松山城風流合戦
上総方面に真里谷信隆への援軍を送り、氏綱自らは七千の軍を率いて江戸城に入った。
先発させていた風魔衆に河越の朝定の状況をつぶさに調べ上げさせ、江戸城に暫く留まり扇谷の動向を見極めてみると、朝定は難波田弾正を入れた深大寺城で北條勢を迎え入れて是を討とうと画策しているらしく、河越から兵を大量に深大城に入れているようだった。
これには氏綱が苦笑いをする他ない。
小田原から江戸まで来ていた北條軍に気が付いていないようだ。
「五郎朝定、これは脆い」
風魔衆の報告を氏綱と共に聞いていた松田盛秀は気づかぬふりをしているのではと訝るほどだ。
「朝興公からの御遺言にもある事なので、それに余念が無いのかもしれませぬ」
風魔の使者が云うには、先代朝興が残した遺言に
『儂が京兆家(北條家)と戦う事既に十四度、一度として勝った試しが無い。これは死した後の恥辱でしかないと思うのだ。五郎、儂の意を汲み京兆家を屠れ』
とあった事を伝えた。
「ほう、朝興にしては遠慮した物言いであるな」
氏綱は笑っていた。
「御屋形様、笑っている場合ではござらぬぞ」
松田盛秀が嗜めたが、その嗜めも何処と無しに余裕があった。
「よくぞ儂と刃を交えた数を勘定していたなと感心してしもうたわ」
「一度として勝った試しが無いという遠慮深さも持ち合わせていたようですな」
「我が領地の百姓衆に迷惑をかけて置きながらの言い様よ」
「しかしこの五郎朝定、正気なのでございましょうか」
「まずは正気」
氏綱の目が光る。
「何故正気と思われますか」
「難波田善銀とは武蔵の村山党は金子氏からの一族、今は武蔵松山城と難波田城の二城を拠点に持つ土豪だな」
「いかにも」
「これ程の者を使いながら我が北條勢の進軍を見極められぬのだ。善銀も朝定に振り回されておるのだろう」
「若さ故に血気に逸るのでございましょう」
氏綱の顔に笑みが現れた。
「如何しました」
「風魔にな、仕事をさせた」
「調略にござるか」
「深大寺城に北條軍が全軍で出陣したと噂をな。撒かせた」
真夏の空には入道雲が湧きあがり、青い空の真上には正午の太陽が地面を焼いている。
この暑さでは農作業にも支障が出るのであろう、百姓が田にまでやって来たのは良いが余りの暑さに木陰で休んだままだ。
聞こえるのは蝉の声ばかりで作業に勤しむ百姓も今日ばかりは午睡を貪っているようだ。
江戸城には江戸湾から吹き込む風が心地よく、野外の炎天下と比べれば多少は居心地は良いようだが、氏綱の前に着座する松田の額からは玉の汗が光っていた。
「誤報、にございますか」
「うむ、これが中々に効く」
暫しの沈黙の後、松田が笑った。
「成程。中々に面白き謀にございますな」
「五郎朝定が深大寺城に主力を動かした時が攻め寄せる好機、時を見逃すまいぞ」
「既に準備は万端整ってござる、何時にても攻め寄せられまする」
そこに河越に潜伏していた風魔の間者から再び早馬がやって来た。
『五郎朝定動く』
この報に合わせたかのように小田原からも早馬がやって来た。
氏康嫡男誕生の知らせだ。
飛び上がる程に喜んだ氏康、取る物も取敢えず宛がわれていた含雪斎から急ぎ父のいる香月亭へと向かった。
この香月亭は江戸太田氏の太田資高、資貞に宛がわれた屋敷だが、氏綱が江戸城に詰める知らせを受けた太田兄弟が急遽屋敷を開けて氏綱に引き渡していた屋敷である。
足音も軽く香月亭の玄関を潜り、小姓の案内を受けて父氏綱へ嫡男誕生を知らせに向かった。そして父のいる部屋に到着すると満面の笑顔で迎えてくれる氏綱がいた。
氏康の顔を見た早々の第一声が「でかした」であった。
一番に知らせを持ってきたつもりでいたのだが、自分への知らせと同時に父へも知らせが入った事を知った。
