河越夜戦(かわごえよいくさ)
「これは上様、ようこそお出で下されました」
晴氏が前触れ無しで居間を訪問した事に芳春院は少々驚いたが、侍女を後ろに控えさせると、自らもすっと居間の脇に控え晴氏を迎えた。
傅く芳春院を見ながら居間に入った晴氏だったが、特に言葉を吐くでもなくするすると足を進めると居間の中央で座り込んでしまった。
居間には香が焚き込められており、ふくよかな香りが漂っている。
晴氏が何時もとは違う雰囲気であることに気が付いた芳春院、何かあったのかと思う間に晴氏から酒の匂いが漂っている事に気がついた。
「上様、如何なされました?お顔のお色が優れぬ様に見受けられまする」
「うむ」
返事を返すが問われた事に対する返事なのかどうか。
「まだ日も高うございますのに、ご酒をめされたのでございますか」
芳春院は自らの夫に笑顔を向けた。
「儂は」
晴氏の顔は笑わなかった。
「どちらに付こうか迷っておる」
芳春院への第一声は迷いの言葉だった。しかし答えを求めた訳ではない。
この言葉に不吉なものを感じ取った芳春院からは笑みが消えて行った。
「どちら、とは何れと何れにございますか」
二人の間に一瞬の沈黙が横たわった。
「いや、別にどうという事もない」
そう言うと膝をにじらせて芳春院目前まで近寄り、じっと見つめた。
(美しきことよ)
晴氏はそう思った。
古河の足利家へ輿入れしてから幾年月が過ぎただろうか、降り積もる星霜は芳春院の身の上には積もらぬものらしい。
歳を経る毎に美しさが匂い立つようになってきている。
(北條の血とはこういったものなのであろうか)
晴氏は脳裏に浮いた言葉を心で笑うのだが、目前に傅く自らの室を見るにつけてその考えがあながち的外れではないような気もしていた。
そしてふと、古河足利家と小田原伊勢家の橋渡しとしてやってきた芳春院のその輿入れ前の噂を思い出していた。
当時芳春院は未だ子供と云える年齢ではあったのだが(唐の楊貴妃、漢の李夫人もかくも)そう美貌を評された噂は古河まで伝わっており、家臣には「羨ましき事にて」と気も早い祝辞を述べるものまでいた。
それを伝え聞いた晴氏は、そのような噂を流す者共も唐の楊貴妃も漢の李夫人も見た事もあろうはずがない、いずれ人の持て囃す口だけの方便。と、然して興味も持つことはなかった。
しかし愈々輿入れのとき、古河城へ迎え入れた伊勢の姫を一目見て驚いた。
(これは正しく噂通り、天の羽衣を纏う天女かと見まごうほどじゃ)
白く透き通るような肌につぶらな瞳は二重で、鼻筋はすっと通る。
やや唇が厚いがそれで全体を崩すわけでもなく、反対に女の色艶が強調されているようにも見えた。
晴氏は自らの室が輿入れをした時に一目惚れをしてしまった。
その日から晴氏は三日と空ける事無く芳春院の室を訪れては実家を離れた事で寂しかろうと話し相手となり、古河の祭りや百姓達の繰り広げている戯話を面白おかしく語り聞かせ続けた。
長じてからも芳春院の室を訪れることは日課であり、ある日、娘となった事を聞かされてからは日を開ける事もない程に芳春院を愛でていた。
臣下の者たちもこの仲睦まじい状況を喜んでいる風でもある。
芳春院は教養も高く、輿入れ後の晴氏との会話でも小田原風の田舎臭さが見え隠れすることが無い。これは祖父である伊勢盛時(北條早雲)が、将軍足利義政の頃にその弟である義視の申次衆の職に付いていたことがあるのだが、これにより伊勢(北條)の家が京風文化の中枢にどっぷりと漬かっていた事、さらにその伊勢の本家は将軍家乳父となる家柄の他、内向きの作法を指南する儀礼典礼の家、伊勢流の宗家だったことも影響しているだろう。
その家の娘である芳春院も素地はあったのだろうが、古河の公方家に嫁ぐと決まってからは徹底的に伊勢流の儀礼・典礼の作法を叩きこまれた。このため諸事作法、華道、茶道に精通し、生半可な田舎公方の教養などはその足元にも及ぶものでは無かった。
