信貴山縁起(前編)
信貴山縁起
虎は無常を知り、光は潰える
先に良香が言っていた、菅原道真が如何やら薨ったらしいと噂に聞いて、致し方有るまいと思ったのも当然だ。世渡りが下手な奴だったらしく、最期は怨み募りを吐いて壮絶な死を遂げたと言う。
そんな事は如何でも良くてだ、道真公が薨る原因を作った陰で暗躍していた藤原氏他数人が逝去して、醍醐天皇の周りの人が次々と病に倒れ、最後には宮中に雷が落ち、これは道真の祟りだと言う話に成った。道真は雷神に成ったとか、怨霊が祟っているのだとか、真しやかに囁かれる噂を耳にすると、良香があれ丈心配してたのにと思わなくもない。
丁度その頃合いに、都から程離れた信貴山と言う場所に在る寺の噂を聞いたんだ。何でも、仕切る尼君が凄い神通力でどんな妖怪も一殺との事だ、物騒な。その尼はまあ物騒だなで良いのだが、所詮人間の味方だからと放って置いて、余り近付かない様にしていた。
然し、久方振りに会ったあの鎌鼬三姉妹の真中が、あの山の毘沙門天は虎らしいぜ、と言いに来たんだ。久し振りに会った癖に馴れ馴れしい態度だったんで、取り敢えず玉藻さんを見習って踏ん付けてから話を聞いたんだけど、壱里が言うには、あの寺は裏では妖怪に好意的なんだと。
斯く言う自分達も世話に成った事が有る、お人好し許で好い所だ、等々と要らん事を喋るので、しばいて置いたが。…………壱里がおれと似てる? 止めてくれよ、おれはあんなにお喋りじゃない。序でに自分の実力は分かってる心算だし、ぎゃーぎゃー喚いたりもしない。何処も似てない。
でも、虎だ。話には聞かないから、日本に居る虎は、おれ以外には星丈の筈だ。何と無く、山に隠ると言っていたのを思い出して、仏門に下ったのかなぁ、と思ってね。気に為るから一寸様子を見に行ってみる事にした。
君は未だ知らないだろうが、再会と言うのは不思議なものでね。その話をしようか。
とある山中、真昼の森は夜の闇を忘れたように風に揺れている。都から離れた田舎山には人の気配はなく、ただ風な音と木々のざわめきが支配している。
時折顔を出す鳥や虫は、何かに気付いては慌てて姿を隠す。森が静かなのには理由がある。殆どの生き物は、今暢気に歩いている、小柄な人影を怖れているのだ。
紺色の唐風の裾の短い着物に、指貫の袴を穿いた少女は欠伸まじりき首に巻いた赤いスカーフを左手で弄っていた。草履をぺたぺたとさせながら歩く彼女には、しかし長い尻尾が生えていて、ゆらゆらと低く揺れていた。髪と同じ、褪せた金色の毛皮は黒く細い縞に覆われていて、髪の間から僅かに見える猫よりは先の丸い耳と合わせて、話に聞いた者なら彼女が虎の妖怪なのだと気付いただろう。
皎月は、人形が漸く取れるようになったのだが、それはイコールで彼女が立派に妖怪になったことを示していた。本人には全く自覚も自負も無いが、既に歳は百を超えていて、もう“ただの虎”とは言えないのだが、やはり本人は気にもしていなかった。
「言って置くが」
皎月はぽつりと呟いた。周りには誰もいないように見えるが、構わず続ける。
「追いて来ても、貴様等に特に利は無いだろうとは思うぞ」
「あ? 然でも無ぇぞ?」
返事は皎月の後ろから。背後をちょっと振り返って軽くため息を吐いた皎月は、直ぐ後ろを歩いている鼬三匹をうざったそうに見て言う。
「何方にしろ、先から煩いんだよ。その命蓮寺の話は聞き飽きた」
皎月について来ている三匹は、以前に会ったことのある鎌鼬だ。なぜかは分からないが、話に聞く寺に一緒に行くことになったらしい。付きまとわれて迷惑そうな皎月だが、三匹は気にもしていないようだ。
つれない皎月の言葉に、栗毛の小柄な鼬は隣を歩く黒毛の鼬に抱きついて声をあげる。
「姉ちゃん姉ちゃん、皎月さんが冷たいよぅ」
「へぇー」
