国府台合戦(後半)
天文七年九月、小弓の御所から出陣した足利義明勢凡そ一万、里見義堯、真里谷武田信応等を従えて北西に進み国府台城に入った。
既に古河公方晴氏からの小弓追討令を受けた北條勢も風魔の物見や間者からの知らせで小弓の動きを察知し、大藤信基(根来金石斎)等の一部を先に葛西城へ入れ、本隊は江戸城に入っている。
北條勢は氏康の主力と氏綱、幻庵宗哲(北條幻庵:長綱)である。
「小太郎への中次を呼べ」
そう江戸城の含雪斎で小姓に下命したのは氏康である。
父氏綱は香月亭に入るものの、氏康に全てを任せる心算で大局のみを見ていた。
「若殿さま、小太郎様お使いの者、呼びましてございまする」
氏康のいる居間は、蔀戸は開け放って初秋の明りを取り入れてはいるが、障子を閉じている為に濡れ縁からは中を伺い知る事はできない。
小姓と小太郎への中次は濡れ縁から障子越しに氏康と言葉を交わした。
氏康の鷹揚な声が濡れ縁に流れてくる。
「うむ、早速だが小太郎に知らせてもらいたい事があってな」
「如何様な事にございましょう」
「此の戦な、先の真里谷信隆を連れてきておる故、武田信応方の家臣地下人達にその旨噂を流して然る後、前家督の信隆に付いた方が得ぞ。と更に噂を流せ。と伝えるように」
「畏まりました」
氏康の下知を持った使者が国府台に赴いた頃、小太郎からの物見の報告も届きだした。
『義明、国府台に籠り我が方と対峙すると思われる』の報が多数寄せられたのだ。
これを手始めに順次小弓の動きが伝え来るだろう。
「この戦、先に中川と江戸川を渡り切れば数の上で我が方が有利となろうな」
ぼそりと一言吐いた時、小弓へ潜ませた間者から再び知らせが舞い込んだ。
「火急の知らせにございます」
「ふむ、火急と。どうした?」
「公方義明殿、一部の兵を国府台城に残し、残る全てを持って相模台城へ移りました」
「相模台城と?」
「はい」
「相模台城とは国府台城より半里程も北にあるか」
氏康は小太郎の持ち来たった絵図面を見ながら話をしている。
「うむ、この辺りにその相模台城と相対する事のできる丘か山はあるか」
「相模台の真西に高台がございます。何時の頃からか外城と呼ばれる丘にございます」
「相対する丘か。これは都合のよい。しかし外城と?近くに城でもあるのか」
「謂れは良くわかりませぬが、何処かの城が此の地にあり、その外側の押さえとなった出城があったとかでその丘を外城ヶ丘と呼んでおるようにございます」
「成程な。今は名のみ残る外の城か。わかった、下がって良い」
知らせを寄こした間者を下がらせてから暫くすると、含雪斎詰めの家臣に氏康から命が下った。
「これより出陣し、全軍を葛西城に詰める」
同年十月四日、江戸城に詰めていた北條本隊二万は一路、北東二里半の距離にある葛西城に出陣していった。
この葛西城、今は東京都葛飾区青戸の葛西城址公園として城址看板のみ残る公園となっており、相模台公園よりも激しく史跡が煙滅している。何も無い。
この合戦に北條方が二万の軍勢を込める事が出来た城である、現存すれば相当な規模を誇ったであろう事は間違いない。
ところが、北條勢がこの葛西城に入城する直前、氏康からの命令が変更された事が全軍に知らされた。
「全軍をもって猿俣を抜け、がらめきの瀬(現:矢切りの渡し)を抜けて外城ヶ丘に陣を置く」
猿俣とは葛西城より中川を越えた北方二里半にある土地の名で、さらにそこから江戸川を越えた東に二里ほどに外城ヶ丘がある。
「葛西城には旗指し物を林立させて小弓方には、北條は葛西城に陣取ると思わせるようにせよ」
葛西城に先に入っていた大藤信基(根来金石斎)の一部隊を偽装部隊として残し、全ての兵をもって同日、がらめきの瀬付近まで静々と押し寄せて行った。
夜半には江戸川の縁に人数を潜め、明けてから渡河するため準備を整え終わると堤の影彼方此方で寝息を立てている。
そして翌五日の薄靄のかかる早朝、江戸川縁を歩いていた里見の兵がいた。
相模台の城内に入れずに城の外で寝小屋を建てて寝起きしていた足軽だ。
