94 別れ
僅か三百メートルの距離は、<アクセルバレット>にとって無いに等しい。発動と同時に着弾する。
「<アクセルバレット>」
リオンはもう一体、南の門付近にいるディアボロディノスに向けて魔法を放った。一体目を屠ってから一秒も経っていない。北側の地面が抉れて盛大に舞い上がった土埃がまだ収まらない中で、二体目も頭部を失って倒れ、貫通した十四ミリ弾が二つ目のクレーターを作った。
リオンは素早く目星を付けていた建物に近付き、三階部分の天井付近に<ストーンライフル>で穴を開ける。
「<カイエン・ボール>、<エアバースト>」
建物の出入口を<エンバンクメント>で塞いだら、続けて二つ目、三つ目の建物で同じことを繰り返した。それぞれ中に二~三十人がいたので、少しでも討伐隊が楽出来るように建物内部の者を無力化するのが目的だ。入口を塞いでおけば中の者は出られず、味方が誤って<カイエン・ボール>を食らうことも防げるだろう。
空中を浮遊して移動するリオンに気付いた猿人族が声を上げ始める。
「<コンプレックス・シールド>」
その時、今度は南門が破壊される音が響き渡った。全身金属鎧に大盾と長剣の騎士たちと、急所を金属鎧でカバーして丸盾と剣や槍を持った兵士たちがなだれ込んでくる。門の近くにいた猿人族十数人を倒した後、彼らはすぐさま隊列を組んで整然と行動を始めた。
「リオナード殿!」
昨日、メイルドーン王子の天幕に案内してくれた騎士が、兜の面を上げて声を掛けてくる。リオンはその騎士の前に降りた。
「ああ、丁度良かった。三つの建物……あれとあれとあれですが、この三つは出入口を塞いでいます。内部の者を無力化していますので、えーと、十五分くらいしたら出入口を通れるようにします」
内部の者を無力化と聞いて騎士の顔が若干引き攣ったが、すぐに平静に戻った。
「ご協力、感謝します! 殿下は南門から二百メートルほどの天幕にいらっしゃいますので!」
「ありがとうございます」
自分の出番はここまでだろう。後は<エンバンクメント>を十五分後に解除するだけ。リオンは討伐隊の邪魔にならないよう再び空へと上昇した。
不測の事態が起きたらすぐ駆け付けられるよう、高度は百メートルほど。その高さでもクレドス全体を見渡すには十分だ。
「へっくしゅ!」
くしゃみが出て、リオンはまたローブの前を合わせてフードも被った。体を動かして戦っている騎士たちと違い、魔法しか使っていないので全く体が温まらない。
メイルドーン王子の討伐隊は優秀だった。ほとんどの猿人族は抵抗を諦め、武器を捨てて投降している。
リオンはじりじりと十五分経過するのを待った。早く時間が経って欲しい時ほど、時計の針はノロノロ動く。これ、時間の引き伸ばしに応用出来ないだろうか? ……出来ないだろうなぁ。
やっと十五分経ったので、リオンは<エンバンクメント>を解除するためまた降下した。
――キン!
音がして振り向くと、猿人族の振り下ろした剣を<コンプレックス・シールド>が防いでいた。愕然とした顔のそいつを、リオンは溜息を吐きながら<エアバースト>で吹っ飛ばした。
目的の建物の前には三個小隊(六十名)が整然と待っていた。突入しなくても向こうから出てくると思いますよ、と小隊長らしき人に伝え、<エンバンクメント>を解除する。
その途端、建物の出入口から十数人が転がるように出て来て、そのまま目を押さえながら地面をのたうち回った。騎士と兵士たちは一瞬呆然としたが、我に返って彼らを捕縛し始める。建物の中に残っている者もいるようだが、態々突入しなくてもそのうち投降するだろう。
残り二つの建物でも、<エンバンクメント>を解除すると同じ光景を見ることになった。今更ではあるが、なんて恐ろしい魔法を生み出したのか、とリオンは慄いた。直接の殺傷力はなく、激痛だけを与える<カイエン・ボール>がこれほど役に立つとは。
今度こそやることがなくなったので、リオンはメイルドーン王子に懐中時計を返しに行くことにした。また浮遊して壁を飛び越え、教えてもらった王子の天幕近くに降りる。
「あ、ライネリカさん」
「リオナード殿! ラーナとメルーナは!?」
「無事再会して、二人とも大変喜んでいました」
「そ、そうか……それは良かった」
戦況よりも白兎族の姉妹の方が気になる騎士って大丈夫?
