河越夜戦(四)
「なにをだ?」
刀の刃を研ぐ足軽の隣で腰兵糧の干し飯を噛んでいた足軽が話しかけていた。
「今な、いろんな所に落首が書かれてるんだと、それもみんな同じヤツがよ」
「へぇ、んで、なんて書かれてる?」
「あぁえーとな」
周りにいる足軽達も興味深げにその話を聞いている。そして干し飯を噛み終わった足軽が落首を詠んで見せた。曰く、
“駆け出され 逃げる猪助は 卑怯なり
よくも追うたか 丈之助かな“
「猪助?丈之助?誰だそりゃ」
刃を研ぐ手を止めずに聞き返している。
「半月くらい前かな、どうも憲政様の陣所に近づいた小田原の忍が居たんだってよ。んでそいつの名前が『猪助』とか言うらしくてな」
猪助はこの会話に仰天し、つい研いでいた槍の穂先を落としてしまった。
その音に気がついた落首の足軽が猪助にちらりと一瞥をくれた。
「や、これはすまんすまん、話の腰を折ったか。気にせず続けてくれ」
平静を装った猪助だったが、なぜ名前を知られているのか動揺が隠せなかった。
とそのとき、猪助の声を聞いた足軽が弓を手入れしながら猪助の動きを見つめ始めた。
「んでな、その猪助が憲政様の陣所の追手前までやって来たところを丈之助って名前の忍が追いかけたんだと」
「へぇ、で捕まえたのか?」
「捕まえてたらそんな落首なんか書かめぇ」
「逃げられたのか」
「んだ、その丈之助が走り比べみてぇに猪助を追いかけたんだとさ、そしたら南武蔵に入った辺りでその猪助、放れ馬見つけて乗って逃げちまったんだと」
「それで逃げる猪助卑怯なりか。んじゃその猪助は丈之助に勝てないと思ったんだろうよ」
「ちげぇねぇ」
「ところで」
猪助がたまらず話に割って入った。
「なんだ」
「その丈之助って忍は今も憲政様の陣所にいるのか」
「そんなこと俺が知るわけねぇだろ」
「おめぇ変わった事聞く奴だな、俺らは朝定様に陣借りしてるんだぞ、憲政様の所なんぞに行けるわけねえべや」
「それもそうだな」
猪助が笑ってごまかすと、それぞれが手仕事に帰って行った。
そしてちらりと河越城を見やると、小さくなった弁千代の後ろ姿が見えた。
数万の軍勢に見送られて、とうとう河越城追手門前までたどり着いたようだ。
<これで弁千代様の事は仲間に知らせて終いじゃな>
河越城追手門まで馬を打たせてきた弁千代。城内からも何奴かといぶかしむ声の上がる中、足軽組頭の木村平蔵が櫓に上がりその直垂姿の侍をじっと見た。
暫し間があいたが、思い当たると弾かれたように大声を上げた。
「これは弁千代様であるぞ!誰ぞお迎えに駆けつけよ!」
どうやらこの木村平蔵は、弁千代を見知っていたようだ。
内門に居た兵達がその声が合図だったかのように追手門扉を音を鳴らして開くと、すかさず十騎程と足軽数十人が駆け寄り無事に弁千代を河越城内に引き入れる事に成功した。
<これでよし>
それを見届けた猪助が立ちあがり、膝の埃を払い落して小屋を去ろうとした時、猪助に声をかけてくるものがあった。
「おめぇ、どっかで俺とあった事はないか?」
先ほど猪助を見つめていた足軽だった。
猪助がその声に振り向いてその声の主を見た。
「いや、会った事無いね」
「俺には見覚えがあるぞ。おめぇいつぞや俺達に大根をくれた百姓じゃねぇか」
その言葉に反応した猪助の眼が怪しく光り、殺気が漂い出した。
「やめねぇか、べつにおめぇをどうこうする心算はねぇんだ。ただな、おめぇが丈之助の居所を知りたいようだったから教えてやるべぇと思ったまでよ」
「知ってるのか」
その男はやはりなと云った感じでにやりと笑った。
「ああ知っている」
「……で、何が望みだ?」
「おれも足軽稼ぎで陣借りしてる身なもんでな、ただじゃ教えられねぇ。おめぇまだ食い物は持ってるか」