これが晴氏の心に強く響いたようだ。関東の将軍家と持て囃されてはいるものの、やはり京の都には強い憧れもある。そこから抜け出て来たような芳春院には美しさに惹かれた他に、京文化への強い憧れの気持ちもあったのだろう。
またあるとき、古河の御所内で歌会を催した事があった。このとき、古河の御所に居並び詩を披露して行く晴氏直臣の中でも、その隣に侍っていた芳春院の歌は群を抜いて見事なものだった。列席した直臣達も歌の見事さに打たれ、芳春院に一目置くようになって行った。晴氏にしてみれば歌に現れる教養の深さが心地よく、尚更情愛が増してくる。このために歌会には必ず同席させるほどになっていた。
祝福された輿入れであっただろう。
それは関宿から梁田高助の姫を迎えても変わらず、子を生した今でも仲睦まじいことが証明でもある。
「なにかあったのでございますか?」
芳春院が再び晴氏に微笑みながら問いかけた。
「いや、今暫し口には上らせまいぞ」
そう言って溜息と共に微笑みを見せた。
「なれば上様、今少しご酒をお食べになりませ。気分が晴れましょう」
微笑むと、その場にぽっと花が咲いたようで、晴氏の心はときめいた。指の動き、手の表情までもが美しく見える。
「酒はいらぬ」
侍女を呼ぼうとした芳春院を手で制すると、芳春院を静かに抱き寄せて唇を合わせた。
政治的には北條家に良い感情を持ってはいない晴氏だったが、芳春院との愛情は家と家の関係ではなく二人の間のもの。
口を離し芳春院の眼を暫く見つめた後、そっと肩を掴み、静かに横たえた。
障子から差し込む秋の日差しは優しく居間を温めている。
「上様、このような所で」
晴氏は芳春院の着衣を一枚一枚ゆっくりと外してゆく。
嫋な花を愛でるような仕草だった。
それに答え始める芳春院は男としての晴氏の優しさを感じていた。
秋の日は釣瓶落とし、優しく居間を温めていた日の光は既に夕暮れとなり秋の夜長で愛でる名月が薄く東の空に昇り始めた頃。
居間がうす暗くなり、芳春院が幾度目かの恍惚を迎えてから晴氏は身を離した。
「そなたの兄弟と我が古くからの家臣じゃ」
上気させた顔で襟元を整える芳春院に向かって言葉をかけた。
「何が、でございましょう」
「今、武蔵では両上杉が河越城を攻めている。そして駿河では今川と武田が手を結び氏康殿を攻めているのじゃ」
この言葉で芳春院は晴氏の言っている言葉の意味を理解したようだ。
「それで上様はどちらに御味方申し上げるかお悩みだったのですね」
芳春院の顔に影が差したように見えたのは気のせいではないだろう。
「儂はどちらにも付かぬ心算ぞ」
晴氏の言葉は弱く響き、心の不安定さを露呈している事が当の晴氏にも止められない。
「上様は私に遠慮されておられるのでございますか」
「遠慮などは」
晴氏の言葉は途中で止まった。どちらが古河足利家にとって利となるか。
「儂には決められぬ」
日も暮れ、居間が暗くなった頃を見計らい、芳春院の侍女が燭台に火を差しにやってきた。手慣れた手つきで燭台の蝋燭に火を移し、そっと出て行く。
火明かりに居間が照らされ、淡い光が満たされた時、芳春院が晴氏に語りかけた。
「実家を攻めらるるは悲しきこと。なれども上様は関東を統べらるるお方です、思うままに進まれて下さりませ」
「そなた、本当にそれでよいのか?」
「武門の家ではそれが定めでございましょう。既に我が身は足利家の御台所でございます」
「左様に思うてくれるのか」
晴氏は芳春院の気遣いが嬉しかった。
「されど、今暫し考えよう」
晴氏は立ち上がり、芳春院の居間を後にした。
この晴氏がどちらにも加担しないとの報を長久保城で受けた氏康は、まずは重畳。目の前の今川勢に力を注げると安堵したようだ。
しかし長久保城を取り囲む今川の勢いは殊の外激しく、長久保城外での戦闘ではじりじりと押され始めている。
これは義元が、河越城を上杉が包囲している事に加担している為に、北條が今以上の人数を整えられないと踏んで遮二無二強硬に出ている為だろう。
