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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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佐衛門

 小田原伊勢家と古河足利家の婚儀の使者が出入りをしていた頃、甲斐の国は武田信虎の手中にほぼ治まりかけていた。しかし隣国の安定は当国の危機とばかりに駿河今川家の当主氏親は甲斐の国人領主、大井信達の後押しをして甲斐の国の切り崩しを画策していたのだが、衆寡敵せずと見て取った大井信達は、駿府今川家と手を切り、娘を信虎に嫁する形で和睦を図る事で一応の安定が実現されていた。この息女が後の大井夫人と呼ばれた武田信玄の生母である。

 ちなみに先年、信虎は石和から躑躅ヶ先に館を移している。

 これによる甲斐の国の更なる安定を恐れた氏親は、福島くしま正成を総大将として一万を超える軍勢を持たせて富士を迂回させ、甲斐南部より侵攻させた。

 時は大永元年二月二十七日。翌二十八日には川内を占領して甲府盆地へ侵攻する。

 この合戦により正成は富田城、勝山城を抜いてから数カ月は平穏を保っていたが、十月に入ってから甲府の各砦を攻略し、破竹の勢いを以て躑躅ヶ崎の信虎に迫っていた。

 躑躅ヶ崎の館ではこの今川軍の侵攻に対する軍議が開かれていた。

 軍議には甘利備前守虎泰、板垣駿河守信方、飯富兵部少輔虎昌、小山田備中守虎満、原美濃守虎胤などが具足姿で同席している。評定の間では諸将同席の中、存亡の危急に緊張した空気が流れていた。

 緊張の余り、躑躅ヶ崎の主である信虎の出席があっても沈鬱な沈黙の時が流れていたが、まず評定の口火を切ろうと甘利虎泰が口を開いた。

「御屋形様、今川の軍勢が富田城、勝山城を抜いて早この躑躅ヶ崎に迫っておるとの事にございまする、籠城致しまするか、討って出まするか」

 沈黙を打ち破った甘利の言葉ではあったが、それを聞いて即座に反発する者が居た。

「しかし討って出るにしても人数が違いすぎまする、躑躅ヶ崎に籠り、愈々の時は詰めの要害山城に籠る事が得策かと」

 これは小山田虎満。虎満は籠城を主張するようだ。板垣信方も人数の違いを脅威と感じていた。

「今川方は一万五千と聞く。当方は僅かに二千。まともに当たれば勝負にならん」

 信虎は沈痛な面持ちで家臣の進言を聞いているようだ。黙ったまま皆の言葉を聞いている。しかし目だけは輝きを放っていた。

「御屋形様のお考えを聞かせて頂きたい」

 板垣の催促にも信虎は、うむ、と言うのみで特に言葉らしいものは発しなかった。目を閉じて腕を組みながら沈黙したままである。

 これを見た重臣達は信虎を尻目に其々に意見を出し合うが、軍議が始まって既に一刻ほどが過ぎただろうか、一向に事が決まらないままだった。

 いたたまれなくなった板垣信方が、これは籠城するに決するかと口走った時、信虎の口が開いた。

「決まったか?其々の意見も信方も籠城と、そう思うか。ならばこの戦、籠城はせぬがよいか」

「なんと言われまする」

 知恵の底も尽きての沈黙かと思っていた信虎の思いもかけぬ一言に、重臣達は驚きの声を上げた。

「その方たちが皆籠城策を採ると云う事は、今川方でもそう考えるであろう。ならば裏をかき、虚兵を以て人数を誤魔化し、野にて一戦を交えようと思う」

「しかし万一の事があっては」

「戦に万一などは腐るほどあるわ。まずは身重な室を要害山城に移し、守りの兵を幾人か残したら全軍で飯田河原に向かい今川軍と一戦に及ぼう。まずは皆、支度せい」

 信虎の一声で甲斐の国人達は躑躅ヶ崎に参集したものの、未だ甲斐の勢力は後の世の様な主従関係は無く、国人領主達の集りの中、頭一つ抜けている信虎を盟主としているに過ぎないためこれから先はどう動くか分からない。信虎一人の力量にかかっていると言えた。

 軍議を終えて各々の陣所へ帰る道すがら、小山田虎満が板垣信方に馬を寄せ不安な胸中を打ち明けた。

「板垣殿、信虎殿の軍略は中々と聞くが、油川信恵殿と戦った御主なら分かるだろう、この戦、どう見る?」

 信方は虎満をちらりと見てから笑みを向けた。

「御屋形様の軍略は時として思いもよらぬ所から日が差すこともある故、某には思いもよらぬ事。此度は余りにも寡兵故籠城を進言仕ったが、何やら秘策が御有りの御様子。儂は御屋形様の策に乗ってみようと思う」

