河東一乱(前編)
天文十三年、父氏綱の遺命の一つである鶴岡八幡宮の大鳥居を建設するため、氏康は鎌倉に来ていた。
現在の鎌倉市雪ノ下に鎮座する八幡宮。今残る上宮・外宮、その他の社などは、徳川期に建て替えられたとの事なので、北條時代の建築物を見る事は出来ないようだ。
その本宮正面の大石段に続く大鳥居周りの池淵から鳥居建設の現場指揮を執っていた氏康のところに小田原からの早馬が到着した。
鳥居手前で馬を降りた伝令武者だったが、周りで犇めく人足達に阻まれてなかなか進めず難儀しているように見える。大勢の人足達に翻弄されながらも氏康の元へ進んで行き、大声でご注進であると叫ぶものの、雑多な声にかき消されてしまっていた。
中々に活気のある建設風景だ。
これを氏康は一段高い切出し岩の上から眺めていたのだが、この伝令武者の動きを微笑ましく見ていた。人足や大工とはいえ、領国の民衆が何の心配もせずに一日の生業に就ける事、これは領国経営が上手く行っている証とも言えるからだ。
そしてようやく氏康の足もとまでたどり着いた伝令武者を見て、「苦労、中々の活気であろう」氏康は笑っていた。
「御屋形様、それどころではありません、至急の知らせでございます」
氏康とは相反した真剣な表情の伝令武者が片膝付いた。
「ふむ、左様か。申してみよ」
「は、一昨日甲斐から小田原へ使者が参りました」
「如何なる使者ぞ」
氏康は右手に持った鞭を杖代わりにして岩の上にしゃがみ込み、伝令の顔を見た。
「同盟の使者にございました」
「成程、甲相同盟か。晴信め、大方信濃に向けて兵を発しようとの考えであろう」
「使者は小田原におりますが、お会いになられますか」
「ふむ、合おう」
「では某、早々に立ち返り御屋形様の御到着をお待ち致しております」
伝令武者が小田原に去ってから、氏康は大鳥居普請奉行として笠原信為を立て、細々としたこの後の普請の指示を残して、自らも一路小田原に向かって行った。
翌日の早朝小田原に到着した氏康。小田原城の一角にある屋敷に入り、衣服を改め髪を結い直す。
氏康到着の知らせも甲斐からの使者に伝わったようで、この使者も居住いを正して氏康に拝謁する為の支度をなした。
しかしこの使者、異形である。坊主頭は入道でもしているのであろうか。隻眼で色黒、見る人に拠らば醜悪な顔つきと見る向きもあろう。更に足が片方萎えており両の指も戦で受けた傷なのであろうか、揃っていなかった。
この使者は、名を山本菅介(勘助)と名乗っていた。
しかしその隻眼から漏れ出でる目の輝きは異常なほどで、常人には無い雰囲気を醸し出している。
傑物か只の変わり者か。
菅介が氏康と対面する為に設けられた広間に通されてから間もなく、広間に続く渡り廊下から足音が響いて来た。
四方を開け放っている為に広間の中には日の光が差し込み、優しい光が屋敷を包んでいる様に見える。
足音が濡れ縁に入ったようだ。菅介の座る右手から幾人かの足音が並んで入って来た。
すっと平伏する菅介。
先に北條綱高と松田盛秀、北條綱成、多目元忠、富永直勝が入って来た。
その家臣達は菅介をちらりと見るが、柔和な表情を特に変えず言葉も発しない。
これは菅介が少々不思議に思った事だが、菅介が他家へ使者に赴いた時には、まず菅介を見た誰もが異形への嫌悪の表情を見せるのが常だった。
しかしこの北條家では、その嫌悪の感情を受ける事がなかった稀有な出来事になった。
それに続いて少し遅れて氏康が小姓を連れて入って来ると、先の家臣も氏康に首を垂れた。
そして居住いを正した松田盛秀が菅介の紹介を始める。
「そこに控えるは甲斐の武田殿の使者を務められる山本菅介殿にござる」
平伏したままの菅介、折烏帽子に直垂姿の使者然とした姿だ。
「此の度は氏康様のご尊顔を拝する事が叶いましたること、この菅介、恐悦至極にございまする」
「ふむ」
氏康はこの異相の使者を見るなり興味を持ったようだ。
「そなた、名を“かんすけ”と申すか。ならば“かんすけ”に問おう。甲斐の武田に山本なる姓を未だ聞いた事が無い。何処より甲斐に参ったのだ」
菅介の隻眼が微笑んだ。
「流石に小田原の氏康様にございまする、姓のみでお分かりになられましたか」
「我が北條も武田とは幾度も刃を交えておるものでな、他家に使わされる程の者、名は覚えておるつもりぞ」