猪助はそう言えばと、河越城を出る前に綱成から持ち出す事を許された銭が、まだ懐にある事を思い出した。
「食いものはないが銭ならある」
銭の穴に糸貫してあり、五百匁(約1.8キログラム)あった。
「重いが重宝するぞ」
この頃はまだまだ銭が珍しく、商家の有徳人や上級の武家がもっている程度の珍品と言って良い。
「おめぇ銭を持ってるのか。何者なんだ?」
「何物でもよかろう、で、その丈之助とやらはどこにいる」
「ここよ」
「なに?」
「この東明寺の陣所に憲政様の使いで来ておる」
猪助から受け取った銭の重さを両手で確認するように、珍しげに銭を眺めている。
「それは間違いないか」
男は銭から目線を外さずに答えた。
「あぁ、間違いねぇよ。昨日の昼ごろ憲政様の使いとして来たお侍が、一緒に来ていた変わった装束の下男だか荒子に『丈之助』って呼びかけてたからな」
「それだけか?」
「あとは、足が速かろうから先に知らせよとか何とか言ってたぜ」
「そうか。ところでお前の名は何と言うんだ」
「俺は長吉だよ」
「ならば長吉、今少し銭は欲しくないか」
「まだくれるのか」
「うむ、これから言う事をやってくれればさっきと同じだけの銭をやろう」
長吉は眼を輝かせた。
「銭をくれるならなんでもやるぜ」
「ならば少し待て」
そう言うと、腰に付けていた矢立(やたて:墨壺に筆を入れる筒を付けた筆記用具)と懐紙を取り出し、何かをさらさらと書き認めた。
「これを丈之助の元へ届けてくれ。どんな手を使ってもな」
流石にこの頼みごとには腰が引けたようだ。只の足軽が本陣に直接出向ける訳もない。
「俺は只の足軽だぞ、本陣に入って行った丈之助に近づける訳なかんべぇ」
「別に持って行けとは言ってはおらんぞ。それ、お前の大事そうに抱えているその弓を使えば遠くから射込めるのではないか」
「あぁ矢文か。なら近くに行かなくても良いな。やってみるべぇ」
大事そうに抱えていた弓を片手でぽんと一つ叩く。
「ところでおめぇ、猪助だろ」
足軽が核心を突いた。
猪助は一枚の銀の板を取り出して長吉の足元に投げると「知らんな。それと一つ忠告じゃ。口は災いの元だぞ」そう言い残して猪助が掘立小屋を立ち去った。
「おっかねぇ」
長吉は肩をすぼめていた。
掘立小屋から姿を消した猪助は、東明寺から西へ約半里程にあった広さが凡そ四坪程の半分朽ち果てた釈迦堂に居た。
堂の扉は既に無く、中も床が一部抜け落ちている。雑草の生えた茅葺の屋根がかろうじて夜露をしのがせてくれるのみだ。
此処に来る前に捕まえた一羽の兎を、かろうじて残っている床に放り投げるとごろりと横になった。
<今宵は此処で休ませてもらうか>
乱世である。付近の百姓達は朽ちた釈迦堂を修復する事もできないほど疲弊しているのであろう。これでは釈迦と言えども住処を失って裸足で逃げだす。
<釈迦牟尼仏よ、今宵はちと間借りするぞ>
猪助はしばし仮眠を取った。
うとうとと微睡んでいるうちに日は暮れ、冬の寒さが駸々と押し寄せてきた。
<ちと冷えて来たな>
寒さに眼を覚ましのっそりと起きて堂を出て来ると、そこらじゅうに落ちている枝や朽ちた木を集めて火を焚き、暖をとり始めた。
体が火にあぶられ、じわりと温みが出てきた所で腹も減る。
人の体とは上手く出来たもので、命に関わりのある寒さを克服すると次は食欲が湧いてくるようだ。
床に投げた兎を小刀で手際よくばらし、木の枝を削って串にしたものに肉を次々に刺して行く。十本ほど出来上がると焚火を取り囲むように地面に差す。
しばらく待つと、あぶられた肉が香ばしい匂いを放ち始め鼻孔をくすぐる。