「しかし、一万五千に対して二千では勝負になるまい」

「人数では今川の勝ちだが、地の利は我が方にあると思われぬか?」

「そうではあるが」

「なに、死ぬるは一定じゃ。甲斐を枕に壮大な討ち死にを遂げるも一興よ」

「そうは言えども中々に放下できぬものよ」

 放下ほうげとは禅の用語で全ての執着を捨て去る。との意味らしい。

「なに、放下等と大層な事はせぬ。甲斐の国を守りたい一心じゃ」

 信方が大笑いをしながら去ると、虎満も何やら妙な悟りを得たかのような顔をして陣所へ向かった。

 この後、信虎は懐妊している大井夫人を詰め城要害山城に送り届け、国人達を引き連れて飯田河原へと出陣している。

 そして十月十六日、今川軍と飯田河原で相対した。

 この時の信虎の兵力僅かに千人。

 信虎はここに到着する直前、兵の半数を割き別働隊として今川軍の布陣する対岸近くの森に伏せさせていた。

 史実とされる資料では、今川軍の布陣した場所は登美の龍地台と言われ、旧双葉町、今の甲斐市であったとされる。

「おぉ、今川の雑兵どもめ、随分と集まったものじゃ」

 意外にも信虎の目は笑っている。

「左様でございますな。この数の軍勢を相手にしたとなれば我が一代の誉れ、是非某に先陣を賜りたい」

 信虎の隣に侍る甘利が目の前に居並ぶ今川軍を見て多少の興奮を覚えているようだった。

「甘利、そう急くな。この戦、儘に切り込むこと罷りならん」

「ならば如何なされます」

「儂は今川の餌となる」

 甘利は一瞬耳を疑った。

「何と仰せられました」

 首だけをくるりと甘利に向けた信虎は意外にも笑顔だった。

「餌じゃと申したのよ。今川との差は歴然じゃ。ならば本陣の福島を討つより活路はあるまいて」

「如何にも左様でございまするが……」

「儂は福島の本隊を目掛けて全軍を以て討ちかかる。さすれば今川はどう動く?」

「包み討ちにされまする」

「うむ。それでよい」

「何故にございまする」

「包み討ちになれば本陣の後ろは何者も居るまいな」

 甘利はここで、あっと声を出していた。

「軍勢を半ば割いたのは敵本陣を後より討ちかかる為にござったか」

「相手の虚を突かねばこの戦、万一の勝ちを拾う事もできまい」

 信虎は手持ちの兵を纏め上げ、自ら馬上の人となった。

「これより今川勢本陣を突く、よそに目を呉れるな。首は討ち捨てに致せ。持ち帰る事罷りならん。皆々の獅子奮迅の働きを見せよ」

 軍配をかざし、対岸の今川軍に振りかざした。

「鬨をあげぃ」

 甘利の号令で千余人が甲斐の空に轟く鬨を上げた。

 これに呼応して今川軍一万五千も鬨を上げ、押し太鼓が鳴り響き、どっと川を押し渡り始める。

 騎馬隊を中にして両脇を足軽で固め正面の今川軍本陣を目指して討ちかかって行く甲斐軍団。数で勝っていた今川軍だが、勝利を疑わない軍勢は死を避けるものだ。決死の武田勢を見て先陣が浮足立った。

「なんと、信虎殿が先陣を切ってかかって来たか」


 今川の主将、福島くしま正成も武勇の誉れ高き人と言われていた人物であったが、この時の今川軍はあまり統制が取れていなかった。

 この今川軍が甲斐に攻め入った時期は二月。そしてこの合戦は十月と、当時としても同一の侵攻戦としては妙に日数がかかっている。

 これは先の富田城、勝山城を攻め落とした時に本国の氏親から、まずはその二城に入り守りを固め、国人達の切り崩しをせよとの下命があったにもかかわらず、勢いに乗った福島正成が独断で躑躅ヶ崎攻めを始めようとしていた為に氏親の勘気を被り、甲斐攻めの総大将と家老職を解かれてしまっていた為だ。

 そしてしばらくはその二城に籠っていた正成だったが、もともと氏親と反りが合わなかった正成は、強硬に躑躅ヶ崎攻めに向かう事になる。このため軍勢の士気の上がらぬ事甚だしかった。

