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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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河越夜戦(二)

 河越城の望楼櫓では、河越城包囲軍を遠望する事が毎日の日課となった幻庵と綱成が、冬枯れの葦原を埋め尽くした足利・上杉軍を眺めていた。

 木枯らしの吹き始めるこの時期、城を取り囲む陣所々々の幕が強風に煽られているのがよくわかる。

 近場の寺や豪農の屋敷に陣幕を張って本陣と出来る大名諸将はまだ良い方で、戦場に近い掘立の小屋で寝起きする足軽雑色などは火を焚かねば凍えるほど冷えるだろう。

 関東の広大な平野の一角で焚火の煙がたなびいた姿は、野焼きを彷彿とさせる風景だった。

「これはこれは」

 その風景を見た幻庵がさも面白げに笑い始めた。この僧侶、余程胆が据わっているのだろう、八万からの軍勢に取り囲まれてもまだ余裕があるように見える。

「流石は管領家、古き源平の合戦絵巻さながらの風情よと、取り巻いた始まりは思うたが、どこぞの百姓達が村総出で野焼きをしておるような鄙びた眺めになったことよ」

 そう少々間の延びた声を出した。

 隣でこれを聞いていた綱成だったが、思わず噴き出してしまった。

 成程もっとも。云われてみればまさに野焼きか焼畑かと妙に納得できる一間の絵が眼前に広がっているのだ。

「野焼きで畑の肥やしとならば、この河越の地の五穀は豊かになりましょうな」

「もっとももっとも」

 幻庵の周りに流れるゆっくりとした時を思わせる風情は、綱成の心の余裕を作りだすことに一役買っていることは確かだった。幻庵がいなければ猛将と言われた綱成だけに、大軍勢で囲まれた以上血気にはやって打ち出すことは有っただろう。その査証とも云える心配ごとを、綱成は幻庵に吐露した。

「しかし我が方が囲まれてより既にひと月、兵糧はまだ幾分か備えがある故良いとして、数の違いが兵の士気に関わらねば良いのですが」

「佐衛門大夫殿、まずは城門を固く閉じる事が肝要ですぞ」

「心得ておりまする。しかし御屋形様は今川と河東での戦の最中でござろう、すぐさま後詰は参る事叶いますまい」

「うむ。すぐさま駆けつけると言う訳には参りますまいな」

 しかし、と幻庵は続ける。

「儂は小田原を出るときにな、氏康殿とある約束をしてまいった」

「約束とは如何様な?」

「儂が河越城に後詰として赴いたら助けに参られよ。とな」

 幻庵がにっこりと笑っていた。本気とも冗談ともつかぬ表情だった。

 綱成は幻庵の言葉を僧侶特有の問答でもあるのかと考え、本気で言っている事とは思わなかったようだ。

「御屋形様の事じゃ、必ず後詰が参るでありましょう。されど囲まれたまま無為に時を過ごすと兵の心も緩む事もあり申す。頃合いをみて切り込む事も考えておかねばなりますまい」

「そのような事もあるじゃろう。その頃合いが参ったら我が手勢で城門を固める故存分に暴れて参るがよかろう。ところで」

 幻庵はふと兵糧の備蓄が気になった。

「兵糧はどれほど持つのかの?」

「長くて年明け如月、弥生(二~三月)まで」

「左様でございますか。ならばこれを取り急ぎ小田原の御屋形様にお知らせせねばなりませぬ。佐衛門大夫殿の配下に公方以下の布陣を調べられる者はおられますかな?」

 綱成はそれならと、一人思い当たる者がいた。

「それでは風魔の小太郎配下の二曲輪猪助にのくるわいすけなるものがおります。早速にも申しつけましょう」

 綱成は傍に侍る家臣に猪助を呼ぶように命じると、左程間を於かずに猪助がやって来た。

「お呼びでございますか」

 胴丸具足姿の色の浅黒い小兵な男は、忍びではあるが足軽として城内に入っていたのだろう。しかし寒気をものともせぬような打ち開かれた襟元から覗く胸の筋肉は、むら瘤の如くと言われた程に隆起し、体付きは小兵だが体中の筋が鋼のように見えた。

