浪漫艶話♯番外編『坊っちゃまと竜』
「紹介するよる白竜。――巽幸星だ」
私のお仕えする主、ジェームズ・王・ブルックボンド様の紹介を受けて、私は深く頭を下げてご挨拶いたしました。本当は尻尾を振りたいくらいですが、人間の姿の時はそうもいきません。
「白竜でございます。ようこそお越し下さいました。巽様」
「よろしくね、白竜」
人懐こく微笑まれる巽様は、本当にお可愛らしい方で、いつも坊ちゃまから伺っていた通りの方でございます。
――おや、この方は。
私は巽様がお持ちの箱に目を留めました。その箱には、火の『気』を放つものが入っているようでございます。
「ああ、これかい、白竜?」私の視線に気付いて、坊ちゃまがご説明下さいます。
「例のネックレスだよ。『ラ・ヴィ・アン・ローズ』だ。どうも私はこの石が苦手でね。幸星に持ってもらっているんだ。――明日には持ち主が決まる筈だけれど、それまで幸星には家に泊まっていってもらう事になってる」
――坊ちゃま、心なしか声が弾んでます。
明日このお邸で開かれるお集まりの事は、私も事前に伺っておりました。強い『気』を持つこの石は持ち主を選ぶようで、明日お集まりの方々の中に、石と相性の良い方がおいでかどうかを調べるのでございます。
なるほど、火の『気』を持つこの石は、水と風の『気』の強い坊ちゃまには苦手でございましょう。
それにしても、巽様は『五色の気』を持った、大変珍しいお方でございます。坊ちゃまが心惹かれるのも無理からぬ事。巽様ならどのような石をお持ちになっても平気でしょう。それ程に強い『気』をお持ちだという事に、ご本人はお気付きなのでしょうか。
以前、同じ水の『気』を持つ和泉様に坊ちゃまが惹かれたのは、当然といえば当然の事でございました。しかし、それ以上に、巽様には地・水・火・風・光の全ての要素が、バランス良く、非常に強い『気』を放って輝いておいでなのです。特にそういったものに敏感な、坊ちゃまのような方々は、巽様の影響を強く受けてしまいます。巽様が坊ちゃまの事を好意的に思って下さっている事は幸いでございました。
それに――お母様が亡くなられて以来、滅多に感情を表に出す事のなくなった坊ちゃまが、巽様の前では楽しげにしていらっしゃるのも、微笑ましい限りでございます。
「巽様のお荷物は、客間の方に運んでおきます」
私は荷物をお預かりして、そう申しました。
「ただいま、お茶をお持ちしますので、どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい」
「ありがとう、白竜」
にっこりと笑う巽様の愛らしいこと。それにしても坊ちゃま、にやけ過ぎです。
此処で少し、私の事についてお話しいたしましょう。
そもそも、私共の祖先は、遥か十万光年の彼方、太陽系を含むこの天の川銀河のちょうど反対側に位置する星からやってまいりました。祖先達は、手頃な惑星を見つけては、環境を整え、植民する事を繰り返しておりました。この地球は、その中でも即、移住可能な星でしたので、多くの祖先達がこの地に移り住みました。それがざっと五百万年前の事でございます。地上ではまだ幼い人類がやっと誕生したような時期でしたでしょう。それでも、この星の美しい自然、生き生きとした生命の全てを祖先は愛し、慈しみました。祖先達は彼らと穏やかな距離を保って交わりを深めていきました。時には彼らに知恵を授け、時には人を深く愛すものもおりましたでしょう。世界各地に伝わる竜伝説の多くは、その名残りと言えます。
このようにして人との関係を深くしてきた所為か、竜の多くが、自身の体を人間の姿に変える能力を身につけております。私も、普段は人の姿をしておりますが、坊ちゃまと二人きりの時などには、竜本来の姿に戻って(文字通り)羽根を伸ばす事もございます。
我々竜は特に『神竜』(生物学上の分類は、竜目神竜科神竜属でございます)とも言われ、地・水・火・風・光の五つに分類されます。竜はそれぞれに、『神通力』と言うべき『力』を持っており、私は風の力を司る、風竜でございます。ちなみに、ロンドンのお邸を任されております清水は、水の竜でございます。
私は坊ちゃまのお母様、月花様がまだメトロポリス香港にいらした頃に出逢い、月花様の守護を決めました。清水は坊ちゃまがお生まれになった時、〝月〟の本部のある日本の病院でお母様と共に暫く滞在なさっていた折に出逢ったと申しておりました。我々竜は、自ら主を選びます。一度主を選ぶと、どちらかの寿命が尽きるまで、竜は主を守ります。私の場合は、月花様を主と決めてお仕えしてまいりましたが、その月花様が亡くなられて、私は新たに坊ちゃまを主と決めたのでございます。