 今川軍の士気が落ちている事を敏感に感じ取った正成は数に任せての総攻めで短期決戦に挑んだのがこの合戦である。

「小勢のやつばらに何が出来ようか。押し包んで討ちとってしまえ」

 正成の号令の元、今川軍は武田軍を取り囲むように包んで行った。

 武田軍後方を開けた状態で包囲し、中軍と両側面から早鐘を打ち鳴らし足軽が武田軍に討ち入る。

 しかし両脇を固めた武田軍の足軽は手強く、なかなか突き崩せない。一人を討ちとってもまた一人、二人と内側から湧いて出てきたかと錯覚するほどであった。

 武田軍一千に今川軍一万五千が翻弄されている。

 信虎の思惑通りに正成本陣の懐深く武田軍が押し込んで行くと今川軍は乱れに乱れた。それと呼応してもう一つの武田軍が正成本陣の後ろより討ちかかって来た。

 板垣信方の率いた別働隊が今川本陣に攻撃を仕掛けたのだ。是により今川本陣が混乱に陥ってしまった。

 陣幕後方での鬨の声と思しき騒ぎが起こると馬の蹄の音や槍を打ち鳴らす音が聞こえてくる。正成には足軽達の喧嘩のようにも聞こえていた。

「何事じゃ」

「は、見て参りまする」

 正成が問いを発すると、馬回りが数人陣幕を出て行ったが、すぐに青ざめた顔で戻ってきた。

「武田軍が間近に攻めよっておりまする!」

「なに!?武田勢は目の前に居るではないか」

「伏せ勢と思われまする。このままでは本陣が先に打ち崩されまする。疾く疾く御退却を」

 正成は一瞬呆けたが、直ぐに歯をぎりぎりと鳴らした。

「信虎め、謀りおったか」

 よほど腹に据えかねたのか、一度軍配を草摺りに討ち当てた。

「やむを得ん、ここより勝山城まで引き、陣を立て直す」

 正成の退き陣の下知で敵味方が混乱する中、段々と今川軍は武田勢の前から姿を消して行った。


 今川勢の引いた飯田河原にはあちこちに討ち捨てられた遺骸が残り、午後の残照に照らし出されていた。

「今川は引いたな」

 幾人もの今川勢を槍の錆にしてきたのだろう、吹き返しに今川勢の帰り血を浴びていた甘利だったが、具足の至る所に槍傷が付いている。武田軍の大勝利とは言ってもやはり人数の差は大きく苦戦であった事は間違いがなかったようだ。

「はい、とりあえずは今川を押し出しましたが、この後はどうなるか」

「甘利よ、今川と当たってみて何か妙ではなかったか」

「はい、それがし初めは気が付きませなんだが、途中より何か奇妙な感じを受けました。こちらを寡兵とみて侮っていたのか、妙に動きが鈍かったような。あれでよく勝山城と富田城を抜く事ができたもの」

「やはりそう思うか。もしかすると今川の中で何かあるのやもしれん」

「では忍を何人か送り込み、探らせてみましょう」

 この武田家の忍は後年、三ツみつものと呼ばれ、武田信玄に組織化されて大いに諜報活動を行い、そのため信玄が足長入道と渾名されるまでになる。

 この合戦の直後、飯田河原より数町離れた小高い丘に陣を構えて今川勢に備えていた時、大井夫人を避難させていた詰城要害山城から信虎の元に吉報が届いた。

 嫡男勝千代の誕生の知らせだった。

 勝千代、通称太郎。後年武田晴信と名乗り、官位を大膳大夫、法号を徳栄軒信玄と云い戦国大名随一の勇名を馳せる事となる。

 この知らせを受けた武田陣営は、先の今川軍を撃退した快挙に続き、武田家世継ぎが誕生した事で愈々士気が上がった。

 飯田河原から勝山城に入城した今川軍内部では、この正成の強引に戦端を開いた上の敗戦と、駿府城からの命令違反を重く見た与力衆達が正成を見限り次々と帰国の途についていた。

「殿、与力の衆達が次々に陣をたたみ、この勝山城から退いておりますぞ」

 知らせを持ってきた者は正成の同族であるが家臣となっていた福島くしま某とか名乗る武将だった。

「去る者には去らせよ。意気地のないものに用は無い」

 正成もこの躑躅ヶ崎攻めに後ろめたい部分もあったせいで、退き陣をそのまま放置せざるを得ない状況に陥っていた。

 この事が正成の焦りに拍車をかける事となる。

「事が全てに広がる前に信虎との勝負をつけねばならぬ」

「しかし我が軍はだいぶ士気が落ち、戦を厭う心根が広がって居る様子、ここは駿府の御屋形様の御下知通り、この勝山城と富田城を抑えては如何に」

「氏親殿か。しかし儂は軍令違反と敗戦を被っておる。家老職も解かれておるからの。愈々の時はこの正成、この勝山城と富田城を以てここ甲斐にて独立いたすわ」

「何と言われます、もはやこの甲斐は信虎殿の元に一つになりつつありまするぞ。そこに二城のみを盗ったからと言って駿府の後押しもないまま、易々と甲斐国内に自領を維持できるとは思われませぬ」