「それはそれは、しからば。某は三河の牛窪の生まれにて、故あって牢人(浪人)致しておりました。そして去る天文五年に今川家に仕官しようと伝のあった庵原様の屋敷に寄宿致しましたる折、朝比奈様からの斡旋で義元様に拝謁を願いましたが」
ここで菅介は一度、言葉を区切り、はははと笑った。
「この醜き容貌故に忌み嫌われましてございます。その後九年に亘り今川家に留まりましたが仕官すること叶わずにおった所、甲斐は武田家の板垣信方様に見込まれて昨年甲斐武田家に仕官した所にございます」
この菅介の振る舞いを見た氏康は、妙に感心していた。
弁舌が立ち、言葉に淀みがない。
平伏してからの挙措にも異形の身体つきの割には動きに爽やかさがあり、舞の上手にも思えるような切れがある。
端正に座る姿も威を感じさせる落ち着きがあった。
「成程。しかしそなた、凡人には非ずと見える。今川殿が召抱えなんだのは容貌が元ではあるまい。そなたの才覚を恐れたのではないか?」
菅介はこの氏康の言葉にはっとした。
四十六歳の今に至るまで自らを認めてくれた人は先の板垣信方とその主、武田晴信の二人だと思っていた。
その晴信でさえ自らが学んだ築城術や兵法を披露した後で認めて貰ったのだ。
兵法、城取り、陣取りを納めた自分を安く売るつもりも無かったため其れが招いた結果とも云えるが、菅介の力量を見抜けない人物が愚物とも思っている節もあった。
しかしこの氏康、ほんの一目見たのみで自らを見抜いてくれた。
これは菅介にしてみれば痛快この上ない人物に出会ってしまった事になる。
何やら得体の知れぬ感動が菅介の体を走った。
「して、菅介、甲斐からの使者の用向き、同盟と聞き及んでおるが、晴信殿は信濃に進まれるお心算か」
氏康の声に我に返った菅介、氏康に対して饒舌になって行った。
「はい、我が主晴信様に於かれましては、天文十一年に信濃の諏訪頼重殿を攻めて是を落としましてございます。これの余勢を駆って小県の村上勢を攻める為にまずは交戦状態にある北條様と和睦を結びたいとのお考えにございます」
「左様か、晴信殿も北條家が北関東に手を伸ばしたい時期を見抜いておられるようであるな」
「ご明察にございます。しかし隙あらば相模の海も見てみたいと、主もそう申しておりました」
「はははは、菅介、そなた中々面白き事を言う。しかしそのせいで儂が晴信殿と同盟はせぬと申したらそなたの手落ちにもならぬか」
「いえ、この同盟、氏康様はお受けすること間違いございませぬ」
氏康は微笑みながら菅介に問うた。
「何故そう思う」
「氏康の御屋形様が、某が是はと思う一廉の御大将であられました故にござる」
この言葉に松田盛秀は無礼を申すなと声を上げたが氏康が是を制した。
「儂がそなたに気に入られたと思うて良いのか」
「如何にも左様にござる」
菅介は笑っていた。
氏康はこの、敵地に入っておりながらずけりと物申す菅介の肝の太さをも気に入った。
「左様か、これは良かった」
氏康はひとしきり笑った後に表情を引き締めた。
「晴信殿との同盟、受けよう。武田は信濃へ、北條は関東へと向かう事とする」
この氏康の言葉を受けた菅介も笑いを納め、平伏した。
「ならばこの同盟の使者のお役、滞りなく済みましたる故甲斐に帰参致しまする」
「うむ、苦労であった」
ここに甲斐・相模同盟が結ばれた。
一方駿河の今川家でもこの甲相同盟の報が伝えられる事になる。
駿府屋形では、義元の軍師として押しも押されもせぬ立場となっていた太原崇孚が義元の元にやって来ていた。
義元の居る屋敷に、従者も連れずに法衣を着て現れた崇孚を見た義元が先に言葉を投げかけた。
「御師様、これは良う渡せられました」
義元は近臣達と和歌を詠んでいたようで、短冊と筆を両手に持ちながら詠を書き込んでいる。
崇孚が義元の近くに静かに着座し、ちらと義元を一瞥してから手短に用件を伝えた。
「御屋形様、甲斐と相模が気になる動きを始めた様でございます」
義元はふむ、と言いながら歌の残りをさらさらと書き認め、そして筆を置く。
「何があったのでございますか」
崇孚は何時もの無表情さで続けた。
「晴信殿と氏康殿、同盟をしたようですな」
「晴信殿が相模と同盟をしたですと」
義元の表情が俄かに曇りだした。
「晴信、信濃が恋しくて拙速にも相模と結んだか」