浮かれながら父に知らせをもたらそうとした自らを子供の様だと感じたものの、父のこぼれんばかりの笑顔を見た事に満足している自分が居た。
「この河越攻めに先だって我が北條家に嫡男が生まれた事は目出度い瑞兆であろう、この戦は新九郎への祝いの引き出物と致すぞ」
さてこの言葉にでてきた新九郎とは誰のことであろうか。
氏綱も新九郎、氏康も新九郎。誕生したばかりの嫡男も新九郎となるのだ。
おそらくその三人の為の祝いの引き出物とかけたのであろう。
暫くすると江戸城中に北條家嫡男誕生の知らせが広がり、士気が湧き上がった。
自らの一族領地を頼める領主に後継ぎが誕生した事は、今後も自らの一族領地を頼める人が現れた事を示すことになる。
家臣にとっては領主の世継ぎ誕生は自らの安心と喜びに直結するため喜びも一入だ。
江戸城は河越攻めの最前線でもあるためお祭り騒ぎは極力控えたが、こじんまりと家臣一同で喜びを分かち合っていた。
そしていざ河越を攻め寄せる段になった頃合いで上総は真里谷から、信隆の敗走の知らせを持った使者が江戸城に到着した。
このところ色々な所から知らせが舞い込む。
「小太郎の云った通りになってしまったな」
知らせを届けた使者から受け継いだ松田盛秀に氏綱はぼそりと吐いた。
「小太郎殿の知らせは何時も確かなようで」
「うむ、しかしこれで後々上総は真里谷に打ち込む楔ができたと云うものか」
「今は鎌倉に到着されたとか」
「まずは為昌に預け置き、貴賓の客として扱うように伝えよう」
「して、その賓客をこの後にどう扱いますか」
含み笑いをした氏綱、上総の絵図面は頭の中に出来ているようだった。
「まずは河越攻めよ、上総はその後じゃ。その時は色々と働いてもらわねばな」
「それまではゆるりと寛いでもらいまするか」
「上総への我が軍先鋒になる者だからな」
「頼もしきお言葉にございます」
「さあ、明朝は愈々河越攻めぞ、今より戦評定を開く故家老達を評定の間に集めよ」
小姓と、そこにいた松田に命じて河越攻めの評定の為の家老を集めさせた。
氏綱は評定の間と言っていたが、家老達を集めたのは大広間だ。
家臣の人数が多くなったために急遽ここに集める事になった。
数十人の家臣達が大広間に集まりざわついている。嫡男誕生の話をしている者や河越攻めの行程等を同僚と話している者、色々だ。そこに氏綱、氏康の二人が足音を響かせやってきた。
「御屋形様、御成りにございます」
小姓の声で家臣達は静まり返り平伏した。
衣擦れの音を立てて畳に二人は着座した。
「皆、面を上げよ。これより評定に入る、忌憚なき意見を述べる様に」
氏康の言葉で戦評定がはじまった。
時は天文六年の六月。暑い盛りだった。
この戦評定が終わってから、翌日十四日の虎の刻(午前四時位)に江戸城を北條軍が出陣して行った。
黒い甲冑に金の前建てを打った兜、旗指し物を乱立させて七千の軍団が武蔵野を北上して行く。一行の中には玉縄城から河越攻めに北條綱成も参加しており、朽ち葉色に八幡の指し物も風に揺らいでいた。
そして十五日、北條軍は武蔵は入間郡の三木と言われる原へ到着した。
この原は河越城には僅か五十余町ほどしか離れていない見渡す限りの草原と云える所だった。人馬を隠す所も無く、ひたすら広い。
戦場には絶好の修羅場と云えた。
この北條軍が河越城間近に迫ったころ、ようやく五郎朝定の元に北條軍河越に迫るの報がもたらされたようだ。慌てふためいた五郎朝定、一応は深大寺城の難波田弾正に河越に戻るよう早馬を出したが間に合うのかどうか。
しかし数が少ない上杉軍ではあったが血気にはやる五郎朝定、野戦での決戦を好み城外に陣を張った。ここで両陣野営となる。
