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女神から始まる物語

チートスキル『すべてを知る者』〜誰にも知られない男、苦悩の一ヶ月〜

作者: 兎追マヨ
掲載日:2026/08/19

『お〜め〜で〜と〜ございます! 次の保有者はあなたですッ!』

 

 朝食のパンを半分に割ったところで、俺の目の前に女神が現れた。白いドレスに金色の髪。背中には立派な翼。頭上には、いかにも神々しい光の輪まで浮かんでいる。ただし、声がやたら大きい。


『どーもっ! 女神です!』

 

「……はい、お世話になってます……?」

  

『では、改めまして!』

 

 女神は両手を広げた。

 

『あなたは本日より……じゃじゃーん! 固有スキル〈すべてを知る者(ノーバディ・ノウズ)〉の保有者となりますッ!』




 ――その瞬間だった。脳みそに、世界全部をぶち込まれた。


 知らなかった人間。知らなかった場所。知らなかった事件。

 

 昨日のこと。十年前のこと。百年前のこと。

 

 王都の地下水路で、今も眠っている死体のこと。

 

 北の村で飼われている犬の名前。

 

 隣の家の主人が昨日、妻に隠れて酒を飲んで、その酒代を妻には「本を買った」と嘘をついたこと。

 

「……うわ」

 

 俺はパンを落とした。

 

『すごいでしょう! イッツァ、ミラクル!』

 

「最悪だ」

 

『ホワイ!?』

 

 女神が本気で傷ついた顔をした。

 

『全知ですよ? 世界のすべてが分かるんですよ?』

 

 〈すべてを知る者(ノーバディ・ノウズ)〉。その名の通り、過去から現在に至るまで、世界のすべてを知ることができる。


 その代わり、嘘をつくと、死ぬ(・・・・・・・・)。


「……俺の前に何人の保有者がいて、どんな末路を辿《たど》ったか、把握してますか?」


『してません!』

 

 女神は笑顔だった。腹が立つくらい爽やかな笑顔だった。


 十二人。これまでの保有者は、みんな二週間持たずに死んだ。精神を病んで自害したやつ。この力のせいで魔女として処刑されたやつ。スキルを授かった直後、凡ミスで即死したやつ。


『ではでは、頑張ってください! アデュー!』

 

 女神の身体が光り始めた。

 

「おい、待てよ!」


 光が弾けるようにして、女神は消えた。食べかけのパンと、俺だけが残った。

 

「……最悪だ」

 

 本当に最悪だった。

 

 俺は、このスキルについて誰にも話さず、普通に生活することにした。


     ◇

   

「兄ちゃん兄ちゃん、どうだい! 南方産の極上魔石! この色艶《いろつや》を見てくれよ!」

 

 市場の露店で、商人が魔石を見せてきた。中で炎のような光がゆらゆら揺れている。

 

「いくら?」

 

「銀貨三枚!」

  

「高いな」

 

「いやいや、これでも――」

 

「ふーん、仕入れ値は銅貨八枚ってところか」

 

 商人が固まった。値切り交渉の最中、相手の仕入れ値まで分かるのは便利なのかもしれない。

 

「……へへ、ダンナ。随分と良い目をお持ちのようで」

 

「どうも」

 

 俺は魔石を買わずに去った。商人が小声で呟いた。

 

「……あの野郎、なんで分かったんだ?」


 もちろん全部、聞こえた。


     ◇

  

 酒場では、かなり言葉を選んだ。

 

「聞いたか? 昨日、南門で冒険者同志の殴り合いがあったらしいぞ」

 

「へえ」

 

「一人が意識不明でよ。相手が悪かったんだな」

 

「そうか」

 

「……お前、興味ないのか?」

 

「まあ、そこそこ」

 

「つまんねえ奴だな」

 

 その名前、喧嘩の原因。前日に何があったのか。それどころか、一年前に二人が初めて会った日のことまで、俺は知っている。


 別に知りたくない。でも知っている。全知とは、そういうものらしい。そして世界は、思った以上に嘘でできている。

 

「元気?」

 

「ああ……元気だよ」

 

 元気じゃない。

 

「この料理、あなたのために作ったの! おいしい?」

 

「も、もちろん!」

 

 まずい。

 

「また今度飲もうぜ」

 

 もう二度と会うつもりはない。

 

「君だけだよ」

 

 別の女にも同じことを言っている。

 

 人間は毎日、山ほど嘘をつく。嘘をつかなければ、関係が壊れることだってあるからな。

 

 でも、俺だけが、それを許されない。


     ◇

 

 ある日、街の広場で勇者の一行を見かけた。

 

「勇者様だ!」

 

 人々が歓声を上げる。白銀の鎧を着た勇者が、にこやかに手を振っていた。

 

 俺は、その勇者が昨日の夜、宿屋で一人泣いていたことを知っている。ただ剣の才に恵まれ、勇者として選ばれただけで、彼は誰も殺したくなかった。


 そして、勇者の隣を歩く聖女は平和より金に興味があることも、魔王は人類を滅ぼしたいわけではないということも、国は争いを終わらせるつもりがないことも、俺は全部知っている。

