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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
14/50

国府台(こうのだい)合戦

 天文六年に河越城を攻略し、武蔵の国に更なる一歩を記した北條家。

 北條佐衛門大夫綱成を河越城代に入れてから武蔵を鎮撫して翌年二月、同じく武蔵は葛西城(現東京都葛飾区青戸)に向けて出兵する。

 ここに在城するのは大石石見守と云い、山内上杉氏の被官である。

 この葛西城、北條家としては下総進出に向けてどうしても手に入れて橋頭保としておきたい城だった為、河越城攻めに加わった兵を纏めて押し寄せ、僅かな日数で落城させる事に成功した。

 しかしこれが上総は小弓の義明を動かす事になり、里見義堯、真里谷信応が馳せ付ける事になる。

 ところがこの状況を見たものが一人、下総の関宿城にいた。

「父上、愈々小田原北條家を古河公方家の配下に取り込む好機が来たようにございますぞ」

 粘る笑みをその父に向けた梁田晴助だ。

「北條殿が武蔵の葛西城を攻め盗った報と、他に小弓の義明様が軍勢を催しておるとの知らせが入りました」

 近頃は父高助から表向きの事を任されている晴助、小弓に放っていた間者から受けた報告を父に知らせる為に本城の御殿から父のいる隠居屋敷にやって来ていた。

「何故に北條殿の葛西城攻めが義明様を動かす事に繋がるのじゃ」

 関宿城の一角にある隠居屋敷で倅と対面した高助、茶飲み話でも聞くように倅の話を聞いている。

 近頃は倅に表向きの事を任せている為半分は楽隠居の身となっていた。

「この二つ、直接は繋がりの無い事でござるが、忍ばせておいた間者からの報では」

 父に向かい話しながら懐に忍ばせて置いた絵図面を取り出し、前に広げて見せる。

「小弓の義明様がこの関宿を盗る為に動き出したと思われまする」

 高助は倅の目を見た後直ぐに絵図面に目を落とした。

「義明様は以前からこの関宿の城を欲しがり、側近となっている里見や臼井などに話していたとは聞いておったが」

「はい、それは某も聞いておりました。しかし途中には千葉殿が居る故そう易々とは来れませぬが、川を遡上しての行軍ならば荒唐無稽な話でもないかと」

 高助は倅の話を聞きながらじっと絵図面の葛西城、国府台城、関宿城。陸路の小弓屋形、本佐倉城、印旛沼、常陸川を見ていた。

「そうか。北條殿に江戸川が近くに流れる葛西城を盗られた為に関宿攻めを早めたと、こうそちは申すのだな」

「流石父上。一応は義明様と繋がりのある山内上杉家の被官、大石石見守の居城だった葛西城。何も無ければ義明様も動かれなかったでしょうが、ここを北條殿に盗られては関宿城を盗る念願が叶わなくなるは当然の理」

 絵図面を見続ける父を見ながら晴助は続ける。

「おそらく義明様は葛西城対岸の国府台城に陣取られる様に動かれると思われます。これを好機と捕えて我が古河公方勢は北條方に御行書を送り、義明追討を御命じになられれば行く行くは臣下として取り込む事も叶いましょう」