北條軍が到着した十五日の夜には朝定の軍も野営を始めたが、満月が夜空にかかり美しく空を飾っていた。
暫し両軍月の美しさに見とれ丑三つの時となる頃、折からの満月は草露を輝かせ虫の音がそこかしこに響きだして暫くは合戦を忘れさせてくれる。
そこに笛や鼓の音が響いたのは雅なものだ。
夜が明け東の空が白み始めると、両軍が攻撃の為の陣形となった。
卯の刻(午前六時頃)、貝が吹きならされ陣太鼓が打ち叩かれる。
両陣から一斉に鬨の声があがり人馬入れ違い槍や刀を打ちあう音、矢叫び鬨の声が恐ろしいほどに武蔵野の空に響き渡る。
しかし虚報に惑わされた五郎朝定勢に勢いは無く、主将上杉朝成、曽我丹後守が朝定を守るべく応戦するが力及ばず。
散々に打ち叩かれて上杉勢の兵は彼方此方に骸を晒す事になった。
そして巳の刻(午前十時位)頃、ようやく難波田弾正の手勢が武蔵野に現れたが時既に遅く上杉朝成が北條勢に捕縛され、曽我丹後守も敗走していた。
五郎朝定のいる本陣まで難波田弾正が後詰となって現れたが北條勢の勢いは最早本陣にまで押し寄せてくる事は目に見えている。
朝定は河越城を捨てる覚悟をしたところだった。
「御屋形様、難波田善銀、遅参致しました」
片膝付きながら頭を下げる弾正。
「弾正か、よう参った。儂は落ちるぞ。助けよ」
朝定は鎧兜を脱ぎ棄てて一歩でも早く逃げられるように身軽な姿になった。
「ならば我が松山の城に御迎えし申す」
「うむ、案内致せ」
上杉勢二千余人の兵は主将上杉朝成捕縛と五郎朝定の敗走によって散り散りになり、既に戦場に往来する人は北條勢のみとなっていた。
この河越攻めで五郎朝定を武州松山城に追い落とした氏綱は、城代として河越城に北條佐衛門大夫綱成を入れ、残りの兵で五郎朝定を松山城に追わせた。
合戦場から執拗に追撃してくる北條勢を打ち払いながら、難波田弾正は五郎朝定を守ってようやく松山城に入る事が叶い、そして直ぐに若い主を主殿で休ませる事ができた。
一先ずは虎口を脱する事ができた所で、この戦で散らされた残党を集めるよう家臣に指示を出す。
「今なら北條勢は河越城を落としたと喜んで兜の緒を緩めておる頃だろう、散り散りになった兵共が集まり次第河越に取って返し北條勢を小田原に押し返すぞ」
城に続々と逃げ帰って来る兵達に飯の炊き出しを始め、全ての兵卒・将の腹を満たして陣容が整ったのは五日も過ぎていた。
同月二十日、難波田弾正は主人五郎朝定を松山城に残し、自らの兵力と三々五々集まって来た残党を組織して河越城に押し寄せる軍を整えた。
ところがこの不意を突いた筈の出陣も風魔の間者によって氏綱に報告されている。
「流石に難波田じゃな、こちらの隙を突いて来ようとする所などは良い心がけ」
居並ぶ家臣たちが笑いを発した。笑っている氏綱を見た松田盛秀も頷いている。
「しかし上杉勢を休ませておいては良い事はありませんな」
「左様。五郎朝定の周りには百戦錬磨の武将が居る故こちらが不意を突かれぬようにせねばなるまい」
「弾正が河越城に寄せるまで待ちますか」
「いや、こちらから松山城まで押し出してくれよう。今より兵を整えよ」
「畏まりましてございます」
一同が足音も轟に広間を出て行き戦支度を始めると、流石に攻略してから軍装を解いていない為に直ぐに松山城攻略軍が組織される。
電光石火の勢いで河越城から北へ四里程の所にある松山城まで攻め寄せた。
未だ松山城から難波田弾正の兵が出陣していない時に先を越して北條勢が松山城下に到着し、城下の町屋に火をかけ焼き払う。
難波田勢の屯所となりうる建物を悉く灰にしなければゲリラ戦になった時に非常に厄介になるため、当時の合戦は粗全て、戦始めに是をやるのが通例だ。