 また、その精悍さを物語るように、全身の筋肉が別な生き物のように盛り上がっている。

 五体がばねの様なこの男だったが、風魔の中でも特に名が通っている理由は足の速さに寄っていた。

 そんな男が綱成の前に跪いた。

「猪助、是より川越城を囲む公方と両上杉の布陣をつぶさに調べ上げ、急ぎ小田原の御屋形様に伝えよ」

「河越の状況を小田原に知らせるのですな。畏まりましてございます」

 それと、と言う綱成。

「なにかとばら撒かねばならぬ事もあろう、城の銭蔵へ立ち寄り銭、路銀も持って行け」

 敵中を走り回り情報を仕入れて小田原へ走るのである。各陣所に近づくためには外を守る足軽稼ぎの兵に銭を握らせることもあるだろうとの綱成の配慮だった。

 猪助は深く首を垂れると望楼櫓から姿を消した。

 途中、銭蔵に寄って事の次第を蔵番の者に伝え、幾許かの銭を受け取ってから北の二曲輪を抜け、東の土塁上に立てられた土塀までやって来た猪助、

「西南よりは北東が手薄だな」

 ぼそりと独り言をつぶやくと、そのまま土塀際の侍溜まりの小屋で夜になるのを待った。

 既に十月も後半に入ると虫の音も聞こえず、日が暮れ始めた頃からうすら寒くなってくる。

 どこから仕入れたのか、農夫の姿となって城の北東、新曲輪の土塀を越えて水掘りを渡りきったのは丑三つの頃に入っていた。

 川越城の南東には諏訪右馬亮(三河守)の籠る寺尾城もあったが、そこも既に囲まれているため進路を包囲軍の手薄な北に取り、明けた早朝に付近の農夫のような姿で人数の多く見られる陣所に近づいて行った。

 そこは川越城から北西にある東明寺と呼ばれた広大な敷地を持つ時宗の寺なのだが、当時は寺と言っても現代の様な作りではない。

 広大な敷地をぐるりと塀で囲み、一種の要塞として機能していた。

 このため各地の寺々はしばしば本陣に使われている。この東明寺も例外ではなく、参道や門前の至る所に具足姿の足軽が屯していた。

 参道正面に、近所の農夫が自ら作った作物を寄進しに来た風情で猪助が現れると、参道に屯していた足軽が数人近寄って来た。

「ここには入ってはならん、失せよ」

 手に々々に槍を持ち、猪助を威嚇するように槍を向ける足軽達。

「あ、いやこれは。おれが作った大根をお寺様にあげるべと思って来たんだけど、入れないんかね?」

「そうじゃ。我らは是より川越城を攻むるために御殿様達を警護しておるんじゃ、わかったらさっさと往ねい」

 すると猪助は背中の籠に背負っていた籠を下して大根を取りだした。

「土に埋めといた大根なんだけど、折角持ってきたんだけどな。なら無駄になんねぇように、この大根、あんた方で食って下されや」

 籠の中には泥つきの大根がごろごろと数十本入っていた。

「おぉこれは」

 足軽達は稼ぎ口としてこの合戦に参加しているため、腰兵糧など手弁当で参加している者が多かった。

 もちろん支給される兵糧もあるにはあったが、そこはそれ、腹の足しになるものを只で貰えるならば否やはない。

「儂らにくれると言うなら有難く頂戴すべぇ」

 この言葉遣い、どうやら近在の百姓の出なのだろう。

「あるだけ持ってってくれや」

 集まっていた足軽が手に手に大根を持ちながら首袋に入れて腰に下げたり二つに折って腹巻の内側に入れたりしはじめた。

「ところで、このお寺におらっしゃるお方はどちら様なんだべか」

 猪助の問いにちらりと目を向けた足軽の一人が事もなげに答えた。

「ここは管領上杉朝定様の御陣所よ」

「なんとまぁ、管領様の御陣所でございましたか。こりゃ知らねとは申せとんだ御無礼をしたようで」

「儂らは管領様に仕える者よ」

 足軽達はこの百姓には自らの素生などわかるまいと高をくくったか、自らを朝定の家来とまで言い始めた。

「そうでございましたか。んじゃこの川越の御陣、山内様と公方様も参られておられるとか、今生の土産に遠目からでもぜひ御陣を拝見してみてぇもんだな。是非陣所を教えてくんねべか」