「その前にこの戦にけじめをつけねばなるまいて。話はその後じゃ」

 この後正成は時を置かずに陣触れを出して今川軍を上条河原へと押し出した。

 そのころ武田では、三ツ者が武田陣営に戻り甘利虎泰に見たままを報告がなされていた。

「そのような事があったのか」

 すぐさま信虎の元へ向かい本陣陣幕に入ったが、信虎は小姓に給仕され食事の最中だった。

「甘利か、如何した」

「は、三ツ者が戻りましてございます」

「して、今川はどんな様子だと申して居るか」

「御屋形様の読み通り、今川軍の内側は紐のほつれたしころのようになっておるようです」

 信虎は香の物を口に放り込み、ばりりと音を出して噛み砕いた。

「なるほど、今川は纏まっておらぬか」

「御意、更には今川より福島くしま正成に付けられた与力共も陣を離れておるげにござる」

 それを聞いた信虎は、湯漬けをかき込み更にもう一碗小姓に催促するように碗を突きだした。

 替わりの碗を小姓から受け取った信虎に甘利が報告を続け、今正成殿は上田河原へ勝山城を出て侵攻中と告げると、信虎は替わりの湯漬けを一気に喰らって袖口で口を拭い開口一番陣触れの下知を出した。

「さぁ討ち出すぞ、出陣じゃ」

「しかし今度こそ隙がないかも知れませんな」

 甘利が一抹の不安を告げると、「夜だよ」そう一言信虎は呟いた。

「は?何が夜なのでございますか」

 甘利は信虎の、妙な言い回しに何かの期待を込めながら聞き返した。

「甘利よ、昼の内の合戦は今川から攻められるまで兵に手出しはするなと伝えておけ」

「どういう事でござる」

「乾坤一擲勝負をかけるは夜戦に限ると云う事よ」

「もし攻められれば如何致しまする」

「逃げよ」

 このときになり甘利も信虎のやろうとしている事が分かり始めた。

「御意にござる」

 この後武田軍はすぐさま今川軍の展開する上条河原に出陣し、同時に飯富兵部、原美濃守に命じて着陣する付近の森の至るところに花菱紋の幟を立てさせた。

 今川軍の本陣から武田の陣を見ると、森の中に打ち立てられた旗指物で倍にも膨らんだ軍兵が至る所に布陣したように見える。

 その様子を見ていた正成は見事に信虎の策に嵌っていた。

「信虎め、何時の間にこのように人数を集めたか」

 すぐさま正成は兵を繰り出し武田軍に攻め寄せたが、しかし先の飯田河原での戦いと違い武田軍は押せば引き、引けば今川軍の鼻先まで寄せて来るばかりで一向に決戦を挑んでくる気配がない。

「なんじゃこれは、武田は儂を愚弄しておるのか」

 正成は戦況を見ながら一人床几に腰かけ呟いていた。

 おのれ信虎め、我が方が多勢な為に総力戦を避けておるのか?ならば何処へとも追い詰めるべきか。しかし、あの旗指物の数を見ると少なくとも七千か八千は兵が居ると見ねばなるまい。どうするか。

 そして、しばらく布陣を見ていると、ふと気が付いた。

 武田勢は此方が動かなければ全く陣から離れようとしないのだ。

 これはもしや、虚兵か。

 信虎の策を察知した正成が一軍を以て信虎の本陣と思われる花菱紋の指物が林立する陣に押し出してみる事にした。


 これと少し前後するが、武田の陣営では飯田河原の後に信虎に呼び出された二人がいた。

 一人を萩原常陸介と云い、もう一人は原美濃守虎胤だった。

「お呼びでございましょうか」

「うむ、これより二人にやってもらいたい事がある。そなたらは今より近在の村に赴き百姓をできるだけ集めて我が軍兵に化けさせよ」

 これを聞いた萩原常陸介は一瞬ではあるが困惑した。

 このような戦の最中に徴兵などに行っては百姓が全て逃散してしまうだろうよ。しかも我らの内情を知っておる者どもから見れば衆寡敵せずとみて今川に付いてしまうこともあろうだろうに。ここで百姓の恨みを買うのは不利じゃ。そう考えながら問うてみた。

「徴兵するのでございますか」

 不安が顔に出たのだろうか、信虎の返事は笑いながらの否だった。

「常陸介、百姓供には戦働きはさせぬ。一人が、二~三人分の旗指物を担いで今川のいる左右の森に集り大声で喚かせるだけじゃ」

「槍働きではないのですな」

「そうじゃ。わかったなら早よう行け」

 信虎の下知を受けると二人は郎党を数人引き連れて別々に近在の村に向かい、百姓を集める事となった。


 常陸介が近隣の、まだ戦の影響を受けない距離にあった村に入ると、ここの人間も戦の噂を聞きつけているようで警戒心がかなり強い。どの百姓も常陸介の一行を見た途端に家に閉じこもって行く。