焼け具合も丁度良くなったものから口に運び、半分ほども食い終わった頃だろうか、釈迦堂に近づく人の気配があった。
猪助はその気配を悟っても素知らぬ風に兎の肉を齧っている。
だんだんと足音が近づき、釈迦堂の焚火に寄って来た。
そして猪助がそこにいる事が当然のように焚火の反対側に回って火に手をかざした。
「今夜は冷えるな」
そう話しかけられた猪助は、地面に刺してあった兎肉の串を一本取り上げると、
「食うか」
その人物に差し出した。
目の前の男は布で顔半分を覆っていたため表情が読めなかった。
「毒など入ってはおらんぞ」
続けて猪助が言うと、男は無言で兎肉の串を受け取り、
「久しぶりだな」そう言いながら覆面を取った。
その男は、猪助が憲政の崖の陣所に近づいた時、志村城下まで追い駆けてきた忍だった。
「おまえ、丈之助だな」
猪助の問いにその男は笑う。
「矢文で俺を呼んだのはそっちだろう、猪助」
笑いながら兎肉を齧り食った。
「丈之助、おまえ何時の間に俺の名を知ったんだ」
「蛇の道は蛇ってね、忍の間ではお前さん、名が通ってるぜ」
「そうかい。しかしな、おめぇ辺りかまわず妙な落書きをしてるみてぇじゃねえか」
最後の肉を噛みとって串を捨てた。
「妙な落書きじゃねぇ。ありゃぁな、落首って言うんだ。雅じゃねぇな」
「悪いな、京の公家みてぇな言葉遊びが嫌いなもんでな」
「そうかい。ところで俺を此処に呼びだしたのはその落首のせいなんだろ」
にやりと丈之助が笑った。あの落首はわざと猪助を侮蔑したものなのだろう。
当時はこのような事が多々あったようで、特に芸者と呼ばれた剣術家等が好んで使ったようである。
相手を侮蔑する事によって相手が逃げれば幸い。もしこの猪助の様に寄ってくれば仕合う形で強弱を決め、自らの名声を上げる事に使う。
「そうさ、当たり前だ。忍は仕事に忠実なんでな。俺は河越の事を知らせるのが仕事だった。だからどんな手を使おうが使命を果たすのさ。それを逃げたと喧伝されちゃ今一度おめぇと足を競わなけりゃ汚名を晴らせまい」
「ならどうするね、ここから走り比べでもするかい」
「ああ、その心算だ。ここなら河越街道に近い。そこから児玉街道を使って武蔵の外れ、男衾は鉢形の城まででどうだ」
この釈迦堂からは河越街道に繋がる児玉街道に出る事ができた。その道から鉢形城のある男衾郡までは約十里(四十キロ)はあるだろう。
現在この道筋には関越自動車道が通っている。
「いいだろう、いつ始める」
「明けの寅の刻(午前四時ごろ)」
「なら街道辺りで待ってるぜ、肉、旨かった」
そういうと、丈之助はふらりと立ち上がり、元来た道を帰って行った。東明寺にでも戻るのだろう。
丈之助が立ち去った後、猪助は近くの小川で水を汲むため淵を降りて行った。
明けて寅の刻、猪助が街道に出てみると、まだ明けきらぬ冬の寒空の下に丈之助が立っているのが見えた。
「逃げなかったようだな」
朝の挨拶にしては中々辛辣な言葉をかける猪助。
「ふ、小田原じゃそれが朝の挨拶なのか」
丈之助の顔は笑っていた。
「そう取ってもらってかまわんさ。さっさと始めようぜ」
「ああ。行くぞ」
猪助の言葉が合図となって二人は走り始めた。
冬まだ明けきらぬ早朝、霜柱が立ち、走る二人の足音が響いている。
寅の刻に児玉街道を走り始め、付かず離れず丈之助を先に、猪助が後を追う形だ。
追跡するものとされるものの形を作り上げたのだろう、後ろを常に気にしなければならなくなった丈之助だが、初めは余裕である。景色などを眺めながら走っているぞと言いたげに顔をふらふらと動かしていた。
猪助はひたすら同じ距離を取って後ろに張りつく。