 絵図面から目を上げて晴助を見た高助。意外と柔和な顔をしていた。

「政の向きはそちに任せておる故、思う様にすればよい」

「それならばこれより晴氏の公方様に拝謁仕り此の事言上致して参りまする」

 足取りも軽く関宿城から古河城へ、数騎の武者を従えた梁田晴助が出発した。

 そのころ葛西城を落として小田原へ凱旋していた氏綱・氏康親子、特に氏康は我が子に会う為、奥に入り浸っていた。

 初めての子を授かった氏康は日がな一日我が子を見てはあやしつけるのが楽しみで、奥にやって来ては側室の侍女にまでたしなめられていた。

 よほど嬉しかったのだろう。

 しかしこの長男、正室の瑞渓院との子ではない。嫡男ではないが、通称を『新九郎』と名乗らせていた事実があるので、この子を家督と決めていたように思われる。

 更にこの年、正室瑞渓院も子を宿しており、後の北條氏政を身籠っていた。

 北條家にとっては目出度い事が重なっていた時期であろう。

 そんな中、氏康の元に、上総に入っていた小太郎から知らせが届いた。

「小太郎様が御殿控えの間に参られ、若殿さまに急ぎの御用がお有りとかの知らせが参りました」

 侍女から小太郎の知らせが奥にもたらされると、氏康の顔が急に引きしまる。表向きの事になるとさっきまでの子煩悩な顔はどこかに仕舞い込んで一個の政治家になり、氏康の目の色が変わった。

「今から参ると伝えよ」

 知らせをもたらした侍女にそう伝えてから我が子新九郎に向き直ると、「父は今より政事の為に表に行って来る。その間に風邪など召さぬようにするのだぞ」

 満面の笑みで我が子に話しかけてから、颯爽と奥を急ぎ足で立ち去った。

 その立ち去る氏康を見ていた侍女たちは、顔を見合わせながら声を押し殺して笑っていたようだ。

 御殿控えの間に着くと、少々歳を重ねてきた小太郎が氏康を待っていた。

 頭には白い物が混じり、顔の皺も幾分増えた様に見える。

 長年に亘る忍び働きの為なのだろう。

「小弓の義明様が真里谷信応と里見義堯を口説いている様子にございます」

 その小太郎からの知らせは、先の関宿城梁田氏にも伝わっていた小弓の義明、動くの報だった。

「もう少し詳しく話せ」

 小太郎は居住いを正し、絵図面を取りだした。

「この絵図面は、関宿の梁田の間者が持っていた物を写したものにございます」

「関宿の梁田だと?」

「はい。梁田も小弓に間者を放っておるようでございます。幸いこちらに気がついてはおらぬようなので梁田・小弓両方を調べる事ができておりまする」

「なるほど。してその絵図面は何が書かれておるのだ」

 丸めていた紙をくるくると広げて氏康に披露して見せた。

「これは江戸湾か?」

「ご明察にございます」

「して、この朱の丸はなんじゃ」

 絵図面には江戸湾と思われる黒い線と、何処かの川と思われる線、さらに朱で記された丸い印が幾つか書きこまれていた。

「城にございます」

「ふむ、この丸は江戸城にしてはちと場所がおかしいな」

 氏康は江戸湾の奥まった場所に書きこまれていた朱丸を扇で指示していた。

「これは葛西の城にございます」

「なるほど、ではこの線は川だな。中川か」

「如何にも」

「もう一つ東にも川の様な線が書かれているな」

「はい。江戸川でございます」

「その隣にも朱の印があるようだが」

「そちらは国府台の城にございます」

「なるほど、道灌公の弟、資忠殿が縄張りしたというあの城か」

 この国府台、名前の謂れは鵠(くぐい:白鳥[はくちょう])にあるのだとか。

 その昔、日本武尊やまとたけるのみこと東夷あずまえびす征伐の帰り道にこの国府台付近で川を渡ろうとしていた事があった。しかし川の深さを測りかねて渡れずにいたとき、鵠が飛来し瀬踏みをしながら日本武尊の前までやって来た。