「何だその態度、お礼に行こうって言った時は未だ幾分乗り気だったじゃんか」
「私、同行者がいるなんて聞いてなかったし」
「あたしは知ってた」
「知らんわ」
「だが、言って虎だぞ? 先から誰も近寄って来ないじゃん?」
「あぁ、そういう。いっちゃん中々の策士」
「発案者は海厘だぜ!」
「あたし中々のさくしっ」
「カイはちょっと黙れば?」
「理不尽っ、理不尽っ」
「……………………」
「姉ちゃん、気持ちは分かるがな…………落ち着け?」
「…………そうだねっ、カイがウザいのはいつものことだよねっ」
「いつものことだよねって、えーっ」
「煩ぇ」
「お姉ちゃん、ところでトラって何?」
「馬鹿が居る、馬鹿が居るよー姉ちゃん」
「え、ごめん、虎って?」
「…………馬鹿が居るよー」
「だ、れ、が、ば、か、よ」
「お前等だ」
「カイと一緒にすんな、むっきゃー!」
「…………だから煩いと言ってるだろうが」
鎌鼬三匹組が背後でぎゃーぎゃー騒いでいるのをじと目で見て、皎月はため息を吐いた。人数が増えれば会話が多くなるのは分かるが、この姉妹は常時この状態なのかと考えるとげんなりとしてしまう。
煩いと言われたからか、三匹は声を潜めて話し出す。いくらか森にも静けさが戻ってきたが、こしょこしょと囁く声は逆に耳につく。
欠伸を噛み殺して皎月は最早背後のことは気にしないことにして、鼻歌を歌いつつ少し歩調を速めた。
「然し…………虎の毘沙門天、か」
星なのだろうか。仮に星だとしたら、何をもって仏教に嵌まるようになったのだろうか。以前の彼女の話では、概略しか分からなかったが。
「彼奴…………今頃如何してるのかな」
またもや騒ぎ始めた鎌鼬三匹を黙殺しながら歩くこと数時間、皎月達は山の頂上に漸く到着した。寺なら頂上にあるだろうという予想が当たっていたので皎月は一人満足気に頷く。案内をかってでた筈の鼬が全く用をなしていないので勘で歩いてきたが、今日中に着いてよかったとも思った。
しかし山道を来たからだろう、変な所から出てしまった。柵がずっと立っているのを見てちょっと顔をしかめる。入り口まで回った方がいいのだろう、そう判断して柵や塀を右手にまた歩き始めたが、この寺は広い。入り口がどこまでいっても見付からないので、いっそ塀を乗り越えようかとも考える。
「むぅ…………入り口は何処なんだ?」
「ねーねーいっちゃん、さっきからあの人はなんでぐるぐる回ってるんだと思う?」
「ほら、虎って馬鹿だから」
身も蓋もないことを言われつつ探すこと数十分、漸く入り口らしき門を見付けた皎月は、草藪の陰から窺いつつ、呻く。
「…………盛況だな」
言葉の通り、寺の門は大きく開かれていて、今しがた説教を聞き終わったらしい人々が出てくるところだった。遠くから来た人もいるのか、何人か重装備の人も交じっている。
とりあえず、このまま出ていくわけにはいかないので、皎月は人間の姿に化けて参道に降りる。相変わらず髪が上手く染まっていないのを見て、軽く肩をすくめた。山中からいきなり出てきたのを見られてはとも思ったが、幸い見咎める者はいなかった。
服に付いた草を払って、いかにも参拝に来たという体で門の方へ歩いて行く。鼬三姉妹は警戒しているのか道横に並ぶ灯篭の陰に隠れながらついてきていた。
「はい、道中気を付けて下さい。お体大事に…………ん?」
門の前で帰る人に声をかけている尼さんが皎月に気が付いた。無警戒に歩いてくる褪せた髪の少女を変な目で見て、少し首を傾げる。
「なぁ、お前さん。この寺には枢星と言う奴は居るか?」
皎月がそう聞くと、尼は訝って眉をひそめる。近くまで来ると分かるが、まだ若い。藍色の髪が剃られずにそのままなところを見ると、勤行に関してはそんなに真面目ではないのだろうか。
「星ならいるけど、枢星って誰さ?」
「あぁ、否、星で良いんだ」