起抜けに川縁で用を足そうと茂みを歩いていたのだが、不意に朝靄のかかる対岸の草むらがざわついたように見えた。
「なんじゃ?」
目を凝らしてみると、動く草が人の様にも見える。
暫く眺めると靄が薄くなってきたのか目が慣れてきたのか、はっきりと人の姿を捕える事が出来た。
物凄い数の北條方の兵が潜んでいる。
偶然にも思わぬ近距離で北條勢と遭遇したのだ。
「な、なんと!既に北條方がここまで来ておるぞ」
がらめきの瀬付近に現れた北條勢を発見した足軽が驚愕した。
そこにたまたま通りかかった里見方の馬上の物見が三騎現れたのでその足軽は早速此の事を伝えると、その物見の騎馬武者も驚きを隠せなかった様だ。
「何故北條方に我が方が相模台に出張る事が分かったのだ」
「直ぐに御屋形様にお知らせせねば」
このとき馬を使った物見が一斉に相模台に走り去る姿を北條方の哨戒兵が発見し、その事が氏康まで伝わった。
「小弓の物見が来ておるようにござる、事は早急に運ばねばなりませぬな」
隣にいた叔父、幻庵宗哲と父、氏綱に話しかけた直後、小弓に潜めていた小太郎が、先の里見側の物見の首一つを持って氏康本陣に現れた。
「小太郎か、如何した?何じゃその首は」
小太郎は片膝を付いて氏康に謝った。
「若殿、申し訳ござらん、某、此度の小弓の動きを掴めずに知らせを寄こす事叶いませなんだ」
「小弓の物見が此の近くまで寄せていた事か?」
「いえ、それもありまするが、小弓勢、相模台の城に籠りましてございます」
「なに?相模台の城へ小弓が籠った事、知らせがきておるぞ」
小太郎は一瞬不審な顔をした。
「そのような筈はございません、我が配下の物たちには逐一某が下命致しておりまする故」
「では何処の者が知らせを寄こしたのであろうか」
一瞬ではあるが、北條家に小弓の間者がいるのかと考えたが、小弓の間者であればわざわざ相模台に寄せている情報は流すまい。ならば誰が。
しかし事は緊急を要する事態になっていた為詮索している時間はなかった。
「ふむ、で、その首は小弓方の物見の首か」
「はい、三人ほど馬上の武者がおりましたが、二人は討ち漏らしてこの首一つのみ」
「まぁよい。今より直ぐに川を渡り切ってしまえば人数の多い此方に利がある。直ちに江戸川を渡るぞ」
その様子を見ていた氏綱、幻庵は頷き合い、早速床几を立ちあがり伝令を呼んだ。
「者共に、直ちに川を押し渡り外城ヶ丘へ進めと伝えよ」
間もなく江戸川縁に潜んでいた松田、清水、狩野、笠原、遠山、多目、荒川、山中に下知が伝わり、その手勢が一斉に江戸川を渡河し始めた。
川岸に潜んでいた黒の軍団二万が一斉に浅瀬を選び川を渡り始めたのだ。
一方この江戸川対岸に潜む北條勢の知らせを受けた義明、相模台城の陣幕中で床几に座っていたが少々驚いたようだ。
「北條は葛西の城に詰めておるはずではないのか?」
「葛西の城には旗指し物がはためいておりまする。これは恐らく偽装だったかと」
「上様、北條勢は既に江戸川を渡河しはじめておりまする、何とぞ御出陣を」
「北條勢の人数、凡そ二万はあろうかと思われるとの事。後続も含めると三万ほどに膨れるやもしれませぬ」
これを聞いた義明の周りに侍る諸将は、口々に義明出陣を口説いた。
「これはただ速やかに軍勢を動かし、敵の渡河中に是を襲えば勝機はありまする」
「もしくは退却すると見せかけて敵が川の中場まで来た所で押し包めば宜しいかと」
これを聞いた義明は口の端を釣り上げて歪んだ笑みを見せた。
「合戦では一歩でも進めば虎となり、一歩でも下がれば鼠となる」
言葉を区切ると、ぎょろりと一同を見渡した。
「退却するふりを装えば敵を有利にする端緒となろう。軍勢の多少は勝敗には影響せぬ。只々兵の豪胆さが勝敗に係るのだ」
義明は床几に腰かけたまま諸将を睨めつけている。
「儂は、敵に川を渡らせ近々と引きつけてから氏綱を討つ」
「ならばこの相模台城で迎え討ちますので?」
武田信応が義明に質問を投げたところで『ご注進』の大声が陣幕外側から聞こえてきた。
「何事ぞ」