 これに感動した日本武尊、その鵠に「此の山をおまえにやろう、おまえは永久に此の山の主になれ」と詔をしたのだとか。

 それから此の地に鵠(白鳥)が沢山住みついた為に『鵠台こうのだい』という名がつけられたのだと小田原北條記に記されている。

 しかし現在は白鳥ではなく黒い鳥、カラスが最大の勢力になっているようではある。

「すると更に東寄りのここ、これは小弓の御所だな。しかし何故このような絵図面があるのだ」

 すると懐から二通、小太郎は書状を取り出した。

 おもむろにそれを絵図面の隣に並べると、これは、と言葉を発した。

「小弓の義明様から真里谷武田信応へと送られたもの。もう一つは里見義堯に送られたもの」

 氏康の目が動く。

「小弓の御教書か」

「はい。写し取ってございます」

「流石は風魔の小太郎だな」

 氏康はその書状を手に取り読み始めた。するすると読み進める氏康。表情は何一つ変わらない。

 読み終えると二通の書状をくるくると丸め、小太郎に返した。

「なるほど、確かに里見と武田を口説いているな。さて、どうするか」

 のんびりした風情で扇を開いて自らを煽ぎ始め、ふと扇を閉じた。

「小太郎、その書状、父上にも知らせよ」

 再び小太郎は懐に書状を仕舞い込み、氏康の言葉を待っている。

「手の者を使い葛西城から東、国府台城周りの土地を調べるのだ。また小弓に参集しそうな豪族達をつぶさに調べ上げた後、知らせを寄こせ」

「畏まりましてございます」

「では今より父上の所に参ろう」

 氏康、小太郎主従はこの報を持ち父氏綱の元に向かったのだが、丁度そのとき、父氏綱は関宿の梁田晴助からの使者来訪があったらしく大広間に出ていた。

 二人はその為に何時もの書院で父を待つ事になった。

 蔀戸と障子を開け放ち、明りを取り入れた部屋の空気は心地良い。

 春間近の柔らかい日差しに温められた縁に腰をおろして枯山水を見ている主従二人。

「小太郎、この梁田の来訪だが、何か知っておるだろう」

「はい。手の者から入った知らせによらば、古河の公方の後継ぎ誕生の知らせと、小弓追討令だと聞いております」

「後継ぎ?姉上の子か?」

「いえ、梁田高助の娘との子にございます。名を幸千代王丸様と申すようにござる」

「左様か。姉上との子は未だ授からぬか」

「公方様とのお仲は睦まじいと伺っておりまするが、こればかりは神仏の思し召しによるかと」

 氏康は苦笑していた。

「それともう一つは追討令か。此の期に我が北條家を使って身内を滅ぼそうと考えておるようだな」

「はい。それもありますが梁田が何やら動いているようで、古河の公方様よりの御教書を使い、北條家を公方家の傘下に入れようと画策している様子との知らせもございます」

「ははは。まぁそれはそれで良い。傘下に入ったと素振りさえしておけば何の実害も無かろう故な」

 このとき渡り廊下を歩く足音が響いて来た。どうやら梁田の使者との対面も終わったのか、氏綱がやってきたようだ。

 足音が濡れ縁に回り氏康と小太郎の座る座敷前まで近づき、角を曲がったところで二人に気がついた。

「そなた等もここにいたか」

 氏綱の顔は笑っていた。

「はい、ここは庭の景色が一段と映えまする故」

「庭を愛でるには良き季節になったな」

「いかにも。過ごし易き季節にございます」

 暫し三人の間に心地の良い時と風が流れた。

「ときに父上、梁田の使者が参ったとか」

 庭を見ていた氏綱がゆっくりと氏康に振り返り、左様よな。と云うなり含み笑っていた。

「どうなさいました?」

「古河の晴氏公がな、小弓討伐の御教書を我が北條家に指し下された」

 含み笑いが声をあげての笑いに変わった。

「こうも運が向いて来るとは思わなんだわ」

