97 転移魔法陣を書き写せ!
リオンは膝に力が入らなくなり、文机の前にあった椅子に腰を下ろす。
この長椅子で白骨化した遺体が「リンゲル」という人物なのだろう。彼はリオンと同じ、日本で生きた知識を持ち、同時に個人的な記憶が無かった。
それで何故、自分はこうも動揺しているのだろう? リオンはその理由が分からなかった。寒気と動悸が収まるまで深呼吸を繰り返す。そしてもう一度、手記の最初から目を通し始めた。
『深淵より甦りし我には二つの魂が混在する。一つは青き水の惑星、日出ずる国の記憶を持つ魂。もう一つはここユレドラで栄華に浴したマギアム人の魂である。
冗談はさておき、この文章を理解する君は日本からの転生者、もしくは転移者だろう。私の名はリンゲル。現在は銀狐族だが、厨二っぽく書いてみた通り、元は日本人、次にマギアム人としての記憶を持つ転生者だ。
日本人として知識はあるが個人的な記憶はない。これは転生に関わったアル・ソマル神によって個人的な記憶が抹消されたためだ。
マギアム人というのも聞き覚えがないかもしれない。これを書いている時点で、マギアム大国時代は「マギアム文明」と呼ばれている。
地球から魂を召喚された大量の転生者により、マギアム大国は約四百年で超高度な魔法科学文明を発展させ、この惑星の実に六割を支配するに至ったわけだが、私はそのマギアム大国で魔法を応用した武器開発に携わっていた。
この身体に生まれてから、マギアム大国が滅亡した原因の在処を探ろうとしたが、ポータルを起動することが出来ず、その目的は果たせそうにない。
見知らぬ君に頼めることではないと重々承知しているが、どうか「ウラーノス」を探し出し、二度と起動しないよう破壊してくれないだろうか。
あの惨劇を繰り返さない為に。今この世界で生きる人々の暮らしを壊さない為に。
このカルダック・ポータル・ハブの北西に地下研究施設がある。そこに行けば、より詳しいことが分かるように手を打っておいた。
それと、私が憶えている限りのマギアム文字を現在の文字に変換した表を残しておく。魔法陣の解析に役立てて欲しい。
もちろんこれは強制ではない。君が私の願いを無視しても、それは仕方のないことだと思う。むしろ、見ず知らずの私から荒唐無稽な話をされても信じないのが普通だろう。
信じてくれとは言わない。もし僅かでも興味があるのなら、地下研究施設を訪れてみて欲しい。
同胞の君に幸多からんことを祈る。
リンゲル』
それ以降の頁には、エバンシア島らしき手書きの地図、魔法陣らしき複雑な図形、何かを考察した殴り書きが散見された。所々「ウラーノスはどこだ?」と日本語が現れる。
そして紙束の最後の方は、マギアム大国時代に使われていた文字と現代文字の対照表になっていた。現代文字の方は日本語ではなく、ちゃんとこの世界の文字になっている。マギアム大国の文字は、先程覗き込んだ正体不明の部屋に描かれていた文字のようだ。つまり、リオンが古代文字と呼んでいたのはマギアム文字ということである。そして、これによって魔法陣が描かれているのだろう。
時間さえ許せば、「クロウズ・オブ・アンガー」の内側に刻まれている魔法陣や、壁の魔法陣を読み解きたいところである。
特に壁の魔法陣。リンゲルによれば、ここは「カルダック・ポータル・ハブ」なのだ。恐らく、各地へ転移する中継地点のような場所だろうとリオンは考えた。それなら同じような部屋が五十近くあるのも納得だ。つまり、あの壁の魔法陣は転移に関するものなのだ。
「エルテガさん、キリシュ。ここに書かれていたのは――」
リオンは手記の冒頭部分を要約して二人に説明した。
「えーと、よう分からんどん、こんリンゲルって人はだいかに『ウラーノス』っちゅうんをみしけ出して壊してほしかってこと?」
キリシュが首を傾げつつ、重要な点をまとめてくれた。
「どけあっか分からんもんを探しっくれっち言われても、むっかしかどなぁ」
「そうですよね。文脈から、恐らくポータルを起動させれば見付けられるんでしょうけど」
今のところ、その「ウラーノス」というものがどこにあるのか全く見当がつかないし、そもそも「ウラーノス」がどういったものかも分からない。
厨二病を発症している暇があるなら、もっときちんと説明して欲しいものである。