更には武田勢とも共同している事にも原因があるようだ。
(この城を捨て、今少し後方に引くが良策か)
今川勢の攻勢に、氏康が長久保城からの後退を考え始めた。
(河越への援軍を送るためにはこの河東の地を一時手放し、今川の動きを止める事も策かもしれぬ)
陣幕中で河東の絵図面を見ながら戦略を練っていたその時、陣幕の外から不意に来客が告げられた。来客を告げた使い番が陣幕の裾をめくり内に入ってくると、床几に座る氏康の前に片膝をついた。
「御屋形様、武田の使者と申す者がやって参りましたが、お会いなされまするか」
「武田の使者と?その者、名をなんと申した」
「山本菅介殿と申されました」
「菅介か」
「知っておられまするか」
氏康は先の武田北條同盟の使いとしてやってきた菅介を思い出した。
「よかろう、通せ」
頭を下げながらさっと使い番が陣幕を出た。菅介はすぐそこまで来ていたのだろう、直後に使い番に案内されて陣幕内に入って来た。古い怪我を負っている足取りは以前のままだった。
「氏康様、此度の開戦、この菅介まことに心痛の極みにございます」
菅介は氏康の座る床几の前に行くや否や、地面にべたりと座り、両手を付いてまずは開戦してしまった事を悔やんだ。
「うむ、今川との事は致し方あるまい。この河東の地は我が父の代から因縁のある土地故な」
氏康は菅介を見ずに鞭を両手で弄んでいる。
「されど先の年、武田家と同盟を結んでいた気がしたが、これはどういう風の吹きまわしじゃ」
「は、我が武田家と致しましては、今川殿は御屋形様の義兄上様、形だけでもお味方致さずば……」
言い淀む菅介が皆まで言う前に氏康の笑い声が響いた。
「良い良い、したが晴信殿も中々食えぬお人よのう」
氏康は相好を崩し、鞭を肩にかけた。
「晴信殿の姉上は義元殿の正室、これを優先するのは事の道理よな」
菅介はこの氏康の笑いに救われた気がした。
「して菅介、わざわざそなたが此処まで出向いたは如何様な要件があっての事じゃ」
「先の北條家との同盟を一方的に破ってしまった武田家の罪滅ぼしとして、この戦、止めさせとうございます」
「矢止めの仲介か」
「いかにも」
「したがこの河東の土地を、今川は手に入れずば収まるまい」
「収まらぬでしょうな」
相も変らぬ、ぬけぬけとした物言いである。菅介の言葉に氏康は面白みを感じた。
「武田の仲介にしてはあまり良き土産話とは云えぬぞ」
「申訳もござらぬ。したがこのまま戦続かば、北條方は損害が計り知れぬ程になりましょう」
「損害とは」
「河越の事」
「知っておったか」
「如何にも。武蔵の事、武田にも伝わってござる」
氏康は菅介との言葉のやり取りを楽しんでいる風でもある。
「今川との矢止めな、ふむ、成程、晴信殿は我が北條に恩を売る心算なのだな」
「恩を売るなど滅相もございませぬ、我が武田家もできる事ならこの戦、直に終わらせて信濃に向かいたいのが本音でございます」
「左様であるか」
「如何でござろう、北條家には河東の地を去って頂く事を条件に、我が武田家が今川家と北條家の矢止めを取り持つ事に納得して頂けましょうや」
「今川の河東統治の悲願を叶え、我が北條にも恩を売る。なかなか才覚よの、菅介」
「いえ、左様な事はとてもとても。偶然にそうなっただけにござる」
「まあよいわ。晴信殿にはよしなにな」
「畏まりましてございます」
(なかなかやりにくい御仁である事よ)
氏康に見抜かれた事に気付いた菅介、背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じていた。
そして天文十四年十月、菅介の奔走が功を奏して武田家からの使いが今川家に入ることになり停戦が成立する運びとなった。
翌十一月、義元と氏康が大原崇孚を交えて誓詞を交わし、長久保城を明け渡すと同時に河東の土地を今川家の領地として認め、北條軍を小田原に撤退させる。
ここに今川・北條の戦闘は終結し、これが後に第二次河東一乱と言われた合戦である。