二里程(八キロ)も走ると丈之助にも余裕が無くなってきたようだ。次第々々にだが、走る距離が長くなってくるにつれて景色を眺めるような顔の動きが止まっていった。
丈之助が体力を温存するためにやや歩速を緩めると、それを見越したかのように後ろの猪助の足音が近づいてくる。
再び距離を取るために歩速を上げるが、その足音が気になってちらりと後ろを振り向く。
猪助との距離は変わらない。
猪助はどのような術を使ったのかわからないが、この抜きつ抜かれつの心理的攻防戦を、振り向きながらしか走れない丈之助に仕掛けていたようだ。
猪助自身の歩速は一定のように見える。
これを繰り返しながら三里(十二キロ)程走り抜けた二人。
今で言うマラソンではなく、ほぼ全力疾走に近い運動をしているのだ。
流石の丈之助も猪助の圧迫により体中から異様に汗を噴き出し始めた。
むろん猪助も大量の汗をかいていたが、後方から圧迫する方の身だけあって幾らかの余裕があるようだ。
懐から竹筒をとりだして水を口に含ませている。
一方丈之助は何も口にしない。
更に二里程(八キロ)走ると既に日も昇り、辺りは明るくなりだした。
遠目が効くようになり、遠方に難波田善銀の居城で、今は扇谷上杉朝定が仮住まいしている松山城が見えてくる程日が明るい。しかしそこの主人は、今は河越城を囲むために東明寺にいるのだが。
この頃になると、先を走る丈之助に微妙な変化が現れた。なぜか頻繁に口を大きく空けているのだ。それに従い歩速も落ちるのだが、猪助の足音が間近く迫ると再び早める。
更に二里程走り続けると菅谷の館と呼ばれた扇谷上杉氏の被管、太田氏の居城が見え始めた。(現埼玉県比企郡嵐山町)
猪助はこの男衾や比企の城もこの際適度に調べる心算だったようで、遠方から見た城の規模、位置、城下町、出城などの情報をなるべく多く仕入れる心算で目に焼き付けている。そして再び水を飲む。丈之助は一向に水を飲まなかった。
猪助は適度に汗をかいているのだが、丈之助の後ろ姿は、先ほどまで背中がしっとりと濡れていたはずなのに、今は乾いているように見える。汗をかかない体質なのだろうか。
菅谷の館を越え、再び二里程走ると、山城高見城が現れてきた。別名四津山城(現埼玉県比企郡小川町高見)。
今は河越城包囲戦にも加わっている山内上杉氏の被官の石井氏が城主として収まっている。古く長享二年の十一月にはこの城の下、高見原と云う所で上杉顕定と上杉定正が合戦に及んだ場所でもある。
この頃になると丈之助の顔が異様に赤くなっていた。
後ろから見ている猪助にも丈之助の両耳が赤くなっているのが見てとれる。
何か妙だな。とは思うものの、丈之助も猪助も忍の名誉をかけた勝負だ、譲るわけにはいかない。
更に二里近く走った所で鉢形城(現埼玉県大里郡寄居町鉢形)の城下町が現れる。
いよいよ目的地の男衾の鉢形城か。そう思った猪助は一気に丈之助に近づいて行った。
だが、猪助の足音が丈之助の耳に届いたかと思われた時、町に入る手前の辻で丈之助が崩れるように倒れ込んでしまった。
何事かと思い、わざと猪助が足音を立てて近づくのだが、今までと違って歩速を早めるどころか立ち上がりもしない。
更に近づいてみると顔を真っ赤にしていたはずの丈之助、いまは顔色を青白く変色させて口をひらき、だらしなく舌を出している。唇も渇きで干からびていた。今で言う重度の脱水だったのだろう。
そのまま無理を押して走り続けた為に、およそ十里の道のりを全力で走った丈之助はここで息絶えた。
「丈之助、走り比べは俺の勝ちだな」
ぼそりと、死んだ丈之助に言葉を投げた後、猪助は鉢形の城下から姿を消した。
この後の猪助の足取だが、小田原に弁千代入城成功の知らせをもたらしてから伊賀に消えて行ったのだとか。