「しかしポータルの仕組みが分かれば、これを色々と利用出来るかもしれません」
リオンはよく分からない「ウラーノス」よりも、俄然「転移」に興味があった。
このカルダック遺跡はポータルの中継地点であり集合体だ。もし、グレンドラン大陸とここを転移で繋げることが出来れば……。
キリシュが里帰りするのも少しは楽になる。オリザ(米)やフェルメン(味噌)の流通も多少現実的になる。もっと言えば、転移の仕組みそのものを解析することで、ユードレシア王国とポワンカ村を直接繋げることだって出来るかもしれない。
リオンはそう、二人に熱弁を振るった。
「だから、さっきの部屋にあった魔法陣を出来るだけ持ち帰りたいんです!」
「なるほど……」
もちろん現段階では夢物語に過ぎない。転移の仕組みを解明することは不可能かもしれない。
それでも試してみる価値はあると思えた。だって、リンゲルが残してくれた「対照表」があるのだ。
正直、リオンは魔法陣について全く知識がない。だが、王立魔法研究所所長のリーゼに見せれば何とかなるのではないかと考えている。
リオンもまさか、リーゼではなく距離感のおかしな副所長の方が古代文字や魔法陣の権威だとは思いもしなかった。
「書き写す紙はあっどかい?」
「はい、ここに!」
書棚の一画には、未使用の紙と筆記具が無造作に積み上げられていた。
「三人でやればすぐ終わるかもね!」
「ありがとう、キリシュ!」
カルダック遺跡に到達するまで、通常より遥かに短い期間しかかかっていない。未来のために、ここで少々時間を使うくらい良いだろう。エルテガはそう判断した。
「そいじゃあ、やってみようか」
「ありがとうございます、エルテガさん!」
二人が協力を申し出てくれたので、リオンは早速<エア・ムーブ>と<ナイト・ビジョン>を使い、三人で遺跡の通路を取って返した。もちろん大量の紙と筆記具、紙を留める画板を持って、である。
リンゲルの遺体があった部屋から一番近いポータルまで五分で到着。ランタンで壁を照らし、手分けしてマギアム文字を書き写していくが――
「ああ、面倒臭い!」
一時間ほど続けたところで、言いだしっぺのリオンが音を上げた。
ランタンの灯りしかないため暗いうえ、未知の文字は全てが図形に見えるから、間違えないように何度も壁と紙を見直さなければならない。頭痛がしてくる。
「二人とも、ちょっと時間をください」
父さまの執務室に複写の魔導具があったのに、僕はどうしてあれの仕組みをちゃんと見なかったのだろう? 複写が出来れば楽なのに……。
オフィスにあるコピー機は静電気を利用して複写している。感光体ドラムを帯電させ、原稿台で読み取った図形通りにレーザー光が感光体ドラムに照射される。光が当たった部分は導体となって静電気が消失し、当たらなかった部分には静電気が残る。ここにマイナスの静電気を帯びたトナーが近付けられると、静電気の残った部分にのみトナー(粉)が付着する。紙の裏からプラスの静電気を与えれば、ドラムに残ったマイナスのトナーが紙に引き寄せられ、図形が写し取られるわけだ。後は紙に転写されたトナーを熱と圧力で紙に定着させれば印刷完了である。
複写の魔導具が同じ仕組みかは分からない。いや、たぶん異なる仕組みだろう。コピー機の仕組みは単純だが、機構が複雑過ぎる。恐らくフィルムカメラのような原理ではないだろうか。そちらの方が魔法と親和性があるような気がする。
カメラ・オブスキュラ。ラテン語で「暗い部屋」を意味する。真っ暗な部屋の壁面に小さな穴を開けて光を入れると、反対側の壁に外の景色が上下逆さまに投影されるピンホール現象を利用した投影装置で、写真機の原型だ。このカメラ・オブスキュラに感光剤を組み合わせたものがフィルムカメラとなる。「カメラ」の語源はカメラ・オブスキュラである。
ここには感光体ドラムやトナー、感光剤はない。
(魔法はイメージが全て……)
ややこしい原理はこの際度外視しよう。要はマギアム文字を正確に写し取るだけで良い。リオンは何も書いていない紙を手に取り、それを壁に押し当てた。そして、壁の文字が「ハンコ」のようにそのまま紙に転写されることをイメージする。
「<トランスクリプション>」
一瞬紙が光った。紙を裏返してみると……転写されている!