義明の周りに侍る近臣が怒鳴ると、義明が陣幕を押し退けて注進に来た武者を見た。
この武者は里見の武者のようだった。しばらく陣幕内の将達の誰かを探してる素振りを見せていたが、義堯を目に停めると一目散に義堯に近づいた。
「御屋形様、北條勢の別働隊と思われる一隊が国府台に向かっておりまする」
北條の別働隊現るの報だった。
「左様か、わかった。下がって良い」
注進の武者が陣幕を出て行ってから義堯が義明に顔を向けた。
「上様、我が手の者の知らせが参りました」
「聞こえておったわ。義堯、そちは手勢を率いて国府台へ向かい北條の一隊に当たれ」
「畏まりました」
「椎津、村上、堀江、鹿島、その方共は先陣となり北條方の渡る川へ向かえ」
憮然とした顔で義明は各将に下知し、自らは北條主力とこの相模台で対峙する為の下知を近臣に命じ始めていた。
相模台城からこの江戸川河川敷までは目と鼻の先、主力を急ぎ向かわせれば渡河中を襲う事もできたのだが、義明は本隊を相模台城に入れたままである。
また先程出した先陣の部隊も動きが悪く、目と鼻の先の河川敷に到着する前に北條勢は川を渡り切り、相模台城を東に間近に望む外城ヶ丘に入ってしまった。
義明方の先陣が北條方を追うように外城ヶ丘に向かったころ、相模台の城から国府台に向かう里見義堯は、その様子を遠目に見ていた。
「義明は終いじゃな」
ぼそりと溜息交じりに独りごちた。
実はこの国府台城への北條方別働隊の情報は、義堯が流した虚報だった。
既に義堯は義明を見切っていたのだ。
「上様はこの里見を頼む人に非ず」
「御屋形様、これで宜しかったので?」
義堯の馬周りだった。
「この戦、義明は勝てまい。いや、むしろこの戦で北條勢に討たれてくれれば上総、下総を我が里見が抑える口実にもなろう」
「なるほど」
「古河の公方から北條に義明追討令も出ているそうじゃ。此度の戦、北條も本気でやって参ったであろうしな」
「ならば小弓の上様も、最早是まで。ですかな」
義堯はむっつりとした顔のままだ。
「北條には義明が相模台へ動いた知らせが届いたようだな」
ぽつりと呟いたのは里見義堯だった。
「はい、配下の忍を使って知らせを届けさせております」
「これで北條への借りは返した事にさせてもらう」
義堯は暗い表情のまま手勢を率いて国府台城へ向かって行った。
そして同月五日のまだ日の明けきらぬ早朝、外城ヶ丘に陣城を作り上げた北條方が東の相模台の城に向かって押し寄せた。
外城ヶ丘の陣城から相模台城の間には半里四方の平地があり、そこに纏まった数の軍兵を居並ばせるには丁度よい土地柄である。
この外城ヶ丘、別名松戸の台とも呼ばれ、そこに構築された陣城は後に松戸城と名付けられたが何時の頃か廃城となり、江戸後期には戸定ヶ丘と呼ばれるようになった。
時代が下り、明治に入ってから徳川慶喜の弟である徳川昭武の別邸が造られてから松戸徳川家の住居となり、現在は歴史公園として現存している。
そしてその平地に居並ぶ小弓勢、そのうちの大多数を未だ相模台城に残していたが、先陣となった椎津、村上、堀江、鹿島の諸将が陣取り、攻め込む北條勢と平地での合戦が開始された。
小弓方の弓勢が雨あられと降らせる矢に先陣をみるみる射倒された北條勢、初戦は小弓方が優勢に戦を進めていたようだ。
しかし外城ヶ丘陣城から次々と繰り出される北條勢の勢いが増してくると、次第に押されはじめ、北條勢の勢いが増してきた様子が相模台城からも見る事ができた。
「あの臆病ものどもが!北條ずれに後れを取るとは不甲斐なき事よ」
相模台の矢倉台で状況を見ていた義明が、北條勢に押され始めた先陣の諸将に不満をもらした。
隣に侍る真里谷信応が流石に聞き咎め、
「なんと仰せられます、椎津、村上の諸将は北條方と比ぶべくもない小勢ですぞ」
全てを云い終わる前に義明が信応の言葉を遮った。
「それがどうした、兵が豪胆にあらずば何れの戦場にても勝つことは叶わぬと申したであろう。あやつらの兵は豪胆でなかっただけの事よ」
言うに事欠いてなんたる言い種よと、苦虫を噛み潰した様な表情になった。