そうか、星と名乗ってるのか、と一人納得して、皎月は中に入れるのかと聞いた。誤魔化すような態度に、尼は目を細めたが特に何も言わずに、人がいなくなって半分閉めかけた門の中へ招き入れてくれる。
「あんた、妖怪だろ? そこの鼬も入るのかい?」
「応、入れてくれ」
「え、入るの?」
「おれいしに来たんじゃないの?」
「お礼? いる? 私めんどいんだけど」
「いるよー、助けてもらったし」
「入るっつってるだろが」
変わらず口やかましく言い合う鎌鼬にやれやれと言いたげな様子で、尼は雲居一輪だと名乗った。先に立って広い境内の中を案内しながら、この寺について説明してくれる。
「この命蓮寺は、今は白蓮さんが取り仕切っているけど、山を開いたのは弟さんでね。それは素晴らしい法力の持ち主だったそうだ。今は亡き弟の後を継いで白蓮さんがこの寺で信仰を集めているのさ」
一輪は少し得意気に、道を歩きながら話す。聞いているのは皎月だけだったが、お構い無しだ。鼬達は二人の後ろで、完全に我関せずにおいかけっこをしていた。
「人間も妖怪も平等に救済されるべきだというのが白蓮さんの考えさ。だから、裏ではここを妖怪寺なんて呼ぶ奴も多いみたいだね」
「成る程、だからここの毘沙門天は虎なんだな」
何の気なしにそう呟いた皎月を、一輪は目を細めて見る。なにやら疑われているとも知らない皎月は、呑気に今日は天気が好いなぁ、と考えていた。
しばらく歩いて、漸く本堂に着いた。そこから更に少し歩いて、奥の部屋に向かう。線香の匂いが染み付いた伽藍はどことなく異世界じみていて、皎月は少し居心地悪く感じる。そのうち慣れるだろうが、今はまだ慣れない匂いに顔をしかめた。
前を歩く一輪の背中を見ながら、無用心だなと皎月は考えていた。悪意ある妖怪だってごまんといるのに、簡単に中に通してもいいのだろうか。それとも…………何があっても応対できる自信があるのか。
「ナズーリン、お客さん」
「おー、今行き…………げ」
応じて、奥から顔を出した少女は、皎月の顔を見て、とても嫌そうな顔をした。人の顔を見て、げ、とかいうなんて失礼な奴だなと思いつつ、灰色の髪の少女に促されて更に奥に向かう。
耳と尻尾からして、どうやら鼠の妖怪らしい。寺の中に妖怪がいるという状況を皎月は、自分のことは棚に上げて、不思議に思った。
「はい、ご主人はここ」
「…………失礼」
“ナズーリン”って何処の言葉だろう、と考えながら示された部屋に皎月は入った。部屋の奥、背を向けた法衣の女性にナズーリンが声をかける。
「ご主人、客だよ」
金に黒の混じる髪の毛、濃い褐金の瞳。尻尾と耳こそ見えないものの、背の高さと体格は変わっていない。立派な服に身を包んで、目付きも前より穏やかで、物腰も随分と落ち着いている。
まるで別人だな、と自嘲気味に思いつつ、皎月は故人に声をかけた。
「よう、久し振りだな苗」
「げ」
お前もかよ。と皎月は思ったが、久し振りに会った星は誤魔化すように咳払いをして、いずまいを正す。苦々しげな表情はそのままだったので、皎月は特に何気ない顔をしておいた。
「李徴か、確かに久し振りだな」
「今は名乗りは皎月だがな」
「そうか、私も今は寅丸星だよ」
変な会話、と背後で呟く声が聞こえて、星はなにやら訝しげな目が四つ自分達を見ていることに気が付いた。ナズーリンと一輪が、怪しい来訪者を気にしていると察した星は、二人に向かって手を挙げて皎月を旧い友人だと紹介した。
「李皎月、見ての通り妖獣さ。星とは旧い知り合いでね」
変化を解いて皎月は尻尾と金色を見せて、誇らしげに胸を張った。ナズーリンは思いっきり嫌そうな顔をしてみせる、一輪は変わらず不思議そうな顔のままだ。
「…………何か、ご主人に同族の旧友がいるってことが意外だ」