「小弓が我らに攻め寄せようとしている今、古河公方からの小弓討伐の御教書は正に渡りに船でございますな」

「なに、小弓が攻め寄せると?氏康、そちの知らせとはそれか」

「はい、小太郎、先の書状と図面をここへ」

 小太郎が懐から図面一通と書状二通を取り出して氏綱の前に披露した。

「どうぞ御披見くだされ」

「これは?」

「小弓の義明から里見義堯と真里谷の武田信応に指し下された北條追討の御行書、そして小弓が関宿の梁田へ攻め込むために描かれたと思われる地図にございます」

 氏綱の目がまずは地図に落ち、しばし眺めてからふと小太郎のほうに目を向けた。

「小太郎、これは梁田の手によるものか?」

「いえ、梁田の間者が小弓に入っておるのですが、そこで義明とその側近が描き上げた物をその間者が写したと聞いておりまする」

「なるほど」

 次に二通の書状に目を落とした。

「うむ、先の梁田の使者の事、よう分かったわ」

「梁田の使者がどうされたのです?」

 これは氏康。

「梁田は自らと古河の公方との争いを我が北條に肩代わりさせる為に御教書を送り届けたようじゃな。これを見よ」

 氏綱が氏康に見せたものは梁田の使者が持ち来たったらしい書状であった。

 氏康がそれを受け取ると中を確認してみた。

「父上、是は梁田の名が記されておりまするぞ。この書状、公方の御教書ではなく梁田からの、いわば管領奉書の様に見えまするが」

 氏綱の、にやりとした笑みが現れた。

「左様、尻に火が着いたのを逆手に取りこの北條家を配下に抑える心算であろう」

「如何します」

「まずは受ける」

 力強く言葉を放つ氏綱がいた。

「どの道、小弓の義明とは江戸川を挟み国府台城か葛西城の近くで相まみえる事となろう」

「致し方ありませぬか。梁田からの下命のような形を取られてのこの戦、なにやら腑に落ちませぬが眼前の敵、小弓を討つ為には勿怪の幸い」

「小太郎」

 氏綱は氏康の後ろに控えた小太郎を呼んだ。

「風魔の一党を使い小弓の内側と下総、上総の豪族で小弓に着く豪族達を調べ上げよ」

 そう言う氏綱に、氏康と小太郎が顔を見合わせ微笑んでいた。やはり血の繋がりは隠せない。

「如何した?」

「御屋形様、その御下知、若殿様から既に受けておりまする」

 氏康をチラリとみた氏綱、倅の成長を思ってか弾ける様に笑った。

「そうだったか、でかしたでかした。氏康、ならばこの戦、そちの采配で始めてみよ」

 いきなりの重責を背負わされた氏康だったが、嬉しさと困惑が入り混じった表情をしながらも、いちどさっと平伏してみせた。

「誠にございますか。有り難き仕合わせにございます。父上の御期待に添うべく尽力致します」

 言い終わるや体を起した氏康の若い顔は高揚し、自らの言葉で気を奮い立たせているようでもあった。

「ならば是より軍評定を開き小弓に当たりたいと思いまする」

「うむ、期待しておるぞ」

 若者らしい顔の輝きを残して去って行く氏康を見ながら、氏綱は小太郎に言葉を投げた。

「小太郎、氏康を陰ながら補佐せよ」

「畏まりました」

 この三人の会合から程なく、小太郎は幾人かの配下を引き連れ小弓に向かっている。

 さて、その頃の小弓の御所の事、そこには既に戦支度をした真里谷武田の一党と安房里見の一党が参集していた。

 他にも少なからず上総・安房・下総の一揆勢(地侍)も居るようだ。

 御所の周りには内側に入り切れなかった兵たちが思い思いに御所周りに掘立の寝小屋を造り、武器や鎧の手入れをしている。

 そして一歩御所に入れば、その一角には足利家の紋をあしらった陣幕が張り巡らせてあり、床几を並べ、その中央には盾を使った台が設けてあった。