 

 ⋯⋯思っていたよりずっと面倒くさい。俺は何も気にしないことにして、屋台で串焼きを買った。

 

     ◇

 

「ねえ」

 

 彼女と食事をしていた。とても赤い夕暮れだった。窓の外では、魔法灯が一つずつ明かりを灯している。

 

「なに?」

 

「最近、変じゃない?」

 

「そうかな」

 

「そうだよ」

 

 彼女はスープをかき混ぜながら、俺を見た。

 

「前より喋らなくなった」

 

「そう?」

 

「そう」

 

「……」

 

「ほら、今も」

 

 彼女が笑った。でも、無理に笑っていることを俺は知っている。

 

 彼女は不安だった。俺が自分から離れていっていると思っている。そして、その通りだった。ただし、それは彼女が悪いからではない。俺が、知りすぎているだけだ。

 

「私のこと、嫌いになった?」

 

「なってない」

 

「じゃあ、好き?」

 

「好きだよ」

 

 これは本当だった。だから死なない。

 

「……愛してる?」

 

「……」

 

 言えなかった。

 

 頭の中には、彼女についてのすべてがある。初めて会った日のこと。彼女が俺を好きになった日のこと。俺が彼女を好きになった日のこと。喧嘩した日のこと。仲直りした日のこと。彼女が一度だけ、俺に隠れて泣いたこと。俺が彼女に言えなかったこと。彼女が俺に言えなかったこと。

 

 全部。本当に全部。だから分かってしまう。

 

 俺は彼女を愛している。でも、一人になりたいと思ったこともある。別れた方がいいと思ったこともある。それでも、失いたくないと思ったこともある。人間の感情なんて、そんなものだ。

 

 それを「愛してる」と、たった五文字にするのは、あまりにも雑すぎた。

 

「……どうして言ってくれないの?」

 

 彼女の声が震えた。

 

「俺は――」

 

 言いたい。全部言いたい。お前が今、何を考えているのか。俺がお前をどう思っているのか。お前が俺に隠していたこと。俺がお前に隠していたこと。

 

 全部、全部話してしまえばいい。そうすれば楽になれる。俺の頭の中には、言葉にされていない真実が多すぎる。それを一つ残らず吐き出してしまいたい。

 

 嫌われてもいい。泣かれてもいい。怒鳴られてもいいそれでもいい。もう、知っていることを一人で抱えていたくない。

 

「……俺は」

 

 彼女が俺を見た。

 

 俺も彼女を見た。

 

 言葉が出てこない。

 

「愛してる?」

 

「…………」

 

 答えられなかった。

 

 彼女の目から、涙が落ちた。

 

「そっか」

 

「違う」

 

「何が違うの?」

 

 全部違う。でも、何が違うのかを説明したら、もっと傷つける。

 

「俺は、お前を――」

 

 そこで止めた。

 

 彼女は笑った。

 

 泣きながら。

 

「もういいよ」

 

「待ってくれ!」

  

 分からない。何を待ってほしいのか。俺自身、分からない。

 

 いや、本当は分かっている。彼女に残ってほしい。でも、もう俺は彼女を幸せにできない。彼女に幸せになってほしい。その相手が俺じゃなくてもいい。


 ……嫌だ。

 

 全部、本当だった。だからこそ、何一つ口にできなかった。

 

 彼女は席を立った。

 

「さよなら」

 

 俺は何も言えなかった。

 

 ドアが閉まった。その音だけが、妙に大きかった。


    ◇

  

 その夜、俺は一人で部屋に座っていた。

 

 何度も何度も考えた。嘘をつけば死ぬ。知らないことは言えない。未来については何も分からない。真実を言えば、人を傷つける。じゃあ、どうすればいい。

 

「……答えは、沈黙だ」

 

 俺は呟いた。


 何も言わなければ、少なくとも死なない。

 

 俺は、それから口を閉ざした。

 

 友人に酒へ誘われても。母親に心配されても。昔の仲間に「お前、最近どうしたんだ?」と聞かれても。

 

 何も言わない。言わなければ嘘にはならない。そう、答えは沈黙だ。

 

 気づいたときには、誰もいなくなっていた。

 

 それでも俺には、全部分かる。友人は、俺の悪口で盛り上がっている。母親は、俺が病気なのではないかと心配している。彼女は、俺のことをまだ好きだ。

  

 苦しい。

 

 知らなければ、諦められた。分からなければ、忘れられた。でも俺は、全部知っている。なのに、何も言えない。


 ……あのとき、愛していると、言えば良かった。


     ◇

  

 一ヶ月。俺は、いつの間にかスキル保有者の最長寿命を記録していた。だが、何の自慢にもならない。すべてを知る俺にとって、すべては無駄なこと。

 

 だから、俺はもう死のうと思う。

 

 ……なあ、あんたはどう思う? こんなスキル、欲しいと思うか? ああ、言わなくていい。言わなくても分かるからな。

 

「それじゃ、こんな小説に付き合ってくれてありがとな。次は、あんたの番だ」


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