「っていうか、この国にも虎っているもんなんだね」
「いやいないけどさ」
とか言いつつ、脇で大人しくしていた鼬が、恩人に礼を言いたいと言ったので、一輪は三匹の鼬を連れて本堂の方へ行ってしまった。座蒲団をとりあえず勧められたので腰をおろして、皎月はいつの間にか出されていたお茶を一口啜る。舌を火傷して、湯飲みを元に戻した。
こんと湯飲みが小さく音を立てた。星は姿勢を少し崩して、剣呑に皎月を見る。
「…………で、何しに来たんだ?」
睨む。先に見た温和さはどこにも無く、邂逅の夜に見せたような苛立たしさと殺気だけが、そこにはあった。僅かに、隣にすわるナズーリンが居心地悪そうに身をすくめた。
記憶の中の星を思い出して、成る程以前に比べると温和になったものだと、一人皎月は頷く。
「改宗祝い、と言った所か」
「おかしいだろ、それ」
「然だな、では若藻殿が今何処に居るのか…………」
「知らんよ、当たり前だろう?」
「先に会った仙人に…………」
「おい、此処は倭国だぞ? 仙人なんかいるのか?」
「居たんだ、それが」
適当な返事。星は少し眉を寄せて、首を傾げた。
「…………用なんて無いんだろ」
「まあ、その通り、だな」
旧友の顔を見に来た丈だから、と皎月が言い訳のように言うのに、星はどこか納得したような顔で数度頷く。どこか抜けてる虎は、尻尾をゆらゆら揺らしてきょとんとしている。
その様子にいくらか気を削がれたのか、息を吐き、星は呆れた表情で軽く笑った。
「そう言えば、あんたはそんな奴だったな」
「如何言う意味だかは知らんが、馬鹿にされたのは分かったぞ」
唸る皎月にそんなことないさと返して、星は笑う。それから茶を啜って、私もそれなりに忙しいんだがなぁ、と呟いた。
「…………お前、何で毘沙門天何てやってるんだ?」
「正確には弟子だけどな」
毘沙門天、悪鬼を滅する、仏教の神様。虎を使いにするとも言われ、その点星が弟子だというのは当然なのかも知れない。しかし、彼女は妖怪で、本来であれば倒されるべきものだ。星は息を吐く。
「元々、私は信仰心なんて持っていなかったんだけどな」
「虎だからな」
「あんたは道教信仰だろ?」
「仙人に成りたい訳じゃあないがな」
言いながら、皎月はくるくると尻尾を回して、お茶が冷めたかどうか触って確認する。まだ熱いようだ。
「毘沙門天、か。星は西から来たんだったか」
「そうそう、来た時は訛りが酷いって言われたんだが」
「…………倭語が上手くなったな」
「李が教えてくれたお蔭さ」
それでさ、と星は続ける。手持ちぶさた気味のナズーリンが一人お茶を啜っていた。
「あんた達と別れてから、ふらふらした挙げ句にこの山に入って、まあ、隠居生活を送っていた訳だ。あまり無闇に殺生しないようにして、静かに」
それでも虎は日本の山に居るにしては目立ちすぎる。人間とは関わらないようにしていたのに、結果として星は人々に追われることになった。
過去を振り返り、倀鬼を捨てたのは決意あってのことだと。星は人を傷付けぬように、ひたすら身を隠すことにした。見付かれば矢を以て追い立てられるから。
「そもそも、私は変化が苦手で、しかも人形が取れなくてさ。追いかけ回されて、傷を負って」
傷を抱え、どうにも出来ずに、山を出ればいいのか、それでも着いた先でまた追いかけられるのか、思考の迷路にはまった虎はただ草葉の陰に隠れることしかできなかった。何度も妖怪退治の僧や陰陽師がやってきて、追い返す度に恐ろしい妖怪だと思われ、そしてまた強いと噂の輩がやってくる。そんな繰り返しに、星は嫌気がさしていた。
最後に彼女の元に来たのは、程近い寺にいる新進気鋭の僧だった。また追い返すのも億劫になっていた星は、甘んじるように無視をすることにした。放っておけば、死ぬと分かっていても。