「殿、これは些か難しいかもしれませんな」

「うむ、しかし時が無い故、何としても連れてゆかねばならぬ」

「脅しをかけまするか」

「それはならぬ、とりあえず話をしてみねばな」

 そう話しながら村の中で一番大きな建物を目指して歩いて行くと、村のほぼ中央に板塀が結いまわされた一軒の屋敷が現れた。おそらくここがこの村の年寄おとなの家であろう。

 供の家臣が早速土間に入り家人を呼ぶと、奥から三十絡みの下男が現れた。

 急に侍共が現れたので少々緊張しているようだが、何用でございましょうといぶかしむ目を向けた。

「此方はこの村の年寄おとなの家と思うてやって来たのだが、主はおられるか」

「貴方様方はどなた様でございましょう」

「某は武田家中の萩原常陸介と申すもの、火急の用件があって参ったのじゃ」

「お城の殿さまの御家来衆でござりましたか。それでは少しお待ちくだされ」

 下男が家の奥に入って間もなく、ここの主人と見られる五十を一つ二つ越えた程の人物が現れた。

 その主人が常陸介をチラリと見ると、迷惑そうな顔をした。

「何用で参られたのじゃ。小具足の形で参られるとは、戦に駆りだそうとお考えか」

 小具足とは甲冑の胴と兜を脱いだ姿だ。

 百姓の言葉とは思えぬこの主人に違和感を思えながらも、「おぉこれは、ははは、これでは怪しまれるのも致し方がないな」そう屈託のない笑い声をあげた。

「某は武田家中の萩原常陸介と申す者。只今戦陣から使いで参った故この形をしておるが、この村から男どもを兵として戦に駆りだしに参ったのではないのだ」

「では何をしに参られたので」

「兵として駆りだすわけではないが、ちと手助けをしてもらいたくての」

「血が流れるのでございまするか」

 この屋敷の主人の目が常陸介を拒否するように動いた。

「血は流れぬ。これは儂が一命を賭して約束致そう」

「いかような事をお望みなのでございましょう」

「うむ、この村の老若男女は問わぬ故、儂と共に付いて参り今川の軍勢の矢が届かぬ所で大騒ぎしてもらいたいのじゃ。ときに主よ、そなたの名は何と申す」

「儂は長佐衛門でございます」

「では長佐衛門、この村の年寄おとな達を集め、この戦の後詰に集ってほしいと口説いてくれぬか」

 長佐衛門は即断出来ずに常陸介を見つめた。

 この村は武田家の領地の一部でもあるので、この厄介な使者を追い返した場合後々無理難題をふっかけてくる恐れもあるため悩み始めた。

「ただでとは言わぬ、勝利の後には褒美も渡そう」

 長佐衛門がまだ渋っている。

「年貢も一年免除致そう」

 この言葉には常陸介の家臣が驚いたが口に出してしまったものは仕方がない。

「左様にございますか、ならばこの屋敷でしばらくお待ちくだされ」

 そう言うと仁佐衛門は常陸介一行を客間に上げ、先ほどの下男をもてなしとして残し自らは村中に足を向けた。そこで村人たちを募り、やや時間は掛ったが先ほどの話を始めた。

 常陸介一行が待つ事一刻余。

「萩原様、儂等百人に足りないがお手伝いを致す事にしました」

 長佐衛門は村人を引き連れて常陸介に返事を持ってきた。

 あまり乗り気ではないことが顔にありありと出ていたが、そこに頓着はすまい。

「かたじけない。宜しく頼む」

「そしてこれは」と、一人の小兵な男を指さし、「この者が皆をまとめます、名をすけと申しまする」そう紹介をしてきた。

 すけ、と呼ばれた男が常陸介に会釈をした。

「うむ、では付いて参れ」

 こうして常陸介は信虎の言いつけどおり、今川軍の届かぬ川岸の森に人数をひそめる事ができた。

 そして原虎胤の一団と合流すると、この虎胤も一廉の男だけに無難に農民たちを徴集してきたようだ。

 そして武田の陣近くまで移動してくると、信虎からの下知が届き今川軍対岸の森に人数を潜ませ待機することになった。

「さぁ、おぬしらはここで潜んでおれ。決して今川に悟られぬようにな」

 自ら引き連れてきた農民たちを森に隠しながら虎胤に声をかけた。

「虎胤殿も大分人数を連れて来られたようだが、百姓をどう口説いたね」

「なに、我ら武田が敗れた場合は駿府の今川に田畑を荒らされるぞと言ったまでじゃよ」

「なるほど」

 常陸介はこれ以上聞いても本心は出まいと悟りうなずくにとどめた。

 そこに信虎からの使いが現れ、常陸介に、直ちに本陣に参るよう呼び出しがあり、代わりに飯富兵部が夥しい花菱紋の描かれた指し物を持って現れた。

 その事をすけに伝えると、不安げに常陸介様が采配を振るわれるのではないので?と問うてきた。

「采配を振るうものが変わっても今川の矢は届かぬ所で働くのよ。安心いたせ」

 そう言ってすけ達を安心させてから常陸介は武田本陣に向かうと、入れ替わりに飯富が集められた百姓たちにこれからやってもらう事の説明をはじめ、持ってきた指し物を一人数本ずつ配りはじめる。

「よいか、これよりこの指し物を持ち歩き、森の中で大人数が陣を張ったが如く押し並べるのだ。ある程度ばらばらに散ったのち合図するゆえ一気に指し物を掲げよ」

 百姓たちがざわめき始めたので続けて、「一人何本も持ち歩くと一つ所に指し物が寄り集まって今川に怪しまれる。よって一本のみ持ち歩き、残りは近くの木々に結わえ付ければよい」そう命令を下した。