「やった、出来た!」
「ほんと!? リオン、見せて!」
「いいよ、ほら」
「わ、すご…………ねぇ、リオン?」
「ん?」
「こい、図形が裏返しになっちょらせん?」
「え? そんなこと…………なってるね」
そう。壁に押し付けた面にマギアム文字が転写されたため、鏡文字のようになっていたのである。
リオンは両手と両膝を床につけて項垂れた。
「こ、こいでもよかとじゃなか?」
キリシュが慌ててフォローしてくれる。エルテガは苦笑いだ。
「まぁこれでも悪くはないけど……いや、やっぱり後が面倒だ」
既知の文字なら鏡文字でも判読可能だが、マギアム文字は無理だ。これを正常な文字に書き直すのは二度手間である。
「うん、紙の手前の方に転写すればいいんじゃないかな? <トランスクリプション>」
リオンは再度、紙を壁に押し当てた。今度は、文字が壁に接している面ではなく、手前の見えている面に転写されるように念じる。
一瞬紙が光り、すぐに文字が浮かび上がる。ぬか喜びにならないよう、リオンは何度も壁の文字と紙を見比べた。
「よし、今度こそ成功だ!」
「ほんと?」
「うん、見てみて?」
「…………うん、壁の文字そのままだね」
「これで片っ端から転写していけば――」
「わっぜか紙の量にならせんどかい?」
キリシュが冷静に指摘して、リオンは再び両手と両膝を床につけて項垂れた。エルテガは我慢出来なくなったようで、腹を抱えて笑っている。
<トランスクリプション>の魔法は確かに成功したし、使い方によっては有用であろう。だが、部屋一杯に描かれたマギアム文字全てを転写するには紙が足りないし、足りたとしてもユードレシア王国まで持ち帰れるような量ではない。荷車が必要になる。
リオンは諦めて、地道に書き写すことにしたのであった。
「やっと終わったー!」
体感で三日。壁、天井、床のマギアム文字を全て書き写すことが出来た。後でどの部分か分かるように「壁右2―7」といった記号を付けている。
実物の二十分の一程度の大きさで書き写したのだが、千枚以上の紙が必要だった。
ちなみに「体感で」三日というのは、遺跡内なので昼夜の区別がつかないからだ。
幸いなことに、遺跡のあちこちにトイレや風呂といった施設があった。さすがに水やお湯は出ないものの、その辺りはリオンの魔法でカバー可能だ。
「「おやっとさぁ」」
「二人もお疲れ様です! ありがとうございました!」
千枚以上となった紙の資料は、キリシュとエルテガも分散して持ってくれることになった。リオンとしては有難い限りだ。
転移の魔法陣と思しきものを写し終えたので、いよいよカルダック遺跡を北に抜けようという話になった。
リンゲルの遺体を埋葬したいという気持ちもあった。だが、遺跡の外だと魔物や獣にお墓を荒らされてしまう可能性が高い。このままの方が彼の安寧には良いだろうと判断し、そのままにしていく。貴重な資料である手記は布に包んで背嚢にしまい、遺体に手を合わせて彼の研究室を去った。
レンダルの手記にはここカルダック・ポータル・ハブの簡単な見取図もあった。リオンたちが入ってきた南からポータル区画、研究区画、倉庫区画、居住区画、倉庫区画、一番北は非常時のシェルターだったらしい。
リオンは<ナイト・ビジョン>で視界を確保し、<エア・ムーブ>で自分を含めた三人を運んだ。エルテガとキリシュにとっては真っ暗闇の中を飛ぶことになる。一応、獣人族の彼らは人族より夜目が利くらしいのだが、速度は時速三十キロメートル程度に抑えた。
二度休憩を挟み、二時間ほどで北側の突き当りに辿り着いた。エルテガがランタンに火を灯し、キリシュが扉開閉の仕掛けを探している。
「今、何時くらいでしょうかねぇ」
「さすがに、外に出てみらんとわからんど」
ここまでの道中、リンゲルの手記にあった「北西の地下研究施設」へ行くことに決めた。このような施設を建造したマギアム大国が何故滅んだのか。そして、「ウラーノス」なるものを放置しているとどのような危険があるのか。研究施設へ行けば、そういったことが分かるかもしれないからだ。
「見っけた!」
キリシュが扉の左にある壁の一部が仕掛けになっていることに気付き、それを操作する。ゴゴゴ、と重い音を立てて扉が上の方に吸い込まれていった。キリシュが得意満面の顔で胸を張っている。
「わぁ、夜だね」
「真夜中っちとこじゃな」
「……閉めるね」
外より遺跡の中の方が安全だろう。せっかくキリシュが仕掛けを解いてくれたのに、リオンは何だか申し訳ない気持ちになる。
「す、すぐに仕掛けを解くなんて、やっぱりキリシュは凄いね!」
「そ、そう?」
「そうだよ! キリシュがいてくれて良かったなー!」
「え、えへへ……」
リオンの誉め言葉で、力なく垂れていたキリシュの耳がピンと立ち、尻尾がゆらゆら揺れた。
そんな二人の様子に、エルテガはうんうんと頷く。やはりリオンは娘を任せるに値する男だ。そんな感じである。
遺跡の中でもう一晩明かしたリオンたちは、翌朝、手記にあった研究施設へと向かうのだった。




