第4話 「フジパンロボット館」
フジパンロボット館と言えばご存知の方もいらっしゃると思いますが
大阪万博EXSPO’70に出展されたパビリオンの一つです、手塚治虫氏が
プロデュースしたことで当時、大変注目されていました。
私はその一年前の1969年3月に高校を卒業したのですが、その学校は
進学校でもなく実業系でもない普通科のみの学校で私は専門学校か
就職で迷っていました。
そんな時、校内の掲示板に製パン会社の求人募集があり大手の山崎、
敷島、フジの三社で各社、申し合わせたように同じ条件が提示されて
いたのですが、一社だけ違った内容があり、それは大阪万博に従業員
全員を連れて行くというもので、フジパンロボット館を単独で大阪万博に
出展するフジパンでした。
これに釣られて私は就職先をフジパンに決めてしまいました。
そして一年後実際に大阪万博に行くことになったのですが、
愛知県の豊明にあった工場と名古屋にあった本社の従業員全員を
引き連れての日帰りの強行軍だったので、長い行列のできる人気の
パビリオンなど見学できるものではなく、今では記憶をいくら
たどってもただ万博にいったということしか覚えがなく万博に
行かせてもらえるので入社を決めたはずのフジパンロボット館でさえも
多分いったであろうとは思うものの詳しくは思い出すことができない
ありさまです。
今、ネットで調べると大阪万博が終了するとフジパンロボット館は
愛知県の長久手町にオープンした愛知青少年公園にパビリオンごと
移設されたのですが1995年に老築のため取り壊されてしまいました。
その後同じ場所に愛知県児童総合センターが開館し、演奏ロボットなど
一部はそこで展示されていたのですが、愛知青少年公園が2005年に
開催された「愛・地球博」の会場になって閉園となってしまったのです。
愛知県児童総合センターはそのまま愛・地球博のパビリオンとして
転用されて演奏ロボットは新しいロボットなどと一緒に展示されていた
ようです。
愛知万博終了と共にロボットたちがどうなったのかとうことですが
愛知県児童総合センターが再開されてロボットもそこに展示されている
という情報もあれば一部は北海道の夕張市の「ゆうばりロボット大科学館」
にあるという情報や手塚プロが引き取って、アトム展で使ったという
話もあります。
結局大阪万博が終わってすぐに私はフジパンをやめてしまい、今では
当時パンの袋に印刷されていた(あるいはパンフレットかも)コッペパン
みたいな形をしたロボット館の絵だけは覚えています。