 「えーい」との百姓たちの返事が聞こえると、飯富兵部の郎党が百姓たちに次々と指し物を配り始め全員に行きわたったとき、先の信虎の下知が伝わって来た。

「御屋形様がこの近くの上条河原へ出陣する。よって儂等に今いる森の至るところに花菱紋の幟を立てさせよとの下知が参った。今より散らばって合図を待て」

 そう百姓達に伝えて森の中に潜ませた。

 飯富兵部、原美濃守に率いさせた百姓たちが一斉に花菱紋の指し物を森の中に乱立させると、その行動に反応するかのように福島正成率いる今川軍が信虎率いる甲州軍に打ちかかって行くのが見えた。

 まさに押さば引き、引かば押すの繰り返しで今川軍を嘲弄しているような戦ぶりが見て取れた。飽くことなく繰り返されたその行動は、今川軍の次の行動で均衡が崩れる事になる。


 福島正成が信虎の虚兵を怪しみ、今川軍の先軍が百姓の持ち支えた花菱紋の指し物に押し寄せる気配を見せた。そこに百姓達が百数十人いる他は飯富兵部と原美濃守の郎党が合わせて二百人程度いるのみで、他には何もない。

「原殿、愈々今川の軍勢が参るようですな」

「うむ、今少し近づいてきたら百姓達に鬨をあげさせ、旗指し物を持って走りまわせましょう」

「その間に儂らは今川勢に切り掛り、御屋形本軍の歩みを助けられれば勝期が得られるかもしれぬ」

「百姓はどうされる」

「愈々敵が近付いたら勝手気ままに散り々々になって逃散するわさ」

「なるほど、ではその旨、百姓達に伝えて参ろう」

 虚兵の森の中でこの様な会話がなされているとき、今川軍に急報が届いた。

 馬上の正成に伝令の袰武者と駿府の使者がやってきたのだ。

 どうやら先に駿府に陣を離れて行った武将たちが、正成が甲州で気ままに戦を仕掛けていると報告をしたのであろう。その諫言の使者だった。

「殿、駿府の御屋形様よりの使者をお連れ致しました」

 正成はチッと舌をならし、使者を迎えた。

「御屋形様の使者とか、何用でこの危急の戦場に参られた」

「福島殿、以前よりの御屋形様の御下知を忘れた訳ではあるまいに、何故にこのような所で戦をしておられる」

「目の前に敵の大将が寡兵でおるのだ、攻めぬ武士がどこにおろうか」

「しかし先の合戦では散々に打ち負かされたげに御座るな」

 正成の目に火が灯った。

「主は儂を愚弄しておるのか、早々に駿府へ立ち返り御屋形に伝えよ、正成は信虎を討ち取りこの甲斐に我が旗を揚げるとな」

「なんと申される、謀反を起こされるのか」

「さにあらず、出奔致し先の早雲殿と同じ道を歩まんとしておるのよ。さぁ駿府に立ち返えられるがよい」

「そのような事をして氏親様が許されるとお思いか」

「許されなくともこの戦、終われば儂は一国の主となっておるわ」

 使者は何事か言おうとしていたが、ふん、と鼻を鳴らしたあとは、しっかと承った。とだけ言い残し駿府に去って行った。

 そこに正成の家臣が近付き、正成の本拠の今後を不安げに聞いてきた。

「しかし遠州土方の勝千代様はどうされます」

 勝千代とは武田信玄の幼年期の名前と同じであるが、正成の一子である。

「そなた、これより陣を離れ土方の城へ立ち返り、急ぎ一族郎党を連れて小田原へ行ってくれ。氏綱殿の配下には、早雲公より家臣として付いておる親類筋のものがおる故、それを頼って出奔の手助けをするのだ」

「それはかまいませぬが、ここ甲斐に連れてくるのではないのですな」

「ははは、あたりまえじゃ。儂がここを盗ってもすぐには国人は従わぬ、まずは下準備をせねばならぬ」

「なるほど、では早速城に立ち返り仰せの通りに致しまする」

「うむ、たのむ」

 そう云って土方の城の手当てを家臣に任せると、早速陣を押し出す事にした。

 まずの狙いは花菱紋の旗指し物が林立する上条河原の森。

「あの森の旗指し物の群れ、先ほどから一向に動いておらぬようじゃ、おそらくは指し物だけが森にあるのじゃろう」

 正成は軍配を翳して上条河原を指し示した。

「川を渡りそこを我が陣とし、そこより信虎勢に襲いかかるのだ」

 くるりと軍配を振り降ろし総攻撃の下知を発したのだが、今川の軍勢はピクリとも動かなかった。

 与力の武将たちが先ほどの駿府の使者とのやり取りを聞いていたせいであろう。

「何をしておる、あの森に人数を送り込めと申しておるのだ」

 正成が怒気を発するが与力達はやはり動かない。

「正成殿、我らは今川の氏親様の下知で動いてござるのよ。お主の下知に今まで従うてきたが、先ほどの駿府の使者とのやり取りを聞かせてもらっては最早お主の下知に従う事はできぬ」