でも、こういう人だからこそ、ラーナは懐いたのかもしれない。他の何よりも自分のことを気に掛けてくれる、ラーナと、それにメルーナには、ライネリカのような人が必要なのだろう。リオンはそう思うことにした。単にライネリカがポンコツである可能性については考えないことにする。
「あの、殿下にこちらをお返しいただいてもよろしいですか?」
「ああ、問題ない。私の方から間違いなくお返ししておこう」
リオンは懐中時計をライネリカに渡した。
「あの調子なら、昼前には完全に制圧が終わりそうですね」
「その予定で殿下も考えていらっしゃる。貴殿らは、ここが終わった後はどうする予定なのだ?」
「僕とエルテガさん、キリシュの三人はこのまま北へ向かい、カルダック遺跡を目指します。ブロドさんたち三人は王都へ戻ると聞いています」
「そうか……なぁ、リオナード殿。ラルグリア王国に仕える気は――」
「すみません。僕は故郷に待ってくれている人がいるんです」
「そうか、そうだな。悪かった、今のは忘れてくれ」
「はい、忘れました」
クレドスの制圧が完了したら北門の側で待機していて欲しい、とリオンは頼んだ。二~三時間おきに様子を見に行き、ライネリカの姿が確認できたら救出した者たちをクレドスに送り届ける。もちろんラーナとメルーナも、だ。それでここでの仕事は完了となる。
それでは、とライネリカに挨拶して、リオンはまだ暗い空に浮き上がった。ライネリカに渡す時、懐中時計は四時二十五分を示していた。今から戻れば二~三時間は眠れるだろう。出来れば冷えた体を風呂で温めたいところだ。このままでは風邪をひきかねない。
ブロドたちが熾した焚き火を目安に、リオンは戻ってきた。まだほとんどの人が眠っているので囁き声で帰還を伝える。
「ただいま戻りました。全て順調、問題はありません」
「おかえり、おやっとさぁ、リオン」
焚き火の番をしていたライドンが小声で返してくれた。ブロドとゲルガは仮眠を取っているようだ。暗がりからエルテガが出て来て、リオンの肩をポンと叩いて労った。
「エルテガさん、体が冷えたので風呂に入ってきます」
「ようあったまってきやんせ」
浴槽は昨夜作ったので、水を入れ替えるため一面の壁だけ解除した。再度壁を作り、<ウォーターボール>と<ファイアボール>で適温を作り出す。
「ふぃ~~~」
服を脱いで浴槽に浸かると声が出た。手足の先がピリピリするが、しばらく我慢するとじんわり解れて気持ち良くなってくる。
目を閉じ、頭を浴槽の縁に預けた。少し熱めの湯に肩まで浸かった状態で、顔に当たる冷たい空気が心地よい。
ポチャン、と音がして、雨でも降ってきたかな、と目を開けてみると、キリシュが湯に入っていた。
「ちょっ!?」
「しぃー」
キリシュは浴槽の中でくるりと背中を向け、リオンにもたれかかる。
「リオン、寒かったでしょ?」
「……うん」
「あたいがいっどき行けば良かったね」
「……うん、キリシュはあったかいからね」
リオンの胸と腹にキリシュの背中が当たっている。引き締まっているのに柔らかいという、何とも不思議な感触。
ルーシアの裸だってまだ見たことないのに……。罪悪感と背徳感、それに女の子の体が触れている興奮で、リオンの頭はおかしくなりそうだ。
「リオンの心臓、わっぜドキドキしてる」
「だ、だって――」
キリシュがリオンの左手を取り、自分の胸に当てた。ふわふわと柔く、それでいてピンと張りがある、これまた不思議な感触。
「あたいもドキドキしてるよ」
あ、分かった。これは夢だ。思春期によく見るえっちな夢。僕はきっと風呂に浸かりながら寝てしまったのだろう。