 そこには梁田と北條方に筒抜けになった小弓の秘事、江戸川遡上作戦とも言うべき地図が広げられている。

 それを中心にして義明を正面に、安房・上総・下総の各地からはせ参じた地侍達が周りに配される様に居並んでいる。

 流石に古河の公方家の血が流れる高貴な血統小弓の公方だけの事はある。貴種性が周りを引き込むのか中々堂々とした軍評定になっていた。

 皆が集まった所で義明が御殿から小具足の姿で現れ、その隣には弟基頼と倅義純が着き従っていた。

 そして床几に着座するなり義明がこの軍評定の口火を切った。

「各々、此度の参陣、この義明嬉しく思うぞ」

 義明の一言で居並ぶ諸将が頭を下げた。

「此度の戦の仕様を伝える」

 そう言って義明は床几を立ちあがると、手に持った鞭を使って地図上の一角を示してみせた。

「まず江戸川の西の城、大石の葛西城を奪った下賤の賊、北條を討ち払ってから江戸川を伝って関宿の地に攻め上り、積年の敵、関宿の梁田を滅ぼして古河の公方家に取って代わる事が此度の旗揚げの目的である」

 云い終わると得意げに胸を張る義明。今まで自らの我を通して来れた貴族故の自信がみなぎっている様に見える。

 それを軍議の席上段に居た里見義堯がチラリと義明を見た。

「上様に畏れながら言上仕る」

「義堯か、何じゃ。申してみよ」

 この義明、貴種の公方家傍流にある割には威丈夫で筋肉質の体を持っている。

 長年貴族の暮らしをしており、ましてこの義明は僧侶として暮らしてきたとは思えない身体つきである。

 これは本人も意識していたようで、武辺無双の将軍であると自負していた。この体から出される声も大きく太い。周りを威圧する声である。

 しかし義堯の冷めた表情と声が義明の声を静かに消し去った。

「この戦、それがしは賛同出来かねまする」

 この一言で義明は動きを止めた。

「何じゃと?」

 瞬間で怒りを顔に現した。

 自らの思惑を否定される事のない生活をしている貴族にありがちな、自らの気性を抑える事のできない性格が如実に映し出されている。

「その方、儂の下命を聞けぬ、と申すのか」

「然にあらず、公方様の御下知とあらば何処へとも赴きましょう。しかし関宿攻めは時期尚早ではありますまいか、いまだ千葉は小弓様配下に非ず、臼井と争うてございます」

「それが如何した?臼井が千葉と争う事は、ひいては我が足利の為に戦うておるようなもの」

「そうではありませぬ、江戸川を遡上して梁田を討つ事が叶いましても、その関宿から小弓までの間は此方の手勢で抑える事叶いませぬ、せめて千葉を討ち平らげてからが宜しいのではありますまいか」

 この里見の本来の杞憂は、この小弓の手勢で北條に敵対は出来まいと云う思いが強かったからだが、しかしこの義明の気性を思うとそれを直接伝える事は憚られた。

「儂は足利ぞ、足利に本気で弓引ける者が此の世にあろうか。まずは関宿を盗る為に葛西の城を攻めるのだ。異を唱える事は許さぬ」

「されど」

「義堯、そちは儂の下知に従えぬようであるな」

「左様な事はありませぬ、したが如何様に葛西の城を落とした後をお考えでありましょうや」

 義明は義堯を虫けらでも見るような目つきで一瞥した。

「葛西を落とさば北條は我が武勇を恐れて着き従うであろう」

「何を言っておられるのです、北條の今までの計略を鑑みれば敵の武勇などを恐れて兵を引いた事なぞありませぬぞ」

「儂は室町足利の連枝ぞ! 公方に弓引く戯けなぞ居りはせぬわ! 」

 どうやらこの義明、深い考えがあっての事ではないらしい事が義堯に知れた。本気で足利に弓引く者など居ないと云う考えが、この義明にはあるようだ。

 これが小弓公方の素なのか?これが生で言っているならあほうではあるまいか。これが足利の生か?