粗方焼き払った頃合いで松山城の城門が開くのが見えた。
出鼻を挫かれた弾正が意を決して総攻撃をしかけたのだろう。
城方から鬨の声が上がり、馬蹄の響きが地を揺らす。
それに合わせた北條方からも鬨の声が上がり、騎馬勢の打ち合いとなった。
両軍駆け違い斬りあい、真夏の武蔵野の空に太刀の火花を雷の様に輝かせる。
そして鎬を削り合う事二刻余。さしもの難波田弾正も疲れが見え始め、至る所で弾正方の兵が打ち捨てられている。
将も幾人も討たれたらしく、彼方此方で討ち取りの名乗りが上がっていた。
「これは止むを得ん、城に戻り山内の憲政殿に救援を乞う事にする」
弾正も周りを北條の足軽に囲まれ進退が極まりかけていた為に馬回り衆達に守られながらじりじりと後退して行く。
そこに弾正方の一隊が偶然押し寄せた為に北條方の歩卒の槍衾が一瞬引いた。
これを好機と弾正が馬首を巡らせ、幾人かの馬周り衆と共に戦場からの離脱を試みたとき、その様子を遠方から見ていた騎馬武者が馬腹を蹴って弾正に接近してきた。
「待たれよ」
太い戦馴れした大声が弾正に届くと、走りながら弾正は振り向いた。
「その馬印、もしや難波田憲重殿ではあるまいか」
この問いに弾正は答えず、馬周りが返答した。
「その方は何者ぞ」
この騎馬武者、山中主膳と名が残るのみで誰の配下なのかあまり良く分からない。
「難波田弾正殿は槍さばきの上手と聞き及ぶ。まずは手合わせを願いたい」
弾正は余程槍に自信があるのか、不意に馬を止めて山中主膳に向き直った。
「山中とやら、武芸は工夫も大事だが、真剣でやり合う時は半分は運の善し悪しで生き死にが決まると心得たが良かろうぞ」
言い終わるや山中主膳に向けて馬腹を蹴り槍を繰り出した。
二度三度と打ち合うが山中主膳も一騎打ちを申し込む荒武者だけあって中々に強い。
四合五合と槍を合わせたとき、主膳の後方から北條方の新手が押し寄せてくるのが見えた。
弾正がチッと口を鳴らして自らの槍をクルクルと器用に振り回し、山中の槍を払い落した。
驚いた山中主膳が太刀に手をかけ抜こうとした時、
「山中殿、この勝負一時預け置く。それまでに更に槍の工夫をしておくが良い」
言い捨てざまに馬首を再び松山城に向けて走りだした。
山中主膳が尚も食い下がり弾正を呼ぶが、それには答えない。
不意に主膳の中で、難波田弾正は武勇も優れるが和歌などにも精通した風雅人であると思い当たると、まさに不意に口を突いて出てきたのは和歌問答だった。
山中主膳、喉も張裂けよとばかりに大声で叫んだ。
悪しからじ 良かれとてこそ戦はめ
何か難波のうら崩れ行く
この歌が弾正の耳に届いた。
馬を再び停め、くるりと主膳に振り返った弾正の顔は笑顔だった。
あの古河城で梁田高助に見せた人懐こい顔だ。
君を置きて 仇し心を我持たば
末の松山浪も越えなん
三度馬首を巡らし松山城に走る難波田弾正を、山中主膳は最早追う事はしなかった。
松山合戦も難波田弾正が城に籠り動かなくなったので、幾人かを押さえの人数として残し北條勢は河越城に帰還して来た。
先の難波田弾正との和歌問答も氏綱に知らされると、ほう。と感心したようだ。
弾正が山中主膳に帰した歌は、古今和歌集の東歌、一〇九三にある。
きみををきて あだし心をわがもたば すゑのまつ山浪もこえなん
である。
本来は女性が歌ったものらしい。難波田弾正の主君を思う心をそれに載せたものだったのだろう。
「朝定を城に残して弾正が城外で討たれたならば寄せる浪(小田原勢)が松山城を越えて行くだろう。と、詠んだか。朝定め、良い家臣を持っているな」
山中主膳の報告に氏綱は笑顔になっていた。