行軍を始めたのだ。

 北條軍の軍列の中ほどに氏康がおり、氏康と馬を並べる清水康英と話をしていた。

 今の主従二人の会話を他の者が聞くと、戦時危急の会話とは思えぬほどにゆっくりしているように聞こえるだろう。

 また小太郎も氏康の乗馬の轡を取って共に行軍していた。

「公方はまた酒宴を始めたか?」

「はい、相も変わらず砂久保の陣で朝定、憲政と共に酒な女なと遊興に耽っておるようにございます」

 この知らせは関東各地の手当を終えた小太郎とは別に、物見の者達がもたらした情報である。当の小太郎は関東の手当を全て終えて、足軽大将として氏康の陣に参陣したところだった。

 丁度砂久保の陣から公方勢が押し出てきたところで本陣に戻って来たので、氏康に使われた所でもあった。

「小太郎、これより手の者を使い、晴氏、朝定、憲政の状況をつぶさに調べ仔細漏らさず伝えを寄こせ」

「畏まりましてございます」

「それとな、これから寺尾城に向かい、城兵を糾合したのち砂久保を突く故、皆にそれとなく知らせておけ」

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