このとき、お歯黒の武将と表情が変わらない僧侶が陣内で祝杯を挙げていた。
「流石御師様にございまするな、見事河東の土地を北條より取り返す事が叶い申した」
「これより御屋形様は西へお向かい下され。京の道のりは戦乱の中で荒れ果てておりまする故」
「遠江・三河にございますな。御師様が居て下されば容易い事にございましょう」
この時の義元と崇孚二人の会話が、後に上洛戦田楽狭間に繋がるのだが、それは先の話。
今川勢は、義元と無表情の僧侶に引かれて駿府屋形へと引き上げて行った。
一方の河越包囲軍では今川、北條の仲介を武田が始めた十月、このとき再び古河の晴氏の元に難波田善銀と小野因幡守がやって来ていた。
中立の立場を表明した晴氏を、更に説得して上杉方に引き込むための使者である。
(この戦、公方様の御旗を是が非でも引き込み、氏康を前後から挟み撃ちしている今こそ北條を討ち滅ぼす好機とせねばならぬ)
この善銀の思いは断ちがたく、一度中立と意思表示をした晴氏を何としても河越包囲網に引き入れたかった。
本気で関東の豪族を纏め上げ、旧来の公方を頂点とした支配体制を復活させることを考えていたようだ。
この思いを胸に、再び梁田晴助を頼って目通りを許されていた善銀。晴氏と謁見の間で対面が叶うと、晴氏に公方復権を熱く語り始めた。
「昨日、北條よりの使者を受け入れ我ら管領にお力添え下さらぬと伺いましたが、それは御心ちがえにございますぞ」
そう善銀が口火を切ると、善銀と打ち合わせていた因幡守も続いた。
「そもそも管領と公方は水魚の交わり。残念ながら長年君臣の間は思わしくなく世の乱れともなりましたが、此度は他国の凶徒を討ち、君臣一体となり在りし日の公方様ご治世を迎える為に兵を上げたのでござる」
「左様、小田原の北條家は公方様の縁者でもあります故不憫ではありましょうが、早雲から三代、北條が掠め取った伊豆・相模・武蔵はいずれも公方様御領国の内でございます」
「いまここで北條を討ち滅ぼさねば、いずれ管領家も、また恐れ多くも公方家も滅ぼされる事は疑いもない事」
「共に氏康を成敗せねばなりませぬ」
一気に畳みかけた二人に晴氏は気圧された。
善銀と因幡守は晴氏をじっと見つめて一度間を取ると、晴氏は自らに問うように言葉をかえした。
「そち達は、まこと公方家の旧来の勢力を取り戻せると思うておるのか?」
晴氏の弱く静かな声が流れるを聞いた善銀、ここぞとばかりに声を張り上げた。
「今この時、管領が関東を平定するために既に兵をあげましてございまする。ここで管領に御加勢下さり、御代を治めて下さりませ」
善銀の声が終わると、謁見の間には暫し静寂が訪れた。
蔀戸と障子が開け放たれた謁見の間に初冬のやや凍えた空気が流れ込み、そこの主人晴氏と、客となった善銀、因幡守の頬を弄って行く。
雀の囀る声も聞こえ出したころ、晴氏の口から公方、管領の運命を決定する一言がぬるりと吐かれた。
「相わかった。此の度の管領家の足労、まこと古河足利家の今後を思うてくれた忠義と、この晴氏、感じ入った。今より我が旗を管領家に差し下そう。鎌倉への道筋を付けよ」
「有難き幸せにございまする」
平伏する二人の使者を尻目に晴氏は声を上げた。
「誰ぞある、中務大輔(なかつかさのだいぶ:梁田晴助)を呼べ」
古河の御所に参内していた晴助が間もなく御前に参上すると、晴氏の命が下された。
「宇都宮(尚綱)、小山(高朝)、結城(政直)、小田(政治)に、河越城攻めに参戦するよう我が命を差し下せ」
「はは、早速に早馬を差し下しまする」
この日、梁田晴助、難波田善銀にとって最良の時であっただろう。念願であった北條征伐が公方の旗印の元に実現する運びとなった。
そして天文十四年十月二十七日、晴氏は軍を興し管領上杉家の囲む河越城に出陣すると、陸続と公方の下命を受けた大名豪族たちが河越城下に馳せ参じ河越包囲軍の人数は八万騎にまで及んだ。
見渡す限りの大軍勢が其々の旗を雲霞のごとく靡かせ、地を埋め尽くしていた。