「儂はこれにて陣払いを致し、駿府に立ち返ることと致すわ」

「致し方あるまい。正成殿、お主も陣を払って氏親様に申し開きをする事が肝要じゃ」

 その他の与力達も、ほぼ異口同音に正成に別れの挨拶をして次々に陣を離れていった。

 これにより今川軍は、最早軍としての形が整わなくなり、正成の下知に従ったのは子飼いの郎党とその他、数える程の人数しかいなくなっていた。

「くっ、ここまで来て今更武田を放って帰れるか。かく成る上は我が郎党だけでも一戦交え、信虎を討ち取らねば」

 既に先軍を森に向かわせているため、この人数も離反されてしまえば万事休する。正成の焦りは目に見えて酷くなってきた。

「我が郎党のみで先軍と合流し信虎を討つ、皆々、しっかと付いて参れ」

 正成が馬に鞭を入れ真っ先に駆けだし、それに郎党達も続く。

 先軍に合流するのに左程時間はかからない。いきなり後方から自らの総大将が騎馬で合流してきたかと思えば、押し出せかかれの号令が伝わり、何が起こったのか良く分からないまま、ほぼ混乱状態で先軍と正成の本隊が纏まって突撃をする事になった。

 それを見た百姓との混成部隊である森の中では、「今川勢が押し寄せて来たぞ」と飯富兵部の物見の兵が叫んでいた。

「さて、百姓共に指し物を担がせ、鬨を作らせ走り回らせようぞ」

 飯富兵部がそう言うと郎党数人と共に百姓達の前に進み出た。

「主ら、いよいよ働いてもらう時が来た。ここを一所懸命に働いて今川を追い返すのじゃ。いざ鬨をあげぃ」

 流石に百姓達の鬨では豪勇を誇る武者たちの鬨に遠く及ぶまいと思われたが、どう言う訳か、百姓達の鬨の声は敵軍を気圧すかと思える程の響き渡る武者声を発した。これには自らの郎党にも鬨をあげさせるつもりでいた飯富兵部も少々気圧された。

「おぉ。百姓とも思えぬ鬨をあげおった。わははは、これは今川も怖気づいたじゃろう」

 この鬨の声に合わせて森の中では花菱紋の旗指し物が所せましと走り回り、まさに大軍勢がそこに駐屯していたかの様に見える。さらに飯富と原の手勢が槍の穂先を揃えて森からちらりと姿を現した。

「くっ、これは虚兵ではなかったのか。致し方なし、者ども、このままかかれ」

 自軍将兵に離反された上に読みが外れたと思った正成が悲痛な突撃の下知を下し、猛然と突きかかって行った。しかし、飯富と原の部隊は信虎よりの下知で、夜になるまでは敵に当たるなと云い含められていたので今川の軍勢が森に入る手前で百姓達を残してさっさと退却してしまった。

「なんと、本当に武田の御屋形の兵共が儂らを残して逃げて行きおったぞ」

「くそぅ、儂らを先に逃がしてくれると思っとったが、どうやら始めから捨て駒じゃったか」

「おいすけ、儂らはどうすりゃええんじゃ」

 すけも、このいきなりの捨て駒に驚きを隠せなかったが、急ぎ仲間を守る事が最優先と決めて皆をまとめた。

「儂らは武田に良いように使われたようじゃ。最早こんな指し物にも様は無い。逃げるためにも邪魔なだけじゃ、まずはこれを捨てて逃げるぞ」

 そう言うと真っ先に指し物を折捨てると皆を森の外に向かわせ走り始めたが、しかし馬と人の走る早さは比較にはならない。あっという間にすけ達は今川勢に追いつかれてしまった。

 この逃げ惑う人数に気がついた正成が良く目を凝らすと、誰も具足姿の者はいない事に気が付いた。

「おのれ武田め、これは百姓ではないか。やはり儂を謀っておったか。罪のない百姓には哀れじゃが全員討ち取り、武田の味方となった事への見せしめと致せ」

 正成の号令に騎馬の部隊が百数十人の武器を持たない百姓達に襲いかかって行く。と、その矛先が届くかと思われた時に、今川勢の側面から大音声で呼ばわる声が挙がった。

「今川の福島正成殿とあろう者が百姓に槍を付けるか」

 声の主は荻原常陸介だった。

 信虎に呼ばれて本陣に向かい、今夜半の今川勢夜討ちの準備を整えたため、百姓達を残した森に戻ってくる途中だったのだが、その今川勢が百姓のいる森に向かうのが見えたため、手勢五十騎を従え急ぎ駆けつけたのだ。