「されどこのまま援軍を出さずに見殺しになさるお心算か?」
「最早戦場は此の相模台の城まで半里も離れてはおらぬわ、儂が出て氏綱を討ちとってくれる」
この言葉に信応は呆れ返ってしまった。
「御大将が自ら先陣に乗り込む等あってはならぬ事でござる、まずは配下の将を指し下されよ」
「戯け!儂を臆病者と思うてか!」
「然にあらず、匹夫臆病の話をしておるのではござらん」
「問答無用じゃ、下がれ」
「下がり申さん、ここで万が一御大将を討ち取られなば上様をお慕い申し上げて参集した国人・地侍はどうなるとお思いか」
「なれば如何せよと申しておる」
「まずは御弟君(基頼)を上様の御旗の元に押し出される事が肝要」
「基頼か。なれば基頼に申し使わそう、これ、基頼にこの馬印を持たせて押し出せと伝えよ」
自らの背後にあった馬印と丸に二引き両の家紋を染め抜いた大旗一流を伝令に渡した。
「これで良いのか」
「は、宜しゅうございます」
すると伝令が義純の陣所に到着したのだろう、満を持した基頼が颯爽と馬に跨り家人を従えて、出陣の声も高らかに陣所から鬨の声があがった。
間もなく義明と信応の立つ矢倉台下の大手口に繋がる堀切から基頼の軍勢が先程の大旗一流を靡かせ合戦場に躍り出て行く。
そして基頼勢が戦場に到着すると一際大きな歓声が上がった。
義明の馬印を見た小弓勢が弟基頼ではなく義明が主戦場に現れたと思ったようだ。
ところが歓声を上げたのは小弓勢ばかりでは無かった。
敵大将が目の前に現れたのだ。これを喜ばない戦国武者はおるまい。
我こそは一番手柄を上げようと一斉に基頼勢に押し寄せる事になった。
ここで敵味方乱戦になり、押し出して行った基頼勢も敵味方入り乱れての混乱で相模台城側に押し戻されると、基頼の掲げた馬印を見て父と思ったのか、義明の倅義純が不意に家人を引き連れて戦場に飛び出して行ってしまった。
「あの戯け何をしておる!」
倅が混乱の戦場に馬を乗りつけて行くのを見た義明もこれには驚いたが、叔父を父と見間違えた倅が、声を張り上げて父を助けに向かったのだ。
これが仇になった。
北條の陣よりこの様子を見た氏綱が好機と見てすかさず下知する。
「今我が方に深々と入って戦うておるのは敵の先手の大将と見た、伊東・朝倉・桑名・石巻に伝えよ、両面から挟み撃ちにして討ち取れと」
伝令からの報が伝わると、その四名の人数がするすると戦場を走り抜け、馬上の義純を散々に斬り付けた。
義純の乗馬が平首を三太刀切りつけられて足を折伏すと、槍を振り回しながら自らの足で降り立った義純。
周りを囲まれながら槍の穂先も折れんばかりに戦ったが、力及ばず討ち取られてしまった。
討ち取りの名乗りが上がり、それに合わせた鬨の声も一段と大きくなる。
弟基頼勢も最早風前の灯のようだ。
そこに義明と信応のいる矢倉台に注進が入った。
主戦場から引いて来た逸見入道と名乗る上総の国人だ。
「既に御味方、数少なに討ち取られました、既に基頼様の御馬印も見えませぬ、此度はどう見ても負け戦、今すぐ落ちられて何れの日にか今日の恥辱を雪がれますよう」
この報を聞いた義明は顔を赤く染め上げて怒り、最早誰の声も義明には届かなかった。
「この負け戦はどう見ても味方の軍勢が臆病が元で負けたのだろう!儂が先駆けして北條勢等蹴散らしてくれるわ」
「上様お待ちくだされ」
「おのれの臆病を入れたが故に我が嫡男までも失ってしもうたぞ!臆病者に用は無い、何処へなりとも消えうせるが良い」
そう信応に言い残して太刀を掴むや矢倉台を降り、手勢を連れて戦場に走り去ってしまった。
「上様」
残された真里谷武田信応は大きく溜息をついた。
そして義明の後ろ姿を矢倉の上から見送ったあと自らの馬周りを呼ぶと、我らは真里谷に引き上げるぞ。そう言い残して相模台の合戦場を離れて行った。
この後、暫くは小弓の義明、北條方と渡り合ったようだが横井神介と名乗る者に矢で射られ、動けなくなった所に松田弥次郎と云うものが首を落としたと伝わっている。
これを後年、第一次国府台合戦と言う。