それにしてもリアルな夢だなぁ。感触まで伝わるなんて。キリシュの体温や匂いまで感じられる。これじゃまるで本当のことみたいで――
「リオン、あたいね、リオンに……あ、あれ? リオン? リオン!? だ、大丈夫!?」
キリシュが頬を染めてリオンを振り返ると、彼は鼻血を出して白目を剥いていた。
興奮がピークに達した上、のぼせてしまったのである。
リオンを見たキリシュの顔が蒼白になった。
「ぎ、ぎゃぁぁあああ!? リオンが!? おやっどん、リオンがけしんかけちょっ!?」
キリシュは自分が素っ裸であることも忘れ、叫び声を上げながら父の所に走った。エルテガは娘のただならぬ声に素早く反応していたが、まさか裸の娘が走ってくるとは予想しておらず、取り敢えず娘の体を隠す何かを探し、自分の寝床用の布を拾い上げて娘を包み込んだ。
「リオンが! 鼻血出して白目剝いちょっ!」
この時点でエルテガは全てを察した。リオンが風呂で温まっているところへ、娘が断りなく乱入したのだと。
エルテガは慌てて目隠しの土壁を回り込んだ。意識がないのなら溺れてしまう可能性があるからだ。
果たして、リオンは頭を浴槽の縁に載せたまま白目を剥いて気絶していた。ライドンの手を借り、二人でリオンを浴槽から引っ張り上げるが、その過程でリオンのリオンがしっかり主張しているのを見てしまった。エルテガは脱ぎ置かれていたリオンのローブでその部分を隠す。
全く、我が娘ながら何をやってるんだ……。娘の失態で、息子同然と思っているリオンの元気な息子を見てしまい、エルテガは居た堪れない気分になる。ライドンに、何も見なかったことにしてくれと頼めば、彼も神妙な顔で頷いた。
そうしている間にキリシュはしっかり服を着ていた。
「おやっどん、リオンは!?」
「あー、のぼせただけじゃろう。しばらく寝たらなおっど」
「よ、よかったぁ……」
リオンに惚れているのは分かっているが、それにしても少しばかり積極的過ぎないだろうか? 一体誰に似たのか……とエルテガは内心で呆れるが、言うまでもなくキリシュは父親に似たのであった。
リオンが目を覚ました時は陽が昇っていた。
「あ、あれ? 何かすっごい夢を見てたような……」
そこで自分が裸のまま寝ていたことに気付く。風呂で寝てしまって誰かが運んでくれたのだろうか?
頭の横には、風呂に入る前に来ていた服一式がきちんと畳んで置かれていた。リオンは首を傾げつつそれを身に着ける。
「あ、エルテガさん! もしかして僕、風呂で寝てましたか?」
「あ、ああ。じゃっど」
「すみません、ご迷惑かけて」
「よかよか。気にすっこちゃなか」
「ちょっとクレドスの様子を見てきますね」
夜明け前に風呂で起きたことをリオンは憶えていないようだ。うん、このまま無かったことにしよう、とエルテガは上昇していくリオンの背を見ながら考えた。
クレドスの町内部では幾筋か煙が立ち上っている。討伐隊が焚き火でもしているのだろう。或いは猿人族が最後の抵抗で建物に火を放ったのか。
近付いても戦場特有の張り詰めた空気や喧噪はなく、静かなものだ。北門の上空で<テレスコープ>を使うと、十数人の騎士がそこに集まっており、ライネリカの姿も確認出来た。
「ライネリカさん!」
リオンは降下しながら声を掛ける。
「おお、リオナード殿」
「すみません、お待たせしたようで」
「いや、つい先ほど全ての建物の確認が終わったところだ。それで、殿下が制圧完了を宣言した」
「分かりました。では向こうの準備が出来次第、こちらへ向かいますね」
「頼む」
予想よりもかなり早く制圧が終わったようだ。リオンは急いで戻り、エルテガにそのことを伝える。