月花様にお仕えしていた折から、私はお忙しい月花様に代わり、坊ちゃまのお世話をしてまいりました。坊ちゃまのお召し物は全て私の手製でございます。私共の郷里は、普通の人間が入れぬようなヒマラヤの奥深く、ひっそりと営まれる集落でございます。高い山脈に囲まれた谷間に、我々風竜の村がございます。風の一族に限らず、竜族の里には、ドラゴニティスという花が咲きます。この花はドラゴナイトと呼ばれるダイヤモンドに酷似した原石を多く含む岩場の上にしか咲かないのでございますが、この条件さえ満たせば、ほぼ一年中花を咲かせ実をつけるのでございます。この実から作った酒は、若さと健康を保つと昔から云われてございます。尤も、竜族は千年ほどの寿命の間、殆ど歳を取らないのでございますが。ドラゴニティスの葉を好んで食べるのがドラゴニモスという種類の蚕でございます。坊ちゃまのお召し物も、この蚕から得る絹で作ってございます。飾り付けには清水の彫金加工による青いドラゴナイトを使い、常に坊ちゃまの美しいお姿を際立たせるよう、私も清水も心を尽くしてお仕立てしております。
今宵は巽様もお泊りということですので、坊ちゃまのお部屋にはドラゴニティスの花を生けておきましょう。この花は私共竜族の主食でもありますが、また花の香りには恋人達を結びつける魔力があると云われてございます。平たく申せば催淫作用があるのです。尤も、もしも巽様に坊ちゃまの他に心に決めた方がいらっしゃれば、花の効果はないのでございますが、私の勘ですと、巽様も坊ちゃまを憎からず思っていらっしゃるようでございます。駄目押しにドラゴニティスの古木から取れた玉香を焚いておきましょうか。花の香りより更に強い効能がございます。虫除けにもなりますので、普段から坊ちゃまのお召し物に焚き染めているお香でございます。
巽様は、気持ちの良いくらい沢山召し上がる方でございました。お夕食の後、談話室にて、坊ちゃまにはホットワインを、巽様にはホットチョコレートをお出ししました。私はそっとお二人を見守ることの出来るよう、竜の姿になって、せり出した梁の上に身を置きます。このお邸には至るところに私が身を隠せるような、こうした梁や棚が誂えてございます。月花様がこのお邸を建てる際に、私の為に用意してくださったのでございました。
坊ちゃまと巽様は楽しげにお話なさっておいでのようで、私も嬉しゅうございます。坊ちゃまがあのように無邪気に笑う様子など、目にするのは本当に久し振りでございます。
「銀月って、ここに一人で住んでるのか?」
巽様の声は、澄んで良く通る心地よい響きがございます。坊ちゃまは巽様に、あの名前をお教えになったのですね。ご両親以外に口にすることのないお名前ですが、坊ちゃまはよほど巽様を大事に思っておいでなのですね。
「一人じゃないよ。白竜もいるし、運転手と庭師が、離れの方に住んでる」
「こんな広い家に白竜と二人っきりなの」
「ああ。普段はね。週に何度か通いのハウスキーパーも頼んでいるよ」
おや、どうしたのでしょう。巽様は急にご機嫌を損ねてしまわれたようです。坊ちゃまも心なしか不安そうなご様子です。いったい、何がお気に召さないのでしょうか。
「白竜て綺麗な人だよね。中性的っていうか。若く見えるし」
私ですか。こう見えても今年で三百二十四歳でございます。竜族はそもそも雌雄同体でございますから、人間の姿の時も中性的な容姿になるものは多うございます。
「若く見えるだけだよ。白竜は私達の倍以上生きてるよ」
坊ちゃまは少し困ったような顔をなさって、私の事をざっくりと説明なさいました。倍どころか十四倍とちょっとです。
「でもさ……」
どうしたのでしょう。巽様は何か言いたげなご様子なのに、黙って俯いてしまわれました。坊ちゃまは巽様がお座りのソファの肘掛に腰掛けて、巽様の肩を抱きます。その調子です、坊ちゃま。
「もしかして、妬いてるのかい?」
「ば……っ! なに言ってんだよ。そんなわけないだろ!」
巽様は急にお顔を真っ赤になさってお怒りになりました。どうしたものでしょう。私も耳と羽根がうな垂れてしまいます。しかし、坊ちゃまはなぜだか楽しげににやにやと笑っておいでです。
「心配しなくても、私が愛しているのはお前だけだよ。幸星」
坊ちゃまが巽様の手を取って、その甲に唇を寄せると、巽様のご機嫌も少し良くなられたご様子。
「別に、心配なんかしてないから!」
「痛いよ、幸星」
やや。巽様、坊ちゃまの耳をそんなに引っ張らないでくださいまし。
ですが、坊ちゃまはなんだかとても嬉しそうなご様子です。
やれやれ。これは、先々尻に敷かれそうな勢いでございますね。
ファイトです、坊ちゃま。