「だけど白蓮様は、傷付いた私を労って、大変だったですねと声をかけてくれたんだ」
『私の寺に来ませんか? 怪我の手当てをしないといけませんから』
「変な奴だなと最初思ったけど、それよりそんな優しい言葉をかけられたのが初めてで、思わず私は頷いていた」
その場で簡単な手当てを受けて、それから寺に連れてかれた。この寺が毘沙門天を祀っているのは知っていたので、正直入るのに気が引けたが、今更何を怖れると思い切って敷居を越えた。
僧は、別に何を言うでもなく、ただ虎の傷が癒えるまでこまめに世話をしてくれた。妖獣である虎は比較的早く完治したが、その間の僧を見るだけで、ずいぶん丁寧な人だとは思えた。
傷が癒えた虎は、何か礼がしたいと、いやさせて欲しいと切り出した。この聖人君子に何かしら酬いてやらねば気がすまないと、そう思った。
すると僧は困ったように首を傾げてから、ぽんと手を打った。
『今、毘沙門天の弟子に成ってくれる妖怪を探しているんですけど、貴女成りませんか?』
毘沙門天、の弟子。つまりこの寺で祀られてくれないかということ。神様の代行を勤めて、人々に安寧をもたらせと。
自分は妖怪なのに。
養生していたときに気付いていたがこの僧、表向き人々の依頼を受けて安心させてはいるものの、裏では妖怪を星みたいに保護してやっているようだ。とんだ聖人じゃないか。
でも考えれば、そんな彼女だからこそ、星を助けてくれた訳で。だからこそ、星は恩義を感じた訳で。
弟子になってもいいと星が言うと、僧は嬉しそうに笑った。
『貴女なら立派に務まると思います』
「…………まあそんな感じだ」
皎月はそうかと一つ頷いた。それから、若藻とはかなりまえに別れたとか、出会った仙人のこととか、自分の方の話をいくつか話した。
用も無いのにこれ以上邪魔するのはよくないかな、と思い皎月は、これを機に改宗しないかと冗談混じりの星の誘いをやんわりと断って、立ち上がる。また来ると言った皎月に、星はつれなく来なくていいと返した。
気を利かせたナズーリンが先に立って歩いて先導してくれる。ねずみ色の髪がふわふわとしているのを追いかけて、また外に出た。
「ふ、ぁーあ、眠いなぁ」
大きく伸びをして、皎月は辺りを見回した。人がいたら尻尾と耳は隠した方がいいからだ。
「皎月、だっけ?」
「うむ、皎月だ」
ナズーリンは何食わぬ顔で前を歩いている。皎月も長い尻尾を地面すれすれで揺らしながらその後をついて行く。
「ご主人は、以前はどんな人だったんだ?」
どんなんだったか。皎月は答え難いなぁと思いつつ、首をちょっと傾げて記憶を探ってみた。
「む…………、今より目付きが悪くて、剣呑で、喧嘩っぱやい…………?」
「なぜ疑問系なんだ…………」
「己も良く知らんからなぁ」
人間を平然と襲っていた頃の彼女を知る者はいないのだ。出会った時のイメージしか残っていないのは仕方がない。
ナズーリンはそっか、と一言呟いてそれきり黙ってしまった。何か思うものがあったのだろうか。考え込むような沈黙が続く。
「…………ん?」
先に別れた鼬三姉妹が、何やら僧服の女性と話しているのが目に入った。隣には一輪もいる。もしかして件の僧かと見当を付けた皎月は、話を聞いてみようと近付いてみる。
鼬達は口々にやかましく何かを言っていて、僧がそれを聞き流すような感じで聞いてやってるようだ。なんだかこどもの話を聞いている母親みたいだな、と皎月は思った。
「風斬さん達は越後の生まれなんですね。向こうは雪が酷いでしょう?」
「そりゃあもう冬とも為れば大雪よ。まあ、冬でもなきゃ人は襲えないんだけどな」
「カイがうるさいんだよねー、先頭のくせに。どたどたばたばた」
「薬ぬるだけの人がなんか言ってる」
「はぁ? 転ばすだけの奴が何言ってるの? 馬鹿なの?」
「僕斬る丈ー」