リオンたちの野営地が俄かに慌ただしくなった。救出した者たちと、捕縛した取引相手たちを二台の荷車に乗せ、グランドリザードにそれを曳いてもらう。ラーナとメルーナはリオンの側にいて、歩いて南へ向かう。
やがて<エンバンクメント>で塞いだ北門が見えてきた。近くまで来たところでそれを解除するが、一つ問題が。
「……しまった。堀が出来てしまいました」
北門から十メートルほど離れた所に、道幅一杯の堀が生まれていた。土を盛り上げた弊害である。<エンバンクメント>の解除で多少は埋まったが、まだ二メートル近い深さがある。
その時北門が内側から開いた。先頭のライネリカが、少し離れて立ち止まっているリオンたちと、その手前に出来た堀を見比べ、すぐに騎士たちへ指示を出す。数分で騎士たちが木の板を何枚も運んできて、それを橋代わりに堀へ渡した。
ブロドがそこに乗って強度を確かめ、グランドリザードを導いてそれを渡らせる。続いて二頭目が、取引相手を乗せた荷車を曳いて板を渡った。
「ラーナ!」
「お姉様!」
ライネリカが辛抱堪らずといった様子で堀を回り込んで来た。彼女はラーナを抱きしめ、初めて会うメルーナと視線を合わせるため膝を突き、自己紹介をしている。ライネリカのことは既にラーナから聞かされていたのだろう、メルーナははにかみながら挨拶していた。
「リオナード様、本当に、本当に、ありがとうございました!」
ラーナがリオンの前で深く頭を下げる。
「二人が再会出来て、良くしてくれる保護者も見付かって、僕も嬉しいです」
「え、お兄ちゃん? どっか行っちゃうの……?」
何かを感じ取ったのか、メルーナがリオンの前に走ってきた。
「うん。僕たちはこのまま北に行くんだよ」
「ええ!? ずっと一緒にいると思ってたのに!」
短い時間で随分と懐かれたようだ、とリオンは思う。
「お姉ちゃんと、新しく出来た大きなお姉さんと、仲良くするんだよ?」
「……うん」
リオンもメルーナと目線を合わせるように片膝を地面に突き、その頭を優しく撫でた。すると、目を潤ませたメルーナがリオンの首に縋り付き、頬にチュッと唇を押し付ける。
「お兄ちゃん、大好き! ありがとう!」
「……うん。元気でね」
メルーナがリオンを振り切るように姉の所へ走っていく。入れ替わりに、ブロド、ゲルガ、ライドンがすぐ近くにやって来た。
「リオン。おいたっは討伐隊についてヴィーゼンにもどっつもいじゃ」
「ブロドさん、どうかご無事で」
「リオンも気ぃつくったっど? わいたっが来てくれっせぇ、まこち助かった。ありがとう」
「こちらこそ、ブロドさんたちがいてくれて良かったです」
電話もネットもないこの世界。別れは今生の別れを意味する。ブロドの大きな手が肩に置かれた時、ふいにリオンはそれに気付き、目の奥が熱くなった。
改めてブロドと固い握手を交わす。ゲルガ、ライドンとも同じように握手した。
また会いましょう、とは気軽に言えない。だが、リオンは胸の中で「またいつか、お会いしましょう」と誓う。
ブロドたちはエルテガにも礼を言い、握手を交わしている。キリシュがそっとリオンの隣に立ち、手を握ってきた。
「大丈夫。あたいはずっと一緒にいるから」
「……うん。ありがとう、キリシュ」
気付かぬうちに、リオンの頬を熱い雫が流れていた。リオンはそれをローブの袖で拭う。最後に見せる顔が泣き顔になってはいけない。
ブロド、ゲルガ、ライドン、ライネリカ、ラーナ、メルーナ、その他大勢の騎士たちに見送られながら、リオンとキリシュ、エルテガの三人は、彼らに背を向けて北へ歩き出した。