ここで義元はからりと筆を置いた。
「皆、儂はちと急用ができたでな、ちと座を外してくりゃれ」
近頃は公家風を好み始めたらしく、水干を纏い薄化粧を施し始めていた義元。
歌の会に同席していた近臣に歌客達を別室に案内するように命じた。
客とは冷泉為和の一行だ。今年も今川家に食客となっていたようで、義元の歌道の師として重きを為しているようで、貴賓の扱いを受けていたようだ。
義元の近臣に案内されながら腰を上げた歌客達が出て行くと、改めて崇孚が義元に相対して着座した。
「して御師様、北條と武田が手を結んだと云うは誠にござるか」
表情を崩さずじっと義元の目を直視しながら、
「誠にございます」と重々しく言葉を放った。
崇孚の是の言葉を聞いた義元は唸ってしまった。
今川家では、先の天文六年の乱から北條家に河東一群を支配されてからは、その影響力が河東以西にまで及ばないよう対抗策として武田家との同盟を結んでいた。そのお陰で危ういながらも甲駿相の均衡を保っている所だった。
その甲駿同盟が崩れると云う事は今川家にとってはあってはならない事態である。
「何か策を講じねば」
義元が唸り声と共に苦しい言葉を発した。
「三河を押さえる事が肝要か」
義元が独り言を漏らした時、異相の僧侶が義元に言葉を掛けた。
「遠江は落ち着きを取り戻しておりますな」
何かを確認するかのような言葉である。
この異相の僧侶には既に策かあるのか、との思いが義元に過り、崇孚の言葉に乗ってみた。
「堀越と井伊、瀬名は既に力なく、最早反乱をおこす事はありますまい」
「ふむ、では三河の松平は如何ですかな」
「三河では松平清康が討ち死にしてからこの方、尾張の織田信秀が出張っておりましてな、中々落ち着きませぬ」
「左様でございますか」
「遠江と三河に何かあるのでござるか?」
「いえ、尾張の織田信秀は中々の働き者のようでございますな。しかし未だ尾張を纏めてはおりますまい。こちらは尾張国内の信秀を快く思わぬ者達を焚きつければ凌げるか」
崇孚の語尾は独り言のように消え入る声だ。
「御師様?」
「義元様、直ちに使者の用意をして頂けませぬか」
義元は怪訝な表情で、「尾張に向かわせるのでござろうか」と話の流れで出てきた国名を口走ると、崇府から出た答えは意外なものだった。
「上野の平井と武蔵の松山でございます」
「上野?武蔵ですと?何故その様な北の外れに?使者を誰に使わすのでござるか」
「義元様、駿河の北は相模と甲斐だけではございませぬぞ。その関東には古き権威がございます」
「古き権威とは何でござろう」
「関東管領上杉家」
「管領家ですと?」
「古き権威は京のみにあらず」
「成程。して、如何様な使者にございましょう」
「今は亡き上杉朝興様の姫は甲斐の晴信殿の正室として天文三年までは同盟をしていた間柄」
そこまで云うと、崇孚の表情が僅かに変わった。口角が少し上がったようだ。
「先の河東の乱で北條に執られた包囲網を、此度は此方で使わせて頂きましょうぞ」
「管領殿と示し合わせて挟撃をするのですか」
義元にも笑みが現れた。
「如何にも左様にございます。晴信殿も今川家と関東管領上杉家からの使者を受ければ北條家に加担を続ける事叶いますまい」
そこまで言うと、崇孚は口角を下げ、何時もの無表情に戻った。
「しかし晴信殿が信濃に向けて軍を発しておれば事は後れを取りまする、管領殿への使者に合わせて甲斐への使者も早急に発して下さいますように」
「相分かった。早速管領殿に使者を送りましょう」
「それともう一方にも道を付けておきましょうか」
「どのような道でござろうか」
「北條家との和睦」
「なんと、和睦にござるか」
義元の、ころころと入れ替わる表情とは対照的な崇孚。
「形だけでも和睦の仲介を入れておけば北條家と合戦に及んでも、晴信殿は今川家の気儘で北條家と諍いを起こしたとは思われますまいな」
「この北條家包囲網は北條家に元があると思わせるのですな」
「上手く行くかどうかはわかりませぬが、武田家にもこの包囲網に加担して頂く」
「流石は御師様でございます。では成り行きを御仏のお力にすがりましょうぞ」
「我智力如是 慧光照無量」
義元は笑い、崇孚には表情が無かった。
このあと崇孚の画策した北條包囲網の為の使者が甲斐、上野、武蔵に放たれる事になる。