「あぁそれなら、公方様の陣は砂久保と言うところとは聞いておる。山内様の陣所はわからんな」

「砂久保でございますか、ありがとうございます。遠目にでも眺められれば村で自慢できるわ」

<公方は砂久保か>

 猪助は東明寺を離れ、ここから南に一里程にある砂久保に川越包囲軍を迂回しながら向かった。

 果たして公方の陣所はそこにあった。

 中央にある陣幕には五三の桐が描かれ大旗一流には五三の桐の上に黄金日の丸が靡いている。

 またそれを取り巻く陣幕にも州浜紋(小田氏)や三つ巴(結城氏)二つ巴(小山氏)水葵三本(梁田氏)木瓜に一文字(一色氏)などの陣幕が並び、さらにそれをも取り巻く足軽雑色の掘立小屋は無数に居並んでいた。

「これはこれは。聞きしに勝る大軍よ」

 砂久保には公方在陣間違いなしとの確証を得た猪助、なにか山内を知る手立てはないかと哨戒の兵の目を気にしながら歩き回っている内に、不意に眼の前に水葵三本の描かれた陣幕が現れた。

<梁田の陣所か>

 ここは人数の出入りが激しい所だったので急いで立ち去ろうとしたとき、陣幕から一人、背に芭蕉旗を靡かせた甲冑武者が走りでてきた。

<これは伝令だな>

 直感でそう思った猪助は後を付けてみる事にした。

 伝令は馬、猪助は徒だったが、流石に足の速さに定評がある人物だけの事はある。

 付かず離れずひたすら馬の後に着いて行く。驚異とも云える俊足だ。

 そして、どうやら伝令武者は砂久保の地から西へ向かっているようだ。

 西には何があるか。思いを馳せてみるに特に思い当たる節はない猪助。

<とりあえず付いて行くか>

 伝令武者を着けて二里程行くと、なんと入間川の崖に陣城が築かれているのが見えた。

 その陣城の土塀や櫓台など至る所に向かい雀の紋が描かれた旗指物が靡いており、遠目からでも山内管領家の勢力である事が窺い知れる。

 また入間川を天然の堀として大手に続く木橋のみを入口とした構造は、川越城から北條勢が攻めてきても容易には攻め込めない作りとなっていた。

<これは憲政殿の陣で間違いなかろう>

 そう猪助が思った時、辺りはすでに森も無く、身を隠す所が無くなっていることに気付かなかった。

 その陣城の追手と思われる櫓門に続く木橋を渡り、開け放たれた木戸に伝令武者は馬ごと吸い込まれて行ったのを見送った時、ふと猪助が櫓門の上に立つ哨戒兵が猪助と眼が合った。

 自らも思いもよらずこの陣城に近づき過ぎてしまったようだ。

<しまった>

 周りを見ても身を隠す場所はない辺り一面の笹原である。

 とりあえずは必要最低限の情報を得たとして猪助が立ち去ろうとしたとき、櫓門から矢が放たれた。

「曲者じゃ、何処かの密偵かもしれぬ。打ち取れ」

 崖上の陣城、大手櫓門の上から雨と降らされる矢をかいくぐり、猪助は一も二も無く逃げ始めた。

 踵を返した頃合いが早かったおかげで、後方から馬蹄の響きが聞こえ始めた時には運よく森が現れ、騎馬武者を巻く事ができたのだが、しかし、一人、猪助に着いて来るものがあった。

 この者名を太田丈之助という憲政手飼いの忍で、それも歩立の達者と呼ばれた足の早い男だ。

 入間の陣城から大石氏の城、滝の城までは約五里。これを必死に追いつ追われつ二人の忍が走った。

 だんだんと二人の距離が詰まってくる。

 更に五里を走り抜け、北條方の志村城付近(東京都板橋区志村)までたどり着いた猪助の目の前に、農家の納屋に繋がれていた馬を見つけた。

<助かった>

 小刀で馬を繋いだ縄を切り捨てひらりと跨った時には、追手の太田丈之助はすぐ近くまで来ていた。

 ちらと丈之助を見た猪助、にやりと笑みをこぼして無言で走り去った。

 丈之助もそこで追跡は止めたようだ。

 この事を憲政の陣に落首したものがいたようだ。

 

 曰く


“駆けだされ 逃げる猪助は 卑怯なり

 よくも追うた(太田)か 丈之助かな“


 無事に猪助は小田原の小太郎の元に河越の情報を伝える事が出来た。


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