「余り人を襲わない方が良いですよ、退治されたくなければ」
「鎌鼬をたいじしようなんて人いないよ」
「出来るものならやってみろってんだっ、風を捕まえられるならな!」
そこで皎月に気付いたのか、茶毛の小柄な鼬は尻尾を揺らして挨拶してきた。返礼して、皎月は彼女達の方に近付いていく。後ろをナズーリンが欠伸まじりについてきた。
「貴様が白蓮とやらか?」
「そうですけど、貴方は?」
李皎月だと名乗ってから、皎月はおもむろに考えていたことを聞いた。
「妖怪僧、一つ問いたいんだが、異教徒に対しては如何する?」
初対面の輩に、いきなりそう聞かれて、白蓮は幾らか面食らったようだったが、直ぐに立て直す。優しく微笑んで、無表情の虎に答える。
「異教徒、神道や道教の事でしたら、私は対立は望みません。互いに上手くやっていけたら良いなとは思っています」
「…………詰まり、改宗は勧めるが強いてでは無い、と」
「ええ、まあ」
己は改宗する気は無いからな、と余計な事を皎月が言っても、白蓮は微笑むだけだ。聖人君子の微笑みは眩しいな、とどうでもいいことを思う。
成る程こう言う奴なのか、と納得して皎月は、もう帰るかな、と背を向けかけた。が思うところがあったので、止めて諳じるように言った。
「…………かえり見ぬ、世も常為らぬ、仏法僧」
ふとそんな句を呟いてみると、白蓮は目を細めて返した。
「…………人の身ばかりの、光にはあらねど」
つまり自分は人間も妖怪も、平等に救済されるべきだと。その理念は確かで、変えようも無いと。
立派な志だが、他人に理解されるとは言い難い。何故なら彼女が助けようとしているものが、常に弱者であるとは限らないからだ。
なんとなく、仏教で言う“諸行無常”というのは、こういうのを言うのかもしれないな、と皎月は思う。次来た時にはこの寺は無くなってるかもしれない。
…………己には関係無い事かも知れないがな。
「…………異教徒が口を挟む事では無いかも知れんが、忠告はしたからな」
皎月はそう言って背を向けた。
まあ、その後暫くはその命蓮寺に居着いていた訳だが。白蓮も意外と、話すと考えが確りしているし、此方への理解が有る。遠慮要らぬ妖怪も沢山居たし、まあ居心地の良い場所ではあったからな。
星はいつも真面目に仕事していたから、余り話し掛けない様にはしていたんだが、その部下である所のナズーリンは違って、矢鱈にふらふらしていたから話し相手に成って貰った。難破霊とかもやって来て、暫く、かなり長い間、寺は平穏にやっていた。
おれの予想何て、関係無い様に。
…………所で、おれが話していると君の機嫌がどんどん損なわれて行くのは何故なんだろうね。何時噛み付かれるかと戦々恐々としているのだけど、噛み付かないでね?
俳句の意味? あの時の?
えっと、おれが『自分のしたことも、世俗もかえり見ない仏僧、今の状態が続くとは思うなよ』って言ったら、『仏教とは人間の為だけにあるものではない、全ての者にこそ平等に救済とはある筈だ』って返ってきた訳ね。
人間、妖怪、双方から感謝されるなんて本来なら両立しない事だろ? 人間は妖怪は害を成す丈の存在だと思っているし、妖怪に取っては人間何て食料に過ぎない。いつかは足元を掬われて、偏らざるを得なく成る。然成ってからでは遅いんだぞ、と。
然、おれは言いたかったんだがね、白蓮からしたらその両立こそが目的だから。
そして、おれの予想した通り、所詮叶わぬ夢だったんだ。
後編に続く。
短い。
命蓮寺メンバーは個人的に馴染みが薄い、
書き難い、
書き難いよー。
今のうちに言っておきますが、
俺は長期休みになると書かなくなる傾向にあるので、長期休み中はまあ期待しないで更新をお待ち下さい。
休みになると、なんでか分からんけどオリジナルの方が書きたくなるんだよね、
今何にも更新してないけど。