 義堯に軽蔑の感情が駆け廻った。

 このあほうに付いて行くのは里見の為にならぬ。と考えたのは当然の理であったろう。北條家先代早雲庵の堀越公方追討を知らぬのだろうか。

 しかしこの戦評定から席を蹴って立ち上がる事は葛西城まで根を張った北條の、上下総への浸食を許す事にも為りかねない為あえて自らの思いとは裏腹に引き下がった。

「出過ぎた事を申しました。平に御容赦下されたく」

「ふん、では異論は無いと申すのじゃな」

「御意にございます」

「他に異論のある者はおるか」

 義明が戦評定に居る諸将に声をかけるが、先ほどの里見義堯への言葉を聞いた者が異論を唱えるほど暇な将はおるまい。賛成の意見以外は否定される事がわかったのだ。

 評定の場は静まり返った。

「ならば五日後、この御所を居出て相模台の城へ詰める事とする」

「相模台城にござるか」

「国府台ではなく相模台に陣取られると」

「葛西城からは国府台城の方が近いのではないか」

 この思いもかけぬ言葉で一座はざわついたが、誰一人としてもう義明に苦言を呈する者は居なかった。

 相模台とは、元々は第六代執権北條長時が建長元年にこの高台に屋形を構えた土地の事を云う。さらにその後、北條相模守高時が此の地に住んだために相模守の住む台地と云う所から「相模台」と名付けられたという事だ。

 いまは裁判所や法務局、拘置所等が建てられており、往年の面影は無く、松戸城址と思われる戸定公園に相対するように張り出した相模台公園が矢倉台跡の面影を偲ばせる程度で、他に城址を偲ばせるものは微塵もない。

また激戦のあった松戸中央公園隣の聖徳大学構内に唯一当時を偲ばせる相模台戦跡碑が建てられている。

 そして評定も終わるとそれぞれの席から諸将が去って行った。それを見ながら、里見の義堯も立ち去ろうと立ちあがった時、後ろから誰かに声をかけられた。

 振り向くと、周りを気にする素振りをみせながら義堯に話しかける武田(真里谷)信応が立っていた。

「これは真里谷殿、どうされた」

 武田信応、此の時二十四歳、少々下膨れ気味の顔に痘痕が目立つ。目の動きが奇妙に早く、どことなく落ち着きの無いような印象を与える顔だ。

「里見殿が公方様に言上された事、この信応にも思い当たる所がありましてな」

 落ち着きの無い目を無理に人の良さそうな目にさせた信応。義堯は警戒すべきかどうか、じっと信応の目を見た。

 義明の口利きで武田家の家督となっていた者だ。本来は武田嫡男なので家督で問題はないのだが、信隆を追放しての家督だった為にあまり良い印象は受けない。

 これは里見の義堯も同じ様なものだったが。

「なにか某の顔に付いておりますかな?」

 あまりにじっくりと見つめられたために違和感を覚えたのだろう。

「いや、これは失礼仕った。真里谷殿も何か公方様に思う所がおありか」

「思う所などと、ちと憚られるが、やはり某も里見殿同様、関宿攻めは時期尚早と考えておる次第」

「左様でしたか。しかしあの御気性ではこの戦、翻すことなどできますまい」

「いかにも。なれば良き加減で兵を引き、なるべく兵の損耗を抑える事が寛容かと」

 これは、この信応、目の動き等に不審な点は残るものの意外な巧者ではあるまいか。ふとそんな事が義堯の脳裏に過る。

「真里谷殿、では我らだけでも北條方との決戦を避け、上様には良き加減で引いて頂くように誘導しなければなりませぬな。上様は古河様に取って代わるお人故」

「いかにも。上様あっての我らです」

「ならば我が陣に参られませぬか。そこで此の後の申し合わせをしたい」

「本来ならばこちらから申し上げねばならぬ事、忝く思います。なれば早速に」

 小弓の陣幕から立ち去る諸将の流れにまぎれて御所を出て行った二人は、御所内にある里見に宛がわれた屋敷に入って行った。

 この里見と武田両氏は、小弓では厚遇されていたようで御所内に仮の陣宿を宛がわれていた。

 さてそこで何が話されたのであろうか。

 一刻ほど過ぎた頃に信応が自らに宛がわれた屋敷に帰って行った。


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