青い庭からの道
深夜の一時、僕はまだ寝つけていなかった。というより、寝すぎていた。僕は朝から、今までずっと寝ていた。ご飯も食べず、トイレにも行かなかった。行かなかったというより、行けなかったというのが正しいのかもしれない。僕の頭は空中に漂っているようだったし、意識は世界と僕の間にあるかのようだった。胃はずんとした痛みを持って、僕を苦しめていた。お腹が空いていても、何もそこに入れたくなかった。だが、入れないと胃が壊れるのでないかと、僕は心配していた。
風邪薬のカプセルを五十飲んでも、人は死ねない。
僕はどこからどこへ行くのだろう。今、進んでいる道の先が曇って見える。クラスメイトは早々と進路を決めた。僕は?
僕はとても死にたかった。というより、最初からここにいないということにして欲しかった。生きるのが苦しい。当たり前のように周りと比べられるのが辛い。僕は僕だが、彼らにとって僕は、何かだ。
僕は自然になりたかった。空とか海、空気でもいいし、酸素でもいい。いっそのこと二酸化炭素になった方がよかった。それらは、誰にとっても、空であり海であり、二酸化炭素だからだ。
苦しい。生きたくない。死にたい。なぜ、自殺は悪いことなのか。人の生死にさえ、なぜ他人は首を突っ込むのか。どうやったら、他人と僕の間にしっかりとした壁を作れるのか。
僕は本当に死にたいのか?
僕は本当のところ生きたいのではないだろうか。本当に死にたいのなら、首を吊るなり、割腹すればいいのでは? 僕はまだ生きるのを止めていない。止めればいいのに。進む先が曇っているなら止めればいいのに……。いや、曇っているからいけないのか。真っ黒になればいい。
でも、未来が光っていればもっといい。
何度繰り返しても、僕は矛盾だらけだ。生きたいのに死にたい。一体、どうなれば気がすむのだ。
ふと、カーテンを見た。カーテンの向こうには窓があり、その向こうには庭がある。今は深夜で、明かりなどそこには付いていないはずだ。だが、なぜかカーテンの向こう側が明るく見えた。
僕はカーテンの隅を引っぱり、庭を見た。
そこには静寂があった。庭にあるもの、そして、庭そのものが全く動いていなかった。空の色か、夜の色か、または他の色なのか、庭は青を薄く、何重にも塗り重ねられていた。
そこは僕が住んでいる世界ではなかった。僕にはそこがあちら側に見えた。
その時、僕は孤独を感じた。今までで一番の深さだった。一人で一人を心底感じた。
生きているこの世界に馴染めない僕は馬鹿だと思われているかもしれない。死という選択を持っている僕は馬鹿だと思われているかもしれない。本当に、僕は馬鹿なのだろうか?
いいや、僕は馬鹿じゃない。馬鹿じゃないだろ? 僕よ。僕は馬鹿じゃないよな? そうだよ。馬鹿じゃない。
僕は自分を否定できない。同じように僕は君たちを否定できない。でも、君たちは僕を否定するのか?
ずっと庭を見ていた。濃い青の空間、風のない流れ、揺れない木々、月明かりに照らされた土。美しい。美しいと分かるけど、僕にはその庭に親しみを感じられなかった。
あちら側か、こちら側か。僕の考えは矛盾している。あちら側もこちら側も、混ざっている。僕はそのごちゃごちゃの狭間にいる。どっちに行けば、どこに行けば、僕は僕なんだ?
少しでも感じてやる。僕はそう思って、部屋から廊下に出た。何を感じたいか、それさえも分からずに僕は廊下にあるガラス戸を開けた。ただ、本当に、何かを感じたかった。
僕は何も履かずに庭におりた。
大きく深呼吸をした。胃はまだ熱く、そこからはビニールのような味がこみ上げ、鼻の内側を焼いた。あの裏には砂利の小さくもごつごつした感触が伝わった。
「ねぇ」と後ろから声がした。
僕はその声に驚いた。そして、振りかえることができなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん何やってるの?」
そう妹が言ったので、僕はようやく振り返った。妹の声に気付かないだなんて、本当に僕の頭はどうかしている。いや、夜だからかもしれない。夜は些細なものにでさえ、恐怖を加える。
「何もしていないよ。ただ庭に出てみただけ」と僕は振り返って言った。
「ふーん。早く寝ないと朝起きられないよ」と妹は言った。いつものパジャマを着ていた。
「いいよ。起きなくても。明日から夏休みなんだ」
「卓球の部活あるでしょ?」
「あるけど、どうでもいいよ」
「怒られるよ」
「怒られて、部活やめるよ。それでいいよ」
妹は黙った。だが、それも少しの間だった。
「何かあったの?」。心配そうな声だった。
「何もないよ」と僕は言った。その言葉の次にくるものは、口には出さなかった。
「お兄ちゃん」
「なに?」
「死んじゃだめだよ?」
僕の言葉に何かを感じたのか、妹はそう言った。
「うん。死なないよ」と僕は言った。「まだ」と僕は心の中で付け加えた。そして、ありがとう、と思った。
「じゃあ、寝ようかな」と僕は庭からあがった。後ろは振り返らなかった。
僕がガラス戸を閉めると、妹は鍵を閉めてくれた。
妹の部屋の前に来ると「おやすみ」と妹が言った。
「おやすみ」と僕は返して、妹がドアを閉めるのを待った。
妹がドアを閉めると、僕は自室へと戻った。
部屋に入る前に、僕は振り返った。そこには庭から続いた道があった。
僕はそれを真っすぐに見つめた。生きろとも死ねとも、それは言わなかった。だが、僕はもう少し生きてみようと思った。布団に潜り込んで、寝て、起きて……。もうしばらく。