「萩原常陸介、見参。すけ、遅れてすまんな、我を盾に逃げよ」

 馬蹄を轟かせながらすけ達百姓に声をかけて今川勢に打ちかかって行った。

 これには百姓達が参ったようだ。

「常陸介様が戻ってきた」

「儂等を見捨てたと思うておったに」

「百姓との約束を守る武家がおったか」

 口々に囁きはじめた。



 こうしている間に正成率いる今川勢と常陸介率いる武田勢が真っ向から打ち合い始め、すけ達から遠ざかるように騎馬武者の戦場が移動して行き、残った百姓達の前には討たれた骸が幾つか転がっていた。

「すけ、儂等はあの常陸介様に付いて行きたいと思うがどうか」

 どうやら百姓の一人が百姓であっても裏切る事がなかった常陸介の義に感じ入ったようだ。

「うむ、儂等は主家に裏切られて武士を捨てたる一族であったが、あの常陸介様であれば以前のような憂き目にもあわずに済むかも知れぬな」

 この長佐衛門が治めている村は、元々は甲斐国内での小なりとは言え武家であったものが、先代信縄と油川信恵の対立のときに小山田氏に付いて内部から切り崩すように主家から命じられていたものが、いざ合戦となったおり、小山田氏の与力とみなされ攻撃を受けたため本家が滅亡して没落した土豪の一族だった。

「ではここで女子供を村に返し、ついでに長佐衛門様に、儂等が常陸介様に思うところがあって一味する事を伝えてもらおう」

「そうだな。皆も思いは同じか」

 すけが皆に問うと、皆音もなく頷いた。

「では男どもはその辺りに転がっておる今川勢の骸より具足と得物を剥ぎ取り我がものと致せ。騎馬身分だったものは放れ馬を乗馬と致し、僅かではあるが軍容を整えよう」

 すけ達が甲冑を身につけ得物を腰に履き、槍や長刀を構えた時には主戦場では常陸介達がやや劣勢になっていた。

 すけも放れ馬を引き、馬上の人となると百姓部隊が二十人ほど出来上がっていた。

「女達は長座衛門様に報告を頼む。では常陸介様の援軍となるぞ。具足と得物の無い者は追々拾って追いついて来よ。ではいざ参ろう」

 鬨の声を上げて二十人の百姓部隊が今川勢の後方に打ちかかって行った。

 この時既に常陸介の隊は今川勢に包まれ半数に減っていたが、見慣れぬ部隊が今川勢後方から支援してくれたので兵力が分散され虎口を脱することができた。

 更にこの時、武田本陣から援軍が送られてきた。これは先ほど百姓を残して退却していった原美濃守の部隊だ。

 正成は常陸介の部隊と優勢に戦いを進めていたが、どこから現れたのか急に後方から現れた一部隊と、武田本陣からの援軍に浮足立った。

そして援軍が戦場に到着すると正成の旗本達も散り々々になり、正成が一人となった。この隙を見逃す事無く原美濃守が郎党数人と現れて正成と組みうちとなるが、ここで武運つたなく正成の首が挙げられる事となる。

「今川軍大将、福島正成殿、討ち取った」

 原美濃守の大音声により飯田河原、上条河原の合戦は終了した。

 合戦場には武田勢が集まり勝鬨を上げ、思い思いに落ちる今川勢を追いたてはじめ、落ち武者狩りが開始されようとしていた。

 戦場が一段落したときに、常陸介が見慣れぬ応援の部隊に近づき礼を言おうとすると、その騎馬武者はすけだった事に気が付いた。

「そなたはすけではないか」

「はい。左様に御座います」

「その姿はどうしたというのだ」

「元のすけに戻ったまでにございます」

「元のすけとはなんじゃ」

「上総介のすけでござるよ」

 すけは笑っていた。

「儂等は元々武家の出。故あって百姓として生業を立てておりましたが、如何でござろう、常陸介様がよろしければ、儂等武家に戻り、常陸介様にお仕えしとうござるが」

 しばらく呆気にとられていた常陸介だったが、得心してすけ達百姓を家人とする事とした。


 そしてその合戦の後、しばらくしてからの相模の小田原では、氏綱の元に思いもかけぬ来客があった。

 駿河今川家と甲州武田家との戦いの最中、飯田、上条河原の戦いで千葉家より主替えをした原美濃守虎胤と矛先を交え、あえなく討ちとられた福島くしま正成の一子、勝千代が家臣に伴われ小田原に保護を求めに来ていた。

 この勝千代、氏康と生まれ年が同じで今年共に六歳である。

 氏綱に目通りをしたとき、氏綱が二、三、勝千代に質問をしてみると、頭の反応が良く美しい鐘の響きを思わせる返答ぶりだったので氏綱の大層なお気に入りになった。

 これが後に地黄八幡または黄八幡佐衛門とも称された玉縄北條氏の祖、氏時、為昌に繋がる幼き日の北條綱成と伊勢家との出会いである。

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